第8話 「少なくとも理屈は合っている」
エレシュは。
ぎゅっと目を閉じた。
まるで。
俺が怒るのを待っているみたいに。
俺は。
今の言葉を頭の中で整理した。
それから。
ゆっくり頷く。
「……思ったより合理的ですね」
エレシュが。
片目だけ開けた。
「え?」
「その作戦」
「怒ってないの?」
「どうして?」
「だって……」
片手を動かす。
「要するに、他の神族が全部あなたを断るまで待ってたのよ?」
「正確には違いますね」
「違うの?」
「俺が追い詰められるまで待ってた」
「…………」
「そっちの方が悪いです」
「レン!」
笑った。
エレシュの顔が。
また赤くなる。
「私は追い詰められてなんかいないわ!」
「俺、エレシュがとは一言も言ってないけど」
「顔が言ってた!」
「顔も読めるんです?」
「うるさい!」
歩き続ける。
ただ。
今度は。
数歩前ではなく。
俺の隣を歩いていた。
不思議だ。
「それで」
俺は言う。
「どうしてそんなに眷属が必要なんです?」
「どの神族にも眷属は必要よ」
「それも答えになってない」
エレシュは。
少しの間。
黙った。
「……眷属のいない神族なんて、本当の意味では神族じゃないから」
思ったより。
真面目な答えだった。
横を見る。
彼女の表情も。
少し変わっている。
ほんの少しだけ。
あの大げさな自信が。
一瞬消えた。
「本当に誰もいないんですか?」
「…………」
「機密情報」
「ゼロですね」
「もうすぐ一人になるわ!」
「現時点ではゼロです」
「あなたが署名するまでの話でしょう!」
「まだ何も署名してません」
「いちいち思い出させないで」
笑う。
ただし。
今回は。
それ以上からかわなかった。
彼女が必死になっている理由には。
まだ俺の知らない何かがある。
それを。
今すぐ知る必要もない。
この世界に来て。
まだ一日も経っていない。
謎のいくつかくらい。
明日に残してもいいだろう。
◇◆◇
十分ほどして。
エレシュが。
小さな役所のような建物の前で止まった。
建物を見る。
次に。
彼女を見る。
「ここが本拠地?」
顔をしかめる。
「違うわよ!」
「そう」
「私を何だと思ってるの?」
看板を見る。
【神族登録地区事務所――東区】
「行政手続きに非常に便利な場所に住む女神?」
「あなたの所属登録をするのよ」
「先に神族の本拠地を見せてもらうと思ってました」
「まず正式な手続きが先」
「妙に責任感あること言いますね」
エレシュが扉を開けた。
「私は極めて責任感の強い女神なの」
そのとき。
彼女のポケットから。
小さな紙が落ちた。
拾う。
通知書。
そこには。
大きな文字で。
【支払期限超過通知】
エレシュが。
俺の手からひったくった。
「見てないわね?」
「すごい責任感だ」
「何も見てない!」
中へ入った。
◇◆◇
事務所は。
中央ギルドより遥かに小さかった。
そして。
ほとんど人もいない。
カウンターの向こうでは。
眼鏡をかけた年配の女性が。
本を読んでいた。
顔を上げる。
エレシュを見る。
そして。
表情が。
すぐに変わった。
恐怖ではない。
敬意でもない。
むしろ。
……知り合いを見た顔。
「エレシュ様」
「こんにちは、マーラ」
「また延長申請?」
エレシュの身体が固まる。
「違うわ」
「じゃあ登録料の滞納?」
「それも違う」
「本拠地の立ち入り検査?」
「違う」
「活動税?」
「マーラ!」
老婆が。
俺を見る。
片手を上げる。
「どうも」
マーラは。
眼鏡の位置を直した。
「あら」
その視線が。
エレシュ。
俺。
もう一度。
エレシュ。
「……まさか」
エレシュが眉を寄せる。
「何が“まさか”よ」
「ついに……」
マーラの顔に。
笑みが浮かび始める。
エレシュが。
両手をカウンターへ叩きつけた。
「新しい眷属の登録に来たの!」
マーラの目が。
大きく開いた。
沈黙。
それから。
奥の扉を見る。
「エリアス!」
奥から声。
「何だ!」
「エレシュが一人捕まえたわよ!」
「何だって!?」
エレシュの顔が。
完全に真っ赤になった。
「公開行事じゃないわよ!」
男が。
奥の扉から顔を出した。
「本当に?」
「中へ戻りなさい!」
男は。
俺へ親指を立てる。
「頑張れよ、兄ちゃん」
「ありがとうございます」
「エリアス!」
男は消えた。
俺は。
片手で口元を隠す。
エレシュが。
ゆっくりこちらを向く。
「一言も喋らないで」
「何も言ってません」
「顔」
「結構表情豊かなんで」
「加入させる前に追放するわよ」
「それできたら技術的にすごいですね」
マーラが笑う。
「誰か見つけられて良かったわね」
エレシュが腕を組む。
「時間の問題だったのよ」
「四年かかったけどね」
「マーラ!」
四年。
それは。
さすがに驚いた。
エレシュを見る。
彼女は。
俺と目を合わせなかった。
なるほど。
マーラが。
書類を取り出す。
「名前」
「レン・クロガネ」
「年齢」
「十八」
「種族」
「人間」
マーラが書き込む。
「出生地」
「複雑です」
ペンが止まる。
「“複雑”という地域があるの?」
「最近そうなりつつあります」
エレシュが口を挟んだ。
「公的な領域証明を持たない国外出身者として処理して」
彼女を見る。
「今の、すごく仕事できる感じでしたね」
少し顎を上げる。
「だから言ったでしょう。私はちゃんと分かってるの」
マーラが続ける。
「分かったわ。では刻印を確認します」
沈黙。
エレシュが。
瞬きをする。
俺は。
エレシュを見る。
彼女も。
俺を見る。
「……あ」
マーラが。
ペンを置いた。
「“あ”?」
「少し問題があって」
「どんな?」
エレシュが。
俺を指差した。
「この子、刻印がないの」
マーラが。
また俺を見る。
「なら、まだあなたの眷属じゃないでしょう」
「だから今から何とかするのよ」
「刻印は登録前に授けるものよ」
「知ってるわ」
「じゃあ、どうして先にここへ来たの?」
エレシュが。
口を開く。
閉じる。
俺を見る。
「……先にそっちをやった方がいいみたいね」
「俺もそう思います」
マーラがため息をついた。
「儀式室を使いなさい」
横の扉を指差す。
「それと、エレシュ」
「何?」
「何も壊さないでね」
エレシュが。
心外そうな顔をする。
「私がここで何か壊したことなんてあった?」
マーラが見る。
「去年」
「……あれは別よ」
「机を燃やしたでしょう」
「霊的エネルギーだったの!」
「机は今も焦げてるわ」
「細かいことはいいのよ」
俺たちは。
儀式室へ入った。
◇◆◇
部屋は小さかった。
床には。
魔法陣。
机。
椅子が二脚。
鏡。
そして。
細長い寝台。
扉を閉める。
エレシュが。
深く息を吸った。
「……よし」
「よし?」
彼女は。
俺へ向き直る。
「簡単よ」




