第303話 猫族との再会
猫族は弱い種族という言い伝えがある。
実在しているのになぜ言い伝えなのかというと、猫が立ち上がった程度の小さな身体でしかなく、また臆病な性格と相まって人前に姿を見せることがまずないからだ。
獲物はもっぱら野鳥や魚であり、もはや魔物としての本質を失いつつある。しかしそれはオアシスの地で人との交流が長きに渡ったという裏づけでもあった。
その地を追われたいま、外敵に狙われて数を減らしてゆく猫族は確実に絶滅の道を歩んでいるだろう。
「カズヒホ様ーーっ!」
大きな荷物を背負って駆けてくるミュイを眺めて、そんな過去の物語を僕は思い出す。若くして家族を失い、それでも祖先と同じように人との交流をしようとする姿を見たら、どうしても力になってあげたいと思うんだ。
「ん? あれ? 気のせいかな」
しかし、ごしごしと僕は目をこする。
どうも以前と面影が違うというか、首が見えないくらいの冬毛で、みっちりと覆われているんじゃないかな。
その丸っこい愛らしい姿を見たら、いてもたってもいられない人がいる。んまあーーっ、と瞳を輝かせるのは猫好きなマリーであり、どいてとばかりに肩を押され、こうして抱擁で迎えるのは彼女の役目になった。
もっすんと抱きついてきた猫族に、驚くほどマリーはだらしのない顔をする。しかしそれは一瞬のことであり、背負った荷物の重量がそのままエルフ族に与えられたのだから「ミュう゛っ!」という不思議な悲鳴を上げることになった。
「大丈夫、マリー?」
「へ、平気。エルフ族は決して腰痛になんてならないという伝承があるの」
そ、そうなんだ。初めて聞く伝承だね。
まだ痛む腰をさするマリーと一緒にしばらく待つと、窓口の女性から「ミュイさん」と呼ばれる。あの人たちは今回の受け入れに伴い、事務手続き要員として前もって派遣されたらしい。戦時中の向こうではまともな仕事に就けないので、割と優秀な人も訪れていると聞いたことがある。
マリーに「座っていて」と合図を送ってから立ち上がる。僕も付き添いとして同席すると、この国に滞在する上で気をつけるべきことをかいつまんで教えてくれた。
基本的な法令はアリライ国に準じているものの、大きく異なる点がひとつある。それは宗教の自由というもので、どちらの国神を選ぶかは個人に委ねられているらしい。するとミュイは不思議そうな顔をした。
「宗教を自由に選べるって、どうしてなのデス?」
「ええ、この名もなき国は少し特殊で、アリライ国の領土内に生まれたからです。もともと古代迷宮は国神の加護の届かない場所でしたが、なぜかその空間に新しい神が生まれた。つまり他の神々よりもずっと親密な関係なんです」
ふうん、もしかしたらシャーリーとアリライの国神は、たまに遊んだりしているのかな。彼女は本当に優しい性格だから、よほど乱暴な人でなければ仲良くしそうな気がする。
などと考えていると、係員の女性は椅子から立ち上がる。そしてガラスを使った窓を開け放つと、優しい木の香りと共に暖かい陽射しが差し込んだ。
「あそこに見えるのが名もなき国の神殿です。月の神殿、太陽の神殿とふたつあり、それは安らぎと繁栄という女神の二面性を表しています」
まだ建築途中らしく、カンコンと石材を打つ音がここまで聞こえてくる。城のないこの国にとって間違いなく中心地ではあるが、規模が大きいため完成の目途はまだ立っていないと聞く。
そうそう、もうひとつアリライ国と異なる法があるのだった。働くリザードマンたちの姿を見て、瞳を見開いたミュイにこう語りかけなければ。
「女神様はとても気の優しいお方でね、獣人も魔物も分け隔てなく接することが義務づけられている。物珍しくてジロジロ見られるのは仕方ないけど、それに目をつぶってくれたら暮らしやすい国だと思うよ」
はあ、と神殿を見つめながらミュイは驚きの声を漏らす。
もしかしたらその目は疑っているのかな? でも、よくよく景色を眺めたら気づくはずだ。リザードマンだけでなく、魔族の者たちも多くいることに。彼ら彼女らは屋台料理を遠慮なく頬張っており、しかし誰からも差別などされない。
「ど、どうして怖れられないのデス? いまは魔族の国、ゲドヴァー国との戦争中なのに」
「うーん、難しいな。襲ってくるなら別だけど、僕よりもずっと事情に詳しい人がいるし……あ、いたいた。おーい、カルティナー」
がしゃん、と全身鎧を鳴らして振り返る女性は「む?」と漏らしつつ不機嫌そうな顔を向けてきた。白黒を反転させた魔族の瞳、肩に届かないくらいまで刈った髪は茶色と黒色が混ざっており、背にした大剣が強者としての気配を発している。
彼女は行き先を変えると、僕らのいる窓辺に近づいてきた。
「貴様か。相変わらず眠そうな顔をしているな。む、そこのお前は魔物か。見たところ……これくらいだな」
ジロジロとミュイを眺めたあと、おもむろに懐から札のようなものを取り出す。それには紐がついており、慣れた手つきでミュイの首にかけた。
「?? これはなんデス? Dと書いてありマスが……」
「役に立たないくらい弱いという意味だ」
がんっと木づちで頭を叩かれたような顔をミュイはした。いや、確かに弱いだろうけど言い方を大事にしようね。などと口にしても、僕はあまり彼女から好かれていない。壮絶な殴り合いをした過去があるからね。興味を失ったようにカルティナは顔を逸らして、のしのし歩いて行ってしまう。
とまあ、このように魔物や魔族の専門家(?)がいるので、脅威を事前に察知できるらしい。札をひっくり返しながら眺めていたミュイは、ふとなにかを思い出した顔をする。
「魔物もたくさん住んでいるのデス? もしかしてボクと同じ猫族も?」
「え? いないけど……いや、待てよ。似ている人はいるかなぁ」
「本当デスかっ!? ぜ、ぜひ会いたいデスっ!」
えー、いやー、うーん、どうなんだろう。特徴的なところは確かに似ているけど、あんまり似ていないしがっかりしないで欲しいかなぁ。
「ひょっ、すごいねキミ! 全身毛皮じゃんっ! いいナー、あったかそうだナー」
尻尾をピンと立てながらそう言う猫族に、ミュイの尻尾はだらんと落ちる。ほら、だから期待しないでねって言ったのに。
彼女はダイヤモンド隊に属するキャッセという女性で、猫に似た耳と尻尾は有しているが、それ以外はほとんど人と変わらない。いや、魔物ではなく亜人族に当たるのだし、僕の案内がそもそも間違っていたのか。
太ももを露わにした服装でしゃがみ込み、チッチッと舌を鳴らして招こうとしている姿もミュイの期待を大幅に裏切っただろう。
「あたしの家で飼っていいニャ?」
にっこり笑顔でそう言われて、がんっと木づちで頭を殴られたような顔をミュイはした。うん、今日は本当にごめんね。実はみんな優しい人たちばかりなんだけど、どうにもうまく伝わらないものだなぁ。
などと考えていると、マリーはようやく腰痛から立ち直ったらしく近づいてきた。
「言っておきますけれどミュイちゃんは魔石の専門家だから、あなたたちよりもずっと偉いわよ」
かばうように後ろから抱きながらそう言うと、キャッセとミュイの双方が瞳を真ん丸に見開いた。わあわあと「そんなことありまセン!」とか「お金持ちだ!」とか口々にわめいており、広場の片隅はとても騒々しいことになった。
あーんと口を開いて、猫族の二人はたこ焼きと良く似たものをぱくんと食す。甘じょっぱいソースの絡んだ生地と、ぷりっとした触感のタコみたいななにかを口にして、まったく同時に子供みたいな笑顔を浮かべる。もちろん長いこと息を吹きかけて冷ましたあとだからね。
ベンチに座って足をぶらぶらさせる様子に、マリーは口元を拭ってやりながら「このタコみたいなものはどうやって収獲したのかしら」という表情を浮かべていた。分からないけど、ザリーシュがあの海で血まなこになって探し回ったんじゃないかな。色からしてたぶんタコじゃないと思うけど。
ぺろりと唇を舌で舐めながら、キャッセは大きな瞳を向けてくる。
「ふーん、じゃあ二人ともヴェイロンっていうドワーフのところに行くんだ。あいつら気難しいし気まぐれだから、あんまり期待しないほうがいいと思うナー」
「あら、あなたはドワーフと会ったことがあるの?」
「うん。金目のものを抱えてるし、暗闇はあたしの得意領域ニャから」
ん? あれ? もしかして盗みに入ったのかな。
問いただすのもアレなのでマリーとしばらく無言になっていると、我関せずという風に「ミスリルが凄かったナー」とか「儲かったナー」とか口にするので、僕らの無言の時間はさらに延長された。
そのときキャッセはなにかを思い出す顔をした。
「ん? 聞いた話だけどさ、猫族を雇うドワーフもいるみたいよ。手先が器用だし、夜目も効くし、食費もそうかからないからだって。ミュイにゃんのお友達もいるかもネー」
「ほっ、本当デスっ!?」
「たぶんネー。本当かどうかは知らないけど、そういう話は聞いたよ」
ふむふむ、なるほど。ザリーシュに聞いた話によると、ヴェイロンはここよりずっと北の山岳地帯に住んでいるらしい。オアシスの地を追われた祖先が危険な砂漠地帯を乗り超えて、より住みやすい場所に辿り着いた可能性があるのか。
くいと袖を引いてきたマリーも、きっと僕と同じ推測をしたのだろう。うなずき返すと僕はベンチから立ち上がった。
「じゃあ一緒に行こうか。前よりも長距離移動のスキル【旅路の案内者】の重量制限も楽になったし、ミュイとヴェイロンを乗せても大丈夫だと思う」
というのも多重定義の過負荷の取得によって最適化されることになり、移動系の制限はかなり楽になっている。そこまで詳しく説明する必要もないので口にしないけど、たぶん有効活用すれば商売人として大金を得ることも可能だと思う。しないけど。
「いいのデスかっ!?」
「もちろん構わないわ。人が多いほど旅は楽しいし、こう見えて私たちはかなりの実力者なの。だから安心してついてきて頂戴」
行きます行きますと嬉しそうに万歳をするミュイに、思わず僕らは頬をゆるめた。と、親指についたソースをぺろりと舐めながら、キャッセは大きな瞳を向けてくる。
「んっ? 行くっていまから? 旅の準備は?」
「いや、このまま手ぶらで行くつもりだけど。ねえ、マリー」
「ええ、旅といってもたったの一泊だけよ。お弁当と水筒もちゃんとあるし、いったい他になにが必要と言うのかしら」
ごくごく当然のように言うマリーだけど……あ、そっか、僕らはすっかりと世間一般の常識というものを忘れていたのか。
ヴェイロンのいるアインボルス山岳地帯までは、馬でも最低一カ月はかかる。細々とした国があいだにあるので、国境を抜けるだけでお金と時間を浪費するだろう。
「でも僕には旅神のご加護があるから」
「え、知らない……なにその神様? マリーのカレシ、変なのにハマってない?」
「…………」
怖ぁーい、という顔をされたけど、ちょっと待って。旅神ってマイナーなの? 違うよね?
世界中にちゃんとした祠がいくつもあるし、一日一回とはいえそこまで高速移動できるのはすごく便利だよ。ただちょっと大陸の端から端までぐらいの距離を旅しないと入信できない厳しさはあるけど、それくらいならたったの十年もあれば……。
などと必死に弁明していたとき、マリーは言いづらそうな表情で口を開いた。
「悪いけれど、かなり入信者が少ないわ。私のお父様もかなり旅を愛していたけど、入信できると聞かされても怪しいと思ってすぐに断ったそうよ」
がんっと木づちで殴られたような顔を僕はして、地面にうずくまった。




