第302話 クエスト発生
真っ白い毛玉のようなものが、ポウポウと不思議な声で鳴きながら波打ちぎわを歩いてゆく。とがった尾羽だけが黒くて、しばらく歩くと仲間たちのいる場所にぽすんと座った。
「見て、海鳥の群れよ。あれでどうやって飛ぶのかしら」
そう言うマリーはというと白色のコートを身にまとっており、ブーツもまた同色だ。もこもことした縁飾りが実に暖かそうで、やっぱりこちらの世界だと好きにお金が使えていいなと思う。ちなみにアクセントとして着けている宝石は、れっきとした古代迷宮産の魔石だ。
彼女の指さす方向を見て、丸々とした鳥がいたことに気づく。
「本当だ。僕はこの世界の鳥には詳しいけど、あんなに丸いのは見たことがない。実は以前から気になっていたんだけど、第二階層にいる動物は少し他と違うよね」
羊や鹿、それに猪など第二階層で生息する動物は数多い。しかし良く見るとそれぞれ変わった特徴があるんだ。後ろ足が発達していたり、毛が厚かったりといった小さな違いだけどね。
野生の動物について語るなんて、普通なら相手につまらない顔をされる。だけど知識を求めるエルフ族なら話は別だ。橋の手すりに両手を置いて「それでそれで?」と薄紫色の瞳を向けてきた。
「うん、これはあくまで僕の憶測なんだけど、あれは古代の動物じゃないかって思っている」
「古代の動物? 地下で調べた古文書によると『厄災』でほとんど絶滅したはずよ。星の衝突と等しいほどの破壊が起きて、生き残っていられる動物なんて……」
少女の声がだんだん小さくなってゆく。そして「待って頂戴」と僕に手を向けたのは、自分で答えを言いたいという意思表示だろう。
遠くから響く「ポ」「ポー」という変わった鳴き声を聞きながらしばし待つ。やがて考えがまとまったらしく、いつもより瞳を輝かせて少女は唇を開く。
「つまりシャーリーね。厄災が起きたとき、森の守護者として可能な限り動物たちを避難させた。古代文明が滅びるほどの年月を超えて、いま女神としての力を発揮している」
ほんの数秒で僕の考えを理論立てたことに、パチパチと惜しみない拍手を送る。だけど誇らしい顔を見れるのは数秒で、手すりから離れたときにはまた思案の表情に戻っていた。
「やっぱり仮説の域を抜けられないわね。ウリドラに聞けば解決するでしょうけど、できればあまり頼りたくないわ。結果だけを欲しがるのは良くないと思うし」
「ん、ちょっと分かるな。こうして考える時間も僕は好きだし」
しみじみとした表情で「分かる」と共感された。僕が言うのもなんだけど、マリーはちょっとだけ変わった子だよね。
色白である彼女は、冬を迎えるとさらに肌の白さが増す。雪のように白く、それでいて唇だけは鮮やかな色彩をしているのだから自然と周囲の目を惹きつける。
そのとき傍らを通り過ぎてゆく集団もそうだった。
エルフ族だと口にする者もいたし、また物見遊山というべきか、一様にきょろきょろ辺りの景色を眺めている。きっと初めて訪れる地を観光客のように楽しんでいるのだろう。砂国で生まれ育った彼らとしては、厚手の上着も物珍しいに違いない。
通り過ぎてゆく彼らの背中を見つめながら、マリーはぽつりとつぶやいた。
「もう受け入れが始まっていたのね。ここに住むというよりは観光客みたいな感じだけど」
「初日だから仕方ないよ。それに隊の人が案内しているんだし、困ったことにもならないと思う」
人が増えることにどう思うかは人それぞれだ。賑やかで良いと言う人もいれば、人の少ない環境を好む人もいる。マリーの場合はやや後者に当てはまっており、それは「人嫌い」に由来する。
その考えを読んだのか、べえと少女は綺麗な舌を覗かせた。
「人嫌いなんてとっくに卒業しているわ。ただ、人が増えれば面倒が起きるものよ。のんびり暮らせなくなるかもしれないし、お気に入りの場所を取られてしまうかもしれないわ」
そのように文句を言う気持ちも分かるなぁ。人が少ないからこそ楽しめることもあるし、そもそも長い時間をかけて開発した場所だ。
女神としての力を得たシャーリー、娯楽が大好きなウリドラ、彼女の眷属であるリザードマン、そして区画整理などの知識がある一条夫妻まで加わって、あーだこーだと立体模型を相手に長い時間をかけた。
しかし少女の雲った表情はすぐに消える。その成果がこうして目の前に現れたからだ。
なだらかな坂の左右には、いわゆるファンタジーな外観の家々が並ぶ。僕、そして一条夫妻の強い希望によって、純朴ながらも味のある街づくりにこだわったんだ。
ふと思い出した表情で、薄紫色の瞳がくるんと僕に向けられる。
「あなたたち、分かったと言うまでテコでも動かなかったわね」
「結局は外の人間のほうが良さを知っているんだよ。洋風ファンタジー世界を実際にこの身で歩けるとしたら、そりゃあ熱意も出る。いわば世界観の逆輸入だね」
あ、いかん。少し早口になってしまった。案の定、ジト目で見つめられたけど深く気にしてはいけないぞ。
実はこういうオタク趣味が僕にはあって、一条夫妻という仲間を得たのは心強かったし実は楽しんでもいた。しかしエルフさんはというと大忙しだ。なにしろ要望通りに立体模型を組まなければならないので、何度も何度もやりなおしたし、絵に描いてもらったりしてイメージを固めてどうにか成し遂げたのだから、そりゃあ文句のひとつも出るだろう。
苦心して生み出した坂道を僕らは上る。
水はけを考慮しつつ滑りづらく歩きやすい石畳にしており、そこを明るい歓声を響かせて小さな子が駆けていた。遠くから漂うのは美味しそうな香りであり、恐らくは隊員たちが鉄板焼きなどを振る舞っているのだろう。
「坂の上の広場で、今日は屋台を開いているらしい。僕らも行ってみようか」
そう問いかけたけど少女はしばらく返事をしない。視線を追うと道を歩いている人々がおり、みな明るい表情をしている。長く戦争の空気を吸い続けてきたぶん、平穏な場所を心から喜んでいるようだった。
ふと息づくときがある。
いくら立派な遺跡でも、樹や花を植えてもまだ足りない。ふらりと旅人が訪れて、そこで初めて美しさが成り立つ。こんなに美しい場所があるのかと息を呑み、ようやく美というものが意味を持つ。
そっと手を握り返してきた少女は、すっかりと先ほどの憂いの表情を解いていた。
「ええ、屋台に行きましょう。だけど期待しちゃだめ。雰囲気が似ているだけのまがいものとして考えなさい。でないときっとがっかりするわ」
いやいや、屋台の味を知っているエルフ族もそういないと思うよ。ふらりと訪れた旅人のように、僕らもただ在るものを楽しむべきだ。
そう思い、人々と同じように香りに誘われるまま足を進める。そして振り返ると赤茶色の屋根、そして水平線が広がる。冷たい風に髪を弄ばれながら「わあ」と少女は歓声を上げた。
「ハッ、まがいものなどと思っていないだろうな、マリー。俺が鉄板を預かるからには、絶対に本物の味しか許さんぞ」
甘じょっぱいソースの香りを撒き散らしながら、かつての勇者候補はそう宣言した。なにごとも形から入るというこだわりでもあるのか頭に鉢巻きをつけており、また一方で鉄板には整然と並んだお好み焼きがある。
なんでかな。だれに聞いても「化け物」と呼ばれるはずのザリーシュが、どうしてあんなに本気でお好み焼きを作っているんだろう。確かにそれ目当てで僕は歓迎したけどさ、まさかあんなにやる気を出すなんて思わないよ。
などという疑問を浮かべていたのに、傍らの少女は怒り心頭で近づいてゆく。
「上等だわ! エルフ族の代表として私が本物かどうか確かめてあげる。絶対に私は認めないでしょうけど!」
あの、マリーさん? どうしてそんなフラグっぽいことを言うの?
案の定というべきか、ほおばった顔のままお箸をブルブル震わせてしまうし、ありえないわ、そんなこと許せないわ、などと言いながらも食だけは止まらない。あっという間に無口になった。
得意そうにするザリーシュがよっぽど腹立たしいらしく、くるんと背を向ける様子に苦笑した。
「大盛況だね、ザリーシュ。それでお客さんはどんな感じかな」
そう問いかけると手ぬぐいで汗を拭きながら「ああ」と彼は頷く。
「三百名規模だと聞いているが、怪しいやつは少なそうだ。ほとんど単なる市民だし、見たところ下層と中層の連中ばかりだな。俺も警備団に入ったが、基本的には要人警護に集中する。お前は別の視点で観察したほうがいい」
ふむ、やはり多少なりとも混じっているのか。
こういうとき、魔導竜の目はそこまで期待できない。目が曇っているわけではなく、単に脅威として見ていないと言った方がいい。排除するまでもないと思っているのだろう。
「そういう点ではザリーシュの目は確かだからなぁ」
「ああ、同族かどうかは簡単に見抜ける。だが脅威に当たらないというのは俺も同意見だ。案外とウォルス王子の目が光っているのかもな。王族連中は画策を好む連中だから、なかなか良い手駒かもしれんぞ」
うん、そういう悪どい顔をしていてもお好み焼き作りは止まらないんだね。さすがはかつての勇者候補だ。
そのときふと思い出すことがあったのか、ちょいちょいと指で招かれる。耳を差し出すと彼はこう言った。
「前に言った鎧職人、ヴェイロンが移住に興味を示している。お前は長距離移動もできるし、迎えに行ってくれないか?」
は? と、間抜けな声を出して僕は凍りつく。
現代技術の数世代先といえる数々の名作を生み出しており、彼と契約した国は戦局を必ず覆すと言われる、あの生きた伝説ヴェイロンを?
雑踏の音が遠ざかるほど驚いていたときに、ぽんぽんと肩を叩かれる。頼んだぞという言葉にどんな意味があるかも分からず、僕はつい頷いた。
ハッと気がついたら石造りのベンチに腰かけていたのだから、僕の驚愕ぶりを分かってもらえると思う。正確に言うと、指先で耳をこちょこちょくすぐられてようやく我に返った。
不審そうにしていた少女も、事情を伝えるとようやく事の重大さを分かってくれた。
「相変わらずあなたには驚かされるわ。その果てしない重装備願望はどこから生まれたのかしら」
「え、男はみんな憧れていると思うよ?」
ぱちぱちとまばたきをし合い、無言の時間が流れてゆく。
そうなんだよね。いくら一緒に生活をしても、この温度差だけはどうしたって埋まらない。趣味を一切理解されない旦那さんのように肩身が狭い思いをするし、説明をすればするほど泥沼にはまっていく。
「まあいいわ。もし本当なら攻略隊にも良い影響があるでしょうし、事の重大さはきちんと分かっているつもりよ。ね、歩きながら話しましょう」
たぶん先ほど食べたお好み焼きの腹ごなしをしたいのだろう。少女の誘いに応じて、ぱんぱんとお尻を払ってから再び坂道を歩きだす。
円形の広場を中心に数多くの屋台が並んでおり、また行き交う人も数多い。その人混みを避けるべく細い小道を上ってゆくと水の香りがする。少女は鉄柵に両手をかけて「うん、いいわね」と満足そうな声を漏らした。
「溜め池と景観のために作ったけど、こういう景色の変化はいいわ。おしゃれな一等地という感じがして、住む人は絶対に満足するでしょうし」
「あ、上層に行くにつれて値段が上がるんだっけ。そういう商売っ気は持ち込まないで欲しいけど、ウリドラと徹さんがどうしても結託しちゃうからなぁ」
あーあ、と深々とため息を吐く。銀色の魚が気持ちよさそうに泳いでいるし、周囲には冬の寒さにも耐える花が植わっている。景観としては非常に良いが、しかしそこに「お金を持っていたらね」という前提が加わってしまうと夢が若干醒めるんだ。
「我先に奪い去られるよりずっといいでしょう? こういう場所に住みたいなと思ってもらえばもらうほど価値が高まるものよ。それとも早い者勝ちが良かった?」
「あ、それは確かに嫌だな。確かにね、あいだにお金が挟まっていたほうがおかしな事態になりにくいのか」
などと納得していたとき、橋の向こうから歩いてくる人がいる。長い耳をしている通りエルフ族であり、良く日焼けしている通りダークという名が頭につく。
「おっすー、マリーじゃん。二人ともなにしてるわけ?」
「一廣と散歩してるだけよ、イブ。それよりもあなた、ザリーシュのお好み焼きを食べた? 行列ができていたし、急がないとなくなってしまうわよ」
おや、口にはしなかったけどやはり絶品だったのか。しかしイブはというと慌てることなく「んふ」と笑う。じゃん、と掲げて見せたのは己の薬指についた黄金色の指輪だった。
「へっへーん、あたしが誰よりも早く食べたに決まってるじゃん。美味しかったでしょ。絶対にウリドラとマリーに認めさせてやるーって、すごい執念だったし」
「はあっ!? あいつって変なところで対抗心を燃やすわね。じゃあ私が言ったことは内緒にして。でないと癪だし」
おっけーと指先でサインを作ってから、ふと彼女は思い出した顔をする。
「そういえばさ、さっきあんたらを探している子がいたよ。毛がフサフサした魔物っぽい子でさ、でも言葉づかいは丁寧だったかな」
これくらいの小さな子と背丈を手で示されて、僕らは目を丸くした。
「毛でフサフサってまさか……」
「もしかしてミュイかな?」
いま聞いた特徴で、他に思い当たる人はいない。ありがとうとイブに手を振ると、僕らは再び水辺沿いを歩き出す。
ざああという音は滝のように上から下に水が落ちる音だ。溜め池は複数あって、こういう風に上から下に流れてゆくたびに水質を高めてゆく。景観優先かと思いきや、こういう工夫があちこちに詰まっているのが第三階層の知られざる魅力だろう。
「しかし今日は歩くだけで色々と話しかけられるなぁ」
「そうね、確かに」
何気なく言ったつもりだけど、横を歩くマリーは思うことがあったらしい。唇に指先を当てた姿勢で「確かにどこかで見たとこあるのよね」と悩み、それから薄紫色の瞳を輝かせる。
「ほら、アレに近いわ! 新しい街に来たとき、あちこちでクエストが発生して聞いて回るアレ!」
「あーー、お使いクエストか! うわ、まさにそれをしている気になったよ。ファンタジーな街並みのせいだな、きっと」
喉に引っかかっていたものがポンと勢い良く出てきたので、僕らはつい声を出して笑う。
「駄目だなぁ。そう聞いたらイブとの会話だって、デデンという効果音と共に『クエスト発生』というテキストが浮かぶ気がするよ」
「やめてやめて、もう笑わせないで! お腹が苦しいのっ!」
うんうん、いい感じでツボに入ったね。お腹を抱えて苦しそうに笑うエルフさんは貴重だし、僕だって笑ってしまうよ。
もしかしたらその笑い声が聞こえたのかもしれない。ずっと遠くにいた獣人の子が、大きな荷物を担いだまま振り返る。ふさふさの毛並みをしており、猫と良く似た特徴を持つ子は勢い良く駆けだした。




