19.第一皇女リリスの誕生パーティー
その日から、シルフィアの淑女としての特訓が始まった。
立ち居振る舞いから、ダンスのレッスンまで、田舎育ちのシルフィアにとってその科目は苛烈を極めた。
「何だよ!パーティーって飲んで騒ぐだけじゃないのかよ!」
『バカ者!それはただの宴会だ!自分から出たいと言ったのだ、責任は取れ!』
「くそ!パーティーってやつを舐めてたぜ!何だよ!淑女の礼って」
『淑女は「くそ」などと、汚い言葉は使わんぞ!いい機会だ、その性格から叩き直せ!』
シルフィアは努力した。体を使う淑女の礼やダンスのステップをマスターするのは、早かった。人並み外れた運動神経の賜物だった。
しかし、気品ある作法となると話しは別だった。持って生まれた野生の血が騒いでしまう。食事のマナーとなると、もうお手上げだ。これなら苦手だった魔法の授業の方がまだましだと思う。もっとも、ベールウェスト王家の宮廷魔導士マーリングからは、才能なしの烙印を押されていたが。
シルトベルト帝国の第一皇女リリスの誕生パーティーの当日。今日はドレスアップの最終仕上げだった。
「動くなと言っているでしょう!」
「動いてねぇだろ!」
「今、腕が三センチ動きました!」
「誤差だろ!!」
シルフィアは椅子に座らされ、ぐるぐる巻きにされていた。布とリボンと何かよく分からないもので固定されている。その周囲をカイルの屋敷のメイドたちが忙しく動き回っている。
「なんだこの拷問は……」
『ドレスアップというやつだな』
「こんなの戦闘よりきついぞ」
『貴様の語彙が戦闘基準なのが問題だ』
メイドが叫ぶ。
「じっとしてくださーい!」
「だからしてるって!」
髪を引っ張られ、顔をいじられる。シルフィアの表情がどんどん険しくなる。
「帰っていいか?」
「ダメです」
「逃げるか?」
「ダメです」
「戦うか?」
「もっとダメです!!」
エクリプスがさも面白そうに言う。
『全部ダメであるな』
「……くそ」
『淑女が「くそ」とか言うな』
シルフィアはぐっと拳を握る。
(復讐のためだ……ここで逃げたら意味がねぇ……)
『珍しく理性的だな』
「うるせぇ」
『淑女は「うるせぇ」とか言わんぞ』
しばらくして。
「できました!」
「……終わったか?」
シルフィアはホッとして、ゆっくり立ち上がる。
鏡の前に連れていかれた。
「……誰だこれ」
そこにいたのは、見慣れない女だった。
整えられた赤い髪。
飾りのついたドレス。
戦場にいる時とは別人だ。
『ほう、これは、これは』
エクリプスが感心した声を出す。
『外見だけなら、王族にも見えるな』
「“だけ”ってなんだ。正真正銘の王族だ!」
『本質が伴っていないからでありんすな』
「お前あとで叩く」
『怖いでありんす~』
シルフィアは軽くドレスを引っ張る。
「動きづれぇ……剣が振れねぇ」
『戦う気か?』
「戦わねぇよ!」
『信用できないでありんす』
「うるせぇ!」
その時、扉がノックされた。
「……入るぞ」カイルの声だ。
「おう」扉が開く。
カイルが入ってきて——止まった。
「……」
「なんだよ」
「……」
カイルは固まったまま動かない。
「おい」
「……あ」
ようやく声が出た。
「……可憐な」
沈黙。
シルフィアが瞬きをする。
「……は?」
カイルが我に返った。
「いや、違う!今のは、その!」
『素直に言ったではないか』
「黙れエクリプス!!」
『顔、真っ赤でありんすなぁ』
「うるさい!」
カイルは咳払いした。
「……その、なかなか似合っている」
「最初からそう言え」
『最初が本音でありんすな』
「セラフィクス!!」
シルフィアは肩をすくめた。
「まあいい。で、行くんだろ?」
「ああ」
カイルは気を取り直す。
「行くぞ。馬車を用意してある」
「おう」
シルフィアは一歩踏み出す。
「……転ぶなよ」
「転ばねぇよ!」
次の瞬間、軽くつまずいた。
「ほら見ろ!!」
「今のは床が悪い!」
『見苦しい言い訳だな』
「うるせぇ!!」
◆
馬車が夜の街を進む。
窓の外には煌めく光が広がっている。夜とは言えまだ宵の口だ。人通りは多い。馬車は中央広場を横切り都市の南側、リリスの住まう水晶宮へとひた走る。
「……なんか落ち着かねぇな」
シルフィアが呟く。親の仇の娘に会うのだ。さすがに妙な気持ちだ。
「静かにしてろ」
カイルが即答する。
「お前は絶対に喋るな」
「なんでだよ」
「喋るとボロが出るからだ」
「失礼な!」
『事実だ』
エクリプスがツッコむ。
「お前らあとで覚えとけよ」
「とにかく笑っていればいい」
「戦う顔しかできねぇ」
「笑え!!」
「無理だ!!」
「無理じゃない!!」
「無理だ!!」
『騒がしい婚約者であるな』
エクリプスは完全に面白がっている。
「誰のせいだと思ってる!!」
やがて馬車が止まる。リリスの住まう水晶宮は、ビスマークの住まう黒曜宮ほどではないが、とにかく大きかった。そして、その名の示す通りクリスタルで出来たかと思うほど美しかった。
「着いたぞ」
カイルが扉を開ける。光が差し込む。
シルフィアは外に出た。――一瞬で場の空気が変わる。
視線が集まった。ざわり、と周囲が揺れる。
「……なんだ?」
「気にするな。いや気にしろ」
「どっちだよ」
「とにかく喋るな」
「はいはい」
『既に注目の的であるな』
『当然でありんす』
シルフィアは辺りを見回す。
豪華な会場。
煌びやかな人間たち。だが皆、どこか胡散臭かった。
魔剣エクリプスと聖剣セラフィクスの二振りの剣はカイルが持っていた。
「……息苦しいな」
「我慢しろ」
その時。
「失礼」
声がかかった。カイルの表情が固まる。
「……」
「こちらのご令嬢は?」
シルフィアの前に立つ男は笑顔が胡散臭かった。
カイルが一歩、前に出る。
「……婚約者だ」
「ほう」
男の視線がシルフィアに向く。
「お美しい」
「……」
「お名前を——」
「……」
「……?」
シルフィアは黙っている。
カイルが小声で囁く。
「喋るな」
「……」
「喋るなよ」
「……」
シルフィアはただひたすらに笑っていた。一言も喋らずに。
だが、こめかみの血管がぴくついていた。
『限界が近いな』
『我慢でありんす』
次の男が来る。
「ぜひお話を——」
ニコーッ「…………」
その次も。
「ダンスを——」
ニコーッ「…………」
そのまた次も。
「お時間を——」
ニコーッ「…………」
シルフィアのこめかみに青筋が浮かぶ。
ニコーッ「…………」
「おい」
カイルが小声で言う。
「耐えろ」
ニコーッ「…………」
「あと少しだ」
ニコーッ「…………」
シルフィアが小さく息を吐く。
「……殴っていいか?」
「ダメだ!!」
『限界突破である』
『時間の問題でありんすなぁ』
シルフィアは笑顔を作る。すでに顔面は引きつっている。
「……にこ」
「怖い!!」
カイルが即座にツッコんだ。
「その笑顔はやめろ!!」
「じゃあどうしろってんだよ!!」
「普通に笑え!!」
「だから無理だって言ってんだろ!!」
『もう喋っているではないか』
エクリプスの言葉にシルフィアは我に返った。が、時すでに遅く、周囲の視線を集めていた。
「……あ」
沈黙。カイルが顔を覆う。
「終わった……」
「バレてねぇだろ」
「時間の問題だ!!」
シルフィアはぐっと拳を握る。
「……くそ」
「我慢しろ!」
「……」
シルフィアは深呼吸する。
(復讐のためだ……今は我慢だ……一週間も特訓したんだ!)
『どこまで持つかな』
『賭けるでありんすか?』
『すぐだな』
『同感でありんす』
「お前らうるせぇ!!」
シルフィアの我慢は、確実に限界へ近づいていた。
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