4.ロクでもないものが降ってきた
「……何か……来る!」
シルフィアの動きが一瞬止まる。全員が同時に、顔を上げた。天井の向こう側の空間の気配。何かが、歪んでいる。
『……来るぞ』
魔剣エクリプスの声が低くなる。
「何がだよ」
『知らぬ』
「は?」
『だが――ロクでもないものだ』
その瞬間、ズドンッ!!と轟音がした。剣闘場全体が揺れる。
「な、なんだ!?」
帝国騎士たちが動揺する。彼らにとっても想定外の事態らしい。不穏な空気に、カイルも顔をしかめる。
「地震……?」
違う。シルフィアは直感した。
「……上だ」
全員が一斉に天井を見る。次の瞬間。――バキィィィン!!
天井が吹き飛んだ。瓦礫が降り注ぐ。光が差し込む。
そして、そこに“それ”はいた。
黒い影だ。人のカタチをしている。だが――顔がない。体のディテールがない。ただの黒い影としか言いようがない。
「……なんだ、あれ」
帝国騎士の一人が震える声で言う。影が、ゆっくりと降りてくる。そして、地面に着地した。だが音が、ない。ただそこに“存在している”だけで――空気が重くなる。
『……ほう』
魔剣エクリプスが低く笑った。
『これはまた、面白いものを出してきおったな』
「知ってんのか?」
『知らぬ』
「どっちだよ!」
影が、顔を上げた。いや上げたような気がする。その瞬間。
ゾワッ。
全員の背筋に悪寒が走った。それは人ならざる者だった。
「……退け」
低い声がする。感情が、ない。帝国騎士たちが凍りつく。
「な、何者だ――」
「退け」
一歩、踏み出す。次の瞬間――ズンッ!!
強力な圧力が襲う。見えない衝撃が走る。帝国騎士たちが一斉に吹き飛んだ。
「ぐあっ!?」
「なっ……!?」
カイルも踏みとどまるので精一杯だった。聖剣セラフィクスを佩いていなければ、自分も吹き飛ばされていただろう。
「なんだこれは……!」
だが、シルフィアだけは平然と立っていた。ニヤッと笑う。
「面白え」
魔剣エクリプスを構える。正眼の構えで相手との間合いを正確に計る。シルフィアが本気になった証だった。
「お前、強いだろ」
影は答えない。ただ、まっすぐシルフィアを見る。その目は――どこか空虚で、何も映してはいなかった。
『……人ではないな』
魔剣エクリプスが呟く。
「じゃあ何だよ」
『……“器”だ』
「器?」
そのとき、影の口が、ゆっくり開いた。
「……見つけた」
ゾクリとする声音、シルフィアが眉をひそめる。
「は?」
影が、一歩踏み出す。空気が歪む。
「回収する」
その瞬間、本能が叫んだ――ヤバい。こいつはヤバい。
見つけたとは、シルフィアのことか、魔剣エクリプスのことか、あるいはその両方か。だが、ギラギラとした真っ直ぐな眼差しでシルフィアは笑った。
「いいねえ」
一歩、踏み込む。正眼の構えは崩さない。剣先で相手との間合いを保つ。シルフィアの剣技は決まった流派を持たない。持たないが故に基本に忠実だった。普段の破天荒さは彼女が本気ではないからだ。
「やってみろよ!!」
つぎの瞬間、二つの影が衝突した。衝撃が通路を吹き飛ばした。石壁が弾け、床が砕ける。空気が圧縮され、爆ぜた。
「っ……!」
カイルが思わず腕で顔を庇う。その隙に。
「ははっ!!」
シルフィアは突っ込んでいた。相手の姿は見えない。だが、いる。確実に、そこに。
「そこだっ!!」
直感で魔剣エクリプスを振るう。
――ゴンッ!!
確実に手応えがあった。
『だから我は棍棒ではないと言っておるだろうがァ!!』
「当たった!」
だが――ズレる。確かに当てたはずの手応えが、すり抜ける。
「……チッ」
シルフィアが舌打ちする。気配はある。だが、位置が定まらない。
『空間が歪んでおる……厄介な術だ』
「だったら、全部ぶっ壊せばいいだろ!」
シルフィアは床を蹴った。一気に加速。壁を踏み、天井を蹴り、縦横無尽に暴れ回る。
「オラァ!!」
――ゴゴンッ!!
通路の柱が砕ける。瓦礫が崩れ落ちる。
「やめろシルフィア!!」
カイルが叫ぶ。
「このままじゃ崩落する!」
「関係ねえ!」
「ある!!」
即答だった。
「ここは帝都だ!巻き込まれる人間がいる!」
「……!」
一瞬だけ、シルフィアの動きが止まる。その刹那――来る。
「っ!」
カイルが踏み込む。腰の聖剣セラフィクスを引き抜く。
「そこだ!」
空間のある一点を見据えて、斬撃を繰り出した。
『ほう、見えておるか』
魔剣エクリプスが面白そうに言う。聖剣セラフィクスが淡く白銀に光る。
「気配だ!」
聖剣セラフィクスが、何かを捉えた。
――ギィンッ!!
金属とも肉ともつかぬ音がして、聖剣が弾かれる。カイルの身体が後ろに吹き飛ぶ。
「ぐっ……!」
「カイル!」
慌てて、シルフィアが駆け寄る。
だが――遅い。
「っ……!」
見えない何かが、すでに振り下ろされている。
「――逃げろ!!」
カイルが叫んだ。
「はあ!?」
「今は勝てない!!」
その声は、確信だった。焦りじゃない。判断だ。
「……ちっ」
シルフィアは歯を食いしばる、そして。
「分かったよ!!」
反転。カイルの腕を掴む。そのまま全力で走った。
「おい、ちょっ……!」
「舌噛むなよ!」
「そういう問題じゃ――!」
背後で――ズンッ。
重い足音。見えない何かが、確実に追ってくる。
『逃げるとはな、シルフィア。強いヤツと戦いたいのではなかったのか』
「うるせえ!場所が悪いんだよ!このまま戦えば、天井が全部落ちちまう!」
『意外と冷静だな。戦闘狂のお前にしては』
「当たり前だろ!こんな所で生き埋めになりたくない」
瓦礫を飛び越え、曲がり角を滑り抜ける。カイルを引きずる勢いで加速する。
「ちょっと待て、速すぎる!」
「死にたいのか!」
「生きたいに決まってるだろ!!」
背後の気配が、ふっと薄れる。
「……?」
足を止める。静寂。粉塵だけが、ゆっくりと舞っている。
「……いねえ?」
カイルが周囲を警戒する。気配は完全に消えていた。まるで最初から存在しなかったかのように。そのとき。
「――まだ、時期尚早か……」
声だけが、響いた。どこからともなく。近くで。遠くで。
「次に会うときまでに、死ぬな」
「……!」
シルフィアは振り向いた、だが、何もいない。完全な空白だった。最初から何も存在しなかったかのように。
しかし、破壊された通路だけが、得体の知れない存在が確かに居たことを物語っていた。
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