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第238話 エルフさんとシネマな週末①

 日に日に秋が深まるのを感じている。

 朝、目覚めると空気がひんやりしているのだ。朝の静けさは増してゆき、冬の訪れも近いのだと分かる。

 もう10月も後半で、あと2週間もすれば冬へ突入をしてしまう。例年よりも寒くなるという予報もあった。


 寒いのはあまり得意ではない。数年ほど東北地方で暮らしていたけれど、結局は慣れることもなく東京に戻ってしまった。

 苦手な季節ではあるけれど、しかし今年はどうやら事情が異なるらしい。布団のなかにはもう一人の同居人がおり、触れ合う肌から体温が伝わってくるのだ。これがまた癖になりそうなほど温かい。


 カーテン越しの朝日が差し込むと、その真っ直ぐで白い髪が輝きを増す。幼さを残した顔つきの割りに、まつ毛は長くまた唇も鮮やかだ。

 見とれてしまうほど肌は透き通るようで、はらりと零れ落ちた髪でさえ綺麗だと感じる。なぜか寝息に触れているだけで、得をしたような思いをしてしまう女性だ。


 そして布団から覗く長耳が示している通り、彼女は人間ではない。半妖精エルフ族であり、名をマリアーベルという。

 ただ、なぜこうして一緒に暮らしているのかという説明は、なかなかに難しい。幾つかの奇跡と巡り合わせ、そして互いの好意がいまの関係を作り上げたと言って良い。


 そして彼女との暮らしで面白いと思うのは、お金や地位、名声などといったものとかけ離れた日々を送っている事だ。それはたぶん日常が楽しいもので溢れており、お金を稼ぐという余裕も無いのだろう。


 そう思い、長耳を指でなぞる。

 産毛の生えた耳は、触れるとわずかに震える。そして色づいた唇から息をひとつ吐き、紫水晶アメシストと見まごう瞳がゆっくりと開く。

 朝日を浴び、輝きを秘めた瞳が開かれると、僕は決まってうっとりとする。鮮やかな花が咲いたようであり、誰が見ても半妖精だと知ることができる。


 そんな楽しみも、たぶんもう彼女には知られている。だから透明感のある瞳でじいと僕を見て、もっと私を見なさいと目元に笑みを浮かべるのだ。

 顎を逸らし、軽く唇を突き出してくる。目覚めのキスだなんて前は顔を赤くしていたというのに、今ではもう挨拶と変わらないらしい。


 誘われるまま顔を近づけると、マリアーベルは小さな指を肩に乗せてくる。女の子らしい彼女の香りに包まれて、しっとり濡れた唇からもうすぐ触れられる。彼女は平気かもしれないけれど、こちらは胸がドキドキしてしまう。こればかりは悟られないようにしないと。


 ただし、すぐ近くから「にゃうん」という鳴き声が響くと、彼女の表情は大きく変わってしまう。唇から吸いつかれる間際、マリアーベルは瞳をぱちんと開く。そして慌てた感情を伝える瞳は、ベッドサイドに尻尾を丸める黒猫へと向けられた。まだ子猫であり身体は小さいが、つやつやとした毛並み、そして美人な顔つきをしている。


 あっちに行ってなさい、と少女は瞳で訴える。

 どうぞお構いなくと黒猫はひとつ鳴き、のしのしと歩み寄ってくる。

 彼女らの攻防は日々尽きることがなく、僕としては不思議だなと思う。実はこの黒猫、正体は魔導竜の使い魔だ。そして仲が悪いなどという事もなく、友達、姉妹、あるいは親子のように触れ合う仲でもあった。


 魔導竜は数千年を生きたらしい。けれどもその竜は少しばかり悪戯と茶目っ気に溢れている。僕と彼女の間に潜り込み、そしてグルグルと喉を震わせながら見上げてきた。

 さあ、どうぞ続けてちょうだい。そう言うように子猫は鳴いた。


「もうっ! せっかくの朝が台無しじゃない! こうしてあげるわ、このこのっ!」


 若干、頬を赤くさせてマリアーベルは根を上げた。すぐに黒猫を持ち上げて、ごしょごしょと腹を撫で始めたのだ。そして使い魔もまた笑うように瞳を細め、前脚でエルフの手を叩く。


 なんともまあ秋らしくない賑やかな朝だ。けれどつい笑みを浮かべてしまう朝であり、気持ちよさを覚えながら僕はベッドから起き上がる。

 いつも通りの喧騒が、実は嬉しいのかもしれない。我が家というものを好きになれたのは、実は彼女たちと出会ってからだったりする。なので邪魔をされたという気持ちはあまり無いかな。


「朝ご飯は洋風と和風、どちらがお好みかな?」

「あら、私も手伝うわ。あなたのせいで精霊魔術師なのに料理まで得意になってしまったもの。それと、夢の世界からのお裾分けを忘れたらいけないわ」


 おっと、そうだった。

 少女からの声に、くるりと踵を返す。するとベッド近くの台には、なぜか小鍋がちょこんと置かれている。蓋を開けると魚が二匹、そして底に敷いた大きな葉が見えた。


 こう見えて、僕は少しばかり変わっている。

 眠っているあいだは異なる世界へと訪れることが許されているのだ。そこで多くの人々と出会い、そして古代迷宮でさえも改造して遊び場に変えてしまう女性たちのおかげで、こうして今朝はお裾分けにありつける。


 互いの世界への行き来は、先ほどしたように気持ちよく眠ること、あるいは死亡をすることで行える。後者はあまり味わいたくは無いね。

あとは「飲食類だけ持ち運べる」というルールもあり、そのような小さな制約を守って僕らは楽しく暮らしているわけだ。


 黒猫を追いかけていたはずのエルフさんだったけど、いつの間にか頭に乗られていたようだ。吹きだしたらきっと睨まれてしまうので、僕としては手を伸ばして一緒に料理をしませんかと尋ねることしか出来ないよ。


 青菜の炊き込みご飯にしようか。魚は塩焼きで。アリライ産の茶葉は水出しにして、すっきりした味わいを楽しもう。

 そのように献立作りの作戦を相談していると、マリアーベルの機嫌もみるみる上昇してゆく。秋にしては少しばかり暖かく、そして楽しい朝を僕らは迎えた。




 黒猫が茶碗に顔を突っ込み、かつかつと無心で食事をしている。

 第二階層広間で取れる魚はよく肥えており、また藻だけを食しているため臭みが少ない。何よりも獲りたてのためスーパーのものとは鮮度が比較にならない。塩を振りかけて焼くだけで、皮の香ばしさとパリッと感が癖になりそうだ。


 ただ幻想世界の古代迷宮を産地としており、それを一介のマンションで普通に食すというのは少しばかり違和感があるかもしれないね。

 その代わり、青菜入りの炊き込みご飯、昆布と半熟卵、お味噌汁などはまごうことなき日本産であり、舌の肥えてきた半妖精エルフでさえも「美味しい美味しい」と食べてくれる。


「白米を食べると元気が出てくる気がするわ。歯ごたえも良いし噛めば甘いし、おじやにしたら美味さの質をがらりと変えるでしょう? 日本人って本当に味も栄養も追求して変わっていると思うわ」


 このように半妖精エルフ族でありながらも日本への評価は非常に高い。食事や旅行、それに娯楽といったものを楽しむうちに日本びいき側へ偏りつつある。

 僕なんかはファンタジー世界こそ素晴らしいと思うんだけどね。とはいえいつも楽しみにしてくれるので、ついつい「もっと楽しませてあげたい」などと考えてしまう。


「でも良かったわ、第三階層の攻略が早めに終わってくれて。おかげで日曜日を丸々過ごせるだなんて得をした気分よ」

「もともと泊りがけを予定していたからね。ウリドラがいなかったから、広間に戻ることも出来なかったし」


 ぴくんと耳を震わせたけど、黒猫は食事に集中したいらしい。お椀から顔も出さずに、もくもくと食べ続けている。本当は猫にこういう食事は良くないんだけど、彼女の場合は使い魔なので問題ない。


 それと順調に終わってくれたのは階層主攻略だけでなく、戦争も同様だった。本来は長期戦を想定していたのだが、意外や意外、彼ら魔軍は半日程度で侵攻をやめ、さっさと南へ移動してしまった。

 これには僕らもぽかんとしたけれど、すぐ日本へ戻りたかったので詳しい事情を聞くのは今夜までお預けだ。


 もうひとつ、魔導竜と焔天竜との戦いも裏では繰り広げられていた。実はこれこそが最大級の戦いだったのは間違いない。なんといっても伝説級の竜同士の一騎討ちだ。

 それもまた打ち上げの時に教えてくれるらしいけど、本当に楽しみだよ。映画好きのウリドラは、最近になると映像化魔法という物に凝り始めている。なので臨場感たっぷりに伝説の戦いを鑑賞できるわけだ。うーん、待ち遠しいぞ。


「さて、それまでの間はどうしようか。マリー、どこか行ってみたい所はある?」

「えーと、そうねぇ。図書館の本を借りて、読書をしても楽しめると思うわ。紅茶とお菓子も用意して、疲れたら入浴剤入りのお風呂に入るの」


 なるほど、昨日は夢の世界でたくさん働いたんだし、ゆっくり過ごすという手もあるか。


「映画館にでも誘おうかなと思ったけど、それも良さそうだね。じゃあ今日はゆっくり部屋で過ご……」


 話している途中で、がしっと僕の腕は握られた。見るとそこには少女の指先が掴んでおり、そして薄紫色の瞳からじっと見つめられている。

 とんとんと指先から叩かれながら、柔らかそうな唇は開かれた。


「待ってちょうだい、映画館というのは何かしら。だって映画は家でゆっくり見るものでしょう?」

「うん、今ではそういう家庭も多いけど、映画は映画館で見るのが当たり前な時代もあったんだよ。専用の施設だからスクリーンは大きいし、音響もしっかりしているから映画を堪能できると思う」


 なかには立体的に見れたり、椅子が動いたり風や水滴を吹きかける物もあるけれど、こちらはあまりお薦めしない。騒がしくてあまり映画を楽しめる環境では無いからね。

 などと説明をしたのに、エルフさんも黒猫さんも瞳をキラキラさせている。


「り、立体的に見えるというのは何かしら。まさか遠近感があったり、本当にそこにいるように見えるの?」

「にゃううん、にゃううん?」

「うん、ウリドラは何を言っているか分からないよ。それとまだ発展途上だから、どこまで満足できるかも分からないかな。あ、ちなみに猫は映画館に入れないよ」


 そう伝えた瞬間、フシャア!と鳴かれて僕は驚く。

 びっくりした、こんな声を聞いたのは初めてだぞ。


「えーと、もちろん夢の中までウリドラを迎えに行っても構わないけど、今日は忙しいんでしょ?」


 きりっとした顔で「全然平気です」という態度を示された。

 あれぇ、おかしいな。向こうでは怪我人の治療をしたり、打ち上げをするために食材を用意すると聞いたのに。会場のセッティングと、それに新しい従業員が来るから教育をするとも言っていたかな。詳しく聞いていないけれど、相手は一体だれなんだろう。


 怪我をした人への治療として丸一日ほど費やし、それから祝勝会をするらしい。なので明日の月曜は僕も忙しく働かされるんじゃないかな。夢の中で。

 そう考えていると、子猫の頭にマリーの指が乗せられた。


「ウリドラ、嘘をついてはいけないわ。私たちは映画館に行ってくるから、あなたはちゃんとお留守番をしていなさい」


 その一言に、ものすごい勢いで黒猫は振り返る。まるで「裏切ったな!?」と言いたげで、たぶん実際にそう言っていたんじゃないかな。ニャーニャーぐるぐる椅子の周りを駆けているけれど、エルフさんは我関せずと素知らぬ顔だ。


「仕方ないでしょう。あなたは猫ちゃんなの。人間社会のルールというのを学ぶのも大切で……あっ、こらくすぐったい! おひざの上で暴れないで頂戴!」


 もう、と頬を膨れさせてエルフさんは黒猫を持ち上げる。なうーと正面から鳴かれ、その表情がおもしろかったのか小さく吹き出す。それから薄紫色の瞳はこちらを向いた。

 少女はだいぶ猫好きなので、普段のウリドラからお願いされるよりも弱いのだろう。


「じゃあ迎えに行こうか。マリーはここで待っているかい?」

「ううん、たまにはあなたと一緒にお昼寝を楽しんでみるわ」


 バンザイの恰好をした子猫の向こうから、そう答えられた。

 週末の過ごし方として、彼女と一緒に二度寝を楽しむというのは間違っている気がしなくもない。ただ、一緒にカーテンをシャッと閉め、ご機嫌そうに笑いかけられると僕としても悪い気はしないかな。


 整えたばかりの布団を持ち上げると、その中へするりとマリアーベルは身を滑らせる。それから大きな瞳をこちらへ向け、求めるよう両手を伸ばされた。

 彼女はとても抱きごこちが良く、絹のような肌ざわりと子猫のような体重を伝えてくれる。差し出した僕の腕に頭をころんと乗せ、布団のなかでは脚が絡みついてきた。

 それから首に抱きつかれると、いつもどおりの距離感になる。


「知っているかしら。食べてすぐ眠ると牛になるそうよ」

「マリーは牛というよりも羊に近いんじゃないかな」


 そう答えながら、もこもこしたパジャマに触れる。くすぐったそうに身じろぎをし、背中を撫でるのはやめてと身体を揺すってきた。


「噂は本当かもしれないわよ? だって眠たそうなあなたの顔は、牛にそっくりだもの」

「そう言うマリーの顔も、眠たそうだと思うけどね」


 二度寝とはいえ食事をした後だ。消化をするべく血液たちは大移動をしており、その間はのんびりしていろと身体は訴えかけてくる。

 ぬくぬくした布団の中で、こうして囁きあっているだけでも瞳の瞬きは緩慢になってゆくものだ。


 言葉数は減ってゆき、次第にマリーの身体は力を失ってゆく。

 そして閉じられた瞳は開かれることなく、代わりに気持ち良さそうな寝息を響かせた。


 頃合を見計らっていたのかもしれない。

 黒猫のウリドラは布団のなかへと潜り込んできた。くるくる回り、とすんと僕の足元に体重を預けてくる。

 こうして2人からの眠気に挟まれたら、眠くならない人などいやしない。もし居るとしたら、その人はきっと人生を損している。


 なに、お昼というのは休息を楽しむべき時間だ。

 温かくも心地よい寝息に包まれながら、すうっと息を吸い、僕も睡眠を楽しむことにした。


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