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第239話 エルフさんとシネマな週末②

 睡眠というのはとても心地よいものだ。一日の疲れを癒し、また明日への活力を与えてくれる。


 いつもならしゃっきりと目を覚ます僕なのだが、中途半端な時間に昼寝をしたせいでひどく眠い。まぶたに重りでもついているようだ。

 もう少しこの布団に包まれて、まどろみを楽しみたいと願ってしまう。


 夢の世界と現実の世界。

 それは少しだけ不思議なことに、それぞれの世界で睡眠時間は独立しているのではと思う。例えば江東区のマンションで眠りについたとき、こちらの夢の世界ですぐに目覚めるのだが、たっぷりと寝た感覚がある。

 逆もまた同様で、いくら冒険をしてヘトヘトになっていても、気持ちよく目を覚まして会社へと向かう。


 互いの世界は約半日のズレがあり、だからこうしてお昼寝をした場合、真夜中に起きたような睡眠不足感を覚えるのだろう。

 布団の温かさと柔らかさを楽しんでいたとき、ごそりと隣人の身を起こす気配があった。マリアーベルもやはり眠たいらしく、真っ暗な部屋に可愛らしい欠伸を響かせていた。


 それから、じっと覗き込まれるような視線を感じた。

 分かっているよマリー、今日は大事な大事な日曜日だし、すぐにウリドラを連れて戻らないといけないよね。映画館が待っているし、いつまでも布団を楽しんでいてはいけないだろう。


 あと5分と言いかけた時に、小さな指先から顎をつままれる。

 何をされているのだろうと不思議に思っていると、衣擦れの音と共に――ふかり、とひどく柔らかなものから僕の唇は包まれた。


 安心さえ覚えるようなこの感触は、一体何なのか。すべすべしており、つい食んでしまいたくなる。

 不思議に思っていると、首筋にさらりと別のものが触れてくる。絹糸の束のようであり、まるでマリーの髪のような――唐突に、いま何をされているのか僕は気づき、ぎょっと身体を強張らせた。


「寝ぼすけさん。いつまでも狸寝入りをしていては駄目よ」


 視界が開けるなり、悪戯を成功させたような半妖精エルフ族の美しい顔が待っている。

 ああ、こんな事をされては僕の眠気なんて簡単に吹き飛ばされてしまうし、ちょんと指先で鼻を突かれるのも心臓に矢を打ち込まれたかのようだ。


 幸いなのは、この夢の世界は真夜中であり、あまり僕の顔を見られずに済んだ事だろう。身を起こす少女を追うように周囲を眺めると、やはり眠る前の光景と大きく様変わりをしていた。


 真夜中のように辺りは暗く、障子の向こうから、ざざあとこずえの音が聞こえてくる。それはどこか昔話を思い出すような雰囲気だ。そして寝床はベッドではなく畳敷きの布団へと変わっている。


「いらっしゃい、光精霊」


 浴衣姿の少女は透き通るような声を漏らすと、宙に淡い光が浮かぶ。小さな指先からつんつんと突つかれて、光の粒を撒きながら精霊は明るさを増してゆく。


 薄暗い部屋に、妖精じみた横顔が浮かびあがる。それはどこか印象的で、少女が振り返るまで僕は見とれてしまった。

 いや、実はたぶんずっと彼女に見とれているのだ。だからいつも視線は彼女の姿を追い続け、いつもより背伸びをしたくなる。


 と、そのとき障子の外から誰かの足音が聞こえてきた。砂利を踏む音は止まり、落ち着いた声で話しかけられた。


「夜分遅くに失礼いたします。ウリドラからの使いで参りました」


 聞きなれない男性の声に、僕らは少しだけ戸惑った。とはいえ新しい従業員を雇うと聞いてもいたので、彼がそうなのかもしれない。

 たんっと障子を開けると、やはり初めて見る顔の男性がそこにいた。鈴虫たちの声に包まれながら、まるでモデルのように一分の隙もなく執事服を着こなしている。


「初めまして。本日から皆様のお世話をさせていただくラヴォスと申します」

「あ、どうも初めまして。僕は北瀬、彼女はマリアーベルと言います」


 慌ててこちらも頭を下げる。

 すらりと背の高い彼は、驚くほど顔が整っていた。蛍光色の髪を揺らし、その下には黄金に近しい切れ長の瞳がある。柔和な表情をしているけれど、只者ではない雰囲気だ。

 一体何者なのだろうと不思議に思い、マリーと見つめ合ってしまった。


「では、どうぞこちらへ、北瀬様、マリアーベル様。お召し物はそのままで宜しいかと思います」


 どうやら自己紹介よりも先に、ウリドラへの案内をしたいようだ。身を翻す彼を追い、真夜中の小道を歩き出した。


 ここは僕らが寝泊まりするための離れであり、落ち着いた和風な庭に包まれて静かに過ごすことができる。


 見れば屋敷の母家はすっかりと灯りを落としており、辺りは静まり返っていた。僕らの足音、そして木々のこずえだけが耳に響く。

 光精霊のおかげでさほど足元にも困らず、いつの間にやら少女から手を繋がれていた。

 林に入りかけた時、先導する彼から話しかけられた。


「ここの夜は綺麗な色をしていますね。まさかこんな景色が古代迷宮にあるなんて、と私は驚きました」

「本当ですね。静かで落ち着いていて、おかげでいつでも気持よく眠れます」

「私も好きよ。真っ暗なのに怖くないし、何故か少しだけ楽しい気分になれるもの」


 ふふ、と彼は少し嬉しそうに笑う。夜のことを話していたのに己が褒められたような笑みであり、不思議な思いをさせられた。


「こんな話を知っています。昔々、人も獣も魔物も、何の境目も無い時代。彼らは夜のあいだに限り、争いをやめたそうです」


 夜に聞くにはぴったりの声で、彼は昔話を語り始めた。

 情緒ある言葉だと感じたのかもしれない。語り部のような落ち着いた響きに、自然と耳を傾ける。


「夜の時代、魔の時代、それは永遠に続くと思っていましたが、一筋の光が差し込んで、世界を照らし始めます。そして初めて、世界はこんな色をしていたのだな、と誰もが思ったそうです」


 ああ、そのときの気持ちは少しだけ分かる。

 心地よい夜というのは僕も好きだけれど、明るさに包まれてゆく景色というのも綺麗だと感じる。

 彼は振り返りながら笑みを浮かべ、白いネクタイを指で締めた。その色は主人との差を表しているのかもしれない。


「それ以来、彼らは夜というのを楽しみにし、寝床へと帰る習慣を身につけたそうです。だから夜は大事にされ、静けさを乱す者には罰を与えるようになりました。特に人間は、それをとても恐れたそうですよ」


 そう話しかけられながら林を抜けると、開けた湖が待っている。水面には月明かりが揺らいでおり、その向こうにあるキャンプ地には人影が……いや、リザードマンらの姿が見えた。


 夜行性の彼らは働き者で、力仕事も細かい作業もこなしてくれる。この第二階層広間において、なくてはならないとても大事な存在だろう。


 その中心には黒髪をしたウリドラがおり、皆に指示を与えていた。辺りへの飾りつけを見る限りは、祝勝会の準備を進めてくれていると分かる。

 彼女はすこしばかり見栄を張りやすく、さっと魔法のように場を演出したがる。だからこうして夜のうちに進めていたのかもしれない。


「いくら年数を重ねても、魔物たちは夜を好み続けます。それはきっと生まれ持った本能なのでしょう」


 昔話を締めくくり、彼はゆっくりと足を進めた。

 それから思い出したようにラヴォスは振り返る。


「この階層に来て一番驚いたのは、あなたの事ですよ。まるでこの夜のような匂いをしている。そちらのマリアーベル様も、だから夜を好きになれたのかもしれませんね」

「あら、それは彼が眠そうな顔をしているからかしら。でも夜が好きになったのは本当よ。空気が落ち着いていて、私はとても好き」


 にこりと彼は嬉しそうに笑う。やはり己が褒められたような笑みであり、きっとこれから親しく接することの出来る相手だと思わせた。


 まあもちろん彼が伝説の存在、焔天竜だったなんて僕にはまったく気づけないよ。もし知っていたなら、たぶん握手とサイン、それから記念撮影を求めていたんじゃないかな。




 木にくくられた白い布地を、僕らは興味深く見上げる。

 パンパンと手を払いながら歩いてきたのは、作業用の動きやすい恰好をした魔導竜、ウリドラだった。


「これは何の準備をしているんだい、ウリドラ?」

「うむ、先ほど聞いた映画館の真似をできないものかと考えておった。明日の祝勝会では、これを目玉にしようと思うてのう。あとは実際に見に行って、詳しく観察するとしよう」


 ぱちんと僕とマリーは瞳を開く。まさかだけど、ファンタジー世界で映画を流すつもりかな?

 破天荒なことだけど彼女らしいと感じてしまう。これまで何度となく映画やアニメを楽しんだのだし、第二階層を娯楽施設に作り上げてしまうような女性だ。


「ご苦労であったな、ラヴォス。細かい設置作業はおぬしに任せるぞ」

「はい、どうぞ楽しい時間をお過ごしください。そうそう、客人らの中には音楽に秀でた者たちもおります。彼ら用の演奏場を用意しても宜しいですか?」


 好きに用意してくれ、と黒髪美女は楽しげに笑い返す。

 数千年を生きているにも関わらず、彼女は楽しい場というものを好む。いや、人と接するようになったのは最近になってからと聞くので、そのような演出を楽しんでいるのかもしれない。

 それから僕とマリーを両脇に抱えるよう抱きつくと、古代竜とは思えない人好きのする笑みを向けてきた。


「さて、これからどんな映画を見るのじゃ?」

「戻ってから一緒に選ぼうよ。好みに合うものがあれば良いんだけどね」


 映画館をよほど楽しみにしているのか、2人とも瞳の輝きを増してゆく。

 これまで散々映画を楽しんで来たからね。本格的に楽しめる専用施設と聞いて、心を躍らせないわけがない。


「でも呆れたわ、ウリドラ。忙しくないと答えたのは、彼に仕事を押し付けたからでしょう?」

「ふむ、そのように穿うがった見解も出来るようじゃな。しかし正しくは、あやつが一人前に成長できるよう、深ぁーい思いやりを込めて仕事と子守を――押し付けたのじゃ」


 やっぱり!とマリアーベルと一緒に2人は笑い出した。

 彼女たちはエルフと竜という組み合わせだけれど、まるで姉妹のように仲が良い。どちらが姉なのかはその時々によって変わってしまうけれど、互いの長所と短所が良い形で合わさる仲じゃないかな。


 ただ、夢のなかだと僕はなぜか少年の姿に戻ってしまうので、彼女の胸が当たってしまいそうで仰け反らないといけないけれど。


 ここは古代迷宮の第二階層にある、僕ら専用の遊び場だ。

 とはいえもう専用と呼ぶには客人の数が増えており、共有空間と呼んだ方が良いかもしれない。

 もう間もなく、攻略を終えたばかりの第三階層の改造も始まるだろう。やがてどのような景色に変わるのか、今はまだ誰にも分からない。


 かつての階層主も夜を好んでいたのだろうか。

 空に広がる星空は、綺麗な流星さえ映し出す。


 それを見上げながら、秋らしい虫の音に包まれて僕らは離れへと歩き続けた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 さて、夢の世界から魔導竜ウリドラを連れてきたならば、僕には必ず守らなければいけない事がある。

 それは、くああーと耳元で欠伸をする彼女を決して振り返らないことだ。魔導竜はなぜか就寝時に衣服を着ることを嫌がり、いくら言っても直らなかった。


 しかし寝ぼけた彼女は背中から抱きついており、寝起きの癖なのか力を込めてくる。ぶるぶる震えを伝える様子は黒猫のときと同じだけれど、生身ではまったく違う状況になるのだと理解をして欲しいかな。


「ぐううー、相変わらず目覚めが気持ちよすぎるのうー」


 などと呟きながら、のしりと何か柔らかいものが頬に乗ってくる……けど、これは何ですか?

 ベッドを鳴らして起き上がると、その重さも離れてくれてホッとする。

 遅れてエルフさんも目覚めると、可愛らしい欠伸を目の前で見せてくれて、これはこれで気恥ずかしい。真珠のような歯と、綺麗な舌を見せられると少しだけドキドキしてしまうのだ。


「んー、早く着替えなさいウリドラ。これから映画館に私たちは行くのよ?」

「そうじゃった! うむ、うむ、実に楽しみじゃ!」


 子猫のときと同じ仕草でベッドから離れ、寝起きとは思えない明るい声を発してくる。もちろん僕はまだ目を閉じたままであり、声を返すことしか許されていないよ。


「2人とも、今日はどんな服装にするんだい?」

「そうね、映画にぴったりな服装と言えば……あら、何も思いつかないわ」

「秋らしいシックな感じが良いじゃろう。館内であれば風も無いだろうし、過ごしやすい服にしよう」


 そう言い、ウリドラは魔生誕クリエイトなる技能スキルを使う。

 もちろん技能スキルなんて使えるのは夢の世界だけだけれど、魔導竜ともなるとことわりを覆らせるらしい。

 とはいえ行っている事は洋服や小物造りくらいなので、たぶん可愛い範疇だと思う。


 どうぞと声をかけられて、ようやく僕はベッドから身を起こす。

 カーテンを開いた部屋は明るく、全面フローリング張りの1DKという間取りが広がる。広さとしては12畳くらいだと思う。

 そこでスカートの裾を広げているのは、まるでファッションショーのようだね。


 クリーム色をしたニットと、裾広がりをしたチェック模様のスカート。新品のような皮のブーツも秋らしい良い色をしている。少し古い表現かもしれないけれど、森ガールのような服装をマリアーベルは好みやすい。


 対するウリドラはというと、意外にもビジネスでも通用しそうな落ち着いたジャケットと、刺繍の多い膝上までのスカートだ。小脇に抱えた鞄にも品がある。

 ただし彼女の場合は胸などが大きく、少しばかり色気が強いかもしれない。もしも同じ職場にいたら皆がドギマギするだろうな。


「えーと、良く似合っているね。じゃあ車の中で映画を選びながら移動をしようか。その……すごく可愛いです」


 何か言葉が足りないのでは?という女性達からの瞳に負けて、僕は素直な感想を漏らす。

 はーい、と2人から笑い混じりの返事をされて、日曜日の午後という時間は始まった。


 エルフさんも魔導竜さんも可愛いなんて分かりきっているのに、どうして感想を求めてくるのだろう。などと僕は内心でボヤいた。


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