【番外編】ハロウィン③
ドアを開けると陽はとっぷりと暮れており、どこか冬の香りが混じり始めたのを僕は感じる。マンションの通路にはシンとした静けさがあり、無機質な明かりはそれを助長しているかのようだ。
「ほれ、北瀬。ぼうっとしておらずにドアを支えぬか。羽があるわしらは引っかかりやすいのじゃぞ」
「気を付けてねウリドラ、それにシャーリーも」
慌てて靴――じゃなかった、下駄を履いて悪魔、そして天使を外へと案内する。2人とも異なる種類の笑みを見せ、ほんの少し内気なシャーリーは蜂蜜色の髪を整えながらはにかんでくる。
輝かしいとさえ思えるのは、きっと頭上にある天使の輪のせいだろう。花嫁のように髪の毛をヴェールで飾り、やや丈の長いスカートは華奢な腰へ集約されていた。
どすんと腹に当てられたのは、悪魔の肘だった。ウリドラの表情を見る限り、褒めてやれという合図だろうか。
見ればシャーリーは恥ずかしそうに指先を弄っているし、ならば男性として自信を持たせてあげるべきだろう。
「やあ、シャーリー。今夜はとても似合っているね。女神様の見習い期間中らしいけど、こうして見ると天使というのも悪くないんじゃないかな?」
その言葉に瞳を丸くさせた彼女は、しばらくの間をおき、とても色素の薄い頬を赤く染めてゆく。
背中の羽は、ひょっとしたら感情を読み取るのかもしれない。唐突にバサバサと羽ばたきはじめ、まるで制御できないシャーリーは玄関先にうずくまった。
「~~~……っ! っ!」
「ああ、大変だ。ウリドラ、この羽はどうやって静かにさせるんだい?」
「どうもこうも、飛んで逃げようとしておるだけじゃ。そうじゃろう、シャーリー? 大方、北瀬から……おぶうっ!」
つかえが取れて解き放たれたシャーリーは、ものの見事に頭突きをかます。もちろんぶつかった先は悪魔であり、白と黒の羽が辺りに舞い散った。
ちょうどそのとき赤いシューズを履いたエルフさんが玄関をくぐると、腰に手をやり、騒々しい様子に呆れ顔をひとつ見せる。
「まったく、何をしているの。それでも本当に魔導竜と女神様候補なのかしら。さ、行きましょう。ハロウィンイベントに遅れてしまうわ」
そう赤ずきんちゃんの恰好をしたマリーは、おすまし顔をして当然のように僕の腕に手を絡める。
僕はというと、先ほどまで確かに寂しかったはずの通路が、あっという間に賑やかな雰囲気に変わったのを面白いと感じていた。
手には大きな編みカゴを持ち、服装もてんでバラバラだというのに表情はどれも笑顔だ。忘れ物は無いかと声をかけあい、乱れた羽を整えてやり、普段大人しいマリアーベルも今宵ばかりは楽しそうに歩き出す。
「商店街へ行く前に、まずは一条さんの家に行きましょう。さっき連絡をしたから、すぐに出てきてくれると思うわ」
「そうしようか。ハロウィンの日の挨拶はちゃんと覚えた?」
そう話しかけると、エレベータのボタンを押しながらマリーはくるりと振り返る。どこか得意げな表情をしているのは、先ほどまでの練習が功を奏したかもしれない。
「ふふっ、もちろんよ。みんな、今夜ははりきって人間たちを脅かしましょう。そしてたくさんのお菓子を持って家に帰るの」
「あーもー、失敗したあ。脅かさないと駄目だったら、ウリドラの悪魔みたいにもっと怖い感じにすれば良かったじゃん……」
「ふ、ふ、イブもしっかりと役になりきるのじゃぞ。猫ならば語尾は『にゃあ』と付けるのが相場と決まっておるじゃろう」
無理無理、そんなの恥ずかしいじゃん!とダークエルフが悲鳴顔をしているうちにエレベーターの到着だ。
そこは6人程度が乗れる広さで、先客として普通のおじさんが立っている。彼は場違いそうに僕らを眺め、そして端っこへ窮屈そうに身を寄せた。
確かにね、ぎょっとすると思うよ。突然こんな格好をした女性たちに囲まれたら。しかしこの無言の時間というのが少しだけ苦しいな。相手がご近所の方なら尚更だ。
そう思っていると、ぽつりと男性の声が響く。
「あ、もしかして、商店街の?」
「そうです、僕たちハロウィンイベントに行くところなんです」
「はあ、そりゃ凄い。後で私も行ってみようかな」
「ぜひいらしてください。でないと私たち、いたずらをしてしまいますよ?」
ははは、と一転してエレベーター内は談笑に包まれ、そして目的の階になるとウリドラがひらひらと手を振ってお別れだ。どこかぽやんと夢見心地の男性を残し、再び僕らは笑い声をあげる。
「ふふ、おかしい。あんなに驚いた顔をさせてしまうなんて」
ころころと笑うのは、頭から赤色の頭巾をかぶったエルフさんだ。そのような恰好をしていても先ほどよりずっと恥ずかしさが薄れており、早くもハロウィンのイベントを楽しみ始めているのだと分かる。
「そういうのがイベントの良いところじゃないかな。あまり深く考えず、ただ楽しむだけで構わないんだよ」
「そういうの私は大好き。きっとあなたはビリになってしまうでしょうけれど、その時には私がお菓子を分けてあげるわ。皆には内緒ですからね」
そうだった。仮装でビリになってしまうといたずらをされてしまうんだっけね。僕としては半妖精エルフ族からであれば、いくらでもいたずらをされたい気持ちだけど。
少女の指先が、ゆっくりと僕の指に絡んでくる。
10月の終わりとなると風も冷たくなり始め、少女の指もまた冷たい。温まるよう、もぐりこむよう、指と指のあいだに触れてくるのは少しだけくすぐったいなと思う。
そう思いながら隣を見ると、彼女もまたくすぐったそうに見上げていた。
「さあ、赤ずきんちゃん。まずは一条さんを怖がらせられるかな?」
「んふふーっ、任せて頂戴。さっきのおじさんのおかげで、ちょっとだけ自信が出てきたの」
おや、なんという自信過剰なエルフさんだ。僕から見たら可愛らしくて仕方ないというのに、本人だけは自信たっぷりだなんて。
そのように正反対の笑み僕らは浮かべ、一条さんの家のチャイムを指で押した。
さて、皆を連れて商店街にやってきたぞ。
入り口には大きなかぼちゃの飾りが置かれており、怪しげでホラーチックな音楽を響かせている。
ハロウィンといえば黒、そしてオレンジの色が多用されるものだ。ここ地元の商店街も同様であり、あちこちに手作りと分かるもので飾りつけている。
その安っぽさが逆に皆の安心を誘うんじゃないかな。
なぜなら商店街に吸い込まれてゆく人々もまた、この日のためだけに用意をした手作りの衣装だからだ。
しかし夜になると細かな造形など気にならない。
あちこちにランタンが灯されると、普段とはまるで異なる雰囲気を醸し出す。我が家のエルフさんもまた、顔を輝かせて振り返った。
「思っていたより楽しそう! ね、一廣さん、早く行きましょう!」
「へえ、毎年こんなイベントをやっていたんだ。知らなかったな」
手を引かれ、感心しながら周囲を見渡す。
お店の協力もあって周囲はハロウィン一色だ。観光客もいるが、ほとんどは地元の人たちによる賑わいだ。参加者のほとんどは家族連れや高齢の方がほとんどだと思う。
物珍しく眺めていると、隣を歩いていた徹さんが振り向く。
「そうか、北瀬君は知らないのか。これでも以前はだいぶ地味だった。それが今ではクリスマスより盛んだよ。思うに、交流として考えると優れたイベントなんじゃないかなあ」
ひょっとしたら役所仕事の一環で、商店街を盛り上げようとしていたのかもしれない。そう教えてくれた彼は、得意げな表情で笑いかけてくる。
ただし恰好は「ちくわ」だ。
冗談などではない。ちくわに穴を開け、そこから顔を覗かせているのだ。おかげで格好良いセリフを言っても、彼の頭は左右に揺れている。
「……すみません、先に伝えておけば良かったのですが」
「……いや、いいんだ。私も『何でも良い』なんてウリドラさんに伝えたのが悪かった。お互いに後悔は先に立たないものだね、北瀬君」
揃って男性陣は、ふうと大きなため息を吐く。
その代わりと言ってはなんだけど、女性陣は華やかだ。赤ずきんちゃん、猫娘、そして天使と悪魔。さらには薫子さんが三角帽子の魔法使い姿で加わったのだから尚更だ。
その彼女はこちらの視線に気がつくと、たたたと勢いよく駆けてくる。そして、ちくわにどしんと体当たりをした。
「すごいです! 第二階層の皆さんと一緒に遊べるなんて! 徹さんっ、今夜はたくさん私たちを撮影してくださいね!」
「ああ、この私に任せてくれ、薫子」
ずり落ちかけた三角帽子を支え、薫子さんは楽しそうにピースサインを向けてくる。ちくわ姿の旦那さんも愛する妻を楽しませたいのか、どこかユーモアのある動きをしているのが印象的だった。
子供や年寄りの参加が多いこの商店街イベントは、そのローカルさが良いのだと思う。テレビで報道されているような場所だとマリーはきっと疲れてしまうだろうし、普段から顔なじみのあるお店の人と触れ合った方が安心できると僕は思う。
ちょうど彼女に手渡されたのはお肉屋さんのコロッケで、ありがとうと少女はお礼を言っていた。ずっと前は人間が嫌いだったというのに。
これまで見守ってきた僕としては微笑ましい思いだね。
「北瀬君、以前とだいぶ変わったね」
「え?」
唐突なその声に振り返る。そこには「ちくわ」らしからぬ事に、徹さんが肩をすくめていた。
「前の印象だと、もう少し怖がっていたかなあ。薫子とマリーちゃんが友達になるのも悩んでいたみたいだったし」
「ああ、それは確かに……そうですね、だいぶ落ち着いたと思います。本当に時間というのは大事ですね」
視線を戻すと、きゃいきゃいとはしゃぎながら皆は歩いていた。ハロウィンというのは人々の交流の場であって、また雰囲気を楽しむイベントだ。
それを理解した彼女たちは記念撮影をしたり、なじみある人と話をしたりしている。
そんな様子をどこか遠くから眺め、しかし微笑ましく感じている。
普段と異なる雰囲気のせいだろうか。自然と胸の内にあったものを言葉にしていた。
「夢の世界からエルフ族がやってきて、守ってあげないといけないと思ったんです。でもみんな本当は逞しくて、すぐ日本に馴染んでくれる。守る必要はあるけれど、それは最低限で構わないと思うようになりました」
「うん、私もそう思うよ。ここ最近の薫子は特に明るいし、働くこと以外の楽しみを見つけてくれた。だから私たち男性は、そっと背中を押すだけで良いのさ」
例えばこんな風にね、と彼はお財布を取り出し――あれ、いまどこから取り出したんだろう――たこ焼き屋の店主に注文をする。
これが彼流の「楽しむために背中を押す」ということらしい。食欲をそそるソースの香りは、確かに彼女らの機嫌をより高めるだろう。
「意外に徹さんってフェミニストなんですね」
「君を見習って、ね。たまには良いだろう。女性を大事にするちくわが居たって」
その言葉がユーモアたっぷりで、はははと僕らは笑い合う。
と、そんな話をしていると、ぱっと周囲が明るくなった気がした。ちょうど街灯でもあったのかなと見上げても、特にそんな様子はない。
はて、と周囲を見回すと、真後ろに立っている純白の女性に気がついた。
「ど、どうしたのシャーリー。泣きそうな顔をして」
「……」
ううう、と唇を引き結び、眉尻を下げたシャーリーが上目遣いに見上げてくる。それから困ったように周囲をきょろきょろしているが……。
「なんだか明るいね、シャーリーだけ」
そうなんです!と言うように両手をぷんぷんと振ってきた。
ああ、そうか。天使の輪っかが照明になっていて、周囲より目立ってしまっているのかとようやく合点がいった。
ただでさえ綺麗な羽を生やしているのだし、子供たちにとってはたまらない。
恥ずかしがり屋のシャーリーはいつも通り、隠れるように僕の背中にくっついた。
よっぽど困っていたのだろうか。腰のあたりに腕をまわし、ぎゅうと抱きついてこられると……うーん、今度は僕が困らされる番かもしれない。
そんな様子を見て、徹さんは口を開けて笑った。
「はは、古代迷宮より、私たちの商店街で困るなんて面白い。じゃあシャーリーさん、お菓子の代わりにタコ焼きをプレゼントしよう」
ぱちっと瞳を開いたシャーリーは、そのいかにも美味しそうな包みをじっと見て、空いていた方の手を伸ばす。ちくわから天使にプレゼントだなんて、きっとハロウィンでしかお目にかかれないだろうね。
ちょうど向こうではおもちゃ屋のおじいさんと話している姿が見える。タコ焼きを手にした僕らは、そこに向かってゆっくりと歩き始めた。
僕は初対面だったけど、マリーらは以前遊びに行ったことがあるらしい。へえと感心をしながら、軒先でお茶をいただきながら軽食を楽しむ。
商店街にとっても驚きだったらしい。老人や子供ばかりの集まる場所に、幻想世界を感じさせる女性たちがやって来たのだから、それは当然か。
おじいさんの話によると、妖精のような子をたまに見かけると噂になっていたらしい。それはきっとマリーがお散歩を楽しんでいたからだろうけど、この日になってようやく地元の輪に加えてもらえた気分だった。
赤ずきんちゃんは青森から送られた林檎を持ち、小学生の子と一緒に写真を撮る。それが終わると、決まってこちらへ駆けてくるのだから「転びそうだから走らないで欲しいな」と僕は思う。
案の定つまづくと、僕はマリアーベルを支え、ちくわは放物線を描いた林檎をキャッチする。その一瞬の早業に、これが女性を守るということか、などと僕は思うのだった。
ただし、ランダム発生するイベント、頭からズボッと飛び出してくるマスコットキャラがいては台無しだ。やれやれ、また笑われてしまうな。
そう思っていると、マリーはぎゅむりとの指先でキャラクターを追いやった。
「あなたは少し黙ってなさい。私はちゃんとお礼を言いたいの。一廣さん、支えてくれてありがとう」
「どういたしまして、赤ずきんちゃん」
ふふっと彼女は笑い、桜色で艶のある唇からかすかに舌先を覗かせる。
それは少女らしいほがらかな笑みであり、また絵本から飛び出てきた赤ずきんちゃんのようでもある。もちろん狼が出たら半妖怪の僕、そしてちくわが守るだろう。
改めて、こんなイベントに参加するのもたまには良いものだなと僕は思った。
さて、そのように楽しい時を過ごしても、勝負が無くなるわけじゃない。どうやら今夜の仮装勝負は、これまでに得たお菓子の量で決まるらしい。
僕は4つの飴玉を持ち、そして隣のちくわは3つだった。皆は声を出してカゴに入った数をいまも数え続けているが、僕ら男性陣は文字通りの秒殺だ。数える行為はあっという間に終わり、先ほどから手のひらをじっと眺める時間が続いている。
ああ、なんて残酷なイベントなのだろう。
「……北瀬君、その飴玉をひとつくれないか?」
「え、嫌ですよ。僕がビリになるじゃないですか」
よくよく考えてみると、ちくわに飴玉をくれた人こそ貴重だと思う。僕だったら真っ先に目を逸らしてしまうだろうし。
などと思っていると、手のひらを下からパシッと叩かれ、飴玉が宙に舞う。犯人を捜すまでもない。ちくわから叩かれたんだ。
そのあまりの大人げの無さに、僕は信じられない思いで目を見開く。
ゆっくりと舞う飴玉は、まるで加速を使用したようスローモーションに映る。その向こう、ちくわに穴をあけ、顔を覗かせる男性は確かにひっそりと微笑んでいた。
「お菓子をくれないなら、いたずらをするんだよ、私はね?」
まさか、ここに来てトリックオアトリート、だとッ!?
その邪悪な笑みは国家公務員と思えない表情であり、慌てた僕は悲鳴じみた声をあげる。
「ああ~~っ! 僕の飴玉があッ!」
そのように、僕らしからぬ言葉が口から飛び出す。タイミングを見計らったよう、マスコットキャラクターが僕の髪の毛からズボッと飛び出した。
イベントの最後にして、大笑いされたのは言うまでもない。




