第307話 しばしの別れと新たな出会い
がさりと草を鳴らした猫族は、ひどく不満そうな顔だった。雪のように真っ白く、また整った毛並みだというのに、不自然なほど目つきが悪い。まるでどこかのチンピラみたいに。
『シュシュ様、これからネネは敵に近づいて調査をいたします!』
『え、やめといたら? 人って見た目によらないし、もしかしたら今度はネネが鍋で煮られちゃうかもよ?』
『まだ残りものがあるかも……いえ、そうではなく、手がかりのひとつもないままスゴスゴと帰るなんて私のプライドが許しません。彼らの本当の目的を暴きたいのです! この舌……ではなく目で!』
とっぷりと陽が暮れたので、つい先ほどシュシュから帰還命令を受けた。しかし意外にもネネは帰還を断り、相手には見えないが首を左右にぶんぶんと振っている。
また一方、師匠であるシュシュはというと薄暗い実験室にこもっており、いくつかの試験管で素材の調査をしている。素材というのは魔物の皮膚や鉱物、そして異国の動物だったりと様々だ。
フラスコのなかにいる小人を観察して、ガラス越しにこちらの指と相手の手を合わせてから、ふーむとシュシュは唸る。
部屋のそこかしこが淡く光っており、これは魔力を含んだ苔によるものだ。もし訪れる者がいれば、魔女の支配する神秘的な工房と思うだろう。
『まさかだけど、その子たちのご飯を狙っていたりしないよね?』
『いえ、そのようなことは決して考えておりません。これっぽっちもです。私は長の血を継いでおりますし、放浪の身であっても気品を失ったりなどしませんし、多少の危険はあってもシュシュ様のお役に立てるのなら喜んでいたします』
早口でそう言う様子に魔女はくすりと笑う。
本当か嘘かは知らないがネネは猫族の長の血筋らしい。砂国において不運にも一族は滅びたが、彼らはたくましく、また有能であるため血はそうそう途絶えない。
だが滅びの道を進んでいるのも間違いないだろう。ごくたまに奴隷として見かけることはあっても繁栄を取り戻せるほどの数はいない。ならば誰にも気づかれぬままいつしかひっそりと絶滅の日を迎えてしまう。
異国から訪れた観光客らしき子供たちはというと、その希少な猫族を連れていた。彼ら同族が顔を合わせる偶然性をしばし考えて、魔女は三角帽子を揺らしながらうなずく。
『いいよ、行っておいで。ただし危険があればすぐに呼ぶこと。命令には必ず従うこと。そしてお料理の味をきちんと私に教えること。いい?』
はい、はい、と元気に返事をしていたネネは、最後の言葉を聞いて口をへの字に変えてむっすりとする。まるで信用されていないことに憤慨したようであり、水の凍りかけた河原で三角形の耳をピンと立てる。
すでに陽は落ちた。普段であれば水の音しか聞こえない真っ暗な河原なのに、今宵は精霊の力をたくさん感じる。
きっと先ほどのエルフ族によるものだろう。そう思いながら静かに立ち上がる。
魔女の一室のようにあちこちがぼんやりと輝いており、普段と異なる光景がネネの好奇心を誘う。胸が勝手にどきどきするし、たまに風に乗って運ばれる香りをピンク色の鼻でクンクンと嗅ぐ。そして小さな肺を一杯に満たしてから吐き出した。
(まったく、シュシュ様には困りものです。私が食欲などに屈するわけがないというのに。まるで食いしんぼうみたいな言われようは心外です)
などと不満を露わにしつつも駆ける足音はまったくの無音だ。毛と肉球、しなやかな足が衝撃を吸収しており小柄さもまた助長する。
適性でいうならば猫族は夜間にこそ能力を発揮する。闇を見通す目。気配を完全に消す体術と、彼女らが持って生まれたものだろう。
宝石のような目をきらりと輝かせても、子供たちや同族の姿はどこにも見えない。たき火も消しているし、先ほど建てた小屋に移って就寝するつもりだろう。
その小屋に背中をつけて、そうっと辺りに目をやる。先ほどの言動に反して口にはよだれが垂れかけていて、たぷんという音さえ発しそうだ。
しかしものの数秒後、ネネはしょんぼりと肩を落とす。ついでに尻尾の先もだらんと落とす。
(鍋、ない……)
あろうことか鍋までもが河原から消えてしまった。これには膝をかかえてうずくまってしまいそうなほど落ち込み、先ほどまでまったくの無音で潜んでいたのに「ぐすん」と鼻を鳴らす。
「余ったぶんは明日にしようか。ミュイ、お腹がすいたら食べていいからね」
「はい、分かりました。僕はこっちのカゴで寝ます」
しかし同時に小屋のなかから声がした。ぴくんと顔を上げてから、ネネは再び様子を伺う。
小さな窓の隙間から人間の匂いがするし、温かい空気も流れてくる。3人の体温というだけでなく、火とかげも手助けしているのだろう。
――がとっ!
唐突にその窓が押し開けられて、一瞬のうちにネネは動く。顔を覗かせた少年の死角でくるんと一回転をして室内に着地をして見せた。真っ白い毛をしていることから隠密に向かないと思われがちだけど、視線から外れてしまえば色のどうこうなど関係ない。
スタンという着地の音も響かせず、ネネは部屋の暗がりにもぐりこむ。
「もう、寒いわ。いつまでも窓を開けないで頂戴」
「ごめんね。だれかの視線を感じたけど気のせいだったみたい」
あの薄らぼんやりとした顔の子、意外と勘が鋭いですねと暗闇のなかで思う。しかしこの場で最も警戒をしないといけないのは、河原で様々な精霊を使役したエルフ族だ。
(ですが気配を断ち、姿を消した以上、私が見つかることは決してありません。そのあいだにゆっくりと時間をかけて調査しましょう)
ふふんと挑発的な笑みを浮かべたまさにそのとき、隙間にのそりと姿を見せる者がいた。四足の真っ黒い獣だけど身体は小さく、またほっそりとしている。ピンと立った三角形の耳はネネと同じだけど、より獣に近い感じだ。
ネネは知らないがその動物は猫と呼ばれており、尻尾をわずかに振りながら音もなく近づいてきた。間近から金色の目玉に見つめられて、しばし息を飲む。
――すんすん、すんすん。
この動物なりの挨拶かなにかだろうか。しげしげと観察するようにピンク色の鼻で匂いを嗅がれて、ネネは口をあわあわさせながらたくさんの汗を流す。どうしてすぐに見つかったのよと胸中で悲鳴を上げても、一向に離れてくれる様子はない。
きらんと目玉が輝いて、ひぅと悲鳴を漏らしかける。
しかしそれで満足したのか四足の獣は背中を向けて、温かい部屋に戻ってゆく。心臓がまだ高鳴っているし、へたりこんでしまいそうだった。
また同時刻、自室で休んでいた魔導竜ウリドラはというと、ホットワインを手にしながらくすりと笑っていた。お付きの者が怪訝な視線を向けると「旅とは実に良いものじゃな。出会いがあちこちにある」と言い、マグカップに口をつけていたという。
しかしへたりこむネネはというと、真実を知るよしもない。恐らくあの動物は知能が低く、ちょっとした好奇心で顔を近づけたに過ぎず、見つかったのは失態などではないと結論づけた。
どきどきする胸をさすることしばし、落ち着いてからようやく行動を開始する。そうっと部屋の様子をうかがい、聞き耳を立てる。
エルフ族は先ほどの声の響きの通り幼く見える。しかし肩掛けのネグリジェなどという服装には思わず「北の僻地を舐めてんの?」とツッコミをしたくなるほどで、ネネは思わず目を剥いた。
(んん、都会の子なのですかね。よく見たら小物を身に着けているし、シュシュ様と好みが合いそうです)
師匠であるシュシュは、ちょっとしたおしゃれを好む。余暇を迎えると小さな花のブローチといった小物を作る趣味があり、本人曰く「すごく楽しい」らしい。まったく理解はできないけど、苦心して作ったものでネネを飾ってくれると心があったかくなる。理由は分からない。
しばし様子をうかがっていると、やはり侵入したことに気づかれた様子はなかった。二人は就寝前のおだやかな会話を続けており、テーブルに腰かけた光精霊もうつらうつらと船を漕ぐ。
エルフの子はちょっと口うるさい性格らしく「歩いて疲れた」とか「脚を揉んで」とか、たくさん文句を言っているというのに最後には「また遊びに来てもいい」とこれまでの発言をひっくり返す。
「たくさんの虹をたまに眺めながら、私たちは温かい暖炉の前でゆっくり本を読むの。静かな場所は落ち着いて読めるねと、きっとあなたは言うでしょうね。私もそうよ。たまにうたた寝をして……」
就寝間近だったらしく、声がだんだんゆっくりになってゆく。寝息に近いリズムになり、話すのもおっくうだけど言い足りないという感じがする。名も知らぬ少年は何度も相槌を打ちながら布団を少女の胸までかけていた。
ふうん、とネネはそんな二人を眺めながら息を漏らす。
たぶん悪い人たちではない。私利私欲で遺跡を暴くようにはとても見えないし、漂う気配から恵まれた時間を過ごしていると分かった。男女の関係にはまだうといけど間違いはなさそうだ。
ただ、正直なところその件についてはどうでもいい。そんなの遠くから眺めていたときから薄々分かっていたし、それよりもと青い瞳で見つめる先には目当ての鍋があった。
からっぽか否か。それが最大の問題だ。
先ほど余り物について話しているのが聞こえたけれど、鍋のことを言っていたのかは分からない。なので早急に調べなくては。
建物にいるのはあの二人、そして足元のカゴには同じ猫族の者が丸まって眠りについている。分かります。狭いところって気持ちいいんですよねと共感してウンウン頷いた。
抜き足、差し足、忍び足。
ついにエルフの少女が瞳を閉じて、少年がその場を離れたときにネネの任務は開始された。
しかし思わぬ落とし穴があった。寝入ったとばかり思っていたエルフ族が寝ぼけまなこで手を伸ばしてきたのだ。
あっと思ったときにはもう遅い。温かくてやわらかい布団のなかにぼすんと呑み込まれて「うそぉ」と小さくつぶやいた。誰にも見つからないと豪語してからの連続的な失態によりプライドは早くもズタズタだ。
「まったくもう、こんな時間に起きていたらいけません。私が寝かしつけてあげましょう」
もしかしてカゴで寝ている奴とまちがえられているのです?
どうやらそういうことらしく、じたばた暴れても構うことなく撫でてくる。しかし驚くのはそのテクニックで、耳の裏側のかゆいところとか顎の先っぽとか絶妙なところを指でかいてくる。気づいたら前脚を揃えた姿勢で瞳を線にしており、喉だってゴロゴロ鳴っていた。
(ええー、この子、なんかすっごく手慣れているんですけどーー!)
ぱちんと青い瞳を開き、ネネはそんな悲鳴を心のなかで上げた。
特にこれがまずい。頭の上をぐりぐりするやつ。それです、それです、それがだめなんでぅぅぅーー、とまた目が線になっていてハッとした。こういうときに助けを求めるべき相手は、ネネがこの世で最も信頼している人物だろう。
『いやああ、この子は猫族をだめにするエルフ族です! シュシュ様ぁ!』
『……ん? ごめんね、意味が分からないからもう一回言ってくれる? もしかして見つかっちゃったのかなぁ』
『違います。まだ見つかってはいないのですが、つかまりました!』
『???』
えーん、悔しい。状況をまるで分かってもらえないです。おまけに喉がゴロゴロ鳴っているせいで頭がうまく回らない。至福極まりないし、もしもこれ以上されたら……敵地でおねむをしかねない。どうしようとネネはおめめをぐるぐるさせた。
「眠る前にブラッシングしてあげようかしら」
千載一遇の好機が訪れる。木櫛を取ろうとエルフ族が起き上がったので手が離れた。
きらりと目を輝かせて、すぐさま身体をごろごろさせて逃げる。ベッドの向こう側の隙間に入り込み、薄暗い場所にズザアという音も立てずに着地する。
でもまだ安心はできない。ベッドの上にはエルフ族がいるのだし、いますぐ逃げ出すしかない。
ぴっ! とネネは固まった。
ベッドの先の床には丸まった雄の猫族がおり、今度はその子と目が合ってしまったのだ。
2度あることは3度ある。大失態に大失態を重ねたネネだけど、もう頼れる相手もおらず、とにかく必死に助けを乞う。しーしーと指先を口に当てて泣きそうな顔をしたのだが、果たして通じるだろうか。
「…………」
ミュイと呼ばれていた猫族は、目だけをエルフ族のいるほうに向けて、またネネに戻す。眉間に小さな皺を浮かべる思案の表情を見せてから、にゃあんと不思議な声で鳴いた。
「あら、こっちのカゴに落ちたのかしら。ふうん、まあいいわ。眠る前にブラッシングしてあげる」
そう頭上から声が響いて、ミュイと呼ばれる猫族は彼女の手に持ちあげられてゆく。
どきんどきんと鳴る胸に手を当てて、それから大きな安堵の息をネネは吐いた。
さて、ちょうどそのころシュシュは身支度を終えていた。とはいえ先ほどの姿のまま三角帽子をかぶり、杖を持つ程度の準備だが。
ふうと蛍虫に息を吹きかけると、それを皮切りに工房の苔はだんだん光度を下げてゆく。あと数分も経てば勝手に暗くなるだろう。
「うーん、あの声の様子だと救出しに行かなくてもいい感じだけど……まあいいか。距離も近いし魔力をそんなに使わないだろうし」
いつもの落ち着いた口調でひとりごとを言いながら、魔女は虚空に手を伸ばす。腕の付け根まで一瞬で消えたのは、恐らく闇魔術の応用だろう。粒子を放つ光と異なり、闇というものは決して認識できない。ただそれは人の操る技である以上、絶対というわけではない。
ふうっと半身を消すと、同時刻にシュシュは少年たちの小屋に存在していた。分裂をしたわけではなく、1人が別の場所に存在しているのだから頭の良い学者連中を大いに悩ませる事象だろう。
昔から魔女というのは不可思議だ。あり得ないことを生業にして暮らしており、わずかにでも人と関わる。気難しい性格だからだろうと人々から言われるが、実際はそういうわけでもないらしい。
ともかくベッドの下に逃げ込んだ愛猫の様子、それからエルフ族から解放された猫族がカゴに戻り、そっと視線を合わせる二匹の様子に「やっぱりなぁ」と納得していた。
どうしたものかとしばらく考えて、今回は放っておいたほうがいいと魔女は結論づけた。罰という意味ではなく、ネネがより楽しめるほうを選んだ。
「ん?」
不意にくるんと顔を向けてきたのは少年だ。慌ててシュシュは空間を閉じる。
危ない危ない。あの子は見た目と違って目ざといなぁと先ほどの工房でつぶやいていた。
それから三角帽子を木製のハンガーにかけて、すぐ近くに杖を置き直す。いつもの温かいお茶を淹れたころには部屋はすっかり暗くなっており、しかし全てが見えているかのように魔女の歩みに淀みはない。
「変わった子もいたものだね」
そんな声が暗い廊下に響いた。




