第304話 いざ鎧職人の元へ
風に乗り、どこからか弦楽器や太鼓の音が聞こえてくる。複数の楽器を調整しているらしく、きちんとした音楽になりきれない音色が通りまで響いていた。
ゆるやかな下り坂の通りには「音楽祭」なるポスターが張られており、きっと陽が落ちたころに聖歌隊が披露するのだろうと僕は思う。
そんな音色に乗り、路地裏から駆けてきたのは黒猫だ。遊びに行くなら連れていけと言うように「にゃあ」と鳴き、その向こうにヒールつきの靴がかつりと鳴った。
「ウリドラ、一緒に遊びに行くかい?」
そう問いかけた先には赤い口紅を塗った黒髪の女性がおり、新作らしき黒革のジャケットとジーンズという装いだ。首元を覆う温かそうなファーを指でつまみながら、彼女は「たわけ」と笑顔で言った。
「わしにそのような暇があるか。しかし旅で難儀するときもあるじゃろう。護衛としてわしの使い魔を連れてゆくが良い」
ひょいと後ろから黒猫を担ぎ上げながら、黒曜石に似た瞳を細めてウリドラはそう言う。
そのとき僕が気づいたのは、角と尻尾を隠していないということだ。竜人として目立つことを嫌っていたのに何故、という疑問が浮かぶ。こちらの考えに気づいたらしく、僕に黒猫を抱えさせながら彼女は笑みを深めた。
「正しいと示さねばならん。人々はなによりも結果を重視する。それこそが答えであると誤った認識をしがちじゃが、しかし事の本質という意味ではさほど大きく変わらぬ」
ぬくぬくした黒猫の体温を感じながら、彼女の言葉が降ってくる。知性を感じさせる言葉であり、普段の言動など帳消しにしてしまう声だ。しかし両手のふさがっている僕の鼻を、ぎゅむりと彼女につままれた。
「この姿で正しいことをすれば、おのずと民は法令の正しさを学ぶじゃろう。少なくともわしは正しさを知っておるが、彼らにも学ぶ機会を与えねばならん」
彼女の言う法令とは、魔物や獣人や亜人を差別しないということだろう。しかし僕には訴えかけたいことがある。
「鼻っ、鼻がっ……」
その会話、僕の鼻をつまむ必要あった!?
ジタバタする姿が面白かったのかウリドラは線になるまで瞳を細めて、ようやく解放してくれた。
「ふ、ふ、北瀬にも学ぶ機会を与えてやろう。旅神というのは古い神じゃ。安寧の地を求めて人々は大陸をさまよい、さすらい、己から受難の道を選んだ」
そう口にしながら、ちょいちょいと指で招かれる。僕とマリー、それにミュイが近寄ると、彼女は懐からクッキー入りの袋を取り出す。まるっきり子供扱いだけど、彼女相手では誰だって子供みたいなものだ。
「たまたま見つけた住みやすい場所が村となり、町となり、国となる。そのような人々の歩みが神の心を打った。故に旅の安全と美しい思い出を残すための加護を与えるようになった。国神に比べてずっとずっと弱いが、旅先で幸運を見つけるという加護は他にない」
まるでおとぎ話のようなことを聞き、ほうと僕らは感心の息を漏らす。見上げる彼女の瞳は星々のまたたく夜空のように美しく、また神秘に満ちた声が心地良い。
もうひとつ手渡されたのは小さな花だった。第三階層で咲いた冬の寒さにも耐える真っ白い花だ。雪が降り積もればきっとこんな色をしているだろう。
「この花を旅先の祠に供えるが良い。では、気をつけて行くのじゃぞ」
「うん、ありがとう。しかしウリドラって本当に優しいよね」
「ええ、本当に。最初に会ったときなんて問答無用で焼き殺されたのに。あら、二回目は私たちのカツ丼をみんなたいらげて、なくなってしまったことに涙していたかしら」
そう僕らが口にすると、ぱちくりとまばたきをした後に「まったく可愛いやつらめ」と言って抱き上げられてしまった。おっと、社会人である僕まで子供扱いとはさすがは魔導竜様だ。
§
路地裏で少年が【旅路の案内者】と唱えると、ゴトゴトと石畳がめくれて落ちてゆく。その先は真っ暗で、たとえ猫族でもがらんとした空間を見渡せない。人々が決して認識できない場所だからだ。
そして「行ってきます」と口にしつつ大きく手を振ってくる。さらに小さな獣人まで一緒になって手を振る様子は可愛らしく、意識せずウリドラは笑う。
やがて神々の世界に飲みこまれて、三人は魔導竜でさえ知覚できなくなった。
「神同士は不干渉、か。アリライの国神とシャーリーの在り方は、過去に見ないほど異質じゃろうな」
ぼそりとそう呟いた。
手渡した使い魔は一時的に宝石に姿を変えている。でないと不干渉により受け入れてもらえないからだ。しかしこの名もなき国はというと国神同士が混ざりつつある。共存とも異なる何かに変わるのでは、と根拠もなくウリドラは思う。
「それで、彼らにお伝えしなくてよろしかったのですか?」
そう背後から問いかけられてもウリドラは振り返らず、また返事もしない。チェック地の帽子をかぶった焔天竜はしばらく待ち、再び問いかける。
「あの希少な猫族を預かったのは、血を残すために同族を探すという名目でしょう。数々の反対をウォルスという王族が押し切って、もしも探し出せなかったとしたら……」
「言うたじゃろう。あやつらは旅先で幸運を招くと。ふむ、案外と北瀬の旅はずっと続いておるやもしれん。出向く先々で幸運を手にするとは……いや、さすがにそれは考え過ぎじゃな」
ふっと笑ってから己の考えを否定した。
ウリドラはこう考えたのだ。旅神から愛されているのでは、と。
神々は異質であり、決して人間など相手にしない。愛するなどという感情さえなく、以前シャーリーに教えたように人間という種族をただ利用しているに過ぎない。
しかし、と再びウリドラは疑問に思う。
あやつは女神に愛されていなかったか、と。
そのおかげで奇跡が起きた。決して変えられぬはずの運命が確かに変わり、数千年を生きた魔導竜でさえ肉体を得たシャーリーの姿に己の目を疑った。
「……ふむ、わしにも学ぶ機会が与えられたか」
「それはどういう意味です?」
なんでもないと返事をして、ようやく彼に振り返る。すると両腕と背中に赤子を抱えるという生活感に満ちた焔天竜の姿があり、再び魔導竜は相好を崩すことになった。
「ふ、ふ、わしらは音楽祭を楽しむとしよう。この子らにも音楽の良さを学ばせたい」
ちょんと小さな鼻をつついて、古代竜の夫婦は大通りに向けて歩き出した。
学ぶことは多々あれど、身につくものはほとんどない。与えられた知識と、己から探し求めた知識には大きな隔たりがあるからだ。
しかし与えられた知識であろうと身につくものがあることをウリドラは知っている。主に味覚や娯楽というジャンルで。
「さあ、わしのラーメン横丁を築く日は近いぞ!」
「ついに堂々と白状しましたね」
うんと大きな伸びをして、ウリドラは晴れ晴れとした表情で大通りを歩きだした。




