第9話 急いでいたので、ドラゴンに乗りました
ロゼッタ花店で、白百合を包んでいた時だった。
店に来たお客さんが、小さな声で言った。
「聞いたかい。騎士団の副団長様が怪我をしたらしいよ」
私は手を止めた。
「レオンハルト様が?」
「ああ。魔物の討伐で腕をやられたって話だ。命に別状はないらしいけどね」
命に別状はない。
それなら、よかった。
でも、怪我をした。
痛いかもしれない。
熱を持っているかもしれない。
動かすとつらいかもしれない。
私は包みかけの白百合を見た。
それから、頭の中にひとつの薬草が浮かんだ。
銀傷草。
ぎんしょうそう。
岩場にだけ生える、細い銀色の葉を持つ薬草だ。
傷の熱を引いて、痛みを少し楽にしてくれる。
普通の薬草屋には、あまり並ばない。
岩場の高いところにしか生えないからだ。
私は顔を上げた。
「ロゼッタさん」
「だめだよ」
「まだ何も言っていません」
「顔で言ってるんだよ」
ロゼッタさんは腕を組んだ。
「どうせ、どこかの崖か岩場に薬草を取りに行くつもりだろう」
「岩場です」
「当たってるじゃないか」
「銀傷草があれば、レオンハルト様の怪我が少し楽になると思います」
「騎士団には医師も薬師もいるよ」
「はい」
「分かってるかい?」
「はい」
「それでも行くんだね」
「はい」
ロゼッタさんは深くため息をついた。
「ミリアちゃん」
「はい」
「薬草を摘みに行くだけだよ」
「はい」
「岩場を壊さない」
「はい」
「知らない生き物についていかない」
「はい」
「帰る時は、普通に帰ってくる」
「普通に」
「そう。普通に」
「分かりました」
「本当に分かってるかい?」
「たぶん」
「たぶんじゃないよ」
私はうなずいた。
その時は、本当に、普通に帰ってくるつもりだった。
銀傷草が生える岩場は、王都の北にある。
細い道を抜け、森を越え、岩が多くなる場所まで進む。
普通の人なら、半日かかるかもしれない。
でも私は少し急いだ。
レオンハルト様の腕が痛いかもしれないからだ。
岩場に着くと、風が強かった。
足元には、ごつごつした岩が並んでいる。
私は岩の間を歩きながら、銀傷草を探した。
どこにあるのかは、なぜか分かる。
誰かに教わったわけではない。
本で読んだわけでもない。
でも、分かる。
岩の上の方。
風がよく通る場所。
そこに、銀色の細い葉が揺れているはずだ。
私は岩を登った。
一段。
二段。
もう少し。
その時、頭上で大きな影が動いた。
ばさり、と翼の音がした。
私は顔を上げる。
黒い翼。
長い首。
太い尻尾。
赤い目。
ドラゴンだった。
「あ」
この前、月眠花を守るために飛ばしたドラゴンだ。
ドラゴンも私に気づいた。
赤い目が大きく開く。
次の瞬間、ドラゴンは慌てたように翼をばたつかせた。
どすん。
岩場に降りた衝撃で、足元の石が跳ねる。
それから、巨大な体を低くした。
翼をたたむ。
首をすくめる。
できるだけ小さくなろうとしている。
小さくなろうとしても、ドラゴンなので、とても大きい。
でも、怯えているのは分かった。
こわい。
そんな気持ちが、頭の奥にふわっと伝わってきた。
「怖いですか?」
ドラゴンは、こくりとうなずいた。
投げた。
ぐるぐる、した。
遠く、飛んだ。
こわかった。
短い言葉のような、気持ちのようなものが伝わってくる。
私は頭を下げた。
「この前は、すみません」
ドラゴンは、さらに首をすくめた。
「花が散りそうだったので」
ドラゴンは、びくっとした。
花。
守る。
この人、花、守る。
こわい。
「はい。花は大事です」
ドラゴンは、少し後ろへ下がった。
それから、鼻先を近づけてきた。
くん、と匂いをかぐようにする。
古い。
こわい。
強い。
黒い、王。
そんな気持ちが伝わってきた。
私は少しだけ胸の奥を押さえた。
たぶん、私の血の奥にあるものを感じているのだと思う。
魔王の血。
でも、それは誰にも言えない。
ドラゴンにも、どう説明していいか分からない。
「今日は、投げません」
私が言うと、ドラゴンはそっと私を見た。
ほんとう?
「はい。薬草を取りに来ただけです」
やくそう。
ドラゴンが首をかしげた。
「銀傷草です。怪我をした人に届けたいんです」
きず。
いたい。
なおす。
「はい」
ドラゴンは、しばらく私を見ていた。
こわい人。
でも、なおす人。
花、守る人。
ドラゴンは少し考えたあと、大きな鼻先で岩場の上を示した。
あっち。
いっぱい。
「案内してくれるんですか?」
ドラゴンは、こくりとうなずいた。
「ありがとうございます」
私はドラゴンについていった。
ドラゴンは大きいので、歩くだけで岩場が少し揺れる。
でも、私の方を何度も見ていた。
しっぽ。
つかまない?
「つかみません」
ほんとう?
「はい。今日はつかみません」
ドラゴンは、ほっとしたように息を吐いた。
その息で、近くの草がふわりと揺れた。
岩場の上に、銀傷草は咲いていた。
細い銀色の葉が、風に揺れている。
小さな白い花もついていた。
「ありました」
私はしゃがんで、丁寧に摘んだ。
根は残す。
また生えてほしいからだ。
ドラゴンは横でじっと見ている。
つまない。
ぜんぶ、つまない。
「はい。全部は摘みません」
のこす。
「はい。来年も必要かもしれません」
ドラゴンは、少しだけうれしそうに目を細めた。
私は銀傷草を布に包んだ。
十分な量が採れた。
これなら、レオンハルト様の腕に使える。
私は王都の方を見た。
「急いで帰らないと」
ドラゴンが、低く鳴いた。
それから、大きな体を伏せる。
のる?
そんな気持ちが伝わってきた。
「乗せてくれるんですか?」
ドラゴンは、こくりとうなずいた。
おちない?
しっぽ、つかまない?
「尻尾はつかみません」
ドラゴンは、またほっとしたように息を吐いた。
私はドラゴンの背中に登った。
鱗は硬いけれど、思ったより温かい。
「では、お願いします」
ドラゴンは翼を広げた。
風が大きく動く。
岩場の草が揺れる。
私はドラゴンの背にしっかりつかまった。
尻尾ではない。
背中の鱗だ。
ドラゴンは少しだけ振り返った。
そこ、よい。
しっぽ、だめ。
「分かりました」
次の瞬間、ドラゴンは空へ舞い上がった。
岩場が下に遠ざかる。
森が広がる。
王都の城壁が見えてくる。
速い。
とても速い。
馬より速い。
馬車より速い。
走るよりも、ずっと速い。
風が強くて、目を細める。
でも、怖くはなかった。
ドラゴンの背中は大きくて、しっかりしている。
「ありがとうございます。助かります」
ドラゴンは少しうれしそうに鳴いた。
ほめた。
うれしい。
私は少し笑った。
「お名前はありますか?」
なまえ?
「呼ぶ時の名前です」
ドラゴンは考えているようだった。
ない。
「では、クロさんでどうでしょうか」
黒いドラゴンだから。
ドラゴンは目を丸くした。
クロ。
なまえ。
ぼくの。
翼が少しだけ揺れた。
うれしい。
「では、クロさん」
ドラゴンは、ぐるる、と小さく鳴いた。
王都が近づいてきた。
城壁の上にいた兵士たちが、こちらを見上げる。
「ドラゴンだ!」
「王都の上だ!」
「待て、背中に誰か乗っているぞ!」
「あれは……花屋の娘だ!」
下が騒がしくなっている。
私は少し困った。
クロさんが王都に降りたら、もっと騒ぎになる。
それに、クロさんも怖がるかもしれない。
「クロさん、ここで大丈夫です」
ここ?
「はい。私は下ります」
おりる?
こわい。
「大丈夫です」
私は銀傷草の包みをしっかり抱えた。
下に見えるのは、騎士団の建物だ。
ちょうどいい。
私はドラゴンの背中から飛び降りた。
風が耳元で鳴る。
地面が近づく。
騎士たちの叫び声が聞こえる。
「人が落ちてくるぞ!」
「いや、あれは!」
「ミリア殿だ!」
私は膝を少し曲げて、騎士団本部の庭に着地した。
どん、と石畳が少し割れた。
しまった。
ロゼッタさんに、普通に帰ってくるよう言われていたのに。
私は割れた石畳を見た。
「すみません」
周りの騎士たちは固まっていた。
上空では、クロさんが心配そうに旋回している。
だいじょうぶ?
「大丈夫です」
私は手を振った。
「送ってくれて、ありがとうございました」
クロさんは、うれしそうに翼を揺らした。
また。
「また」らしい。
私はうなずいた。
「また会いましょう」
クロさんは王都の外へ飛んでいった。
騎士たちはまだ空を見上げている。
私は近くの騎士に聞いた。
「あの、レオンハルト様はどちらですか?」
「副団長なら医務室だが……」
「ありがとうございます」
私は医務室へ向かった。
廊下を歩くと、すれ違う騎士たちがみんな振り返った。
「今、空から来たよな」
「ドラゴンに乗っていなかったか」
「いや、見間違いでは」
「石畳が割れているぞ」
聞こえたけれど、急いでいたので止まらなかった。
医務室の扉を開ける。
中にはレオンハルト様がいた。
左腕に包帯が巻かれている。
顔色は悪くない。
でも、少し疲れているようだった。
「レオンハルト様」
彼は私を見た。
そして、すぐに眉を寄せた。
「ミリア」
「はい」
「今、外で大きな音がした」
「私が着地しました」
「着地」
「はい」
「どこから」
「空からです」
レオンハルト様は目を閉じた。
少しだけ深く息を吸う。
「順番に聞く」
「はい」
「なぜ空から来た」
「急いでいたので」
「なぜ空を飛んでいた」
「クロさんに乗せてもらいました」
「クロさんとは誰だ」
「ドラゴンです」
医務室が静かになった。
医師も、騎士も、看護係の人も、全員こちらを見た。
レオンハルト様はゆっくり目を開けた。
「ドラゴン」
「はい」
「君は、怪我人を見舞いに来るために、ドラゴンに乗って王都へ飛んできたのか」
「はい」
「そして飛び降りたのか」
「はい」
「なぜ普通に門から入らない」
「急いでいたので」
「急いでいても、普通は空から落ちてこない」
「そうなんですか?」
「そうだ」
レオンハルト様は額を押さえた。
「君は本当に……」
「すみません」
「謝るところが多すぎて、どこから言えばいいか分からない」
「では、順番にお願いします」
「そういう意味ではない」
少し怒っている。
でも、顔色は悪くない。
私はほっとした。
「怪我は痛みますか?」
レオンハルト様は少し黙った。
「大したことはない」
「大したことがない人は、医務室にいません」
「……少しだ」
「少し痛いのですね」
「少しだ」
私は銀傷草の包みを差し出した。
「銀傷草です」
レオンハルト様の目が少し変わった。
「どこで採ってきた」
「岩場です」
「一人でか」
「途中からクロさんと一緒でした」
「……ドラゴンと」
「はい」
「君は、前に投げたドラゴンと一緒に薬草を採ってきたのか」
「はい。クロさんは良いドラゴンでした」
「名前まで付けたのか」
「黒かったので」
「そうか」
レオンハルト様は、長く息を吐いた。
医師が銀傷草を受け取った。
「これは確かに銀傷草ですね。かなり新鮮です」
「レオンハルト様に使えますか?」
「使えます。傷の熱を引くには十分です」
「よかったです」
私は胸をなで下ろした。
レオンハルト様は私を見ていた。
怒っているような。
困っているような。
少しだけ、うれしそうな。
そんな顔だった。
「ミリア」
「はい」
「ありがとう」
「はい」
「だが、次からは飛び降りるな」
「ドラゴンからですか?」
「どこからでもだ」
「分かりました」
「本当に分かったか」
「たぶん」
「たぶんじゃない」
「はい」
私はうなずいた。
レオンハルト様は、まだ少し怖い顔をしている。
でも、声はやわらかかった。
「心配したのか」
「はい」
「私を?」
「はい」
レオンハルト様が黙った。
私は続けた。
「レオンハルト様が痛いのは、嫌です」
また、医務室が静かになった。
レオンハルト様は少しだけ目をそらした。
「……そうか」
「はい」
「なら、早く治す」
「はい。そうしてください」
医師が小さく咳払いをした。
「では、薬草を使いますので、少し席を外していただけますか」
「はい」
私は頭を下げて、医務室を出た。
廊下に出ると、騎士たちがまだこちらを見ている。
「あのドラゴンは味方なのか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「クロさんは、尻尾をつかまなければ大丈夫だと思います」
騎士たちは顔を見合わせた。
「尻尾をつかむ予定はない」
「それなら大丈夫です」
私はそう答えた。
その日の夕方。
ロゼッタ花店へ戻ると、ロゼッタさんが店先で待っていた。
腕を組んでいる。
顔が怖い。
「ミリアちゃん」
「はい」
「王都の上をドラゴンに乗って飛んだっていうのは、本当かい?」
「はい」
「そこから飛び降りたっていうのも?」
「はい」
「石畳を割ったっていうのも?」
「少しです」
「少しじゃないよ」
「すみません」
ロゼッタさんは深く深くため息をついた。
「でも、薬草は届けられました」
「それは偉い」
「はい」
「でも、飛び降りるのは偉くない」
「はい」
「ドラゴンに乗るのも普通じゃない」
「クロさんは良いドラゴンです」
「名前まで付けたのかい」
「はい」
ロゼッタさんは額を押さえた。
「この子は、花だけじゃなくてドラゴンまで拾ってくるのかねえ」
「拾ってはいません」
「似たようなもんだよ」
私は少し考えた。
クロさんは山に帰った。
拾ってはいないと思う。
でも、友達にはなったかもしれない。
その夜。
私は店先の花を整えながら、岩場のことを思い出した。
銀傷草。
クロさん。
レオンハルト様の包帯。
ありがとう、と言ってくれた声。
レオンハルト様の怪我が、少しでも楽になるなら。
クロさんがもう怖がらずにいてくれるなら。
それなら、今日はよかったと思う。
でも、次からは飛び降りない。
たぶん。
私は白百合の向きをそっと直した。
やっぱり私は、花屋が好きだ。
ポイントを入れていただけると、大きな励みとなります。おもしろければ入れてください。
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こちらの作品もおもしろいと思います。お読みいただければ有難いです。




