第323話 真理の時間です④
チチチと鳴き、羽ばたく鳥がいた。
普通であれば鳥になど驚きはしない。ごく当たり前の風景なのだが、しかし男神は唖然とする。
「鳥? まさか、ここは私の神域だぞ。しかもあの鳥類は古代に絶滅したはずだ」
カルティナとの一戦を終えてさらに歩いたとき、神は絶句した。
気づけば石床は湿り気のある土に変わり、壁も樹木に覆われつつある。さらには頭上から太陽光が差し込む様子には、さすがの男神もしばし立ち尽くす。
「む、あり得ないのか? 我が主であればさほど驚きはしないぞ」
前方を歩いていた者が振り返り、そう平然と言う。カルティナだ。いいかげん引きずるのに飽きて、男神が術を解いてやってから3日ほど経っている。
暴れるようであればまた黙らせればいい。そう判断したのだが、意外にも彼女は剣を手にしなかった。
その理由は、シャーリーに手を出さないと神自身が約束したからだろう。
「あり得ない。他でもない私の神域だからな。しかし目の前にこうして広がっているのだから、神の奇跡と考えるしかない。真理の探求者である私は、そういう考えをあまり好まんがね」
雄大に立つ樹木を見上げながら、そうアリライ神は漏らす。
真理を司る存在であるにも関わらず、理解できないものばかりだ。しかし流れる清水に膝まで浸けて、ざぶざぶと歩いてゆく様子は、どこか一般人とそう変わらないように見えた。
「冷たい。あの女神は月と太陽を司っていたな。昼夜があり、四季があり、そして生命の循環が成されている。これはシャーリーがもたらした奇跡なのだろう」
「ああ、その通りだ。力に溺れることもない。優しく、美しく、子どもたちに笑いかけられたときはたまらなそうな顔をする。我が主君は本当に素晴らしいのだぞ」
陽光を浴びてそう言うカルティナは、年相応の若々しさに満ちている。まぶしそうにそんな彼女を見つめた後、しばし神は天を仰いだ。
「かつて、このような環境に私はいた。其方よりも弱く、無力であったこともある。だが、いまだにそのときを忘れられぬ」
感慨深そうにしみじみとそう言う。千年を超える時の流れを感じさせたが、カルティナはうんと大きな伸びをしてからこう言う。
「なら第二階層まで遊びに来ればいい。私はそこで案内係や警備などの仕事をしていてな、勝手なことをしてはいけないがシャーリー様もきっとお喜びになるだろう」
そんなバカな。信者たちのいる里に神が降りるなどあり得ない。
普段であればそう怒鳴っていたところだが、いまは「それも悪くない」と感じる自分がいた。理由はまだ分からない。
「酒は清水のように澄んでおり、猪肉はよだれが止まらぬほど美味い。楽しみにしておくのだ」
ニッと白い歯を見せる笑みを、なぜか陽光よりも眩しく思う。
こちらの理由はすぐに分かった。神になると決意したとき、愛していた女性と面影が重なったのだ。似ても似つかないがさつな女だが、笑顔だけは憎たらしいと思うくらいそっくりだった。
「そうしたいが……きっとその日は来ないだろう」
「なんだ、情けないな。神が諦めるのか。不可能を可能にできる存在だろう」
珍しく「いや」と言ったきり口ごもる様子に、カルティナは不思議そうな顔をした。
大した秘密ではないが、彼女に真相を伝えたところで意味はない。そう神は考えたらしい。
カルティナは物おじなどしない。騎士道の追求と戦闘に関すること以外はあまり興味がないし、女性としての魅力は二の次と考えている。
いや、その、最近の趣味である文学は高尚なものであり、主人公の生い立ちが騎士だからセーフだと考えよう。
男神が口ごもる様子を見せたからだろうか。あごをさすりながら「ふむ」とカルティナは唸る。
思案するように気の強そうな瞳を左右に揺らして、まるで化粧っけのない唇が開かれた。
「私の場合、邪魔するのはいつも私自身だった」
「うん?」
唐突な言葉に、神は不思議そうな声を漏らして振り返る。すると岩の上にしゃがみ込み、まっすぐに見つめてくるカルティナがいた。
「子供のころ本で読んだ騎士に憧れてな、それ以来ずっと騎士を目指している。ゲドヴァーでもアリライでもない国に行き、武勲を上げて、幸いにも騎士見習いにしていただいたこともあるのだぞ」
そう言う表情は、誇らしげというよりは少し悲しそうだ。過ぎ去った過去を嘆いているのかもしれない。
「だが、祖国の命令で、騎士となる道は閉ざされた。古代迷宮に巣食う者たちを一掃せよとの仰せを、私は拒めなかった。恐ろしかったんだ」
「君が怖がるとは意外だね。我と対峙したときでさえ恐怖心のかけらも見せなかったが」
呆れ混じりの声を聞き、カルティナはからからと笑う。
「私だって弱かったときもある。この魔装を与えられたときもそうだ。身体中に突き刺さった管が恐ろしくて、ぴいぴいと悲鳴を上げていた。怯えた子鹿のように」
よっ、と声を発してカルティナは岩から降りる。重装備のはずだが軽々としており、わずかにも彼女の動きを阻害していないように見えた。
「いつだってそうだ。私は私自身が恐怖に屈したとき最悪なカードを引く。それを知ったから、もうどんな相手でも恐怖心を決して抱かない」
だから相手が神であろうともカルティナは恐れを感じないのだと語った。
思わぬ形で真理を知った男神は、ゆっくりと歩み寄ってくる彼女を見つめながら「ふむ」と唸る。
当初こそまったく興味のない相手ではあったが、あの無尽蔵なまでの闘争心は不思議だと感じていた。
しかし、まさかその理由を彼女自身の口から聞かされるとは。それも敵であったアリライ神を奮い立たせるために。
恐れることなく突き進め。
歩み寄りながら浮かべている表情を見るに、そう彼女は言いたいらしい。
釈迦に説法などとは露とも考えておらず、その肩を並べているような口調がなぜか清々しいと神は感じる。
含み笑いをひとつして、男神はこう言った。
「少しくらいは怖がったほうが女性として魅力的なのではないかね?」
「む、それには異論を挟みたい。普段は鋼の意志を宿しているからこそデレたときのギャップが……ああ、いや、なんでもない。なんでもないのだ」
いくら真理を追求する神でも、腐った……いや、高尚な文学まで知る必要はない。
幸いというべきか当然というべきか、カルティナは、とある騎士の物語について黙して語らなかった。
休憩を挟むと二人はまた歩きだす。
石畳はいつしか小道に変わり、穏やかな風が頬をくすぐる。
このような光景が広がっている以上、力の源である女神はそう遠くないと予感させる。
結局あの白いトカゲは階層を広げなかった。
開戦当初に降り立った地から動かず、こうして新緑の景色を生み出した。
そんな状況に、いくつかの疑問が浮かぶ。
女神がこの階層まで降り立ってからというもの、戦いはカルティナに任せて遊んでいたのだろうか。などと男神は辺りを見回しながら考えた。
もしそうだとすると、戦いを得意とする女神ではなさそうだ。そう男神は胸中で思う。
心優しい者というのは、どうしても相手から利用されてしまう。他の神や愛している人民にさえも。
だから人里に住み、愛し愛される関係を築くのは得策ではない。ましてや人の身体を得るなどもってのほかだ。
などと結論づけながら茂みを手で払うと、視界がだいぶ開けた。
そこにいたのは、長いスカートを風にそよがせるシャーリーだった。
手にはじょうろを持ち、花壇らしきところに水を撒いている姿の彼女とばったり再会するとはさすがの神も予想だにしていない。
「おっ……!」
当初の予定では彼女と戦うつもりだった。こちらが戦いを仕掛けたはずなのに、しかし木漏れ日を浴びるシャーリーは、なおも花壇に水やりをしながら美しい青空色の瞳で見上げてくるではないか。
流れる風に蜂蜜色の髪をもてあそばせて「おはようございます、お二人とも」と言うように色づいた唇が動く。
そこには敵意のかけらもなく、やはり戦うべき相手ではないと思えた。
だから肩の力を抜き、アリライ神も笑い返す。
「おはよう、シャーリー」
「おはようございます、シャーリー様」
そう二人で答えると、女神はにっこりと笑う。心が洗われる笑みであり、春を告げる芽のようだと思えた。
まあ、なんだ、普通に可愛い。うん。決して心を乱されなどしないが、すごくいい子ではないか。
おほんと咳払いして、アリライ神はそんなことを思う。
「ふむ、水やりか。こちらの敵意は見せたつもりだがな。てっきり我を迎え撃つと踏んでいたが、まさかここで遊んでいたとは……」
愛らしさを覚えるのと同じくらい失望を覚えるのも仕方ない。
戦いを通じて彼女の真理を知るつもりだった。
優しいだけでは民を導くことなどできない。悪意ある相手に無力であれば、いずれは滅びのときを迎えてしまう。だから神は彼女自身の力を知りたかったし、力不足の女神だと分かって失望した。
だが、同時に疑問も浮かぶ。
なぜシャーリーはこの階層から動かなかった?
敵意がないのであれば、なぜカルティナを迎え撃たせた? 思い返してみると時間稼ぎをしていたようにも考えられる。
なぜこの階層に手を加えて、新緑の地にしていた?
なぜシャーリーは戦いを挑まれても穏やかでいられた?
そのように推理し始める男神を、背後から見つめる者がいた。
真理を知るのは一瞬だ。
たったひとこと、彼の背後からこう呼びかけるだけで謎はあっという間に解かれる。
「ふ、ふ、神にしては遅い到着であったな」
そう声をかけられた瞬間、アリライ国神は電撃に打たれた思いをする。まさかと思った。そんな馬鹿なと思いつつ、ゆっくりと背後に振り返る。
常識的に考えてあり得ない。
テラスに腰掛ける女性、そしてトレイを手にするウェイター風の男性がいるなど絶対に起こり得ない。
「なぜだ! なぜここにいる、魔導竜ウリドラ!」
そう問いかけた瞬間、神はハッとする。
竜の技能は常識をはるかに超える。あらゆるものと同化できる【神朧】の技能を思い出した瞬間、ウリドラの唇はにんまりと笑みの形になった。
「なるほど、そうであったか」
魔導竜、そして灼天竜をこの地に招くため、シャーリーは最善手を打ったのだ。
それは神域を作り変えるというものであり、半ば彼女の領域とすることで状況を大きく変えた。
でなければたとえ魔導竜であろうとアリライ神の支配する空間に立ち入れなかっただろう。いくら【神朧】でも馴染むまで年単位の時間を要したに違いない。
驚き、そして怒りという感情はあったが、ことの真相を知れば「見事」と褒めたい気分に変わる。先ほどとまったく異なる感情と共に、男神はシャーリーに向き直った。
「ふむ、素晴らしい。ただ優しいわけではなく、脅威を跳ねのけるしたたかさがあったとは。こうして女神の真理を知ることができて我は嬉しく思うぞ」
そう告げると女神、そして魔導竜はそっと目を合わせる。くふふと互いに含み笑いする様子は、どこか姉妹のような密接さが感じられた。
ゆっくり語り合いたいところだが、求めていた真理はもう手にしている。ならば晴々とした気分のまま、彼女たちに別れを告げるとしよう。
「さらばだ、女神たちよ。短いあいだであったが得たものは果てしなく大きい。真理を知るという喜びに感謝するぞ」
ぬん、と指先に念を込める。
すると周囲の景色は色褪せてゆき、時の流れでさえも緩やかとなる。
神相手でもまったく敬わないカルティナのことも、実はそれなりに気に入っていた。一抹の寂しさもあったが、だからこそ機嫌のいいときに別れを告げることにした。
指先を交差させるその仕草には、神の力が宿されている。
つい先ほど別れを告げたときと同じ場所にシャーリーはいるけれど、数える気にもならないほど景色に違いが多い。
天には灼熱の太陽があり、どこまでも広がる砂地が周囲に広がる。
やかましい戦闘狂のカルティナもいないし、あの恐ろしい魔導竜の姿も見えない。
――世界に在りて汝はなにを想うのか。
それこそがアリライ神の使った能力であり、彼が定めた時間まで巻き戻るという効果がある。
森羅万象を捻じ曲げてでも真理を知りたいという彼の果てしない欲による産物だろうか。
肌をジリジリと焼く久方ぶりの太陽光であったが、シャーリーをまっすぐ見つめながら話しかける。
「その子はエグリニィだね。小さいが立派な神徒だ。きっとあらゆる厄災から女神を守るだろう」
シャーリーの襟首に隠れていた白色のトカゲが、きょとりと目玉を大きくする。偉大なる神が目に留めたことに驚いたらしい。
なるほどと男神は思う。
小さすぎて最初は分からなかったが、トカゲはさりげなく周囲に注意を払っていた。もしも危機が訪れたときのために用心しているのだろう。
女神を守るという強い意志を感じ取れて、男神は微笑ましい気分になった。
「月と太陽、そして世界の循環を象徴する女神シャーリーよ。前もって声をかけず、不躾に招いて申し訳ない。しかし、やはり我はこうして顔を合わせたかった。真理を知りたかったのだ」
女神も青空色の瞳を丸くして驚く。彼女にとってみれば、アリライ神の態度が急に変わったように見えたかもしれない。
まあ実際にその通りだし、彼女たちへの思い入れも多少はある。こればかりはいくら経験を積もうとも自然にこなすのは難しい。
心優しく純朴なシャーリーは、いいえとひとつかぶりを振ってから微笑みを浮かべてくれた。
彼女は決して好戦的ではないが、芯のある強さがあることを男神はもう知っている。間違っても敵対することはないだろうし、同胞としてこれほど頼もしい者もそういない。
「戦火の最中だ。互いに助けあう機会も多いだろう。これからは好きなときに我が神域に足を運ぶといい。汝が試練を迎えたとき、我も力を貸そう」
ひと呼吸ほど置き、彼は言葉をつけ足す。
「たとえ夜の時代をまた迎えたとしても」
もしかしたらアリライ神が最も知りたかったのはそれだったのかもしれない。
かつて夜の王のそばにいた彼女は、古代迷宮の奥底に隠された厄災とどう向き合うのか。それを確かめるための言葉であったが、シャーリーの微笑みは途絶えない。
彼女の考えは分からずじまいだが、アリライ神は深く追求するのをやめた。
この場で真意と真理を知る必要はない。道を歩き続ければ、いずれ分かることなのだ。そう思い、ふっと肩の力を抜いた。
別れはあっさりとしたものだ。
礼儀正しくシャーリーは頭を下げて、小さなトカゲもそれに習う。辺りに黄金色の風が吹き、それが止んだときにはもう一人ぼっちだった。
男はあご先を指でさすり、ふうむと唸る。
「名もなき国か。我が考えていた以上に賑やかな場所かもしれない。しかし他の神であれば逃げだすほどの危機であろうとも、あのような笑みを浮かべられるとは……ふむ?」
ふと気づく。
つい先ほどまで女神がいた場所に、ちょっとした変化があったことに。
そこにあったのは一輪の花だった。
彼女の瞳と同じくらい鮮やかな色をしており、かすかな風にそよがれる様に目を見張る。
照り焦がす太陽光、そして乾ききった砂地とあって、すぐに枯れてしまいそうではあるが、恐らくはそうならないだろうと彼は考える。
まじまじとそれを見つめてから男神はフッと笑った。
すでに何度となく驚かされた身だ。もはや「あり得ない」などという言葉は口から出てこないし「そういうときもあるだろう」という心境だった。
これだから真理を知るのはやめられない。
心優しく穏やかな女神との出会いを宝物のように感じたのか、どこか機嫌良さそうに男神は宙にあぐらを組む。
そして花をじいと見つめながら、出会うことのなかった戦闘狂のバカ女を思い返す。
「……案内係をしていると言ったな。まったく、それが騎士の仕事かね」
くつくつと愉快そうに笑い、そして神はちょっとだけ彼女たちが自慢する第二階層まで遊びに行っても良いような気がした。
時を戻すことにより出会いは失われたが、ただ一歩踏み出すだけで楽しみを得られるのだから。
「いや、遊びではなく真理を知るためだ。うむ」
そんな言いわけのようなことを神は人知れず口にした。




