第322話 真理の時間です③
神の思惑に綻びが生じたのは、どのタイミングだったろうか。
まず最初は、カルティナと男神が二度目に対峙したときだったと思われる。
先ほど早々に敗れたにも関わらず、彼女に畏怖や怯えの気配はまるでない。それどころか先ほどより礼儀正しい声でこう言う。
「口上を嫌うことに気づけず申し訳ない。だが私は好きなのだ。正面から名乗り、正々堂々と戦う姿勢というものが」
影となっており神の表情は見えなかったが、多分に呆れていたと思われる。
確実に滅したはずが再度現れて、またもつらつらと口上を述べ始めたことに。
もはや返答さえもせず、指先をカルティナに向けたとき、けたたましいアラート音が周囲に響く。
『技能【無敵化】が行使されています。アリライ神による【種の絶滅】は無効とされました』
絶滅、そして無敵という相反した状況のせいか、ビーッ、ビーッ、という警告音がしばし響く。
なぜ先ほどと異なる結果になったのか。見ればカルティナは先ほどと違い、白色の大楯を構えていた。うぞうぞと複数の足が蠢いているものを盾と呼べればだが。
いや、それだけではない。
ばらららっという一斉に何かがめくれる音に目をやると、景色は一瞬で様変わりする。視界で得られる情報は皆無だと思えるほど真っ白い空間に変わっており、あの小さなトカゲの仕業だろうと神はすぐに悟った。
はて、さて、どうしたものかと神は思考する。
カルティナと同様の力でも働いているのか、灼熱の太陽そのものを手にしているというのに溶け落ちる様子はない。
しばし警告音に耳を傾けて、男神は大して慌てることなく「ふむ」とつぶやいた。
閉じ込められはしたが、開けるための鍵は目の前にある。技能を行使している当の本人を叩きのめせばそれで済む、と男神は考えたらしい。
「そうまでして私と戦いたいのか。君は少しアレだね、頭が少しおかしいと思うよ。無論、褒め言葉などではないがね」
そう呆れ果てた声を浴びたにも関わらず、カルティナの面具は口のあたりがバクンと裂ける。はは、はは、と愉快そうに笑う姿は、男神に指摘されるまでもなく常軌を逸しているようだ。
常軌を逸しているといえば、これから3日のあいだ、閉ざされた部屋で轟音と地響きが鳴り続けた点も同様だと思える。
ふたつめの神の誤算は、彼女の闘争本能を見誤っていたことだろう。
いくら【無敵化】という技能を手にしていても、戦いは精神がすり減るし、そもそも絶対的に体力が足りなくなる。そうでなければおかしい。生物であろうと魔物であろうと糧がなければ朽ち果てるというのは常識なのだ。
だがカルティナは、その常識的な予測を大きく逸した。
「は、は、は、実にたまらないな、この空気は最高だッ!」
辟易である。いいかげん顔を見飽きたし、3日ものあいだつき合わされて、心理的にたまったものではない。
だから神にしては珍しく不機嫌そうに頭をボリボリと掻き、腹に据えかねる気配と共にこう言った。
「……いい加減にしないかね。君の憧れる騎士というのは、醜く勝利にすがりつくものなのか? 潔く諦めることも美徳のひとつだぞ」
神からの助言をまったく聞かず、女の身体はブレて消える。まったく、と男神はあからさまにむしゃくしゃした。
当初はけたたましいジェット音のようなものを鳴らしていたのだが、図らずもカルティナにとって修行の場となったのだろうか。まったくの無音となり、色彩のない広間はシンと静まり返る。
宙であぐらをかき、あごをさすりながら男神は「ふむ」と唸る。
この手の奴は、外側ではなく内部から侵食すべきだ。しかしそうしない理由がひとつある。それは彼女の真理がまだ分かっていないことが挙げられた。
なぜ糧がなくとも動けるのか。
なぜここまで戦意を保てるのか。
それどころか力を増しつつあり、無駄であることに変わりはないが、もう幾度目か数える気にもならない斬撃が側面から迫り来る。
と、見えない空間が破裂したかのように、パンッとカルティナの顔面が鳴る。その炸裂音はパンパンパンと鳴り続けて、数百メートル先の壁に叩きつけてから尚も続く。
あれは反射だ。彼女の力そのものを反射しており、相手が前に進もうと思えば思うほど威力は上がる。猪突猛進なカルティナにとって最悪ともいえる相性だった。
首がねじ切れそうなほど衝撃を受けて、がら空きの腹、そして手足があらぬ方向を向く。
もちろん【無敵化】のせいでダメージを与えられないが、この手の奴は心を折ってやればいい。簡単だ。動物と同じように本能的な恐怖をすり込んでやるだけでいい。やがて怯えた目でクウンと鳴くだろう。
そう神は算段して、恐ろしい実験を半日ほど続けてみたところ……。
「は、は、は、実にたまらないな、この空気は最高だッ!」
びっくりした。まったくどころかミリさえも心が抉れていない。
時間が巻き戻ったように、先ほどと同じ口上を述べる様子に、さすがの男神も足元がヨロつく。
額にビキリと血管らしきものを浮かべて、彼は頭を抱えたまま吠えた。
「ばっ、バカか貴様はアッ! いっ、いっ、いい加減にしろッ! カタツムリ以下の学習能力という真理など我は知りたくない!」
激昂した。ここまで話の筋が伝わらなければ神でさえも怒る。当たり前だ。
至極まっとうな反応ではあるのだが、しかし間髪入れずに放たれた神の見えざる力を、カルティナはぬるりとした動きでかわす。
先ほどのふざけた言動とは裏腹に、その柳のように上体を動かすという体術は極めて超人的に見える。だからこそ神をしばし唖然とさせたのだ。
「貴様ッ!?」
「? なにを驚いている。あれだけ打たれれば誰でも覚える。常識だろう。私の場合は、模範とする少年がいたからだが……」
そんなバカな常識があるか。あれは対象の意識外から放つ。つまりは絶対にかわすことのできない技のはずなのだ。
この女は、戦いに関することしか学習能力がない。
そんな真理が分かってしまい、神の足元がぐにゃあっと揺らいだ。
端的に言って頭がおかしい。
そう思うのと同時に、終わりのない戦いに足を踏み入れてしまったと錯覚する。いや、そんなはずはない。無限に闘争心が湧き続けるはずがない。そう己自身に言い聞かせていたときに女はこう言った。
「どうやら納得がいかぬようだな。では真相を教えてやろう。人は弱いからこそ信じがたい強さを生み、神の試練であろうと乗り越えられるのだ」
「ふわっとした言葉で結論づけるな!」
ビキリとさらに血管のようなものを浮かせて、男神は己から近づいてゆく。
いい加減にして欲しかった。
正直に言うともうあの女に付きあいたくなかった。この場で学べるものはなにひとつないと痛感して辛かった。
そのように極めて参っていたせいか、当初の目的を彼は大幅に捻じ曲げる。
「よし、よし、分かった。もう分かった。女神シャーリーには手を出さぬと約束しよう。これは貴様の忠誠心が生んだ輝かしい成果だ。どうだ、私の言いたいことが分かったな? ん?」
影となっており男神の表情は分からなかったが、焦っていたのは確かだ。
終わりのない戦いに終止符を打つというか、お互いに納得できる妥協点を口にしたのだ。それならばもう戦う必要などないはずだ。
しかしその提案を聞いたカルティナは、喜ぶどころかなぜかガッカリしていた。
「……そうか、残念だ。よくある修行編のようで私の心はワクワクしていたのだが」
よくある修行編とは?
この敬意のかけらも見せない様子にイラつく。腕のあたりを指でトントン叩きつつ、フーと幾度目か分からないため息を神は吐いた。
さっさと我の提案を受け入れろ。そう考えているのは明白であった。
待ち続けることしばし。カルティナは装甲の奥でにっこりと笑う気配を放つ。
「よし、理解した!」
「おお! そうかそうか! ならば話は早い。この【無敵化】を解いて……」
「修業は終わり、その成果を今ここで見せるのだな! ああー、興奮してゾクゾクする! は、は、ハハハ、たまらないな、この空気は!」
イッラア!
神の立ち振る舞いとしていかがなものかと思うが、あからさまにアリライ神は不機嫌となった。
この手だけは使いたくなかった。嫌な気分になるし、永遠ともいえる生命体である以上、長いこと苦しめられるしイライラするに違いない。
だが、そんなことはもう言っていられない。いい加減この殺風景な真っ白い部屋から外に出たかった。太陽が恋しかった。ならばもう迷いはしない。
「よし……カルティナよ、今こそ本気の力を見せてもらおう」
「おお!」
「その【無敵化】の能力はもはや邪魔だ。重い鎧を脱ぎ、足枷を解き、己自身の力で我に挑むがよい!」
「おお――っ!!」
熱い展開に、わっとカルティナは歓声を上げて両手でバンザイした。
カツン、カツン、と石階段で足音が響く。
もうひとつ、ゴリゴリとなにか硬いものを引きずる音も周囲に流れる。
神徒であるエグリニィが生んだ迷宮はどこまで広がっているのだろう。
そこに魔装カルティナの襟首を掴み、迷宮を進んでゆく男神の姿があった。
「ハア、長い時間を費やした。やつれる思いだよ、まったく」
そうボヤき、何度目か分からないため息をまた吐く。
神は偉大であり、あのような戦いをしても肉体的な疲れは生じない。しかし結局のところ口先で女を騙して【無敵化】を解かせるなどという終止符の打ちかたに納得がいかないようだ。
「殺してもまた戻ってくるだろうし、こうして意識を封じて連れ回さねばならんとは……。灼熱の力で迷宮を進むこともできぬ。まったく、とんでもない足枷だ。あの小さな神徒がこれ以上、迷宮階層を広げていないことを祈るばかりだよ」
神が祈るとはこれいかに。
ただ、彼は決して偶像的な存在ではなく、考えたり悩んだり、たまに怒ったりもする。こうしてある程度の矛盾が生じるのは仕方ない。
「しかしなぜこの女は、無尽蔵に戦い続けていられたのだ。精神よりも先に肉体が悲鳴を上げておかしくないはず……ふむ?」
彼はとあることに気づき、振り返る。
久方ぶりに素顔を見せるカルティナは、汗でぐっしょり濡れていた。あれだけ長時間の戦闘をしたぶん濃い体臭が漂っているが、神はさほども気にしない。
それよりも気になるのは、鎧と半ば同化しつつある点だ。失礼と声をかけて、ぬるりと汗だくの素肌に手を差し入れる。
「ふむ、ふむ、同族を吸収する力があったのか。古代兵器の魔装だけでなく、夜の時代から生き続けたカリュブデスの力も取り込んでいる。なるほど、どうりで」
無尽蔵な体力もこれで納得がいった。
戦闘以外では大して能のない女だ。本人に聞いたところで頭に疑問符を浮かべそうだが、本能的に力を行使できるというのは様々な利点がある。男神に悟らせなかったのもそのひとつだ。
「となると内部的にも【無敵化】の力を帯びつつあったのか。厄介な娘だ。あの女神は厄介な神徒ばかりを手にしている。だが、もうこれで手札は尽きたことだろう」
神は偉大な存在だ。
地の果てまで見通す力があり、やろうと思えば過去と未来でさえも知ることができる。
シャーリーに関しては以前から目を向けていたので、この場に呼び出せる者がもういないことも分かっている。あとは最下層まで足を運ぶだけで、きっとすべて終わるはずだ。間違いなく。
うむ、とうなずいてアリライ国神はまた歩き始めた。
まったくの同時刻に、魔導竜がにっこりと機嫌良さそうに笑っていたことなど彼はもちろん知らない。




