【番外編】ハロウィン②
温められたお布団は気持ちよく、睡眠を愛する僕にとってベストコンディションと言える。
目覚めたときはすぐに目を開けず、たっぷり眠った感覚をまず楽しむことだ。寝心地の良いベッドは快眠を約束し、おかげで朝という清々しい時間を楽しめる。
くありと欠伸をひとつだけして、それからゆっくりと目を覚ます。すると目の前には美しいエルフ族が……いない。あれ、誰だこの子。
褐色の肌と気の強そうな眉。そして青色の瞳は楽しげに細められている。
ああ、この人はダークエルフの……と思い出しかけたところで、ぐんっと彼女は一息に立ち上がる。
「んわーっ、来たっ、日本だっ! きゃほーーっ」
ぐわんとベッドがたわむほどの勢いで、かけ布団を吹き飛ばしてダークエルフは目覚めた。
できれば朝は情緒たっぷりに目覚めたかったなぁ……。
「一廣っ、起きて起きて! いつまでも寝ぼけた顔をしてないで――って、いつもこんな顔だっけ――ほら早くう! 一緒にハロウィンをしようよぉーっ!」
「ちょっと、引っ張らないで。分かった、分かったから……!」
さりげなく悪口を言われた気もしなくもない。まだ寝グセがあるのに、容赦なくベッドからずるーっと引きずり下ろされた。
分かっていたけどこの子、興味あるものへの突進力がすごいし腕力もすごい。べしゃあっとフローリングに転がされ、パンツが見えるまで腕を引きずられると……もうやめて! 朝だけはのんびりさせて! と悲鳴をあげたくなる。
彼女が高揚するのも無理はない。
リビングではエルフ、魔導竜、そして元第二階層主のシャーリーがおり、既にコスプレ衣装作りを始めていたんだ。
洋服を着せるための人形はたぶんウリドラの生み出したものだろうし、あちこちに布地が広げられている。本日の衣装造りは普段よりずっと本格的だった。
それを見たイブは、ぽいっと僕の手を離して駆けてゆく。
ひどい。僕のズボンをずり下ろしておいて……。
「わあ、わあーっ! スゴいじゃん! これ本当にみんなで作ってんの!? プロっぽいし、これならあたしお金を出してもいいよ!」
「相変わらず朝っぱらからうるさいのう、おぬしは。こっちの世界じゃとイブは無一文じゃろうが」
「ほら、はしゃいでいないで、あなたも早く『こすぷれ』衣装をどれにするか選びなさい。時間は有限で、こうしている今も皆は着々と準備をしているの。ビリにはもちろんキツーい罰……じゃなくって、いたずらが待っているのよ」
そう彼女らは返事をする。マリーも普段よりずっと表情が明るく、先ほどの言葉もお化けのようなポーズをしながらだ。
そしてテーブルには参考となる本がたくさん並べられており、これから何かを始める気配が漂っている。
するとイブはいかにも楽しみで仕方ないという風に、その場でドタドタと足踏みをしてから空いている椅子に勢いよく座った。
そんな様子を眺めながら、僕はゆっくりと立ち上がる。ずりおちたズボンをグイと持ち上げ、欠伸をかみ殺しながら近づいて行った。
「びっくりしたよ。向こうの世界で眠りにつこうっていう時に、イブが飛び込んで来たのには。どうしてこれから遊ぶって分かったんだい?」
さあ寝ようという時に、ターンと障子を勢いよく開けて彼女がやってきたんだ。
日本へ一度に運べる人数は限られているので、先程はやむなくイブを迎えに行ったというわけだ。
「ひどい! あたしも遊びに誘ってって何度も言ってんじゃん! ほらぁ、シャーリーも一緒じゃん!」
勢いよく指先を向けられて、びくんとシャーリーは肩を跳ね上げた。物珍しそうに衣装を眺めていたので驚いたのだろう。
てててと彼女は駆け、さっと僕の背中に隠れてきた。まるで小動物のような仕草だけど、彼女は大きな声に弱かったりするからね。そのぶん無口なのかもしれない。
背後から青空色の瞳がちらちらと覗いているなか、僕もテーブルに歩み寄る。そこにはファッション誌や童話の本、それにアニメのDVDなどエルフ族にとっての秘蔵コレクションが山盛りとなっていた。
横を眺めると、やはり彼女専用の収納家具、宝箱がぱかりと開けられている。
「それで、皆はどんな服にするか決まった?」
「ちょうど相談していた最中じゃ。ひとごとのように言うておるが、おぬしもちゃーんと参加をするのじゃぞ。嫌そうな顔をするでない。アメシスト隊の隊長じゃろうが」
うっ、早々に釘を刺されてしまったぞ。
この年だとコスプレは少々……いや何歳であろうとキツいし、そもそも体験したいなんて思っていない。今日は遠くから眺めて、写真を撮る役目だと思っていたのに……。
「まあ仕方ないか。でもあまり興味あるものが無いから、ウリドラに任せても平気かな?」
そう答えると、女性陣が一斉に顔を向けてきた。
「ほう」「あら」「だいじょーぶ?」「……」
それぞれまったく異なる表情をしており、ウリドラは挑発的に、マリーは意外そうに、イブは可哀そうなものを見るように、そしてシャーリーはよく分かっておらず小首を傾げる。
なにか大変なことを言ってしまった気もするが……いや、今からでも無難なものを選ぶべきだ。でないときっと後悔をする。
そう確信して雑誌に手を伸ばすと、がしっと手首を握られた。白魚のような肌と黒のマニキュアを見るまでもない。小悪魔じみた顔つきをする魔導竜様だ。
「ほほう、では手始めにおぬしを相手にいたずらを楽しむとしよう。なに、わしのいたずらなど生ぬるいぞ。数千年の時を生き、ありとあらゆる者たちを喰ろうてきた身という程度じゃからな」
ぞっとした。外からは暖かな陽ざしが部屋を染めているのに、この楽しそうな表情を見て、腰からぶるっと震えてしまった。
そうだ、同じマンションの一条さんも巻き込も――いや、声をかけるとしよう。そうしたらきっといたずらの標的が増えて――じゃない、親睦を深められるに違いない。
にこりと引きつった笑みをすると、ウリドラは見惚れるほどの妖艶な笑みを返す。
その後ろでマリーは「知ーらない」と、顔をぷいと逸らしていた。
江東区にある、とあるマンションの一角。
そこには年に一度のイベントを楽しむ光景があった。
かぼちゃのランタンが玄関先を飾り、そのドアを開けると陽気で陰気で、いたずら心に満ちた音楽が響いている。
それはどこか魔界のようであり、普段とは異なる様子に幻想世界の皆でさえ浮かれている。
椅子に座って両足を揺すっているのは、褐色の肌をしたイブだった。身体を飾るのはふわふわの白い毛であり、頭には三角形のピンととがった猫耳だ。
髪の毛も同色のカツラにしており、楽しそうな表情を隠しもせずにこちらへ振り返る。
「見て見て、あたしの尻尾。ちゃんと動くんだよ。ほら、けっこースゴくない?」
魔導竜製のアイテムともなれば、もちろん普通の衣装などではない。意思があるよう猫の尻尾は動き、僕の目の前で左右に揺れていた。
「うーん、どういう原理なのかぜんぜん分からないね」
そう驚いた顔を見せると、ダークエルフはにんまりと笑う。かすかに覗くとがった八重歯も印象的だ。
それから猫とよく似た顔を、ずいとこちらに寄せてくる。
「ねえねえ、可愛いでしょ? これならあたしが優勝じゃない?」
「うん、イブはずっと前から美人だし、少なくとも僕より順位は上だと思うよ」
うっとイブは息を詰まらせ、何かを言おうとしているのか唇を慌ただしく動かす。それから爪つきの手袋で、ばりっと肩を引っ掻かれた。
「もーー、ちがうって! あたしじゃなくって、この尻尾のことだってば! なんか一廣はこっちの世界だとズルい。あたしの方が年上なのにさ!」
べえっと舌を出されてしまった。
あれ、そうだったの? 顔を近づけてくるから、てっきり……というよりもイブさん。僕を爪とぎ道具みたいにバリバリ引っ掻いてくるのは、くすぐったいからやめてくれませんかね。
さて、くじ引きをした結果、衣装の披露をする順番は、僕、イブ、マリー、ウリドラ、シャーリーの順になった。もちろん一番最初である僕は、無人のリビングに突っ立って5分ほど過ごしただけだよ。
「おっと、そろそろマリーの出番かな?」
浴室の戸がかすかに開き、隙間からそっと薄紫色の瞳が覗いてくる。
すーはーと深呼吸をしているのだろう。勇気づけるように間をおいて、がらっと勢いよく戸を開く。
現れたのは真っ白い髪をおさげにし、赤頭巾と同色のマントをはおったエルフさんだった。
わずかに頬を赤くさせ、腕には林檎を載せた編みかごがある。ややスカートは短めで、太ももまでの白タイツをリボンで結んでいた。
絵本好きな彼女らしく「赤ずきんちゃん」を元にしており、このハロウィンでも同じ姿を見かけることもある。
しかし半妖精エルフ族というのはまったくの別物だ。絵本からそのまま飛び出したように幻想的であり、僕らはぽかんと口を開ける他ない。
きっとコスプレの高揚感が、その衣装を許したのだろう。ちらりと覗く太ももが、なぜだかとても眩しく感じられた。
その彼女は目の前でぴたりと歩みを止め、恥ずかそうに唇を開いた。
「お、お菓子をくれないと……いたずら、しちゃいますよ、一廣さんっ」
かぁーっと顔を赤くさせてゆく様子を見て、なぜか僕は「いたずらされてみたい」という思いをする。
いやいや違う。間違えた。ちゃんとお菓子をあげないとエルフさんが可哀想だ。
「やあ、赤ずきんちゃんだね。さすがは半妖精エルフ族だ。まるで絵本のように幻想的だし、メルヘンな雰囲気もある。審査員のイブさん、いかがですか?」
「いいじゃん、いいじゃん。可愛いじゃん! マリーっていつも真面目そうな服だしさ、こういうのも良いって思うよ。あーあ、たまにはあたしもスカート履こっかなぁー。太もも見せるのもエロいし」
ちょうどそのスカートを指でつまんでいたエルフさんは、かああっとさらに頬を染めてゆく。こうしてコスプレをするのは初めてなので、人目を浴びて恥ずかしいのだろう。
とすとすと足踏みをし、それから助けを求めるよう近づいてきた。
「わ、わっ、恥ずかしっ! どうして2人とも平然としていられるの? とくに一廣さんなんてそんなにひどい恰好なのに」
ブフォッ!とイブが瞬間的に吹き出した。しかし僕は彼女の言葉は真実だと感じている。
そう、ひどかった。ひどすぎた。うっかり「ウリドラのお任せコース」を希望したせいで、今の僕の恰好ときたら……。
それはぺったりとした7:3の髪型から始まる。頭のてっぺんはピンと針のように立ち、そして半ズボンにちゃんちゃんこを羽織っているのは……本当にひどい。
もちろんこちらも魔導竜の手作りであり、そんじゃそこらのコスプレとはわけが違う。その証拠として、たまに髪の中から目玉っぽいのがズボッと飛び出てくるのだ。
ちょうどその瞬間を目撃してしまったマリーは、笑ったら悪いと思っているのか苦しそうにおなかを押さえ、プルプルと震え始めた。
「ごっ、ごめんなさっ……あなたのことを笑ったら……」
「いいんだ。今日はハロウィンなんだし、マリーも思い切り楽しむべきだと思うよ」
そう話している最中も、頭から飛び出てきたものが甲高い声で呼んでくる。僕というかキャラクターの名前を連呼してくるのだから、流石のマリーも耐えきれない。
ぶふぉっ!と爆発するように口元を押さえ、そのままフローリングにうずくまってしまうのだからよっぽどだ。
「~~~……ッ!」
「ぶあーっははは! おなか痛いっ! なんだこのちっこいの、急に飛び出てきたし声が甲高い! アーーハハハハ!」
「やあだあ、もう! 私はちゃんとこらえていたのにっ……ぶふうっ! あはは! なにその恰好、あはははは! ひどいにもほどがあるわ!」
ああ、なんて日だ。まさかエルフ族とダークエルフ族から指を向けられ、笑い転げられてしまうだなんて。
手をぎゅっと握り、来年こそはちゃんと無難な衣装を頼もうと僕は固く誓った。
さて、最後に登場したのはウリドラとシャーリーのコンビだ。
どうやら天使と悪魔というコンセプトらしく、ウリドラは巻き角とドレス姿をしており、刺繍の向こうには大人の色気を覗かせている。
対照的にシャーリーは純白のドレスだ。互いに背中へ羽をつけており、これは当たり前のように羽ばたきも出来る。
「おおー、羽の造りが細かいね! さすがはウリドラだ。造形への強いこだわりを感じるよ」
「ふふん、ぬしの服装にもこだわっておるぞー。なにしろ、今宵のわしは悪魔じゃからのう」
にんまりと唇に笑みを浮かべ、指先が顎に触れて上向かせてくる。透けた刺繍は女性としての色気が強く、頬が熱くなるのを感じる。
そう思った直後にウリドラは耐えきれずに口元を押さえた。理由はもちろん、僕の髪の毛からズボッと飛び出てきたマスコットキャラによるものだ。
「ぐっはっはっ! 悪魔の気配を感じて飛び出てきおったぞ! ぐあーっははは、腹が痛くて敵わん!」
「……うん、こんなこだわり、僕は欲しくなかったな」
背後に揺れるのはやはり悪魔を模した尻尾であり、愉快げであった。彼女に任せたのは全面的に失敗だと、心の底から思い知ったよ。




