第255話 ふたりの時間③
手を繋ぎあい、寝床に向けていそいそと歩いてゆくエルフと人間。それは少しだけ珍しい光景で、また微笑ましいものだった。
高台から眺めていた魔導竜ウリドラも、そっと母性ある笑みを浮かべる。
なにもウリドラが優しい性格をしていたわけではない。あれやこれやと語り合い、期待に胸を膨らませて頬を染めるエルフなど、意識せずとも笑顔にされてしまう。会話に夢中になって、転びそうになったのを支えた男の子も、ありがとうと礼を言う女の子の様子も己の笑みをさらに深める。
「クフ、可愛らしいのう。互いにどちらも大人だというのに、わしのやや子を見るようじゃ」
「宜しいのですか、ウリドラ。貴女も彼らの輪に飛び込みたいのでは?」
そう背後から声をかけてきたのは、蛍光色の赤い髪をした男性だった。名をラヴォスといい、今は執事然とした服装に身を包んでいる。
しかしウリドラは悩みもせず、あっけらかんとこう答える。
「あやつらの時は有限じゃ。わしが妨げてはならん。その代わり、もう間もなく訪れる客人らを迎える支度をしよう」
ほう、と彼は片方の眉を持ち上げる。わずかに侮蔑の感情が漏れたのは、ここまで戦線が広がるまで手出しをしなかった臆病者へ、少なからず思うものがあったらしい。
「アリライ国の王族、ですか」
「保身を貫けば、怖がりな奴らでも第二階層まで来れるらしいのう。宝物を盗み出す者がいないかと、睨みをきかせる腹らしいが……くっくっく、阿呆どもめ」
彼女もまたわずかに侮蔑の表情を見せる。
魔導竜という上位種でありながら、少なからずこの地に滞在する彼らを好いている。命を惜しまず民のために戦い、そして財宝なんかよりも友人らの方がずっと大事だと思っている者たちだ。
彼らをきちんと労ってやるならば、王族らをこらしめまい。しかし礼もできぬ輩であれば、魔導竜らはひっそりと牙を剥く。
「では、表向きは正式な歓迎ということで?」
「そうじゃな、ハカムからもそのように要請を受けておる。彼らを正装で出迎えるとしよう」
そう呟き、ぱちんと黒檀の扇子を閉じる。
情報は力である。それは強者との闘いに役立てていたが、この半年ほど北瀬らと過ごしたことで、人の世界もまた同様であることを彼女は知った。
もはやこの砂漠地帯において、ウリドラの知らぬものは無い。数え切れぬ魔具、それを繋ぐ竜骨座によって情報ネットワークを張り巡らせている。
彼女の力を知っているのは後方に控える男性のみであり、目を伏せたままそっと「お手柔らかに」と彼らの代弁を述べた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
いつもと違うなと感じるのは、少女と背中合わせになって着替えていることだろう。すぐ近くから女の子の香りがし、衣擦れの音が聞こえてくるのは妙にどきどきさせられる。
ちら、ちら、と振り返ってくる視線を感じるし、たぶん宝石のように明るい瞳から覗かれているのだろう。
「急いで頂戴、平日にふたりきりで遊びにいけるなんて、そうそう無い機会なの。着替えの時間だって短くしなければ勿体ないわ」
「う、うん。だけど一緒になって着替えなくても良かった気がするけどね」
「こういうのを人間の世界では時短と呼ぶらしいわ。なるべく無駄な時間を削って、それを大事な場所に使うんですって。私たちエルフ族には考えつかなかった方法ね」
うん、こんな時短なんて知らないし、だからといってエルフ族まで実践しなくて良いと思うんだけど。
エルフの森に辿り着いたとき、あくせく時間に追われるエルフ族がいたら……ほら、がっかりするよね?
よいしょと上着を拾うと、ちょうどマリーも同じ仕草をしたらしく、ぽすんと柔らかなお尻に触れてしまう。びっくりして身体を起こすと、とんっと素肌の背中が合わさった。
「わっ、わっ、どうしましょ。思っていたより刺激が強いわ」
「ほら、しっかり。ここまで来たんだ。がんばって着替えてしまおう」
「分かったわ。えーと、ねえ、北瀬さん」
呼ばれ慣れていないそのフレーズに、そして恥ずかしそうな声に、どきりと僕の心臓は音を立てる。
思わずという風に振り返ると、不意に、ぷちゅりと唇同士が重なり合って……おっとおーー! 先ほどのマリーの言葉じゃないけれど、思っていたより今日は刺激が強いぞ!
ぱくぱくと口を開閉していると、いたずらを成功したように肩を露わにしたまま桜色の舌を覗かせる。
「ふふ、今日は特別かしら。はしたないことをしたって、誰からも怒られないだなんて。きっとウリドラがいたら、ふしゃあ!って威嚇をされていたわ」
そう胸元を衣服で隠す彼女から、くすくすと笑われた。
カーテンは閉じているし、いつもより部屋は暗い。でも輝くような肌はそのままで、いつまでも僕の心臓は鳴り続けてしまう。
はあ、おかしいな。恋愛知識のうといエルフ族から、スキンシップの方法を教えてもらうだなんて。
こちらが人間族の大人であるにも関わらず、はやくお着替えなさいと小さなお尻でぐりぐりされると……いやほんと、心臓を落ち着かせるのは難しいよ。
気を落ち着かせるべく深呼吸をし、そして僕は世間話をすることにした。
「夢のなかでちらりとウリドラを見かけたけど、邪魔をするような雰囲気じゃ無かったな。だから黒猫を起こさなくても、文句は言われないと思う」
「当然よ。私たちが平日に有休を取ったんですもの。向こうだってまだまだ祝勝会を続けそうだったし……あら、そういえば王族たちが来るのは明日だったかしら?」
あぁー、とズボンを脱ぎながら生返事をする。
あんまりね、王族という連中に良い印象を抱いていないんだ。彼らはアリライ国を守るというよりは一族への保身が強くって、だから下層の休憩所などで耳にする内容としても悪評が目立つ。
「あら、あなたらしくない発言ね。私だって人間はあまり好きじゃないし、嫌いな人の方がずっと多いけれど、あなたは同じ人間族でしょう?」
「いろいろあるんだよ。上に立つ人というのは一癖も二癖もあって、身を守る術をいくつも持っている。だから年数が経つと妖怪のようになるんだ」
ふうん、と気のない返事が背中から聞こえてくる。ぱさりと足元に落ちてゆくのは彼女の衣服で、すぐ近くから漂う女の子の香りにまたも集中力が乱れるのを感じた。
ああ、エルフの少女が後ろで着替えているだけで、社会人として培ったモラルが簡単にひび割れてしまうのか。
落ち着け、落ち着け。確かにいつ見たって夢じゃないかと思うほど可愛らしいし、中学生のような容姿をした半妖精エルフ族だけど、これはただのお着替えなんだ。やましいことなんてひとつも無い。
そう自分に言い聞かせながら、長袖のシャツを着始めた。
などと苦悩をしていると、助け舟のように少女の声が投げかけられる。思わぬ休日というだけで彼女は機嫌を良くするのか、それは弾むような声だった。
「それで、今日も美味しい食事が待っているのかしら?」
「もちろんだよ。マリーを空腹にさせるだなんて僕が許さない」
そのきっぱりとした言い方が面白かったのか、おなかを押さえて少女はくつくつと笑う。
たぶん僕は彼女の声だけでも好きなんだ。言葉を交わすだけで嬉しいし、おかしそうに笑われるだけで胸がときめく。
ときめくだなんて言葉、社会人になってから使うのはどうかなと思うけど、これまで知らなかったのだから仕方ない。
「ああ、おかしい。私、あなたからえこひいきされるのが、あまり嫌いじゃないみたい。顔を洗ってくるから早く着替えて頂戴、素敵なパンツを履いた北瀬さん」
んえっ、とおかしな声を出したが、その返事はとすとすと離れてゆく足音だった。ひとりぼっちで残されると少しだけ寂しくなり、素早く着替え始めたのは言うでもない。
着替えを終えた僕は、ちらりとベッド脇を見る。そこには硬貨程度の大きさをした金属があって、カーテンの隙間から陽が差し込んでいた。
これはウリドラをこの世界に呼び出すための道具であり、いわゆる使い魔として連れて行けるものだ。といっても美味しいものを食べ、僕の座布団を占拠し、ごろごろするだけだから普通のペットと何ら変わりはない。
ボタンを押せば活動するけれど、本日は2人っきりのデートなのだから触れる必要はない。これまでずっと僕らの進展を応援してくれた彼女なのだから、きっと怒ったりなんてしないだろう。
「ねえ、はやく行きましょう。ぼんやりしていたら陽が暮れてしまうわ、一廣さん」
ひょいと玄関の向こうから、真っ白い髪を揺らして少女が顔を覗かせる。本日のおめかしは、明るい色をしたワンピースと茶色いブーツの組み合わせだ。裾広がりにふんわりとさせており、刺繍の花飾りはどこか素朴で、どこか中世を思わせる。
どうやらファンタジーにも通じる服装をエルフさんは好むらしく、それを眩しく眺めながら僕も歩き出す。
じゃあ行こうかと声をかけるときも、靴を履いているときも、新品のブーツで足踏みをしているのだから可愛らしい。
だいぶご機嫌な様子を見て、僕もまた明るい声で問いかけた。
「エルフの里の場合、恋人同士でデートをするには、どんな場所を選ぶんだい?」
「ええ、まったく興味が無いわ。狩りをしたり川にもぐったり、あれのどこが楽しいのかしら。私にはまるで理解できなかったし、これから向かう場所と比べたら奇行と呼んで差し支えないわ」
心底嫌そうな顔をされ、靴ひもを結びながら僕は小首をかしげる。
じゃあエルフ族をデートに誘うときは「僕と一緒にイノシシを仕留めない?」などと尋ねるのが一般的なのだろうか。
確かに狩猟民族でもあるし、狩りの腕前に魅力を感じるのかもしれないけど……うーん?
がちゃんと鍵をかけながら、そんな彼女に問いかける。
「どうだい、これから僕とイノシシ狩りにでも?」
「んふ、皮も肉も勝手にさばいてくれるなら構わないわ。木陰で小説を読みながら、お尻を蹴られるあなたを見て笑うの。あら、だんだん楽しみになってきたから不思議ね」
うん、とても嫌なデートだしリアルに想像できてしまったぞ。
人間族は人間族らしく、つつましいデートでもしましょうか。そう笑いかけると、待ってましたとばかりに腕に抱きついてくれた。
ずり落ちかけた彼女の帽子を整え、そして平日の昼間にお出かけをする。
そんな風に浮かれた僕らには、不可思議な音が鳴っていることなんて気づけない。それはベッド脇に置いた魔具が鳴らしており、もしも顔を寄せれば、表面に文字が浮き出ていると気づけただろう。
それは竜語で書かれており、幻想世界を愛する北瀬であれば読めたかもしれない。
爪で裂いたような文字には「アラーム」と近しい意味があり、鳴りやんだ直後――ずるんっと黒猫が姿をあらわす。
ととと、と軽やかにベッドを走り、そしてぐうっと全身の伸びをする。仕草としてはまるっきり猫のそれだが、爛々と輝く瞳は「と、思うじゃろう?」と言いたげな悪戯心に満ちている。ぺろりと舌なめずりをする様子もどこか邪悪だ。
きっとマリーを連れたデートならば、普段よりずっと美味しいものを食べるだろう。夜景の見えるレストランかもしれないし、シェフが目の前で焼いてくれる料理かもしれない。
それを予測していたウリドラは、あらかじめ罠をしかけておいたのだ。
目覚ましアラーム機能。
それは次元を超えた2つの世界でありながら、北瀬を除いて初めて干渉してのけた事例だろう。世が世ならば称賛されたろうし、その目的を知ったらあまりの下らなさにそっと溜息を吐く。
まさか美味い物を食べたいがためにこんな大仕掛けをするなんて、と神様が見ていてもあきれ果てたに違いない。
さあて、ショータイムの始まりだにゃん。
ノリノリの黒猫は、そんな言葉を呟くように舌なめずりをすると、ダッと矢のように駆けだした。




