エピソード5 「私があなたの女神よ」
セラは。
小さな木箱を持って戻ってきた。
中には。
銀色の針。
青い水晶。
そして。
薄い金属板のようなプレートが入っていた。
リヴィアが椅子を示す。
「上を脱いで」
瞬きをする。
「展開が早くないですか?」
セラが吹き出しかけ。
咳で誤魔化した。
リヴィアは無表情で俺を見る。
「背中に刻印を施す必要があるの」
「ああ」
パーカーを脱ぐ。
続いてシャツも。
椅子に座った。
セラの視線を感じる。
「何か?」
「何でもない」
「今の絶対何かあったよね」
「前を向いて」
「はい、先生」
リヴィアが。
肩甲骨の間へ手を置く。
「神の刻印を受けても、あなたが奴隷になるわけではないわ」
「そこ最初に説明してくれるの助かります」
「契約は解除できる」
「さらに安心」
「正式に神族への所属を認め、成長を更新し、本来なら何年もかけて開花させる能力の一部を引き出せるようになる」
「それは普通に便利ですね」
「少し痛むかもしれないわ」
「マンホールから落ちたことあるんで」
「……何?」
「長い話です」
冷たいものが。
背中へ触れた。
針。
一滴。
その直後。
熱。
莫大なエネルギーが。
身体の中へ流れ込んできた。
暴力的ではない。
暖かい。
穏やか。
水が。
ゆっくりと全身へ広がっていくような。
初めて。
神の力を。
直接感じた。
圧倒的だった。
けれど。
その瞬間。
俺の中にある何かが。
目を開いた。
もちろん。
本当に目があるわけじゃない。
どう説明すればいいのか分からない。
魂の奥深く。
どこかに存在する闇が。
ただ。
反応した。
青い光が。
止まる。
リヴィアが。
鋭く息を呑んだ。
そして。
俺の視界に。
ウィンドウが現れた。
«《Divine Authority detected.》»
――神性権能を検知。
表情が変わる。
リヴィアには。
見えていない。
少なくとも。
そう見えた。
次の一文が現れる。
«《Attempted external blessing.》»
――外部加護の干渉を確認。
青い力が。
もう一度。
俺の中へ進もうとする。
そして。
«《REJECTED.》»
――拒絶。
「……何?」
背後から。
リヴィアの声。
最後の一文が。
浮かび上がる。
«《Inferior Authority cannot overwrite existing Authority.》»
――下位権能による既存権能の上書きは不可能です。
ドンッ――!
見えない衝撃波が。
部屋全体を駆け抜けた。
机の上の水晶が砕ける。
セラが悲鳴を上げた。
窓が震える。
リヴィアの手が。
何かに殴られたように。
俺の背中から弾き飛ばされた。
立ち上がる。
「リヴィア様!」
セラが駆け寄る。
女神は。
数歩後退していた。
怪我はしていない。
だが。
俺を見る目が変わっていた。
好奇心ではない。
警戒。
そして。
おそらく。
少しの恐怖。
「大丈夫?」
近づこうとする。
「来ないで」
止まる。
「了解。分かりやすい」
リヴィアが。
俺の背中を見る。
「刻印がない」
少し身体を捻る。
「何も?」
「何も」
青い光は。
完全に消えていた。
まるで。
最初から何も起きなかったかのように。
リヴィアが。
ゆっくり近づく。
手を伸ばす。
けれど。
触れる直前で止めた。
「私の加護が……弾かれた」
「みたいですね」
視線が。
真っ直ぐ俺へ向く。
「どうして分かるの?」
あ。
「爆発したので」
納得していない。
「レン・クロガネ」
声の調子が。
変わった。
「あなたは何者?」
またその質問だ。
「人間です」
「種族を聞いているのではないわ」
沈黙。
かなり的確だった。
リヴィアが目を閉じる。
何かに集中している。
そして。
突然目を開いた。
一歩。
後退する。
「……届かない」
「何が?」
「あなたの魂に届かない」
部屋が。
静まり返る。
セラが俺を見る。
リヴィアも。
俺は。
状況が急速に悪い方向へ進んでいるのを感じていた。
「それって、よくあること?」
「一度もない」
「ああ」
リヴィアが。
金属板を手に取る。
見る。
何も。
浮かんでいない。
ゆっくりと。
机へ戻す。
「あなたを受け入れることはできない」
なるほど。
七つ目。
不採用。
ただ。
これは少しだけ。
他より効いた。
「刻印を付けられないから?」
「それもある。でも、それ以上に……なぜ付けられないのか分からないから」
「まあ、妥当ですね」
「呪いかもしれない」
「急に妥当じゃなくなった」
「何かに憑かれている可能性もある」
「さらに悪化した」
「あるいは……」
リヴィアが。
俺を見る。
「権能」
ほんの一瞬だけ。
表情が固まった。
リヴィアは。
それを見逃さなかった。
まずい。
「……何か知っているのね」
「知ってることなら多いですよ」
「これについて」
「それについては少ないです」
嘘ではない。
リヴィアは。
まだ俺を観察していた。
「帰って」
セラが驚いた顔をする。
「リヴィア様……」
「今すぐ」
冷たい言い方ではなかった。
むしろ。
不安そうだった。
その方が。
少し怖い。
シャツを拾う。
着る。
パーカーも。
部屋を出る前。
足を止めた。
「そうだ」
リヴィアが見る。
「試してくれて、ありがとうございました」
返事はなかった。
外へ出た。
セラが。
玄関まで送ってくれる。
「ごめんね」
「セラのせいじゃない」
「リヴィア様があんな反応をするの、初めて見た」
「それもあまり安心材料にならないな」
彼女が。
困ったような顔をした。
「これからどうするの?」
通りを見る。
「まだ探す」
「でも、今のことが……」
「他にそんなに選択肢ないし」
セラは少し迷って。
「気をつけて」
「いつも気をつけてる」
地球での。
ここ二か月を思い出す。
「……まあ」
「何?」
「だいたいは」
◇◆◇
さらに三つ。
神族を回った。
一つ目。
リヴィア神族で刻印を受けられなかったと聞いた瞬間。
試すことさえなく。
不採用。
二つ目。
一応。
確認してくれた。
その神族の神は。
赤い髭を生やした。
背の低い男神だった。
俺の肩へ手を置く。
五秒。
«《Divine Authority detected.》»
«《REJECTED.》»
部屋のランプが。
爆発した。
「出ていけ!」
「でも――」
「俺の神殿から出ていけえええええっ!」
「はい」
三つ目は。
噂を聞いた時点で。
建物に入ることさえ許されなかった。
そう。
噂。
もうあった。
たった三時間足らずで。
すごいな。
どうやらエレティスの神族同士は。
かなり情報共有が早いらしい。
『リヴィアの加護を拒絶した異邦人』
『呪われた者』
『憑依された男』
『悪魔の子』
中には。
頭が三つあるという話まで出ていた。
それはさすがに。
少し失礼では?
どうせ作り話するなら。
もう少し面白く盛ってほしい。
◇◆◇
太陽が。
建物の向こうへ沈み始めた頃。
俺は。
ようやく神族巡りをやめた。
諦めたからではない。
単純に。
どこも閉まり始めたからだ。
小さな広場の横にある階段へ座る。
硬貨を取り出す。
一枚。
二枚。
三枚。
四枚。
五枚。
以上。
五ヴァリス。
ダリウス曰く。
安い食事でも五くらい。
そして。
まだ。
寝る場所も必要だ。
硬貨を見る。
「……さて」
飯を食うか。
屋根の下で寝るか。
腹が。
即座に投票した。
「出来レースだろ、この民主主義」
硬貨をしまう。
広場かどこかで寝ることもできる。
野宿は。
初めてではない。
問題は。
エレティスに野宿禁止条例があるかどうか。
たぶんある。
そして。
違反すると罰金だ。
絶対そうだ。
膝へ肘を置く。
街は。
まだ動き続けていた。
人々が家へ帰る。
冒険者たちは酒場へ入っていく。
同じ神族の者たちが。
一緒に歩いている。
いくつもの神族本拠地で。
夜の灯りがつき始めた。
同じ紋章を身につけた一団が。
笑いながら通り過ぎていく。
思わず。
小さく笑った。
「異世界。魔法。神々……」
硬貨を一枚。
目の前へ掲げる。
「……なのに就職には推薦が必要」
信じられない。
魂は刈れる。
就職はできない。
死というものは。
かなり良いユーモアセンスを持っているのかもしれない。
ただし。
一つ。
重要なことは分かった。
自分の手を見る。
«《Inferior Authority cannot overwrite existing Authority.》»
――下位権能による既存権能の上書きは不可能です。
「下位権能」
メッセージは。
呪われているから加護を受けられないとは言っていない。
適性がないとも。
言っていない。
もっと強い何かが。
すでにその場所を占めている。
そう言っていた。
そして。
俺の中で。
“権能”と呼べそうなものは。
一つしか知らない。
«【GRIM REAPER】»
――死神。
息を吐く。
「……お前、いったい何なんだ?」
返事は。
期待していない。
ありがたい。
神々から。
同じことを聞かれるだけで十分だ。
明日。
もう一度ギルドへ行こう。
何か。
特殊な手続きがあるかもしれない。
今日起きたことを。
一部だけ話すのもありだ。
全部は駄目。
『こんにちは。俺にしか見えないウィンドウが、自分はGRIM REAPERだと言ってます』
なんて言ったら。
冒険者ギルドとは。
かなり違う施設へ送られる気がする。
もう一つの選択肢。
普通に働く。
荷運び。
市場の手伝い。
何でもいい。
想像していた。
冒険に満ちた第二の人生とは。
少し違うが。
まずは生き延びることが優先だ。
生活を安定させる。
次に力を調べる。
その後。
タルタロス。
初日に全部解決する必要はない。
立ち上がる。
「よし」
まず。
飯。
一歩進む。
「――あなた!」
止まった。
左を見る。
誰もいない。
右。
男女の二人組。
後ろ。
小さな噴水。
「そう、あなたよ!」
声は。
正面からだった。
一人の女性が。
俺を指差している。
いや。
女の子?
違う。
今日一日で学んだことを考えると。
見た目だけでそう判断するのは危険だ。
四千歳くらいかもしれない。
外見は。
二十歳前後。
長い。
本当に長い黒髪。
夕日の下で見ると。
わずかに紫の艶が浮かぶほど深い黒。
白い肌。
真っ先に目を引く。
深紅の瞳。
黒を基調とした上品な服。
ワインレッドと銀の装飾。
派手ではない。
ただ。
安物には。
絶対に見えない。
そして。
本人は。
まあ。
美人だった。
かなり。
人間の骨格を無視するためだけに設計されたような。
あり得ない美貌ではない。
ただ。
顔立ちは非常に整っている。
身体のバランスも綺麗。
そして。
自然と目を向けてしまうような。
気品のある存在感。
幸い。
今日は一日中。
他人の耳を凝視しない訓練を積んできた。
経験が役に立った。
ただ。
本当に俺の注意を引いたのは。
彼女の見た目ではなかった。
胸だ。
……そういう意味じゃない。
その中。
彼女の身体の内側に。
炎があった。
黒。
縁だけが紫に揺らめいている。
巨大。
ヘリオンほど眩しくない。
リヴィアほど穏やかでもない。
まるで。
光を発しない炎。
生きている闇。
その瞬間。
ウィンドウが現れた。
«《Divine Soul detected.》»
――神性魂魄を検知。
また。
女神。
その女性は。
真っ直ぐ俺へ歩いてきた。
自信満々に。
いや。
自信がありすぎる。
まるで。
今の登場シーンを。
頭の中で何度も練習してきた人間のように。
二メートルほど手前で止まる。
片手を胸元へ置き。
わずかに顎を上げた。
「あなた、神族を探しているのでしょう?」
瞬きをする。




