第301話 隊長の趣味と魔導竜の趣味
澄み渡る空の下、木製の椅子とカゴをそれぞれに手に持ち、うんせうんせと運ぶ女性がいた。
足首までスカートで覆っており、肌寒いというのに袖をまくっている。炎のような赤い髪を揺らす女性はドゥーラといい、古代迷宮の攻略隊を指揮する者だ。しかし以前よりも髪や肌の光沢が増しており、女性的な服装も相まって、もはや勇ましいとは言いづらい。
「手伝いましょうか、ドゥーラ隊長」
と、声をかけてきたのは中年の男だった。暖炉用の薪割りをしていたらしく、傍らにたくさんの薪を積んでいる。
最近では彼専用の家を持ち、猫族のキャッセと共に治癒を生業としている者だ。交際を始めたというまことしやかな噂もあるが、その真偽が分かるのは恐らく春だろう。なぜ春なのかというと、そのころにきっとお腹が張るからだ。
「構わないわ。これは趣味の一環だから」
「そうですか。確か今日はアリライからの第一陣が来る予定ですね。そうのんびりしていていいんです?」
彼の言った第一陣というのは、名もない国がアリライ国民を受け入れるという意味がある。この地は古代迷宮第二階層であるものの、ひょんなことから女神に愛されて新たな国として認定された。忘れもしない冬の初めのことであり、それ以来というもの女神による加護を皆は感じている。
しかしそれがドゥーラにとっては悩みの種だ。天候の恵み、森の恵み、川の恵み、そして畑の恵みと女神の加護は多岐に渡り、豊作と豊漁が押し寄せてくるのだからたまらない。主に舌と腹が悲鳴を上げている。
以前よりも丸みを帯びたのは自覚しているし、硬く尖った刃物のような雰囲気まで遠ざかった気がしないでもない。しかし恩恵と言うべきか、良かった点もひとつある。
「いいのよ。のんびりと迎えられたほうが、きっとアリライ国民は安心するわ」
「そういうもんですか。まあ、いまさら軍服を引っ張り出すよりは良いかもしれませんね。食糧庫もパンパンですし、第三階層も着々と準備が進んでいる。あとは職人連中も来てくれたら、もっとにぎやかになりそうですな」
その光景を思い浮かべて、意識せずにっこりと笑っていた。つられて部下もやわらかく笑い返すというのは、以前だとあまりなかった光景だった気もする。
当時から気楽な付き合いではあったが、そこはやはり命を守り合う戦友として互いに尊重していたのだろう。うまく言えないが、そのときと何かが変わった気もする。さて、それはいったい何だろうと思いつつ、立ち去る間際にドゥーラは振り返る。
「キャッセとの仲はうまくいっている?」
「ええ? いや、まあ、その……どうなんでしょうね」
しどろもどろな態度を見て、くすりと笑う。いつも「センセ」と呼びながらついてくる様子は、はたから見ていても可愛らしいと思っていた。これまでとんと恋愛話に興味などなかったのに、根掘り葉掘り聞き出したくて仕方ない。
彼にしては珍しく困った表情をしており、まじまじと見つめていたらコホンと咳ばらいをひとつされた。
「どうしてそんなことを聞くんです?」
「私から見たらキャッセは子供っぽいと思うし、実際はどうなのかなと思っただけよ」
「いや、あいつはかなり大人です」
なぜかそこだけ真顔で返答されて、びっくりした。
どうしよう。もっと根掘り葉掘り聞きたくなってきたわ。そんな気配を察したのか「ではこのへんで!」と慌てて部下は立ち去ってゆく。
取り残されたドゥーラは、同時に「なるほど」と納得した。
たぶんそのような変化なのだろう。尊重し合っている点は変わらないが、同じ国で過ごしてしているうちに、もっと親密な仲になった気がする。たぶん戦闘だけでなく生活も共にしているからだ。
「隊長と部下というだけの関係ではなくなったのね」
ふむ、と納得してからまた小道を歩いて、ようやく辿り着いた場所に椅子とカゴを置く。選んだのは陽当たりの良い草原であり、遠くに羊の群れが見える場所だ。なだらかな傾斜の先には湖畔が見えて、今日は天気がいいから対岸まで見渡せる。
この場所で一日過ごしたいなぁと思ったのは、つい昨日のことだ。散歩したときにたまたま見つけた場所であり、そして目が覚めるなり荷物を持参してやって来た。
「こういう気楽さが第二階層の良いところだわ」
思い立ったが吉日というが、こんな場所に椅子を置いて陣取るのは自分くらいだろう。
水筒に入れていた花茶を飲み、ふんわりとした花の香りを楽しんでから袋を手にする。取り出したのは毛糸玉と編みかけの織物だ。
うららかな陽ざしを浴びながら、編み針の先に毛糸を引っかけてくぐらせてゆく。
これまで編み物という異国の文化に興味などまったくなかった。しかしいざ始めてみると意外や意外、我ながら驚くほどのめりこんでいる。
規則正しく編むことが大事であって、それが編み物の極意だと思う。正しいことをずっと繰り返して、最後の最後に出来栄えの良さとして目に見える結果を示す。それが楽しい。
ふんふんと鼻歌を響かせていると、ときおり羊がじっと見つめてくる。なかにはかなり近づく者もいたけれど、もしかしたら奪い去られた己の毛を恨んでいるのかもしれない。
「ごめんね、本当は春に毛を刈るらしいのに」
メエーと鳴かれて、ドゥーラは思わず苦笑した。なんとなく可愛らしい悪口を言われた気がしたのだ。
もりもりと編まれてゆく毛糸の織物は、長さを1メートルと決めてある。首に巻いて邪魔にならない程度の長さだ。染色した2色の糸を織り交ぜてゆくと、だんだん集中してゆくのを自覚する。
正しいことをきちんと繰り返す。そんな作業に没頭して、身体を冷やさないようたまに花茶を飲み、蜂蜜混じりのクッキーをかじる。そのときに草原と湖畔の景色に目を奪われて、意味もなくウキウキした。
「うん、贅沢。これはたまらないわね」
ニッと笑みを浮かべてから、また作業に戻る。
そこから先は、ずっと同じことの繰り返しだ。ただただ手を動かして、ただただ糸の正しさを目で追い、そして幾何学的な模様編みのことだけを思う。すると思考からだんだん無駄なものが消えてゆく。編み目は己の指揮する隊列のように美しく、ほころびのひとつもないことを誇りに思い、ふっと笑う。
そんな油断をしきっていたときに、背後から声をかけられた。
「屋敷にいたときは、あんなに編み物を嫌がっておりましたのに」
肩がビクッと跳ね上がる。慌てて振り返ると小道から現れたばかりの女性の姿があり、己と同じようにそばかすを浮かべた顔に驚く。
「ジータ!」
「驚きました。お嬢様が私の到着を待たず、まさか編み物をしていたなんて」
見れば使用人の服装をしており、また大きな荷物を手にしている。彼女は長いことドゥーラの侍女を努めていた者だが、第二階層を足がかかりに古代迷宮踏破の任を与えられてからというものまともに顔を合わせていない。
ゼラとの仲を取り持つために、あれやこれやと手を回してくれていたことを思い出しながら、ドゥーラは慌てて編み物をカゴに戻した。
草原を駆けてゆくと冷たい風が頬を撫でる。
侍女は厚手の上着を用意していたらしいが、こことアリライ国との寒暖差は激しい。やはり寒そうに足踏みをしているし、少々ふてくされた表情でじっと見つめられた。
だけどその表情はただの冗談であり、近づいてゆくたびに彼女は白い歯をこぼす。そして普段ならそのようなことは決してしない間柄なのだが……最後の一歩を通り過ぎて、そのまま抱擁してしまった。
「久しぶり、ジータ! あなたも第一陣に入っていたのね。連絡くらいしてくれたら迎えに行ったのに」
「ええ、その、驚かせようと思いました。でもいまは満足しています」
少々頬を赤らめて、瞳をそっと逸らしながら侍女は答える。地味目の茶色い髪をヘアバンドでまとめており、小柄なぶん表情の変化が分かりやすい。
冬の日差しを浴びる二人が顔を合わせると、ふっと笑い合った。
「それにお出迎えをするのは私の役目ですよ、お嬢様」
「なら今日から私の家に住みなさい。暖炉もあるけど、ここに来たからにはまずお風呂に入らないといけない決まりがあるわ」
驚かせようと黙っておく気持ちは良く分かる。お風呂?と首を傾げる侍女の様子を見て、ドゥーラもまたひっそりと胸に秘密を抱えたのだ。
木製の椅子と編み上がりを待つばかりのマフラーを手にして、二人は小道を歩いてゆく。もう間もなく絶景のなかでの温泉という待遇に悲鳴を上げることになるのだが、それはドゥーラだけのお楽しみである。
§
さて、こうしてアリライ国民の受け入れが始まった。
あちらの目的は単純に「口減らし」である。
魔物の集うゲドヴァー国との戦いは長く膠着しており、三国同盟を組むアリライ国にとっても食糧難は大きな問題だった。また市民を守るための戦力も必要であり、こたびの新たな国の誕生について思うことは多々あれど、利用しなければ国が傾きかねない。
そもそもこの土地は魔石発掘のためにアリライ国が押さえた場である。
だからこそ再び傘下に組み敷きたいが、まずはこの戦を終えなければ話にならない。自国の領土が奪われて、戦争にかまけているあいだに新興国としてのし上がられる可能性を考えたら気が気ではないだろう。ふざけるなと出兵したくとも、相手はゲドヴァー国軍の向こう側だ。
「ふ、ふ、机をバンバンと叩く様子が思い浮かぶわ」
「どうやら私は人間を見くびっていたようです。夜の時代を生き抜いた我々に刃向かおうと考える純朴な無知蒙昧さ。ウリドラ様、失礼ながら私めは失笑いたします」
並んで歩く執事然とした者は、そう言って呆れの息をひとつ吐く。周囲には多くの国民がおり、だれもかれも見慣れぬ土地に戸惑っている。
木々や緑はもちろんのこと気候がまるでアリライ国領土と大きく異なる。怖れを抱く者もいたし、それとは対照的な表情をする者もいる。あそこでドゥーラ隊長と一緒に歩く侍女のように。
なんで椅子を持っているのだろうと疑問を浮かべつつ、焔天竜は口を開く。
「ここまでは予定通り順調なようですね」
「じゃろうな。魔石採掘場を奪われて頭を悩ませておるところに、ひょっこりとウォルス王子が政治の場に顔を出した。あそこで新たな国と通じていると言うのは少々できすぎかもしれんが、しかし向こうにとっては一手打つことができる」
彼女も笑うことなく呆れの息を吐き、そして再び歩み出す。
言うまでもなくアリライ国との実力差は甚だしい。戦力という意味ではない。この夫婦がいる時点でもはや本気を出すまでもないし、その気になる前に秒単位で滅ぼせる。
しかしその道を選ぶことはないだろう。かつて神と「中立である」という盟約を結んでおり、またウリドラの本意でもないからだ。
「事情が分からないのであれば、取る手はおのずと決まるじゃろう。ウォルス王子をこの国のトップにするため、求めに応じながら自国の植民地化を進める。いずれは統治領にしたいが、まずは様子見といったところじゃな」
不穏なことを口にしたが、しかし恐らく第一陣は問題ないだろう。毒見と同じ役割を担っているし、そもそも向こうの目的が口減らしであることを知っている。
当然ながらこちらも慈善活動をする気などないし、国民をそっくりそのままいただく腹だ。
さて、周囲の者たちと一緒になだらかな坂を下りてゆく。
これは東京のアトラクションを元に発想したのであり、あえて周囲を暗くしている。転ばないよう光精霊によってわずかに足元を照らしているが、これはいわゆる「演出」だ。
螺旋状のゆったりとした坂道には、ところどころ面白い仕掛けがある。太陽と月を表す女神像を展示しているのも演出の一環であり、絵本を読むようにこの国が生まれるまでの物語を知ることができる。
と、思わずという風に焔天竜は立ち止まった。
「……あの女神像はまさか純金ですか?」
「ウォルス王子の贈ってきた像が邪魔で仕方なかったんじゃ。有効活用してやれば、置き場所にまで文句を言うまい」
念のため盗むことのできない仕掛けも施しているが、不埒な者にしかどんな仕掛けがあるかは分からない。ついでにその不埒な者が「絶対に手を出さない方がいい」と涙ながらに伝えてくれるだろう。
さて、明るい音楽が響き始めて周囲の雰囲気が変わってきた。
楽しんで、という意味の文字と絵が描かれている先にはもう外界と隔てる壁はない。
わあっという歓声に包まれた。
澄み渡る青空と、同色の海が足元に広がったのだ。
また海には島が浮かんでおり、発展途上ながらも都市としての規模を有していると分かる。
かけられた橋の先には遺跡らしきものがあり、また珊瑚礁によって生み出された海辺は暗闇に慣れた者にとってまぶしいくらいだろう。
うっそだろ、という意味の悲鳴があちこちに広がって、意識せずウリドラはにっこりと綺麗な笑顔になる。
政治だなんだと考えていても、結局はこのように人を驚かせるのが好きらしい。そんな趣味があることに気づいたのはごく最近のことで、恐らくは奔放な人間族とエルフ族の仕業だろう。
「では、腹を空かせた者たちに料理を振る舞おう。ゆくゆくは彼らが店を持つことになるがな」
「ん? そういえば計画書には『らーめん』なる不思議な文字がありましたね。もしかしてあなたはそのために……」
はてさて、これは中立なのだろうか。それとも単なる私欲だろうか。恐らくは後者だろうけど、結果的に人がそうしたのであれば「仕方がないのう」と言いながら味見をしても許されるに違いない。
そのように魔導竜は長い黒髪を揺らしつつ、ゆるやかな坂を下りてゆく。
さあ、第三階層の運用開始だ。




