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第319話 リズムに乗って、エルフさん♪

 ずんちゃっ、ずんずんちゃっ。

 僕らの部屋に、そんなリズムが軽快に響く。


 テンポが良くて、思わず身体を動かしたくなるような響きではあるけれど、それを聞く二人……いや、一人と一匹は、互いに顔を見合わせる。どこか頭の上にハテナの記号が浮かんでいそうな表情で。


 冷たい空気が入ってこないよう、ぴしゃりと窓を閉ざしてはいるものの、今年の冬は上着いらずで過ごせるほど温かい。

 それは火とかげと呼ばれる神秘的な精霊のおかげなのだが、彼はすぐそこの暖炉でいびきをかいて眠りこけていた。


 うん、お腹丸出しの様子がおっさん臭くて、あまり神秘的に見えないかもしれない。


 エルフ族、火とかげ、獣人族のミュイ、おまけにベッドで大あくびをしているのは魔導竜ウリドラの使い魔だ。


 異世界の者たちがごくごく普通に集い、こうして遊んでいるのはおかしな光景だろうけど、半ば日常と化しているので僕はあまり気にしない。

 それに来訪者である彼女たちにとっては、先ほどから流れ続けている音楽のほうがずっと気になることに違いない。


 テレビ画面には「ボタンを押してね」という文字が明滅しており、緑色の髪を生やしたキャラクターが音楽に合わせて身体を揺らしている。じっと見つめてくるその表情は、はやく彼女たちに遊んで欲しそうだ。


 しかし、遊びかたが分からなくては遊びようがないだろう。そう思い、僕はアドバイスすることにした。


「マリー、このゲームはね……」

「助言はいらないわ。私はこの世界のゲームというものをよくわかっているの。薫子さんにも才能があるって褒められたのよ」


 あれっ、両手で「ノー」と言わんばかりのポーズをされてしまったぞ。


 以前、薫子さんとゲームをして遊んだと聞いているが、今回の内容とまったく異なる内容だろう。そのためアドバイスをしようと考えたのだけれど、うさぎさんの柄が入った愛らしいパジャマ姿でマリーは振り返ってきた。


「この世界に来て、私はたくさんのことを学んだわ。そのなかで最も大事で、絶対に守らなければならない教えはなんだと思う?」

「え、大事な教え? うーん、なんだろう」


 この国で守るべきものはたくさんあるけれど、そのなかで「最も大事な教え」を問われたら答えるのは難しい。


 彼女はこの世界に訪れて、まだ一年も経っていない。しかし精霊術や魔術、果ては世界のことわりにまで精通しており、僕よりもずっと聡明だ。となると僕ら現代人では気づけない、とてもとても大事なことを知ったのかもしれない。


 腰に手をやり、にこりと少女は笑う。そんなことも分からないのかしら、と言わんばかりの表情で。


「ネタバレ厳禁! エルフ族から楽しみを奪うだなんて、決して許せないことだと覚えておきなさい」


 えぇ……?

 ずるっと転んでしまいそうになったよ。


「あら、なにかしらその不思議そうな顔は。あなただって遺跡の奥に眠っている財宝とかをぜんぶ説明されたら嫌でしょう? がっかりしない?」

「ん? う、うん。それは確かに嫌だけど、僕はネタバレしたかったわけじゃ……」


 そう言いかけたときに、クイと後ろから袖を引かれる。振り返るとそこには薫子さんがおり、メガネの向こうから笑いかけてきた。


「まあまあ、北瀬さん。ここはマリーちゃんたちに任せてみましょう」


 大人っぽいというよりは、楽しみで仕方ないという笑みだ。

 そして彼女のすぐ隣に腰かけて、出前のチラシを眺めていた男性はというと、僕と同じように「大丈夫なのか?」という心配そうな表情を浮かべていた。


 薫子さん、そして旦那である徹さんは、僕らの秘密を知っている。それは眠りにつくと幻想的な世界へ遊びに行けるということ、そしてパジャマ姿のマリーが実はエルフ族であることをだ。


 だから当然のようにマリーの長耳は露わにされているし、警戒するどころか薄紫色の瞳をじーっとゲーム画面に向けている。

 伸び伸びと過ごすことを好む女性なのだから、こうして隠さずに済んで助かるところもありそうだ。


 ふむ、と僕は唸る。まったく知らないゲームをやらせて大丈夫かなと心配するけれど、この道では薫子さんのほうがずっと上だ。


 おまけにエルフ族から楽しみを奪うのは大罪に当たるらしい。ならばここは大人しく見守ることにしよう。


「じゃあ、がんばってマリー。僕も応援しているよ」

「任せて頂戴。それに今日の私は一人じゃないわ。一緒に攻略する仲間もいるのよ」

「ふぁっ? まっ、待ってくだサイ! このつるつる滑るやつは何デスカ? なんで持ってないといけないんデスカ?」


 ああ、手首につけるリモコンの紐がこんがらがっちゃって。

 どうやら彼のほうには手助けが必要らしい。おいでおいでと泣きそうなミュイを呼び寄せることにした。


「カズヒホ様ぁ~~……!」

「ごめんね、急にゲームをさせることになっちゃって。実は僕もこの手のものをやったことがなくて、大したアドバイスはできないんだ」


 そもそも僕がゲームを初めてしたのは青森に引っ越してからで、あんまり詳しくないんだよね。そのときは今のミュイみたいに目を回したっけ。


 だから笑ったりしないし、がんばってという意味で頭を撫でる。ぐりぐり撫でるあいだ、ミュイは線になるまで目をつぶっていた。


「ン、よく分からないデスが、とりあえずやってみマス」


 撫でたことで少しだけ機嫌を良くしたのかな。クルルと喉の奥を鳴らしてから彼は起き上がる。そしてコントローラーをどうにか両手で持ち、マリーのすぐ隣にトコトコ歩いていった。


 いや、でも変な感じだね。見慣れたフローリングの上を獣人の子が二本足で歩いているだなんて。その愛らしい姿には、テーブル席の一条夫妻もほんわかとした表情を浮かべていた。


 ちょっと前は考えもしなかった。僕の部屋にたくさんの不可思議な人たちが集い、最新ゲームをするだなんて。

 そして冬らしい弱々しい陽光を浴びる少女と、そう遠くないうちに婚姻を結ぶことになるとは。


「いらっしゃい。一緒にがんばりましょう、ミュイちゃん」

「ハイ!」


 まだ言葉が通じないミュイだけど、両手でガッツポーズをして見せられたら猫族だろうがオーストラリア人だろうが意図は伝わる。

 思わずという感じでうなずいたミュイを見つめて、マリーは「私と一緒だから大丈夫よ」と言い、お姉さんぶっていた。


 さあ、コントローラーを握ったのならミュージックスタートだ。


 現代風というのかな。寝そべっていた火とかげが、ちらりと見つめてくるくらい陽気で明るい音楽が響き始める。


 思わず身体を動かしたくなるリズムであり、そんな音楽を聞いたミュイは、ぱたたと三角形の耳の先を振っていた。


 リズムゲームというのは割と昔からある。

 

 言うまでもなく音楽とは万国共通の文化で、僕らが生まれるずっとずっと前、それこそ人類の起源から続いているだろう。


 言葉が通じずとも感じ取れる文化ではあるけれど、しかし二人はきっと驚いたはずだ。

 何気なく振った手が、まるで太鼓を叩いたように振動して、ぽこんと良い音を立てたことに。


「わっ! びっくりした!」


 思わずという風に薄紫色の瞳が見開かれる。

 そんな様子を見つめるミュイも習うように右手を振り、その手に伝わる振動と音にびっくりする。


 僕だって驚くよ。幻想世界から訪れた二人が、説明書も見ずに早くも遊びかたを覚え始めたことに。


 こういうときに、最近のゲームは侮れないなと思うよ。音楽という誰にでも通じる文化、そして手足を動かすだけのアクションで正解か不正解かを教えてくれるんだ。そうなると先ほどまで心配していた僕を嘲笑うほどの上達速度だった。


 しかし、ゲームというのは、そう簡単に攻略できない面もある。連打を求められて、これまで順調だった二人をあっという間にパニックに陥らせる。


「きゃあああ! ミュイちゃん、がんばって!」

「ぬっ、ぬあーーっ!」


 その悲鳴に、ついつい僕らは笑ってしまった。

 いや、ごめんごめん。短い手足を振り回すミュイがあまりにも可愛らしくてさ。


 とんとことん、とんつくとん。


 最新ゲームでありながら、そんな原始的でどこか懐かしい音色が鳴り響く。思わず僕らまで身体が動いてしまいそうだし、ステージクリアと同時に輝かしい笑顔で振り返るマリーを見るとね、ついつい頬が緩んでしまうんだ。


「見て見て、クリアですって! 初めてなのにすごいでしょう!」

「カズヒホ様っ! ボクはやりましたよー!」


 ゲームの影響があったらしく小躍りしそうな歩調で駆け寄ってこられると、僕はさらに困ってしまう。愛らしい顔が左右に並び、いかにすごいのかをアップで自慢してくるんだ。こんなの顔が緩むに決まっているじゃない!


「うん、見ていたよ。おめでとう」


 なんとかそう言い、二人の頭をぐりぐりと撫でる。一条夫妻が見ているけれど誉めてあげたくなったのだから仕方ない。

 二人は目を線になるまで細めて、くふふと含み笑いした。


「まったく、困ってしまうわね。私たちにゲームのセンスがあり過ぎて」

「いや、本当に覚えが早くて驚いたよ。マリーはなんでもできてしまうんだね」


 ついつい甘やかしてしまうのは僕の癖だけど、えへんと得意そうに胸を逸らす様子が可愛らしくてね。この表情見たさについた癖かもしれない。


 などと思っていると少女の手がこちらに伸びてくる。コントローラーを片手に、やや挑戦的な笑みが向けられたのはなぜだろう。


「さて、次はあなたの番ね。私と違って音楽が得意じゃないのは知っているけれど、情けない姿を見ても笑いはしないわ。安心して」


 うーん、そのセリフはニヤニヤしながら言うことじゃないなあ。

 断りたい気持ちでいっぱいだったけど、最初に誘ったのは僕だ。ならば責任を取ろうと思い、彼女からコントローラーを受け取った。


「分かった。じゃあ、絶対に笑わないでね」

「もちろんよ。そんなひどいことを私は決してしないわ」


 そう胸に手を当てて言う様子は、彼女の誠実さが見て取れる。言質も取った。決して笑われるはずはなかったのだが、僕が必死になって太鼓を叩いているあいだ、困ったことに彼女はずっと笑い転げていた。


「……笑わないって言ったのに」

「あら、私のせいじゃないわよ。失敗ばかりして笑わせようとするあなたが悪いの。さあ、ぶつぶつ言わないで手を動かしましょう。ワンツー、ワンツー」


 手拍子をしてくれるのはありがたいけど、画面にはたくさんのバツマークがこれでもかと並ぶ。

 もはや太鼓の音よりもブブーッという失敗したときの音を演奏しているかのようだ。


 えぇ? さすがに難し過ぎじゃない?

 そう思いつつ振り返ると、困ったことに僕の悲しい顔つきが少女のツボに入ってしまったらしい。かはっと盛大に吹き出して、そのままベッドに転がってしまった。


「あっははは! お腹痛い、お腹痛い! 信じられないわ。どうしてそんなに下手なの。私はね、あなたが傷つかないよう、ちゃんとフォローしようと考えていたのよ。それなのに、なんてひどいのかしら。こんなの笑わずにいられないわ」


 ひ、ひどい言われようだ……。

 見ればミュイまで床を転げ回っているし、おまけに一条夫妻は吹き出さないよう必死にこらえている。


 おかしいな、僕は夢の世界でなら一定のリズムで戦うことを得意としているはずなのに。

 しかし画面にはバツマークがこれでもかと残酷なほど並び、僕を悲しい思いにさせる。


 ほとほと困り果てていたとき、すぐ近くに薫子さんがやってきた。

 笑いを懸命にこらえたせいで溜まった涙を指で拭い、とても珍しいことに眼鏡のない素顔が露わになる。彼女は同年代のはずだけど、こうして見るとだいぶ年若く見えた。


 そして、ほっそりとした指先を僕の手元に向けてくる。


「北瀬さん、コントローラーが逆です。右と左が反対になっていますよ」


 その指摘にびっくりしたよ。そして同時に悲しくなった。つい先ほど、マリーたちにレクチャーしようとしていたのに、まさか僕のほうが基本を分かっていなかっただなんて。


 もちろんそんな好機を見逃すようなマリアーベルではない。あらあら大変そうね、という感じの表情で、耳元の長く美しい髪を指先でいじる。僕の失態を追求するような状況でなければ、綺麗な所作だなと思ったことだろう。


「カズヒホには私がちゃんと基礎を教えてあげるべきだったようね。ごめんなさい、気が利かなくって」


 なぜかすっごい嬉しそうな顔でそう言い、少女の紫水晶アメシストに似た瞳がきらきらに輝く。普段であればその幻想的な美しさに目がくらんでいたところだが、今回に限っては悲しい思いが強まった。


 その後、悲しみを打ち払うべくパーフェクトな点数をたたき出したのは言うまでもない。


 ムキになるだなんて大人としてどうかと思うけれど、あまり細かいことを気にしてはいけないんだよ。娯楽というのは全力を出してこそ楽しめるのだからね。



     §



 白い円盤がゆっくりと近づいてくる。

 あいだを仕切っているネットをくぐると僕らの陣地となり、その円盤に触れることが許される。

 そこへ狙いすましたようにマリーの操るマレット、あるいはマッシャーと呼ばれる器具が矛先を向けた。


 しかし円盤も器具も丸い形状をしているため、狙い通りに飛ばすことは難しい。カコンと良い音を響かせて、円盤は明後日の方向に飛んでしまった。


 真横の壁に当たり、またその反対の壁に当たり、という風に僕らの目は右へ左へとせわしなく動く。


「このっ! このっ! このっ!」


 知的な精霊魔術師らしからぬ声を漏らしてマリアーベルは器具を振るが、わざとかなと思えるくらい空振りを繰り返す。


 私生活でもギャンブルでも、ムキになればなるほど悪い方向へと傾くものだ。結果として手を戻すときに円盤が当たってしまい、僕らの守るべきゴールへと一直線に迫った。


 部屋にはエルフ族の「あーっ!」という悲痛な声が響く。

 だけどまあ、こういう反射神経を競うゲームは僕のお得意な分野なのだから、焦らず騒がず、器具を動かしてカコンと打ち返す。


「一廣さん、ナイス……うあっ!」


 エアホッケーは奥深い。またもマリーに打ち返されて、再びゴールに向かってくる円盤に僕は冷や汗をかく。どうやら同じ陣地に立っていても、仲間だと信じていてはいけないらしい。


 カコッ! カココッ! カコン!


 なぜかマリーとのデッドヒートを繰り返したあと、ようやく円盤は包囲網を振り切り、薫子さん、そして徹さんの器具をすり抜けて敵陣のゴールに突き刺さった。


「やったーー!」


 可愛らしいおへそが見えてしまいそうなほどのジャンプを見たら、つい先ほどの妨害プレイまがいのことなど忘れてしまうよね。

 ぴょんぴょんと繰り返し飛び、振り向いて見せた表情の輝かしさときたら……いけない、ついつい頬が緩んでしまう。


 一方で一条夫妻はというと、マリーの笑顔とは真逆の表情を浮かべていた。


「くーっ! 北瀬君の鉄壁プレイが実にまずい! ぜんぜん入らないね、これ!」

「さすがは夢の世界で鍛えているだけありますね! しかしまだ点差は……絶望的ですし、反撃の方法は……思いつきませんが、とにかく次の一点を取ったほうが優勝です!」


 あれれ、薫子さんも意外と勝負で熱くなるタイプなのかな。奇遇だね。うちのエルフさんも相当な負けず嫌いなんだ。


「ふふん、まだ懲りないのかしら。こういうシンプルな反射神経を競うゲームでこそ、私たちみたいに冒険で鍛えた人が強いのよ」


 そうマリーは胸を反らして言い、お嬢様のように「おほほ」と笑って挑発する。うん、僕にとって最大のライバルは、狙い澄ましたように円盤を打ち返してくるマリーなんだけどね。なぜか動きがぜんぜん読めないし。


 などと思いつつ、僕は円盤をカコンと打ち返す。


 最新ゲームで遊びませんかという提案を薫子さんから聞き、まず最初に身構えた。美しいグラフィックを楽しめるぶん、すごく難しかったり、操作に慣れまでに時間がかかったりするだろうと思ったからだ。


 しかし、エルフ族や猫族まであっという間に覚えた通り、それは単なる杞憂に過ぎなかった。

 体感的で覚えやすく、また説明書を読む必要がないくらいシステム側が丁寧に説明してくれるからだ。


 エアホッケーに至っては説明さえ不要なほどシンプルなゲームだ。そして、僕の打ち返した円盤を、まるで先読みしたようにマリーの器具が進路妨害すると……シンプルなはずのゲームが、舌を巻くほどの激ムズ難度に跳ね上がる。


 カコッ! カコココッ!


 秒も経たずに跳ね返されてくる円盤は、恐らく多くの者が対処できない。しかし、このような難度であれば、技能スキルを使うまでもない。


 もちろんこの世界で技能スキルは一切使えないけれど、超反射神経的な感覚であれば共有できる。できるはずだ。がんばれ、僕!


 彼女が「わっ、わわわっ!」と悲鳴を上げている通り、敵意などもちろん抱いていない。むしろその逆で、完璧な勝利を望んでいる……んだよね? 僕を倒そうとしていないよね?


 そんな状況を見て、ぱちくりとまばたきをするのは薫子さんだ。


「えーっと、円盤がぜんぜんこっちに来ないのですが」

「これはもう私たちの知っているエアホッケーじゃないなぁ」


 そんな茶々を入れていては、突如として軌道を変えて、迫り来る円盤に夫妻が対処などできるはずもない。稲妻のように角度を変えて、ガコンッと心地よいくらいのゴール音が響いた。


「きゃあっ、やったーー!!」


 ふうと息を吐く暇もなくマリアーベルが視界いっぱいに笑いかけてきて、それがまた呼吸が止まるかと思うほど可愛らしいものだから……最高かもしれない、エアホッケーって……などと先ほどの慌ただしいプレイのことなどすっかり忘れてしまう僕だった。


 そのとき、ベッドの上から見守っていた猫二匹、ではなくて猫と獣人が玄関のほうに目を向ける。ひと呼吸の間を空けて、ピンポンという音が僕らの部屋に響いた。


 ずり落ちたメガネを元に戻して、薫子さんは壁掛け時計に目を向ける。


「あら、ちょうどいい時間ですね。では徹さん、私たち敗者は、いさぎよくお食事の準備をしましょう」

「だね。とはいえ北瀬君……とマリーちゃんには敵いっこなかったと思うけど」


 少しばかり気をつかい、少女の名を口にしながら徹さんも戸口へと向かう。そしてドアを開けると、ヘルメット姿で黒いお盆を手にする男性が立っていた。



     §



 コオ……!


 凍てつくような冷気が吹きすさぶ。

 魔女がいるこの地には、他国と比べて生物が極端に少ない。もしも個体数を数える機会があれば、ほぼ皆無という結論になるだろう。


 その理由は、夜を迎えると共に凍てつくからだ。

 普通の寒さではない。

 風が、大気が凍りつく。息をすることさえ難しく、もはや自然的な生物では生き残れない。


 ここ迷宮の奥深くも同様だ。

 真っ白い砂のようにダイヤモンドダストが床を流れてゆき、しかし椅子らしきものに腰掛ける黒髪の女性はごく平然と構えている。


温まれ(ムーア)


 そうつぶやくと、手にしていたカップから湯気が立つ。

 あれは竜語だ。古からあり、魔術の原初とされている。


 単語には意味があり、正しく扱えば力となる。だからこそ凍りついていたものが溶けて、手にしたカップから湯気が立ち、美しい唇でそれをすする。

 ほう、と息を吐く仕草は、まるでエルフ族たちとリビングでくつろいでいるかのようだ。


 自然的な生き物に、この寒さは耐えられない。

 しかし彼女のような存在であれば、大した苦にはならないだろう。


 つい、と女性が瞳を横に向ける。

 黒曜石のような瞳が見つめる先には、凍りついたように動かない鎧姿の男がいる。


 そのさらに向こう、人工的な建造物を女はまじまじと見つめる。そしてこうつぶやいた。


「ふ、ふ、早々に主が動きおったか」


 不思議と彼女の声は、この強風でも消え去ることはない。誰の耳にも届くだろうと感じるのはなぜなのか。


「確かに気になるじゃろう。そこの者たちは、誰もが恐怖する場所であろうとも、意気揚々と、それこそピクニック気分で過ごす」


 そう愛弟子を自慢するような口調で言い、紅のついた唇でにんまりと笑う。

 誰もが美しいと思える表情だったが、氷像のように白く染まった鎧の男はなにも反応しない。


 ただ、金属製の覆いの隙間からは青白い光線が伸びている。向かう先には彼らの宿泊施設があり、周囲を調べているような気配があった。


「……放っておいていいのか? 貴女の愛する子供たちが襲われるのでは?」

「阿呆、あれを人さらいと一緒にするでない」


 そう言い、カップをまた傾ける。美しい喉元を見せつけるような仕草で、魔導竜は甘い飲みものをひとくち味わった。


 まったくの同時刻、猫でさえも見通せない暗闇のなかで、きょろりと目玉が動く。

 人に似ているが、まったく異なる存在だろう。身体が小さくて頭が大きい。まるで子供たちを道に迷わせる妖精のようだった。


 それが二体、三体と現れて、各々が誰もいない小部屋に目を配る。

 そして彼らの中央に立つのは、純白のドレスを着た女性だった。


 同色の仮面で目元を覆っているため表情は分からない。周囲の彼らを一瞥するや、白く染まった唇がやや不機嫌そうに動く。


「竜が見ている。あの忌まわしい魔女が砂国の厄災を招き入れたか」


 それを聞き、周囲の者の幾人かが口をモゴモゴと動かす。それはまったくの無音であり、誰の耳にも届かないであろう声だったが、女は魔導竜のいる方角をじっと見つめながらうなずく。


「災禍の地で、妾とは異なる形で現人神あらびとがみが生まれたと聞く。ふむ、あの竜であれば真相を知っているやもしれぬ」


 そして、ゆっくりと仮面の奥にある瞳が動く。

 向けられた先は、誰もいない空っぽのベッドだった。


 それと同時刻、名もなき国で、くしゅんとくしゃみをする女性がいたらしい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございました、毎週 チェックしておりました 負担の掛からない程度に更新して頂けましたら幸いです 毎週楽しみに更新されることを待っている読者より。
[良い点] お待ちしておりました。 [気になる点] >あらびとがみが生まれたと聞く。 現人神……尊い貴い、とうと過ぎる。 ハレルヤ!!
[良い点] 続きが気になります。
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