第306話 冬のキャンプといえばこれだよね
草陰にひそみ、じいっと様子を見ているのは小さな獣人だ。
ふさふさの毛はきちんと手入れをされており、野生のものとは大きく異なる。喉元につけられた鈴も同様だがチリンという音は先ほどから一度も立てない。
(シュシュ様のご命令です。あの人間たちを監視して、怪しいことがあればすぐにご報告するのです!)
などと共通語で考えているように知性は高く、隠密の技にも優れて見える。恐らくは種族として持って生まれた能力だろう。
(この時期です。一晩過ごすこともできず、行き倒れてもおかしくはありません。だけど……)
暮れてゆく河原を見つめて、名も知らぬ獣人はゴクンと唾を飲む。
小さな男の子は毒草をうまく避けてひょいひょいと摘んでおり、手にしたカゴをいっぱいにしてゆく。
一方のエルフ族の女の子はというと、ポーポーと草笛を鳴らしながら家らしきものを造り始めている。それもしっかりと土台を水平にさせたものを。
そうこうしているあいだも岩塩をかけた魚が焼けてゆき、河原に美味しそうな香りが漂い始める。あれっ、いつの間にテーブルを? というよりも、あの鍋で料理を作る気?
(なんかキャンプ慣れし過ぎているんですけどーー!!)
などと獣人はびっくりして尻尾の毛がボワッと膨らんだ。
いやいや、待て待て。ドアの立てつけ具合を調べて「ふむふむ」とエルフ族は満足そうにしているが、あそこまで精密な精霊使役を見たことがない。
言うまでもなく精霊術は万能などではない。あれは他者の力を借りるものであり、ムラッ気が強くて満足に扱えず、そのぶんの魔力を餌として与えなければならない。なのに追加として丸っこい火とかげをぽんぽんと生んでおり、まるでこちらが精霊界に入り込んでしまったような錯覚を起こす。
「おー、寒い寒い。嫌だわ、こんな寒空の下で喜ぶなんて。あの人はやっぱり変わり者ね」
などと言いながら危険なはずの火とかげを湯たんぽのようにだっこする。そんな姿も獣人の驚きを誘ったことだろう。
まな板でザクザクと食材を切り始めている男の子は「それがキャンプの醍醐味じゃない」と苦笑していた。
いやいや、違うから。醍醐味なんかじゃないから。普通なら凍死しないように死力を尽くさないといけない場所だから。そんなツッコミを心のなかでする。本当は大きな声でわめきたいけど、ぐっと我慢をしなければ。
などと頭を抱えて苦悩しているのだが、この獣人は後ほどさらなる苦悩をする。
「寒いところであったかいものを食べる。この時点でもう美味しいと思わない?」
「……悔しいけど思うわね。それでそれで、今夜はどんなお食事にするのかしら?」
このエルフの子、文句を言いながらも割とノリノリじゃない。これじゃあとてもじゃないけど凍死しそうにないわね、などと呆れつつ獣人は視線を変える。
少し離れたところで野菜を洗っているのは、恐らく自分と同じ猫族だ。観察しながら、そっと声に出さず問いかける。
『シュシュ様、私と同じ猫族まで一緒にいますよ。砂国に生息していると聞きます。ひょっとしてザリーシュ殿と関りがあるのではないですか?』
『見張りご苦労さま、ルル。確かにザリーシュはアリライにいるけど確証はないなぁ。彼から先生の迎えをよこしたと聞いているけど、あんな子たちとはとても思えないし』
ふーむ、と互いに首をひねる。
伝説の鎧職人、ヴェイロン師がここを拠点としているのは確かだ。そして古代迷宮で発掘されるという魔石に興味を持ち、拠点の移動も視野に入れている。
しかし相手の特徴や名前を知らされておらず、おいそれとは接触できない。なので先ほどから長らく様子見をしているところだ。
『ザリーシュ殿も最近は気が抜けているというか、雰囲気が変わりましたね。以前は凶器のように恐ろしい人だと思っていましたが』
『んー、あいつになにがあったんだろね。前は女性を奴隷みたいに従わせていたのに。それとさっきの件だけど、猫族は絶滅しかけているほど希少だし、主に遠方の地で売買される。やっぱり確証には至らないなぁ』
『分かりました、もうしばらく様子を見ます』
『ごめんね、ありがとう』
お任せくださいと言い、ルルと呼ばれた猫族はまた息を潜める。
そして思うのは、やはり彼らは怪しいということだ。わざわざこんな時期に冷たい河原でキャンプをしに来る者がいるとは思えない。
(となるとやはり彼らの狙いは……)
ゆっくり後ろを振り返ると、そこには垂直に近しい山があった。
あれが遺跡だと当たりをつけて訪れる強欲な者も多い。そのたぐいの連中に違いないと思い、ルルは注意深く観察を続けた。
§
キャンプは冬の醍醐味だよね。
そんなバカなと言う人もいるけど旅慣れた僕はそう思う。シンとした静けさが増して、そのなかで摂る温かい食事は格別だ。
「あら、そんなバカなと私だって言うわよ。あなたのことだからきっと『これは大都会では決して味わえないことなんだよ』なーんて言うでしょうけど常識外れであることはきちんと理解しておくことね」
すぱっとそう否定されたけど……どうして途中で僕の声マネをしたの?
しかし常日頃から寒がりと言うだけあってエルフさんの防寒グッヅは万全だ。魔法陣のように火とかげで囲っており、膝にはあったかいミュイを抱いている。さすがはマリーだと唸らざるを得ない。
「まったく、東北で寒さに鍛えられたあなたと一緒にしては絶対にだめよ。ちゃんと私のことを大事にしてくれないと許さないわ」
そう言い、足をぶらぶらしながらわずかにむくれる。また膝で丸まっているミュイはというと、温かさのおかげでおねむらしく、こっくりこっくりうたた寝をしていた。
反省するのはまさにそこで、先ほど虹の山脈で過ごしたように僕はひとりよがりになることが多い。それは旅のあいだずっと一人で過ごしていたことが理由で、彼女と一緒にこれからたくさん学ばなければならない。
「もちろん。ずっと大事にするよ」
「そう、なら楽しみだわ。あなたとの生活って退屈しないし、気づいたらこんな山深い場所でキャンプまでしているもの」
そう言いながら立ち上がり、おねむのミュイをひざ掛けと一緒に椅子に置く。丈の長いスカートを着たエルフ族は、髪をかきあげながら近づいてきた。
辺りをきょろりと一度見て、隣にしゃがみこんだ彼女はこう囁いてくる。
「ずっと大事に、して。宝石みたいに」
そう吐息と一緒に囁かれてぞくりとした。
耳の奥にまだ彼女の息が残っている気がするし、いまのは僕でなくても全身がピキーンと固まるほどの声だ。
身動きできない理由を悟ったのか、彼女はわずかに笑みを浮かべてから冷たい耳をぱくんと食んでくる。やわらかい唇の感触に挟まれては、とてもじゃないけど振り向けない。
同時に「そうだった」と思うのは、番人たるウリドラがさっさと宝石に戻っていたことだ。ミュイまで眠りについてしまうと、まるでデートのような空気に変わってしまう。
いやでも正式に彼氏なのだし、結婚の約束もしている。ころんと肩に頭が乗ってきても、たまのデートなのだから許してもらえるか。さりげなく腰に手を回すと、耳元でくすくす笑われて……。
にぃぃうぅぅーー……。
その地の底から響くような鳴き声に、僕ら2人はドキッとする。まずい、ついに恐ろしい猛獣が目を覚ました!
「よーし、食事の時間だ! おなかが空いたよね!」
「ええ、もうぺっこぺこ! 虹の山脈が誇るお魚の味が気になって仕方ないわ!」
などと慌てて取り繕い、そっと振り返ると……、ペッと地面に唾を吐く黒猫がいた。うわぁ、なんて形相だ。魔導竜の恐ろしさを久方ぶりに感じるぞ。魚ではなく僕らが頭から食べられてしまいそうで、二人揃ってゾッとした。
しかし料理がちょうどできあがったのも本当で、岩塩をまぶした魚は美味しそうな焼き色をつけている。しゅうしゅう零れる油は多く、身が肥えているのだと知らせていた。
薄紫色の瞳をたき火で輝かせながら、隣から少女が興味津々に尋ねてくる。
「これ、どうやって食べるのかしら」
「背中を避けて、そのままがぶっと食べてごらん。今回は骨を怖がらなくていいよ」
え、でも、と戸惑う瞳を向けられる。
魚に小骨はつきものだ。生臭さと相まって、マリーの美味しいランキングには決して加われない。
だけど僕が笑顔のままでいることに気づいて、少女は大きく口を開けるとかぶりつく。
虹の山脈で獲れる魚は特別だ。
厳しい気候のため来訪者は少ないが、幸運にもそこに訪れた者はこぞってそう言う。
パリッとした皮の香ばしさをまず感じて、次に噛むだけで簡単に身がほぐれる。たくさんの塩で余分な水を抜いたぶん身は締まっており、また驚くことに小骨がない。
ふわんと香るのはやや酸味のある香草に近く、さりとて噛みしめたくなるほど旨味が濃い。
「んぅ~~~……っ!」
「言い伝えによると、ここには山の神様がいるらしい。ある日、貧しい兄妹の祈りに応えて『この土地にひとつだけ恵みを与えるならなにがよい?』と尋ねたところ、二人は『美味しい魚を食べたい』と声を揃えて答えたんだって。微笑ましいよね」
それ以来かは知らないが、つるんとした滑らかな舌触り、そして旨味を大量に含んだ脂を楽しめる。
マリーが口を押えて動けないように、鼻を抜けてゆく息さえ香ばしい。
「んはーっ! 香りがすごいわ!」
「でしょう。虹の山脈の魚は美味しいよね。コツをつかむと小骨が取り出しやすくて、その方法は漁師さんに教えてもらったんだ」
ここの魚にはなぜか腹側にも背骨があって、それを取り出すとごっそり小骨が抜けるんだ。もしかしたら美味しく食べてもらえるように、神様がちょっとしたひと手間を加えたのかもしれない。
「寒くなるほど身が肥えて、味が引き締まる。この時期にアインボルス山岳地帯に訪れて食さないのは罪に当たると僕は思う。ウリドラ、ミュイ、おいでおいで。エルフさんが太鼓判を押すくらい美味しいよ」
名を呼ぶと丸まっていたミュイは目を覚まし、2匹の猫ちゃんたちが寄ってくる。串に刺さったまま差し出すと、溢れ出る香りに瞳を輝かせていた。うん、思わずにっこりするほど可愛らしいね。
はぐはぐ美味しそうに食べるのを微笑ましく思い、それから先ほどの鍋に手を伸ばす。
「そしてこっちの鍋はうちのおじいさん直伝」
かぱりと鍋の蓋を取ると、寒空の下でたくさんの湯気が溢れてくる。もしも眼鏡をかけていたら真っ白に染まっていただろう。
くつくつ煮えるその鍋には、たくさんのお野菜があり、そして先ほど用意した魚の切り身をドサドサと投じる。肉厚に切った肝や身には照りがあり、その薄ピンク色をしたものを見て、少女は瞳を真ん丸にする。
「まさか、これは青森で食べた……!」
そう、これはアンコウ鍋だ。というのもつい最近になって沿岸地帯で見つかったらしく、アンコウとよく似たシヒゲナという魚なんだよね。
もちろんあの濃厚にして深い味わいを魔導竜様は忘れていない。お腹をはちきれそうになるまで食べていたのだし、買いつけないわけがない。だから出発前にこっそりと手渡されていたんだよね。
「と、とんでもない冬のごちそうが来てしまったわね。だけど問題は味がしっかりしているかどうか。あの濃厚な味わいが薄れていたら台無しよ。それにすべてがかかっていると知りなさい!」
えっと、どうして挑発的なんだろう。
煮込むうちにじっくりとあん肝が溶け出して、スープに恐ろしいほどのコクが生まれる。味噌と絡めたそれを白菜が吸ってゆくのだから、これで美味しくないはずがない。
それを箸などでぐるんと引っくり返して野菜と切り身を入れ替える。これは身にしっかりと火を通すためであり、待ちきれないらしく少女はすぐ近くに陣取り、手にはお椀を持っていた。
もちろんウリドラだって隣に並んでいるのだが、ミュイはというと二人のハイテンションをまったく理解できずにきょろきょろしていた。
「味噌か醤油かは意見が分かれるんだって。あっさりかこってりか、どちらが美味しいのか食べ比べないと分からないよね」
「味噌よ、味噌! ぜーーったいに味噌! 100年以上生きた私がそう断言するわ!」
「にゃうにゃうにゃーー!」
ごめんね、ウリドラは賛成か反対か分かんないや。
しかし美味しい食事というのは、実は調理のときから始まっている。見た目として楽しみ、食欲をそそるほど味覚は増す。食べたい食べたいと思うことこそ最大のスパイスだ。
「やっぱり暖を取るなら味噌がいいよね。じゃあマリー、味が本物かどうか確かめてくれる?」
はわわわ、とエルフさんが瞳を輝かせるなか、お椀にたっぷりのアンコウ鍋をよそう。海のフォアグラとさえ言われる代物だ。さすがにごくんと唾を飲みこんでいた。
「じゃ、じゃあいただくわね!」
火を通したぶん引き締まり、箸で挟んでも崩れない。湯気の漂うそれを口元にそうっと運び、よだれの溢れそうな口に放り込む。
どっと味が溢れてくる。濃厚な味わいで、これはもうあん肝の破壊力という他ない。
もちろん臭みなどなく、噛むまでもなく溶けるときに驚くほどの味わいを舌に残すのだから恐ろしい。呑み込んだ後も余韻があったらしく、少女は両目をぎゅっとつぶりながら声も出せずに身もだえる。
「ほっ、ちょっ、これ、本物! 本物です! ありがとうございました、これからずっとお世話になります!」
どうして敬語になったのかな。そう戸惑いはするけれど、寒い日は温かいものがとても美味しく感じられるからね。などと思い直しながら別のお椀によそってゆく。
うちの場合は切り身が2、あん肝2、タラの白子1の割合にしていて、他の家庭の場合はどうなのか分からない。食材などは第二階層で栽培したりしたものもあるので、まったく同じレシピじゃないけど。
見た目の怖いアンコウだけど、その身は繊細であり優しい。
皮のぶるんとした触感、むっちりとした身の歯ごたえ、そしてたまにあん肝が舌で暴れる。それを静めるのが白菜の役割であり、味噌を絡めたほっとする味わいに、エルフ族だけでなく獣人と猫さえも身もだえる。あ、本物の猫に与えたらだめだからね。
「く、くちいっぱいに美味しさが溢れマス……っ! 呑み込むのがもったいないのに、気づいたら次を口に入れてマス!」
「うんうん、たくさん食べないと。冬は寒いから体力をいつもよりずっと使う。しっかり食べて元気になろうね」
ハイ、と返事をしながらミュイは空っぽのお椀を向けてきた。もうひとつ、ふたつとお椀を並べてきたのはエルフ族、それに魔導竜様だ。
しかし幸いなのは、獣人と黒猫に関しては胃が小さいということだろうね。
「それとウリドラはこれからたくさん食べられるから、あんまり欲張らないのかもしれないね」
そう言うと、にーうと鳴いてくる。可愛い響きだったし、いまのは「まあね」という意味かもしれない。
冬には冬の旬がある。これから第二階層でも鍋料理を振る舞うことが増えるかもしれない。
などと思いながら椀に口をつけてみると、とろりとした北国の味がした。なつかしさを感じるのと同時に、そういえばと思い出すこともある。
それはずっと前、おじいさんも旬ではない時期にアンコウを振る舞っていなかったか、ということだ。
はて、さて、疑問に思いはするが、東北旅行までそう日はない。今度会ってみたときに訊ねてみるとしよう。いまのところは「んーーっ!」とたまらなそうな顔をするエルフさんを楽しまないとね。
近くの草がガサガサしているのは風のせいだろう。
そう思っていたが、まさか希少なはずの猫族がお腹を抱えて転がっていることに気づけなかった。
彼女はぐうぐう鳴るお腹を両手で抱えており、漂ってくる美味しそうな香りによだれいっぱいの口でまた転がる。
『シュシュ様! シュシュ様! 大変です!』
『どうしたの、ネネ!? まさか奴らに捕まったの!?』
『違うんです、お腹が空いて大変なんですよ! あの子供たち、信じられないほど美味しそうなものを食べてます! あんなのテロですよ、もーーう!』
あら、そう、と師匠であるシュシュは脱力ぎみな返事をしていたという。そっと意思疎通を切ってから「テロってなんだろ?」などと思ったらしい。
本日11月28日は、マリアーベルの誕生日です。




