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第1話 電気が消えた日

瀬戸澪奈は、今日も当たり前のように俺の袖を掴んでいた。


「燈真、次あれ。あの音ゲーやりたい」


「一人で行けよ」


「やだ。あそこ、奥にあるじゃん。なんか怖い」


「ゲーセンに来ておいて、ゲーセンの奥を怖がるな」


「怖いものは怖いんだから仕方ないでしょ」


 そう言いながら、澪奈は俺の返事も待たずに歩き出す。


 引っ張られる俺は、小さく息を吐いた。


 いつものことだった。


 澪奈はゲームセンターが好きだ。クレーンゲームも、音ゲーも、レースゲームも、対戦ゲームも、別に上手いわけではないくせに楽しそうに遊ぶ。


 ただし、一人では行きたがらない。


 理由は単純で、怖いから。


 別に誰かに絡まれたわけでもないらしい。ただ、知らない男が多い場所に一人で行くのが嫌だとか、奥まった筐体のところに一人で入るのが怖いとか、そういう身も蓋もない理由だった。


 だから俺を誘う。


 俺と遊びたいから、ではない。


 俺がいると一人で行かなくて済むから。


 たぶん、それが俺にはちょうどよかった。


「燈真もやる?」


「見てる」


「つまんな」


「誘っておいてそれかよ」


「だって付き添い係だし」


「最低だな」


「でも来てくれるじゃん」


 澪奈は振り返って、にっと笑った。


 俺は返事をしなかった。


 人間が好きではない。


 正確に言うなら、人間の距離の詰め方が嫌いだった。


 味方のふりをして近づいてくるやつ。心配しているふりをするやつ。善意を盾にしてこっちの傷を覗こうとするやつ。そういうもの全部が嫌いだった。


 中学の頃に、少しだけいろいろあった。


 少しだけ、と言うには、俺の性格を変えるには十分すぎたけれど。


 その点、澪奈は楽だった。


 こいつは俺を救おうとしなかった。


 味方になろうともしなかった。


 ただ、ゲーセンに一人で行くのが怖いから、俺を誘った。


 俺が断れば、たぶん口を尖らせる。だけど深くは踏み込んでこない。理由を聞いたとしても、俺の過去を暴こうとはしない。


 澪奈はそういうやつだった。


 だから、まだ隣にいられた。


「うわ、またミスった」


 筐体の画面で、カラフルなノーツが流れていく。澪奈はそれを必死に追いかけていたが、指が追いついていない。


「下手だな」


「うるさい。楽しいからいいの」


「ならいいけど」


「燈真ってさ」


「なんだよ」


「たまに楽しそうにしてるのに、楽しそうじゃない顔するよね」


 俺は思わず澪奈を見た。


 澪奈は画面を見たまま、何でもないことのように続ける。


「キャンプの話してるときとか、道具見てるときとか。あと、非常食の賞味期限がどうとか言ってるとき」


「非常食の賞味期限で楽しそうにする高校生、嫌すぎるだろ」


「してるじゃん」


「してない」


「してるよ。たぶん燈真、自分で思ってるよりキャンプ好きだよ」


 その指摘は、否定しきれなかった。


 趣味がキャンプなのは事実だ。


 小遣いとバイト代の大半は、キャンプ道具と保存食に消えている。テントも寝袋も一人分では済まない。予備のテントまである。ガスバーナー、ランタン、浄水器、ナイフ、ロープ、折り畳み式のソーラー充電器、モバイルバッテリー、簡易トイレ、アルファ米、缶詰、乾麺、インスタント食品。


 少し買いすぎだとは思う。


 でも、キャンプ道具はいい。


 人間関係と違って、役割がはっきりしている。


 火をつける道具は火をつける。水を濾過する道具は水を濾過する。寝袋は体温を守る。ロープは縛る。ナイフは切る。


 裏切らない。


 期待した以上のことはしないが、期待した通りのことはしてくれる。


 それが心地よかった。


「ほら、終わった。次、クレーンゲーム行くよ」


「もう帰らないか?」


「まだ早い。今日、親いないんでしょ?」


「東京で仕事だってさ。帰りは遅いらしい」


「じゃあいいじゃん。私も今日は帰っても暇だし」


「俺を暇つぶしに使うな」


「燈真もどうせ暇でしょ」


「まあな」


 その時だった。


 音が消えた。


 最初は、筐体の不具合かと思った。


 澪奈の前にあった音ゲーの画面が一瞬だけ白く光り、次の瞬間、真っ黒になった。隣のレースゲームも、奥の格闘ゲームも、天井の照明も、全部が同時に落ちた。


 ゲームセンター全体から、電源を引き抜いたように音が消えた。


 いや、違う。


 ゲームセンターだけではない。


 外から聞こえていた車の音も、信号機の電子音も、店内に流れていた空調の低い唸りも、全部が止まっていた。


「……停電?」


 澪奈が小さく呟く。


 薄暗い店内で、何人かが騒ぎ始めた。


「え、なに?」

「金入れたんだけど!」

「スマホつかないんだけど」

「店員さん、これ停電ですか?」


 俺はポケットからスマホを取り出した。


 画面はつかない。


 電源ボタンを長押ししても反応がない。充電が切れたわけではない。さっきまで八割以上あった。


 澪奈も自分のスマホを取り出し、何度もボタンを押している。


「私のもつかない。なにこれ」


「……おかしいな」


 停電なら、スマホの電源は落ちない。


 バッテリーが死ぬこともない。


 店員がブレーカーを確認しに走っていく。客の一人が自動ドアの前で立ち止まっていた。自動ドアは開かない。手でこじ開けようとして、数人が集まる。


 誰かが笑っていた。


 誰かが怒鳴っていた。


 誰かが不安そうに親の名前を呼んでいた。


 俺は、その全部を遠くに聞きながら、店の外を見た。


 道路の信号が消えている。


 交差点の真ん中で車が止まっていた。いや、止まっているというより、動けなくなっている。ハイブリッド車も、電動自転車も、バイクも、まるで息を止めたみたいに沈黙していた。


 人が車から降りてくる。


 遠くで誰かが叫ぶ。


 電光掲示板も、コンビニの看板も、駅の方向にある大型ビジョンも、全部が黒かった。


 街が、一瞬で別のものに変わっていた。


「燈真」


 澪奈が俺の袖を掴む力が強くなった。


「これ、やばいやつ?」


「たぶん」


「たぶんって」


「普通の停電じゃない」


 俺はスマホをもう一度見た。


 沈黙している。


 電池の残量も、画面も、通知も、何もない。


 スマホが壊れたのではない。


 周囲の全員が同じようにスマホを叩いている。誰のスマホもつかない。店員の懐中電灯もつかない。レジも動かない。自動ドアも動かない。


 電気が、消えている。


 そう考えた瞬間、背中が冷たくなった。


 同時に、頭の奥が妙に冴えた。


 信号が死んだ。


 電車も止まる。


 通信もだめ。


 水道も、そのうち止まる可能性がある。浄水場、ポンプ、マンションの受水槽。全部が電気頼りだ。


 冷蔵庫も死ぬ。冷凍食品はもたない。店の食料はすぐ奪い合いになる。夜になれば照明がない。警察も消防も連絡が取れない。


 帰るなら、今だ。


「澪奈、出るぞ」


「え? でも、店員さんが」


「待ってても何も変わらない。外が暗くなる前に帰る」


「帰れるの?」


「歩けばな」


 自動ドアはまだ開かない。だが、数人の客と店員が手でこじ開けていた。俺は澪奈の手首を掴み、人混みを抜ける。


「ちょ、燈真、痛い」


「悪い。でも急ぐ」


 外に出ると、街の空気が変わっていた。


 普段ならうるさいくらいの駅前が、不自然に静かだった。


 いや、人の声はある。怒鳴り声も、泣き声も、困惑した声もある。だが、街の底に常に流れていた機械の音がない。


 電車の走る音がしない。


 車のエンジン音がしない。


 空調の室外機の音がしない。


 自動販売機の低い唸りも、信号機の音も、コンビニから漏れる音楽もない。


 人間だけが、取り残されて騒いでいる。


「……怖い」


 澪奈が呟いた。


「だろうな」


「燈真は?」


「怖いよ」


「嘘。顔が怖がってない」


「怖い時ほど、やることを考えた方がいい」


 そう言いながら、俺は周囲を確認した。


 駅前はもうだめだ。人が集まりすぎている。コンビニには人が押し寄せ始めていた。レジが動かないから、店員が必死に説明している。だが、聞く耳を持たない人間もいる。


 水。


 食料。


 移動。


 明かり。


 寝床。


 その順番で考える。


「澪奈、家に食料どのくらいある?」


「え? えっと、たぶん普通くらい。冷蔵庫に少しと、カップ麺とか」


「水は?」


「ペットボトルは何本か。なんで?」


「水道が止まるかもしれない」


「……え?」


 澪奈の顔色が変わる。


「ちょっと待って。停電だけじゃなくて?」


「停電だけならまだいい。でもスマホも車も全部死んでる。電気が使えないなら、水道も長くはもたない」


「そんな」


「だから帰る。荷物を取る」


「荷物?」


「キャンプ道具」


 澪奈が一瞬、俺を見た。


 この状況で何を言っているのか、という顔だった。


 俺も自分で少しおかしいとは思った。


 でも、頭の中では既に手順が組み上がっている。


 帰宅。水の確保。保存食の確認。キャンプ道具の選別。日没までに移動するかどうか判断。街中に残るなら防犯。山へ出るなら水場。


 最悪の想定。


 文明の一時停止ではなく、長期停止。


 その場合、必要なのは家ではない。


 安全な水と、火と、寝床だ。


「燈真」


「なんだ」


「今、ちょっと楽しそうじゃなかった?」


「……そんなわけないだろ」


「ほんとに?」


「人が困ってる状況で楽しむほど腐ってない」


 言ってから、自分の胸の内にある妙な熱に気づいた。


 恐怖はある。


 不安もある。


 親は東京にいる。電車が止まれば帰れない。連絡も取れない。妹は京都の学校だ。どうなっているか分からない。


 普通に考えれば、笑える状況ではない。


 けれど、同時に。


 今この瞬間、俺は何をすればいいか分かっていた。


 学校で何を話せばいいか分からなかった俺が。


 クラスでどう笑えばいいか分からなかった俺が。


 人間関係の正解が何一つ分からなかった俺が。


 この壊れた街の中では、やるべきことが分かる。


 水を確保する。


 火を確保する。


 寝床を確保する。


 食料を守る。


 人が集まりすぎる場所を避ける。


 それだけでいい。


 それが少しだけ、楽だった。


「……楽しそうじゃない。ただ、やることが分かるだけだ」


 俺がそう言うと、澪奈は少し黙ってから、袖を掴む手を緩めた。


「じゃあ、私も行く」


「どこに」


「燈真の家。キャンプ道具あるんでしょ?」


「自分の家はいいのか?」


「一人で帰っても怖い。どうせ親もすぐ帰ってこないし」


 澪奈の親は、たしか海外出張中だと言っていた。


 この状況で海外。


 帰ってこられるかどうかは分からない。


 俺は頷いた。


「分かった。ただし、途中で寄り道はしない」


「うん」


「コンビニにも近づかない」


「うん」


「誰かに声を掛けられても、基本止まらない」


「……うん」


 澪奈は不安そうに頷いた。


 俺たちは駅前を離れた。


 歩道には人が溢れていた。電車が止まり、バスも動かず、タクシーもいない。帰宅しようとする人間が一斉に歩き始めている。


 車道では、動かなくなった車を押す人がいた。怒鳴り合う人がいた。信号が消えた交差点では、自転車と歩行者がぶつかりかけていた。


 数分歩くだけで、澪奈の息が乱れ始める。


「これ、夜になったらどうなるの」


「最悪だな」


「最悪って?」


「暗い。寒い。道が分からない。人が苛立つ。店の食料が減る。水が止まればもっと荒れる」


「言わないでよ」


「知ってた方がいい」


「燈真って、こういう時だけ容赦ないよね」


「こういう時に優しい嘘を言うやつの方が信用できない」


 澪奈は黙った。


 少し言いすぎたかと思ったが、訂正はしなかった。


 俺たちは途中で一度だけ、住宅街の公園に寄った。


 水道の蛇口をひねる。


 水は出た。


 だが、勢いはいつもより弱い気がした。


「出るじゃん」


「今はな」


 俺は手を洗いながら、公園の周囲を見る。


 同じことを考えたのか、何人かがペットボトルを持って水を汲みに来ていた。まだ少ない。だが、この情報はすぐ広がる。


 水道が止まれば、公園、学校、川、池。


 水のある場所に人が集まる。


 人が集まれば、争いが起きる。


「やっぱり街中はだめだな」


「え?」


「水場が奪い合いになる」


 俺は公園を離れた。


 澪奈は何か言いたそうだったが、ついてきた。


 自宅に着いた頃には、日が傾き始めていた。


 住宅街は、駅前より静かだった。だが、静かすぎるのが逆に不気味だった。普段ならどこかの家から聞こえるテレビの音も、車庫のシャッターの音も、室外機の音もない。


 家の鍵を開ける。


「お邪魔します……って、電気つかないんだった」


「靴はそのまま揃えといて。俺は荷物見る」


 リビングに入ると、冷蔵庫は沈黙していた。中身を確認する。肉や魚は早めに消費。野菜も日持ちするものから分ける。冷凍食品は時間の問題だ。


 水道をひねると、まだ水は出た。


「澪奈、空いてる鍋とペットボトル全部持ってきて。水を入れる」


「分かった」


 澪奈はすぐに動いた。


 こういう時、文句を言いながらでも動けるのは助かる。


 俺は物置へ向かった。


 扉を開けると、そこには俺の趣味の成果が詰まっている。


 テントが二つ。


 寝袋が三つ。


 銀マット、グランドシート、折り畳み椅子、小型テーブル、クッカー、ガスバーナー、ガスボンベ、焚き火台、ランタン、ヘッドライト、浄水器、ウォータータンク、ロープ、ナイフ、救急セット、アルファ米、缶詰、インスタント味噌汁、乾麺、栄養補助食品、粉末スープ、インスタントコーヒー。


 我ながら多い。


 澪奈が後ろから覗き込み、絶句した。


「……燈真」


「なんだ」


「これ、店?」


「個人の趣味だ」


「趣味で予備テント持ってる人、初めて見た」


「安かったんだよ」


「絶対それだけじゃないでしょ」


 俺は答えず、必要なものを床に出していく。


 二人分の寝具。食料三日分。調理道具。水を運ぶ容器。最低限の衛生用品。雨具。防寒着。ナイフとロープ。


 澪奈はその様子を見て、ようやく少しだけ落ち着いたようだった。


「……本当にキャンプするの?」


「街中に残るよりはマシだと思ってる」


「どこで?」


「山の方に、水が出る場所がある」


「水が出る場所?」


「湧き水みたいなものだ。いつもソロキャンで使ってる場所から少し離れてる。人はほとんど来ない」


「そんなところ知ってるの?」


「何回か行った」


「なんで?」


「水場があると便利だから」


 澪奈は呆れたように俺を見た。


「燈真って、ほんとに何してたの?」


「キャンプ」


「キャンプってそんなガチなものだっけ?」


「人による」


 俺はリュックに荷物を詰めながら考える。


 この家に残る選択肢もある。


 壁がある。屋根がある。食料もある。水道も今は使える。


 だが、長くはもたない。


 ここは住宅街だ。近所の目がある。水や食料を持っていると知られれば危険になる。夜に灯りを使えば目立つ。火を使えば煙でバレる。


 それに、両親が東京から帰ってくるなら、この家に戻ってくるはずだ。


 完全に捨てるわけではない。


 拠点を山に移し、家は確認場所として残す。


 問題は澪奈だ。


「澪奈」


「なに?」


「本当に来るのか?」


「今さら?」


「山だぞ。風呂もない。トイレも面倒。虫もいる。夜は暗い」


「ここに一人でいるよりマシ」


「俺と二人だぞ」


「今まで散々ゲーセン付き合わせてるし、今さらでしょ」


「そういう問題か?」


「少なくとも、燈真はこういう時に変なことしないでしょ」


 その言い方に、俺は少し黙った。


 信用されている、というより、澪奈は俺の性格を雑に理解している。


 俺はたぶん、こういう状況で澪奈に何かするより先に、水の残量と食料の消費計画を考える。


 それが分かっているのだろう。


「……後悔しても知らないぞ」


「しないように頑張る」


「俺に丸投げする気だな」


「だって燈真の方が詳しいし」


「堂々と言うな」


 水を容器に詰め、食料を分け、荷物を背負う。


 外はさらに暗くなっていた。


 電気のない夕方は、思っていたより早く夜に近づく。


 澪奈は玄関で靴紐を結びながら、小さく息を吐いた。


「ねえ、燈真」


「なんだ」


「これからどうなるのかな」


「分からない」


「燈真でも?」


「分かるわけないだろ。俺はキャンプが少しできるだけの高校生だ」


「少し?」


「少しだ」


 嘘だった。


 少しではない。


 少なくとも、この壊れ始めた街の中で、俺は周囲の大人たちよりも冷静に動けている。


 それが良いことなのか悪いことなのかは、まだ分からない。


 玄関を出る。


 街は暗かった。


 見慣れた住宅街なのに、電灯がないだけでまるで知らない場所に見える。遠くから人の声が聞こえる。犬が吠えている。どこかでガラスの割れる音がした。


 澪奈が肩を震わせる。


「大丈夫か?」


「大丈夫じゃないけど、行く」


「そうか」


 俺は頷いた。


 そして、家の鍵を閉めた。


 親が帰ってくるかもしれない。


 そう思うと、一瞬だけ迷いが生まれた。


 だが、今ここで待っていても何もできない。連絡も取れない。電車も動かない。東京から千葉まで、徒歩で来られない距離ではないが、この混乱でどうなっているか分からない。


 なら、まず自分たちが生きる場所を確保する。


 それが先だ。


「燈真」


「ん?」


「どこ行くの?」


「山」


「本気で言ってる?」


「本気だ」


「避難所とかじゃなくて?」


「避難所は人が多すぎる。水が足りなくなったら終わる。揉める。たぶん、今夜からきつい」


「じゃあ、山は安全なの?」


「安全じゃない」


「えぇ……」


「でも、水がある。人が少ない。俺が知ってる。それだけで、今は街よりマシだ」


 澪奈は少しだけ黙った。


 それから、諦めたように笑った。


「なんかさ」


「なんだ」


「ほんとにキャンプみたいだね」


 俺は薄暗い道の先を見た。


 車は動かない。


 信号は消えている。


 スマホは沈黙している。


 街から電気というものが抜け落ち、人間だけが右往左往している。


 今まで当たり前だったものが、全部なくなった。


 その中で、俺の背中にはテントがあり、リュックには食料があり、手には水があった。


 まさか、こんな形でキャンプをすることになるとは思わなかった。


 怖い。


 不安だ。


 親のことも、妹のことも、これからのことも、何も分からない。


 けれど、足は動く。


 やることはある。


 水を探す。


 火を起こす。


 寝床を作る。


 夜を越える。


 まずは、それだけでいい。


「澪奈」


「なに?」


「キャンプしようぜ」


「……この状況で言う台詞じゃなくない?」


「たぶん、今日から世界全部がキャンプ場だ」


 澪奈は一瞬だけぽかんとして、それから呆れたように笑った。


「最悪」


「だな」


「でも、燈真らしい」


 俺たちは、電気を失った街を背にして歩き出した。


 目指すのは、山の中にある小さな水場。


 人の少ない場所。


 俺が知っている、数少ない安全らしき場所。


 この日、世界中から電気が消えた。


 そして俺たちの終末生活は、たぶん、キャンプから始まった。

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