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第314話 かつての男

 ふわりと極彩色のアゲハ蝶が舞う。

 数匹なら喜んだかもしれない。美しい模様を描いているし色も綺麗だ。


 しかしそれが辺り一帯を埋め尽くす量であり、ざざ、ざざ、と羽ばたきの音を響かせていれば「気持ち悪い」という考えに変わる。先ほどまでいた2体の魔物もこれにまぎれて見えなくなった。


 いまだにどのような術なのか正体が知れない。

 頭まですっぽりと黒色の鎧を身に包んでいるザリーシュは、しばし周囲を観察したあとに「領域封殺」とつぶやく。


 ドシッと青白い光が彼を中心に広がって、それに触れたアゲハ蝶は音も立てずに消滅する。

 これにはエネルギーを相殺する効果がある。塵も残さずに消えたとなると、生き物ではなく魔術などといった類のものだと分かった。


 大盾を持ち上げて、凍りついた地面をドンと打つ。すると周囲を包んで筒んでいた青白い光はすぐに消え去り、ザリーシュはこう言う。


「お前たちが眠り姫とやらの番人か? まあいい、相手をしよう。せっかくの遭遇エンカウントだからな」


 不敵に笑い、剣を振るうや刀身がブレて消える。ばしゃあと足元の氷が一瞬で砕け散ったのは衝撃を吸収しきれなかったせいであり、音速を超えた剣で無数のアゲハ蝶を破砕して見せた。


 まずは先ほどまで女術士がいた前方の群れを狙ったのだが、再び開けた視界にその姿はない。面妖なといまいましく思いつつ、すぐさまザリーシュは兜を脱ぐことにした。


 これまで彼は得体のしれない相手を苦手としていた。

 敵の技能を調べ尽くして、安全圏を確保してからようやく剣を抜くようにしていた。


 なぜかというと、畏れていたのだ。

 無敵と思える剣術をもちいても、決して倒せない相手は実在する。ウリドラなど超高レベルな者、あるいは実体の存在しない者などなど。ガストンの爺相手にも勝算は半分程度しかない。


(最近はなにかと臆病になったものだ)


 そう自嘲しつつ、露わになった鼻でクンと匂いを嗅ぐ。クンクンと尚も嗅ぎ、これまでの彼になかった第六感的な感覚に頼りだす。


 ザリーシュは、いくつかの強力な技能スキルを保有している。


 ・音速以上の攻撃「幽体なる光りし剣」

 ・音速以下への自動迎撃「静寂を求めし盾」

 ・周囲への完全防御障壁「領域封殺」


 強力な技能は他にもあったが、少年に敗れたときに消失した。

 そして古代迷宮を攻略するうち身につけた技能として「金眼の狩人」というものがある。これがなにかというと……。


 ギャッ、ギギンッ! と唐突に金属音が鳴った。

 まったくの無音であり気配がなかったもののザリーシュは敵を迎撃したらしく、背後から近づこうとしていた男の目を見開かせる。


 ジュピターと呼ばれた男は、しばらく見ないうちに形を変えつつあった。後方に悪魔が立っているように翼をもち、ゆらりと揺れる尻尾も見える。鋭利に伸ばした爪を数本ほど砕かれており、無機質な声でぼそりと言う。


「意外とやる。ナズ、さっさとこいつから奪え」

「あン、こういうのはゆっくりがいいの。ゆっくり時間をかけて、私のものに変える瞬間を楽しむのよ」


 甘えたような声が聞こえるけれど女の姿は見えない。

 さて、奪うとはどのような意味だろうか。

 やはり恐ろしい。このように得体のしれない者を相手にするのは、やはり怖いことだなとザリーシュは思う。


 それと同時にふつふつと沸きあがるものもあった。

 死んでたまるかという思い、そして戦いというものを純粋に楽しもうという意欲だ。

 もうひとつ、心の奥底から感情が湧き上がってくる。暗く、醜く、怒りに任せた感情であったのだが、ザリーシュはそれを無視した。


「そら、追い立てるぞ獣ども」


 ヂャキッと鍔の音を立てて、側面に向けて駆けだす。

 するとアゲハ蝶の群れは唐突に動きを変えて、とある一匹を守るように羽ばたく。


 いくら逃げようと狩人の嗅覚からは逃れられない。

 再び剣を振るうと無数の蝶が砕け散り、ほぼ同時に後方からジュピターが迫る。


 自動迎撃はここでも有効だ。彼を傷つけるには音速以上の攻撃が求められるというでたらめさであり、無事であった爪を弾かれた魔物は「ぬう」と唸る。とん、と後方に向けてザリーシュが動くと男の顔をさらに歪ませた。


 ――ガギッギギギギギッ!!


 背中を見せたまま猛烈な斬撃を浴びせられて、ジュピターの身体中から破片が舞う。魔化した肉片であり、刻一刻と削られてゆく生命力に焦りつつ、後方にあった悪魔の翼ですっぽりと身を覆う。

 だがその隙間を縫い、ガスンと手首の半ばまで黒薔薇の模様を刻んだ剣が斬った。


「速いッ! ナズ、いいかげんにしろ!」


 そう言う間にも、ドッドッドッと魔物の胸に剣が突き刺さる。


 蝶の本体を狙われていると悟り、そうはさせじと動いたものの実はザリーシュの誘いであった。無尽蔵に近しい生命力を持ち合わせていても、これは良くない。とても嫌な流れだと魔物は考えた。


「あら、男の人の焦った顔って素敵♡」


 みしぃっと額を鳴らす魔物の様子に、ザリーシュは構うことなく首の両断を狙う。しかし剣筋の先に舞い現れたのは一匹のアゲハ蝶であり……ガギンッと無数の火花を散らしつつ弾かれたことに驚く。


 その隙にジュピターは後方に下がり、安堵の息を吐く。


「奪えたようだな」

「ええ、もう彼は無力。可愛いわ。ぜんぜん分かっていなくって」


 ちゅっ、と女は唇を鳴らす。

 相も変わらず姿は見えなかったが、ザリーシュの鼻はどこにいるのかをすでに捉えている。

 なます斬りにすべく剣を振るうが、やはりというべきか彼の予測通りに弾かれる。ギャギャンッという音と共に剣筋を乱されて「チッ!」と鋭く舌打ちをした。


 命中するたびに火力の上がる「残虐の王」をレベルダウンによって消失したことが悔やまれる。あれさえあれば打てる手があったというのに。


「領域封殺!」


 すかさず技能スキルで安全域を確保する。

 ドシッと青白い光を広げると……今度の効きは恐ろしく悪い。半分程度のアゲハ蝶しか消失できず、ふと気づくと己の薬指にそれがとまっていた。


「…………ッ!」


 ぞわあと総毛だつ。嫌な感じがしたし、振り払いたかったのだが目前にジュピターが迫っている。あいつの肩には複数のアゲハ蝶がとまっており、女が力を与えているのだと理解した。

 安全領域さえも無くなったと悟った瞬間、剣を振るったその瞬間、絶対的であるはずの音速を超える剣が乱れた。


 なぜ剣が乱れるのか。

 ぼろっと落ちてゆく彼の薬指のせいだった。

 そして視界いっぱいに鋭利な爪が迫る。


 ――ガツッ!


 兜を脱いでいたことが災いして、右側の顔に激痛が走る。視界はすさまじく変化をして、いまどんな体勢をしているのかさえ分からなくなった。


 どうにか転ばずに地面をずざあと滑り、そしてザリーシュは悟る。

 無数のアゲハ蝶には「分析」そして「対策」の効果があったのだということを。


 これだけの短時間で成せるということは、技能スキルの行使に全力を注いでいるに違いない。つまり、出し惜しみせず最初に「領域封殺」で本体を狙えば、まったく異なる状況になっていただろう。


 絶えず女が挑発をしていたのは警戒を誘う意味があった。

 ジュピターが襲いかかるのは、彼に意識を向けさせる意味があった。


 戦いが嫌な方向に向かっていることを悟り、また目前の光景を見てザリーシュはぐらりと身体が傾げるほどのショックを受けた。


「ああ、綺麗な右目だ。宝石のような青色で、これまで無敵の強さを誇っていた右目だ」

「うっとりするくらい綺麗な薬指。氷漬けにして、いつまでも大事に保管してあげたいわ」


 ジュピター、そしてアゲハ蝶から真っ白い裸体に戻った女が拾い上げたものをザリーシュは凝視する。


「き、貴様ああーーッ!」


 奪い取られたザリーシュは激高する。

 ただし、己を傷つけたことへの怒りではない。正確には、薬指から外れてキインと硬質な音を立てたものを見ての発言だったのだ。


 それは黄金色の指輪であり、強力な術が込められた品でもある。ダークエルフの想いを具現化したものであり、己を縛り、律し、彼女の願い通りの姿にするものだった。


 なにかしらコレと魔物の女が不思議そうな顔を浮かべた瞬間、ズズと暗いものがザリーシュの身体から浮き上がる。


 女はまたも不思議そうな表情をした。

 それは左手を持ち上げるザリーシュの姿であり、その小指がゆっくりと立てられてゆくという変わった仕草を見てのものだ。


「なにを…………はぐッ!!」


 ぎしっと身体がこわばる。

 宙に縫いつけられたように身体が動かず、肺のなかにあった酸素まで強制的に吐き出される。


 ジュピターは死期を悟ったようにバタバタともがく女に目を向けて、それから黒薔薇の騎士……いや、かつての勇者候補を睨みつけた。


「お前ッ!」


 おんっと大気を切り裂いて魔物は飛ぶ。

 片目を失って血を流す男は、ふひっといやらしい笑い声を上げてから黒剣の刀身を半ばまで消した。


「はーーっはっはっはっ! 一瞬でもこの俺に勝てると思ったのか!」


 ザギギギギギギギッ!!


 まさに叩きつけてくる暴風だ。すべてが音速を超える猛烈な剣撃に押されて、ジュピターは氷壁に縫いつけられる。


「……ッ! ッ!?」


 中層を守護している徘徊型の魔物が目を剥くのは無理もない。

 先ほど見せたのは「神の小指」という技能であり「神」という文字が入っているだけに強力だ。相手の自由を奪うのみならず、強制的に動かすこともできる。

 たとえば地面に向けてガンガンと頭を叩きつけさせることも。無論、相手は受け身など一切取れない。


「嫌ッ! 嫌ッ! 嫌ッ! ジュピター、ジュピターーッ!!」


 あまりにもおぞましいその光景に魔物は目を剥いた。


「やめろ!! やめろおおおおッ!!」


 黒い血反吐を流しながらの懇願に、にたりと彼は笑う。

 絶対的に己が有利だと悟っている顔であり、また「残虐の王」によってジュピターへの攻撃力はうなぎのぼりに高まりつつある。いくら硬かろうと、このまま潰せると分かり切っていた。双方ともに。だから楽しそうに男は笑う。


「俺には美女を血まみれにする趣味はないのだがな。しかし、ときと場合によるだろう。なにごとにも躾というものがいる。たとえ獣相手であろうとも」


 深い悲しみを感じさせる口調であったが、表情は真逆だ。破砕の音が響き続けるなか、血濡れた顔でニイと残虐な笑みを見せる。


「さて、お前たちに礼を言おう。このような形で解き放たれるとは思いもしなかった。このまま自由になるとしよう」


 己の国を持つという野望はまだ潰えていない。

 ゲドヴァー国と共に敵国アリライを灰燼に帰すというシナリオはまだ続いているのだ。


「いや、新たな国が生まれたのだったな。ならばいっそのこと……」


 そこまで考えたとき、ぴたりと彼の歩みは止まる。

 指輪をつけていたあいだの記憶はおぼろげに残っており、ふといらないことまで思い出してしまったせいだ。それがなにかというと……。


 かつん、かつん、と氷の階段を下りてくる足音が聞こえた。

 目前の魔物などよりもずっと嫌な予感がして、ザリーシュは恐る恐る振り返る。その先には、黒いブーツとドレス型の戦闘鎧を着こむ女性が見えた。


「ほう、単身で挑むとは立派じゃなあ。ザリーシュ」

「う、ウリドラ、殿……!」


 ひくっと口を引きつらせてザリーシュはうめく。

 どうする、どうする、どうするんだ。あの化け物を相手にして、名もなき国を乗っ取れるわけがないぞ。どうするんだ、俺!


 そのように混乱しきっていたものの、さりげなく黄金色の指輪を拾い上げることは忘れない。もしもこれが外れたことを知られたら、また前の状態に戻されてしまう。それだけは絶対に避けなければ!

 ごくっと喉を鳴らしてからザリーシュはどうにか口を開く。


「こ、ここは制圧した。カズヒホたちも追いついたのか?」

「うむ、じきに来る。あのエルフ族の術は強い。おぬしの殲滅速度よりも段違いにな。あまりにも退屈じゃから先の様子を見にきたが……」


 じろりと黒曜石のような瞳が横を向く。地面に這いつくばる女、そして息も絶え絶えのジュピターを眺めて「ほう」と感心の声を漏らす。


「知性のある魔物か。最北端の迷宮にはずいぶんと変わったものが住んでおる」

「確かにな。古代迷宮よりも手ごわいんじゃないか?」


 はは、と笑いながら答えたもののウリドラはにこりともしない。それがなぜか恐ろしくて、ザリーシュは手中の指輪をぎゅっと握る。

 彼の心境を知ってか知らずか、竜族の姿に扮したウリドラは白い歯を見せて笑った。


「では、共に行こうか。旅は道連れというじゃろう。みなで力を合わせて強敵に挑む。それこそが冒険の醍醐味だと聞くからな」


 ずしっと肩に手をかけられて、ザリーシュは気を失いそうになった。

 秘めごとを悟られている気がしてならないし、まったく信じられないことに焔天竜を打ちのめしたような女だ。いつ首を切り落とされるか分かったものではない。


 じゅううと黒煙を上げて蒸発してゆく魔物たちを背後に、ザリーシュはとめどなく嫌な汗を流していた。

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