第8話 なぜ花屋の娘が全部止めるのだ
ルミナリア王国の隣には、ヴァルトリア王国がある。
山と森の多い国で、兵も強い。
その国を治めているのは、ヴァレリウス王。
ルミナリア王国のオルディス王の、兄である。
ヴァレリウス王は、玉座の上で腕を組んでいた。
眉間には深いしわが寄っている。
機嫌は、あまりよくない。
いや、かなり悪い。
「報告はまだか」
低い声で言うと、控えていた側近が肩を震わせた。
「まもなく参ります」
「遅い」
「申し訳ございません」
「私は結果を聞きたいのだ。よい結果をな」
「は、はい」
側近は深く頭を下げた。
ヴァレリウス王は、また腕を組み直す。
彼は待っていた。
ルミナリア王国からの報告を。
弟であるオルディス王の国で、どれほど混乱が起きたか。
王都の民が、どれほど不安になったか。
騎士団が、どれほど頼りない姿を見せたか。
それを聞くつもりだった。
「弟ばかりが、よい顔をしている」
ヴァレリウス王はつぶやいた。
ルミナリア王国は大きい。
豊かで、人も多い。
花も、穀物も、商人も集まる。
弟のオルディスは、その国の王だ。
一方、自分はヴァルトリアを任された。
ヴァルトリアも立派な国だ。
山もある。
兵も強い。
鉱山もある。
だが、ルミナリアよりは小さい。
それが、ヴァレリウス王には気に入らなかった。
「私は兄だぞ」
何度目か分からない言葉が、口から出た。
その時、広間の扉が開いた。
若い報告係が入ってくる。
顔色が悪い。
ヴァレリウス王は、少し嫌な予感がした。
「報告します」
「うむ。言え」
「まず、王都近くへ向かわせた魔物の件ですが……」
「どうなった」
「止められました」
「騎士団にか」
「いえ」
報告係は、少しだけ言葉を詰まらせた。
「花屋の娘に」
広間が静かになった。
ヴァレリウス王は、眉を寄せた。
「何?」
「花屋の娘に、放り投げられたそうです」
「魔物が?」
「はい」
「花屋に?」
「はい」
ヴァレリウス王は、しばらく黙った。
聞き間違いだと思った。
しかし、報告係は真面目な顔をしている。
「……花屋とは、花を売る店のことか」
「はい」
「剣士ではなく?」
「花屋です」
「魔術師ではなく?」
「花屋です」
「なぜ花屋が魔物を放り投げる」
「それは、分かりません」
ヴァレリウス王は、肘掛けを指で叩いた。
落ち着け。
一つ目の失敗くらいはある。
魔物が一匹止められた程度なら、まだよい。
そう自分に言い聞かせた。
「次だ」
「はい」
報告係は、さらに青い顔になった。
「ドラゴンの件ですが……」
「うむ」
「あれも止められました」
「騎士団がか」
「いえ」
ヴァレリウス王は目を細めた。
「まさか」
「花屋の娘です」
「また花屋か!」
声が広間に響いた。
側近たちが一斉に肩を震わせる。
ヴァレリウス王は立ち上がった。
「ドラゴンだぞ。ドラゴンだ。魔物とは違う。空を飛び、火を吐き、城壁すら壊す存在だ」
「はい」
「それを花屋がどう止めた」
「尻尾をつかみ、こまのように回して、山の向こうへ飛ばしたそうです」
「こまのように」
「はい」
「ドラゴンを」
「はい」
「花屋が」
「はい」
ヴァレリウス王は、もう一度座った。
少しだけ頭が痛くなってきた。
「……その花屋は何者だ」
「ミリア・ノクスという娘だそうです」
「ミリア・ノクス」
「はい。ロゼッタ花店という小さな花屋で働いているそうです」
「小さな花屋」
「はい」
ヴァレリウス王は額に手を当てた。
おかしい。
何かがおかしい。
弟の国の防衛力を疑わせるはずだった。
王都近くに魔物を出し、騎士団を慌てさせる。
ドラゴンを暴れさせ、民に不安を抱かせる。
そうすれば、オルディス王への信頼は揺らぐ。
そのはずだった。
それなのに、なぜ花屋の娘が出てくる。
ヴァレリウス王は、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、山崩れで川がふさがれた件はどうなった」
「川の件でございますね」
「あれは弟が頭を抱えるには、よい機会だった」
ヴァレリウス王は、少しだけ口元をゆるめた。
「オルディスの困った顔が目に浮かぶ」
報告係は、さらに顔色を悪くした。
「その川ですが……」
「うむ」
「もう戻りました」
「早すぎる」
ヴァレリウス王の口元から笑みが消えた。
「騎士団が岩をどかしたのか」
「いえ」
ヴァレリウス王は、もう聞きたくなかった。
だが、聞かなければならない。
「……まさか」
「ミリア・ノクスです」
「また花屋か!」
ヴァレリウス王は、玉座の肘掛けを叩いた。
「今度は何をした!」
「巨大な岩を押したそうですが、動かなかったそうです」
「そうだろうな」
「その後、近くにあった同じ模様の岩を持ち上げて、何度もぶつけたそうです」
「岩を持ち上げて?」
「はい」
「岩にぶつけて?」
「はい」
「それで?」
「巨大な岩が砕け、川の流れが戻りました」
ヴァレリウス王は、深く息を吸った。
そして、長く吐いた。
「……なぜ私の計画は、花屋に負けるのだ」
誰も答えなかった。
答えられる者など、いなかった。
報告係は、さらに紙を見た。
「その結果、花市場と農家から感謝の声が上がっています」
「何?」
「王都では、花が戻ったと喜ばれています。穀物への被害も抑えられる見込みです」
「つまり」
「はい」
報告係は、恐る恐る言った。
「オルディス王の評判は、落ちるどころか上がっております」
ヴァレリウス王は、しばらく天井を見た。
美しい天井だった。
だが今は、何も慰めにならない。
「私は、弟を憎んでいるわけではない」
ぽつりと言った。
側近たちは黙って聞いている。
「オルディスは昔からそうだ。穏やかで、人に好かれる。父上も母上も、あいつを見る目はやわらかかった」
「陛下」
「私は兄だ。兄なのだぞ」
「はい」
「なのに、ルミナリアは弟が治めている。私はヴァルトリアだ」
「ヴァルトリアも、立派な国でございます」
「そういう問題ではない!」
ヴァレリウス王は立ち上がった。
「私は、認めさせたいだけだ。私の方が、王として優れていると」
「はい」
「私は悪党ではない」
「はい」
「民を苦しめたいわけではない」
「はい」
「ただ、弟に勝ちたいだけだ」
「はい」
「それなのに、なぜ花屋が全部止めるのだ」
側近たちは微妙な顔をした。
答えようがなかった。
花屋だからでございます、と言えば怒られる。
花屋ではないのでは、と言っても怒られる。
何を言っても、たぶん怒られる。
「魔物も、ドラゴンも、川も、全部花屋が止めた」
「はい」
「花屋は何なのだ」
「花屋かと」
「それは分かっている!」
その時、別の側近が一歩前に出た。
「陛下。もう一つ報告がございます」
「まだあるのか」
「はい。エリシア王妃様が、そのミリア・ノクスを王宮へ招いたそうです」
「王妃が?」
「はい。花束を届けさせたとのことです」
「なぜ王妃まで花屋に関わる」
「岩を砕いた娘を見てみたい、と」
「岩か。やはり岩か」
「ですが、王妃様は花束を大変気に入られたそうです」
「花束」
「はい」
「今度は花束か」
ヴァレリウス王は、もう一度座った。
少し疲れてきた。
側近は続ける。
「さらに、王宮庭園の花の不調も、その娘が見抜いたとか」
「庭園の花まで?」
「はい。冷たい風が流れ込んでいると見抜き、入口を閉じればよいと進言したそうです」
「花屋だからか」
「おそらく」
「花屋とは、そんなことまでするものなのか」
「分かりません」
広間に沈黙が落ちた。
ヴァレリウス王は目を閉じた。
魔物を止める。
ドラゴンを飛ばす。
岩を砕く。
花束を作る。
庭園の不調を見抜く。
全部、同じ娘。
花屋。
「……おかしい」
「はい」
「おかしいだろう」
「はい」
「なぜ誰も止めない」
「止める前に解決してしまうようです」
「それもおかしい!」
ヴァレリウス王は、また肘掛けを叩いた。
すると、年配の側近が静かに口を開いた。
「陛下」
「何だ」
「このまま事が大きくなれば、セドリック上王陛下と、マルグリット王太后様のお耳に入るかもしれません」
ヴァレリウス王の動きが止まった。
「母上には言うな」
「上王陛下には?」
「父上にもだ!」
即答だった。
広間の空気が少しゆるんだ。
ヴァレリウス王は咳払いをする。
「父上は長話をなさる」
「はい」
「母上は、さらに長い」
「はい」
「それに母上は、怒ると怖い」
「はい」
「だから、絶対に言うな」
「かしこまりました」
ヴァレリウス王は椅子に深く座った。
王である。
隣国を治める王である。
だが、父と母には弱かった。
「それで、そのミリア・ノクスという娘は、こちらの間者なのか」
「違うようです」
「では、弟の秘密兵器か」
「そういう話もありません」
「では何だ」
「花屋です」
「またそれか」
ヴァレリウス王は頭を抱えた。
「その娘は、何を望んでいる」
「花屋を続けたいそうです」
「それだけか」
「はい。花が売れると喜ぶそうです」
「王の褒美は?」
「花屋のために使ったとか」
「名誉は?」
「あまり興味がないようです」
「地位は?」
「花屋でいたいそうです」
ヴァレリウス王は、しばらく黙った。
「……分からぬ」
「はい」
「力がある者は、もっと大きなものを望むはずだ」
「普通は、そうかもしれません」
「なのに花屋か」
「はい」
「なぜだ」
「分かりません」
ヴァレリウス王は、また深く息を吐いた。
頭の中で、計画が崩れていく。
魔物は花屋に負けた。
ドラゴンも花屋に負けた。
川の岩も花屋に負けた。
王妃も王子も、その花屋を気に入ったらしい。
このままでは、弟の評判を落とすどころか、弟の国に妙な英雄を生んだだけだ。
「調べろ」
ヴァレリウス王は言った。
「ミリア・ノクスを調べろ」
「捕らえますか?」
「捕らえるな。そんなことをすれば、また話が大きくなる」
「では、監視を?」
「目立たぬようにだ」
「はい」
「その娘の力の正体を探れ」
「かしこまりました」
「そして、弱点もだ」
「弱点でございますか」
「ああ。どんな者にも弱点はある」
ヴァレリウス王は少し考えた。
「花屋なのだろう」
「はい」
「ならば、弱点は花に違いない」
側近たちは顔を見合わせた。
誰も、違うとも合っているとも言えなかった。
「好きな花を調べろ」
「好きな花、でございますか」
「そうだ。花屋の娘なら、花で動くはずだ」
「は、はい」
「それから、ロゼッタ花店についても調べろ」
「店を潰しますか?」
「馬鹿者」
ヴァレリウス王は側近をにらんだ。
「民の店を潰してどうする。私は悪党ではない」
「申し訳ございません」
「私は、弟に勝ちたいだけだ」
「はい」
「ただし、母上には知られるな」
「はい」
「父上にもだ」
「はい」
ヴァレリウス王は玉座から立ち上がり、窓の外を見た。
遠くには、ヴァルトリアの山が見える。
あの山を越えた先に、ルミナリア王国がある。
弟の国。
花が多く、民がよく笑う国。
そして、なぜか花屋の娘が魔物もドラゴンも岩も止める国。
「ミリア・ノクス」
ヴァレリウス王は、その名をもう一度つぶやいた。
「いったい何者なのだ」
答える者はいなかった。
ただ、側近の一人が小さく言った。
「花屋、でございます」
「それはもう聞いた!」
ヴァレリウス王の声が、広間に響いた。
そのころ。
ルミナリア王国のロゼッタ花店では、ミリアが白百合を包んでいた。
「ミリアちゃん、その白百合、少し右に寄ってるよ」
「はい」
ミリアは花の向きを直した。
今日も、花はきれいだった。
もちろん、遠い隣国の王が頭を抱えていることなど、知るはずもない。
知ったとしても、きっとこう言うだろう。
花屋なので、よく分かりません。
そしてまた、花を包むに違いない。
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