【番外編】真夏の夜の怖ーいお話①
「ぜーー……ったいに嫌っ!」
長い長い溜めのあとにそう拒絶したのは、僕の恋人であるマリアーベルだ。
瞳には強い意思をみなぎらせており、さらにはズイと間近に顔を寄せてきて「嫌」と念押しのように言われた。うわ、取りつくしまもないや。
不機嫌になってしまったし、これ以上はいくら言ったところで無理だろう。すぐ隣のウリドラと顔を見合わせて「無理じゃな」「だね」と僕らはうなずき合った。
「じゃあマリーは不参加だ」
「うむ、仕方ないのう。ただの遊びじゃし、無理して誘う必要もあるまい。新作の菓子も用意しておったが、そのぶんはわしが食ろうてやろう」
うっ、と息を飲む気配がして、再び少女を見ると悔しそうに下唇を噛んでいた。
横にすっと伸びた長耳の通り彼女はエルフ族であり、その美しさは半ば妖精の域にある。しかし神秘性の象徴であるはずの薄紫色の瞳はとても不機嫌そうに歪められていた。
「ふ、ふんっ、お菓子なんかで釣ろうとしても私は騙せないわ。カイダンというのはお化けの話をして怖がるという意味のわからない行事のことでしょう?」
「あ、怪談のことを知っていたんだ。さすがはマリー、日本のことをちゃんと勉強しているんだね」
素直に褒めたつもりだったのに、うさんくさいものを見るような目を向けられてしまった。
ミーンミンと鳴いているように、ここ第二階層にも夏が来た。
この世界にはさまざまな気候があるけれど、元階層主にして女神であるシャーリーは現の世界の気候をもしかしたら気に入ったのかのかもしれない。どこか田舎の避暑地に訪れたような気分になる。
と、噂をすれば……ではないが、涼しそうな服を着て歩く女性が目に入る。薄い布の服を身にまとい、軽やかに歩くのはシャーリーだ。こちらに気づくと胸の前で手を小さく振りながら近づいてきて、なにをしているの? と言うように小首を傾げてくる。
しかし気になるのはその手にしているものだ。棒の先には網がついており、また麦わら帽子とカゴをつけている姿は……。
「あれ、虫捕りに行くの? 懐かしいなぁ。青森にいたときは僕もそうして遊んだっけ。ついて行って構わないかな?」
最近のシャーリーはどこか変わってきたと思う。
返事をする前にぱっと僕の手を取り、そのまま引っ張られる。たまらなそうに笑うシャーリーの顔がすぐ近くに迫って、麦わら帽子が太陽光を遮った。
う、こんなに積極的だったかなと内心で慌てながら、少女に助けを求めることにした。
「じゃあマリー、一緒に虫捕りに……」
「む、無理無理! あの足がうじゃうじゃした虫を捕まえるなんて冗談じゃないわ!」
肩を抱いて「おおいやだ」と言いそうなほど身震いする様子に、ウリドラと僕、そして今度はシャーリーも加わって顔を見合わせる。
「あやつ、かなり面倒くさいのう。おぬしの彼女じゃろう。なんとかせい」
「え、なんとかって?」
こそこそ囁いているあいだもマリーの表情は不機嫌さを増してゆく。のけものにされて嬉しい人はいないだろうし、気持ちは分かるんだけどねぇ。
一人だけ事情が分かっていないのはシャーリーで、じいと僕を見つめてくる。気を取り直し、こほんと咳ばらいをしてから説明し始めた。
「あ、まだ伝えていなかったね。一緒に怪談話をして遊ばないかって話していたんだ。順番に怖い話をして、怖がったりお菓子を食べたり笑ったりする感じのやつ」
ぱっとシャーリーの瞳が輝く。
あれ、もしかして怖い話が好きなのかな。といっても初めて会ったときの彼女はまさにお化けそのものの姿だったのだから、本当に楽しめるのかなと疑問符が浮かぶ。
「まあ、実際は怪談話を知らないような人たちで集まるから、たぶん途中で雑談に変わると思う。ウリドラ、今夜はどんなお菓子が出るのかな」
そう問いかけると、よくぞ聞いたとばかりにウリドラは鷹揚にうなずいた。
「ふ、ふ、最近は仕入れ先も増えてきたからな。上等の砂糖も手に入ったし、目玉商品が欲しくて相談したらザリーシュがやる気を出しおった。ミルフィーユ状ならではの味わいを楽しめる伝統的なケーキとだけ言うておこう」
うわ、なんだか凄そうだぞ。
そうそう、舌の肥えたウリドラと元勇者候補のザリーシュという組み合わせは凶悪で、あの手この手で現代の味を再現しようとするんだ。
しかし不思議に思うのは、なぜそこまで熱意を込めるのかということだ。ちょっと前は美女をはべらせてワハハと笑うタイプだったのに。
きぃ、と戸を開けて出てきたのは当のザリーシュだった。手には丸いニワトリのようなものを乗せており、ふわふわと羽毛を周囲に漂わせている。
「なぜそう不思議に思うのか俺には分からない。料理があるということは、材料さえ揃えば必ず再現できるということだ。ウリドラ殿から聞く異国の料理には、味への深い情熱を感じられる。再現にも熱が入るというものだ」
えーと、そういうものなのかな。
コケェという鳴き声混じりの説明だから、元勇者候補というよりもシェフと言い表したほうが近そうだ。
やはり鳥小屋には僕らの会話が筒抜けだったのだろう。顎をさすりながら彼はこう話しかけたきた。
「ただ、今回のものはかなりの自信作だ。カイダンとやらの場に合う料理かは分からないが、味を引き立てる飲み物なども用意しよう。この場合、菓子に負けない濃厚さが求められる。たとえばだな……」
あ、これは話が終わらないやつだ。
趣味の話ってどうしても長くなるし、語っている本人以外は「どうでもいい」と思っている場合が大半なんだよね。
うんうん、よく分かるよ。僕もそうで、古代迷宮を探索するときは一人でずっと語っていたっけ。しかしこの白けた空気は、きっと僕もこんな感じだったんだな、ということが分かって身につまされる思いだよ。
コケェ、という鳴き声がもうひとつ聞こえて、僕らは再び鳥小屋に目を向ける。すると上級使用人の恰好をしたプセリさんが現れて「あら」と宵闇色の瞳を向けてくる。
手にしているのはやはり丸々としたニワトリのような鳥で、うまく掴むのが苦手なのかコケコケと鳴いたり飛ぼうとしたりしている。
「みなさん、こんな場所にお揃いでなにをしているのです?」
「あ、プセリさん。これから怪談話をしようと思いまして。女性ですし、やはり怖い話は苦手ですよね?」
などと尋ねてはいけなかった。
あの夜のこと……ザリーシュが小便を漏らすほど恐怖に満ち満ちた夜のことを、操られていた彼女は決して覚えていないはずなのに。しかしザリーシュをじっと見つめてから「あら、それはとても楽しそうですわね」と背筋がゾクリとするほど冷たい声でつぶやいたのだ。
「お、俺は参加したりなど……!」
「ふぅん、そうですの? あらあら、滑稽ですこと。子供でも参加するのに殿方が青い顔をするだなんて。ふふふ、怖いなら怖いとそう言えば許して差し上げますのに」
などと、すごく嬉しそうな顔で言っていた。
ダイヤモンド隊の統主だし気品も頭脳も外見も恵まれているというのに、なぜザリーシュを嬉々としていたぶるのだろう。
そのように第二階層には気の良い人がたくさんいる。市民に開放している第三階層と違い、緑が多くて落ち着いた土地を離れたがらない人はだいたいそうだ。立ち話をしているだけであちこちから人が寄ってきて、ぶつくさと文句を言いながらも参加したがる。
しかし誘っておいてなんだけど、今回ばかりは参加を取りやめようと思う。
なぜならマリーを一人にしておけないし、怪談や虫捕りが嫌ならそれ以外のことで遊べばいい。少々いじけた表情のマリーを見て、そう思いながら近づいてゆく。
「それじゃあマリー、今日のところは怪談を辞退して、僕と……」
当の彼女からズイと顔を寄せられて、思わず僕はのけぞった。鼻同士が触れ合いそうな距離になって驚いたんだ。
それから彼女は左右を見て、さらにもう少しだけ可愛らしい顔を近づけてくる。
「……ちゃんと誘いなさい」
その小さな声はもしかして周囲に聞かれないようにしているのだろうか。しかし彼女の言わんとすることが分からず「はい?」と僕は首を傾げる。
「だから、私をちゃんと誘いなさい。断った手前、やっぱり行くわなんて言えないでしょう? そんなことを言ったらお菓子目当てだとか、一人で寂しいのは嫌だとか、きっと邪推されてしまうわ」
うーん?
うん、うん、うん……なるほど。どうやら僕の愛する女性は、ウリドラの言う通り「ちょっとばかり面倒くさい女性」なのかもしれないぞ。
そんな考えなどおくびにも態度に出さず、僕はにっこりと笑いかける。だってほら、僕は会社員だからそういうのは得意だし。
「マリー、もし良かったらだけど僕と一緒に怪談話に参加しない? 嫌だったら途中で席を離れても構わないし、そのときにうっかりミルフィーユ状のケーキを手にしても許されると思うんだ」
「あら、そこまで必死に誘われたら無下にはできないわね。今回はあなたの顔を立てて参加してあげるわ」
そう高飛車な口調で返事をされてしまい、あんぐりとした僕の顔を見てマリアーベルは吹き出した。くつくつと笑い、日差しを浴びながらおなかを苦しそうに押さえている様子は輝かしい。
やがて笑いが収まると、僕の腕に指先を絡めてきた。気づいたら皆は出発しており、どうやら僕らだけが取り残されていたようだ。
「いまの顔、すごく良かったわ。ここにカメラがあったなら、フィルムに収めたくなるほどよ。あら、すごく面白そうね。カズヒホアルバムとして大事に保管しようかしら」
「ええっ!?」
小道を歩き始めて、ほがらかに笑いながら彼女はそう言う。
どうやらそのときの僕の表情もお気に召したらしく、木漏れ日のなかでケタケタと彼女は楽しそうに笑っていた。
ただしそれは、森の奥にひっそりと建つおどろおどろしい建物を見るまでだった。




