【番外編】サッカーの世界へようこそエルフさん
唐突な時事ネタです。
こちらは2018年6月に行われたサッカーWC期間中のお話です。
1日の仕事を終えて、僕はいそいそと支度をする。今日は四年も待ったイベントが控えているのだ。
観戦に向いた食事は何だろうか。長丁場になるので、ツマミとビールにした方が楽しめるだろうか。などと思いながら部屋をウロつく。
そんな僕を不思議そうに見ていたマリーは、本を閉じてから近づいてくる。もう春を終えた季節なので、さくらんぼ柄の半袖パジャマを選んでいた。大きな瞳と相まって、とても愛くるしい。
「ねえ、今日は何かがあるのかしら? 昼間に散歩をしていたら、青い服を着た人達がたくさんいたのよ」
小首を傾げながら、そう尋ねられた。
彼女は長いこと住んでいるし、日本の文化やイベントにも詳しい。だけど四年に一度しか催されないスポーツは流石に分からないだろう。
野菜庫から食材を取り出しながら、そんな彼女に説明をする事にした。
「世界中の国が集まって、スポーツをするイベントがあるんだよ。サッカーというんだけど知っているかな?」
「ええ、ちらりとニュースで見かけたけれど、私はあまりスポーツに興味は無いの。だって日本人って身体が小さいから、いつも辛そうでしょう?」
そう少しだけ唇を尖らせて、エルフさんは不満そうに言う。なるほど、確かに人種的な向き不向きというのはあるだろう。バスケなどを見ると特にそう思う。
それにコロンビアというのは特に顕著かもしれない。南米の選手というのは、まるでバネが入っているかのように躍動する印象があった。
「マリーが言う通り、今夜の相手は強敵だね。というより世界中から強いチームが集まっているんだから、どこも強敵なんだけど」
僕の予想ではコロンビアが6、日本が3、引き分けに1といった所か。
テレビをつけてみると、まだ開始には時間があるらしく特番を組んでいた。まさにマリーが昼間に見かけた「青い服の人たち」がたくさんそこにいる。
「少しだけ応援してみない? つまらなかったらすぐに変えて構わないからさ」
そう問いかけて見ると、黒猫のウリドラもベッドから降りてきた。彼女も乗り気では無いのか、くあーと欠伸を漏らしている。
ならばせめて料理だけでも楽しんで欲しいところだ。
この時期は雨が多いため蒸し暑く、気温差も大きい。そのためウリドラもしょぼくれた顔をしているのかもしれない。いや、空調はエルフさんの操る精霊がきっちり管理をしているのでそれは関係ないか、などと思いながら野菜を切ってゆく。
今の時期は野菜が美味しい。夏といえば茄子やアスパラ、かぼちゃにピーマンと種類も豊富だ。その為、今夜は揚げ物を楽しんでもらおうか。
「あ! 野菜天ぷらね! 旬の時期は甘みがあるから嬉しいわ」
「ちょっと行儀が悪いけど、今夜はお酒を楽しむだろうし、小分けに揚げて行こうか」
賛成、と小さな手のひらから叩かれた。
彼女は学習能力が非常に高く、もう揚げ物はお手の物だ。それどころか氷妖精を呼び出して、衣を冷やすなんて芸当を……あれ、僕まで負けていそうだぞ。
ふんわりと揚がってゆく油の香りは、黒猫にとっても堪らない。
「どれ、味見を任せても平気かい?」
そう小皿を手に近寄ると、待ってたニャンと大きな瞳を輝かせる。
かぷりっとウリドラはアスパラ揚げにかぶりつき、目を線にしたままお酒を飲む。おちょこは黒猫専用のビールグラスだ。みんなは決して真似をしてはいけないよ。
くふぅーーと言いたげに身をよじらせるのは、旬の野菜が持つ甘みにやられたのだろう。
「あら、もうこんな時間。私たちもいただきましょう」
「二人とも座っていて。試合が始まってしまうからね」
とはいえスポーツに関して二人の興味は薄く、もっぱら野菜天ぷらを味わうための場となった。
そういうわけで、僕らの部屋では比較的静かな応援から始まったわけだ。
「やっぱりずるいわ。身体の大きさが全然違うじゃない」
少々のお酒によりマリーの頬はやや赤く、汁たっぷりの揚げ茄子を頬張った。それから「美味しっ!」と瞳を閉じ、しばし味わいを堪能したようだ。
油を吸って、とろっとクリーミーな食感に変わっているからね。野菜とは思えない旨味に身震いさえしていた。
「相手の国は実際に強いみたいだね。南米はサッカーが盛んで、アジア勢は一度も勝てたことが無いみたいだ」
そうなると負け試合を観戦する気分になるのか、マリーも微妙な表情をする。日本人びいきなぶん、こういう試合は苦手なのかもしれない。
映画を見るのとサッカー観戦はまるで異なる。前者は「勝利」する事が決まっており、いかにそれを楽しむかという構成だ。
そしてサッカーはというと負ける場合がとても多い。勝利を飾れれば娯楽として成り立つが、そうで無ければ苦い思いをしてしまう。
しかし映画とはまるで異なるものがある。それがこのスタジアムから届く地鳴りのような声援と、声を揃えた応援歌だろう。
そこには「本物の戦い」という気配が確かにあり、マリアーベルは瞳を丸くした。
「わ、すごい! 古代迷宮で戦っているみたいな迫力があるわ。ねえ、これはどういうルールのスポーツなのかしら?」
思わずという風に、少女はそう尋ねてくる。ししとうの揚げ物は、さっくりした歯ごたえがあってビールとも合うようだ。
さて、これは映画とはまるで違う。その理由のひとつが、ルールを教える間も無くゲームが動いたことだろう。するすると上がった攻撃陣は、開戦直後の隙をついて矢のような弾丸を放つ。
相手の身体に当たり、ボールが跳ね返ったところを……。
「あっ、手っ、手に当たったわ!」
ちょうどハンドについて教えていた所で、そんな場面に出くわした。顔を青くする南米選手と、鋭く笛を鳴らして駆け寄る審判。
サッカーは例えとして「筋書きのないドラマ」と揶揄されるが、まさかこれは……と僕も押し黙る。真っ赤なカード、つまりは退場を審判は言い渡したのだ。
どすんとネットに突き刺さるボール、そして花が咲くような歓喜の声で溢れかえった。
さて、この場合は幻想世界の二人にとって、この上ない「掴み」となったようだ。一度も勝ったことのない南米勢に、勝利という希望を手にしてしまった。
どうなるの? どうなるの? と少女は何度も尋ねてくるが、もちろん僕にも行方は分からない。
だからこそ「応援」という言葉が生きてくる。僕らはただ映画を見ているわけでなく、いまそこで起きている戦いを目にしているのだ。ビールジョッキを片手に、エルフさんと黒猫が大騒ぎをし始めるのも自然な事に思えた。
ああ、とため息に似た声が響く。それは数え切れない者たちの声であり、つい先程まであった希望が消えてしまう音だった。
前半終了も近い時間帯に、セットプレーから相手は技ありの同点ゴールをもぎ取ったのだ。
「あーー、もうっ! どうして簡単に決まってしまうの!? ずっと頑張って守っていたのに!」
「にゃうにゃーー!」
ぐでっと二人はテーブルに突っ伏して、それから不機嫌そうな表情を見せた。
ちょうど前半終了の笛も鳴ったので、追加の揚げ物でも作ろうと僕は腰を上げた。
とはいえ、いつもとはどこか異なるように思う。普段なら野菜天ぷらを心から堪能しているはずなのに、聞こえてくる会話はまるで違うものだった。
「驚いたわ。よく走るのね、日本チームは。あんなに体格で負けていたのに、人数でカバーするなんて」
「にゃうにゃう、にゃううん」
うん、全然分からないけど「一人退場になったのが大きい」とでも答えているのかな。
いつの間にやらルールも覚えてくれたらしく、足で蹴っているとは思えない精度、ぴたっと魔法のように止まるボール、などと競技の凄さについて話し合っていた。
その点はあまり心配をしていなかったかな。本気というのは誰にでも伝わるものだし、選手から観客まで「勝ちたい」という意欲を溢れさせている。
ウリドラは特にそういった熱血に弱いし、サッカーの持つ戦略性はマリーにぴったりだ。
しゃうーと揚げたての天ぷらを置くと、二人とも「待ってました」と笑顔を浮かべてくれた。
さて、そろそろ後半戦のスタートだ。勝利をすれば大金星。引き分けても貴重な勝ち点。もし負ければ全てを失う。そんなシビアな戦いが始まった。
さて、意外にも日本チームは遅い展開を選んだ。
とろとろ進むボールと、歩くようなドリブル。相手国は数的不利があるとはいえ、勝って当然の試合だ。そんな展開へイライラを募らせ、足首への危険なタックルが増えてきた。
「誘っているのかしら。ずっと敵陣にいるのに、ゆっくりボールを回すだなんて」
いや、少しばかり事情は異なるかもしれない。試合を荒れさせたくないという風に僕の目には映る。
スローな展開を繰り返し、自分たちのペースへ持ち込みたい。これならば数の有利さを生かせるし、サッカーというのは少しでも油断をすれば波乱が起きるスポーツだ。
「ふうん、だからゴールを脅かしながら、ゆっくり回しているのね。無理に手を出したら、今度は自分たちが危なくなるもの」
となると引き分け狙いなのだろうか。
そう考え始めていた時間帯に、一人の選手が投入される。覇気を漲らせる顔つきは、どこか日本人らしくない。
「あ、あー、小柄な彼が交代しちゃう! 頭の良さそうな選手だったのに勿体ないわ」
どうやらマリーの贔屓にする選手だったらしい。
前線でも守備をし、周囲を見る目に長けている。相手国もそれを分かっているから、これまで周到なチェックをされてきた。
実は選手の投入によって流れが変わることは少ない。これまでの長時間による攻防により、競技場は形を持ち始めているのだ。
サイドからの突破は既に警戒されており、またスローな展開も相手は見飽きている。
「だからどうしても、投入された選手は場に引きずられやすいんだ。監督は場を壊すことを願っているのに」
そう言った直後、投入された彼は無理矢理にシュートを放つ。きっと場を壊したかったのだろう。コースも速度も文句なしだが、残念ながらキーパーの位置が良かった。
オウ!という悲鳴と声援の混ざった音が響く。眩しいほどの競技場と、懸命に応援をする両国の観客たちへマリーの瞳は釘付けにされた。
勝てるだろうか。アジアのどの国も勝てなかった南米勢に、日本が勝てるのだろうか。
もしも、もしもだ。もし勝てたら大金星だぞ。ジャイアントキリングと呼んでも良い。
たらりと垂れた汗をマリーが拭ったとき、コーナーキックは打ち出された。
魔法のように、その球は仲間の元に落ちてくる。オッ!と観客は声をあげ、ボールはポストに当たり、そのままネットを揺らした。
オオオオオオオ!!
勝てるわけない。こんな国相手に勝てっこない。そう試合前から分かりきっていた状況ゆえに、競技場は湧いた。
誰であろうと、本気というものは必ず相手に伝わる。正面からそれを見ていたマリアーベルたちは、頬を赤くしながら両手をバンザイしてくれた。
「や、やったーーーー!」
どお、どおお、と揺れる観客席を見たら、初めての鑑賞でもこうなってしまうだろうね。
だからこそ創作とは異なる面白さがある。戦い抜いたその先に、何が起こるかずっと最後まで分からないのだから。
最後のページまで指を止められないように、幻想世界の二人も食い入るようにテレビを眺める。相手はここからひっくり返す事もできる実力ある者たちなのだ。
そしてーー鳴った。
試合終了の笛は唐突に訪れ、皆は初めて「勝利」を味わう。数秒前まで涙目になるほど攻め立てられていた。だからこそ、僕らの部屋までワッ!と盛り上がる。
「やったーーーー!」
マリアーベルは両手を持ち上げて、眩しいほどの笑みを見せてくれた。
そしてマンションのあちこちから同じような声援が聞こえてくる。やったーという喜びの声は、不思議と誰でも同じ響きをするんだね。
日本人はいつも大人しいけど、こういう日くらいは皆で喜んでも良さそうだ。エルフさんや魔導竜さんまで、すっかりと浮かれているのだしね。
乾杯!と、再びビールを注いだのは言うまでもない。
おめでとうございまーーす!




