第197話 おいでませダイヤモンド隊④
夕暮れ時、洗い物を終えた僕とマリーは小道を散歩する事にした。
するといつの間にやら虫たちが鳴いており、都会では分かりづらい秋というものを感じられた。
そうして歩くうち視界は開け、ざあっと葉擦れの音を残して一面の湖は広がる。その景色に僕らの足は思わず止まる。
「はあ、綺麗なところ。私たちも一緒に作ったなんて信じられないわ」
「そうだねぇ。誰かに言っても信じてもらえないんじゃないかな、何と言っても古代迷宮なんだし。あ、すぐそこに休憩所があるから、夕陽が沈むのを一緒に眺めようか」
その提案に、浴衣姿の少女は「やった」とはしゃぐ。淡い桜色をした布地には、羽ばたく蝶の柄がある。手を伸ばしてみると、蝶のように逃げることなく指を絡めてくれた。
そのまま機嫌良さそうな足取りで、るんるんと歩くマリーを僕は追う。
それにしてもと思うのは、滞在中のダイヤモンド隊の勧誘についてだ。
「すぐに働いてもらうのは無理だろうし、あと何日かしたらプセリさんに声をかけてみようか」
エルフの少女は僕の言葉に首を傾げ、そして「何の話かしら?」と答えてくる。あれ、食事をしている間に忘れちゃったのかな。
「ほら、屋敷の従業員を増やそうって話」
「…………ん? ええ、そうだったわ、もちろん忘れていませんからね。やっぱりもう少しかかるかしら」
「たぶんね、彼女たちにも屋敷はあるんだし。まあ相談してみないと分からないけど」
それに急いでもいないので気長に考えるとしよう。ダメならダメで、他に方法はいくつもある。誰かを雇っても良いけれど、彼女たちほど頼もしい人はいないかもしれない。
「断られたら、そのときにまた考えましょ。それよりも私たちは、居心地の良い休憩所に寝そべって、虫の音と湖畔の夕陽を楽しまなといけないの」
それが良い、と手を引かれるまま僕も歩き出す。
肌の白さのせいもあり、薄暗いなかだと少女は輝くように見える。こうして手を引かれ、草花に囲まれた小道を歩く日がくるとは思わなかった。
彼女が東京に来てからというもの、僕の人生は大きく変わった。いや、変わったのは運命と呼んでも構わない。
振り返る彼女から「はやく行きましょう、一廣さん」と笑いかけられ、たったそれだけで満ち足りた思いをしてしまう。
あの日、子供のころ、ずっとずっと欲しかったものを彼女は簡単に与えてくれる。それは僕にとって驚くことで、指先にジンと伝わる熱さえも救いのように感じてしまう。
どうしたの?と薄紫色の瞳を向けられて「なんでも無いよ」と僕は笑う。そう、なんでもない。この何でもない自然な関係が、僕にとって何よりもかえがたい大事なものだ。
秋は感傷的になると言うけれど、こういう思いをするのはきっと季節のせいだ。
虫の音の響くなか、吸い込んだ空気からは草と土、それに水の匂いがした。
手を繋いで歩いていると、湖に面した休憩所へ一人の先客が佇んでいることに気付いた。
宵闇色の髪をしており、空の色はゆっくりと彼女の髪色へ近づいてゆく。
休憩所にはいくつかのソファーがあり、また屋根もあるので湖を眺めて過ごすのに最適だ。もし興味があれば、ここで釣りをしても構わない。
「プセリさん、お一人でどうしたのです?」
しかし、彼女はどちらにも興味は無さそうだ。
女性へ声をかけてみると、ぴくんと顔を持ち上げる。それから髪と同じ色の瞳をこちらへ向け、夢から覚めたようまばたきを繰り返す。
「あら、おふたりとも。あいかわず仲の良ろしいこと。ですがあまり他の人に見せ付けてはいけませんよ、女性は嫉妬をするものですから」
普段より静かな声に、ほんの少しだけ驚かされる。
物思いにふけっていたのか、表情はどこか暗い。何かあったのかと僕らは目を合わせ、隣のソファーへ腰掛けることにした。
「気になることでもあったのです? 料理が口に合わなかったとか」
「いいえ、そうではありません。これほど安らかに過ごせたのは初めてですし、驚くような一日でした」
ふう、と吐かれた息は湖畔の風に流れて消えてしまう。待ち続けていると、紅のついた唇はまた開く。
「魔族……という存在を、あなた方はどう思いますか?」
唐突に投げかけられた質問。落ち着いた雰囲気はあるけれど彼女の瞳だけは笑っておらず、これはとても大事な質問だと分かる。
しかし、僕らとしては複雑だ。
魔族どころか魔導竜と友達だし、シャーリーなんて元階層主でもある。割とどうでも良い、などと答えたらまずいだろうか。
そのようなことを考えていると、マリーが先に答えてくれた。
「相手次第ではありませんか? 迷宮に潜んでいた賊らとは仲良くできませんが、カルティナとは一緒に暮らしております」
「ん、そうだね。プセリさん、僕らはそう偏見を持っておりません。魔物語を幾つも覚えている僕が言うのですから間違いありませんよ」
こくりと彼女はうなずいた。
己のなかで反芻するよう、こくり、こくりと繰り返す。そして薄暗い中、彼女の濡れた瞳は開かれる。
「私の隊には魔族もおります。今は誰も偏見を持ちませんが、やがて戦争が深まると周囲の目は変わるでしょう。そのとき、黒薔薇の館に住まわせることが心苦しくてなりません」
はらりと流れ落ちた涙に、僕らはハッとする。
彼女はここで仲間のことで思い悩み、将来を憂いていたことにようやく気付く。
思わず僕らは左右から彼女の腕に手を当てた。そうしないとプセリさんが自分だけで重みを受け止めてしまいそうだったからだ。
ぽたぽたと涙は尚も落ち、休憩所は暗くなりゆく。
「私たちがこの古代迷宮第二層を攻略していたとき、何があったかご存知……では無いでしょうね。敵国と繋がっていると疑わしき存在は、全て王族らが連れ去りました。私たちも無関係ではありません。あの男、ザリーシュとのつながりがあったのですから!」
忌々しげな瞳に変わり、僕らはぎょっとした。
彼女は怒りを溜め込むと、迷宮広間で暴れ狂ったときのような気配を放つ。怒りは彼女の体内で荒れ狂い、支えている僕らの手にまで震えは伝わる。
すっかり忘れていたが、確かに話は深刻だ。
敵国へ寝返ろうとしていた男、勇者候補はいまだに捕らえられている。市民に公表していないあたり、恐らくは国にとってもダメージがあるのだろう。
つまり、国を救うはずだった男が、裏では敵国と共謀をして攻略隊を倒そうとしていた。表ざたにされていないので彼女らは平穏に暮らしてゆけるが、どこでひっくり返るか分からない危うい状況でもある。
そこで、当初の目的を僕は思い出す。
彼女らを歓待した理由、今後の屋敷の運営というものを。それは私利私欲にまみれたものだったが、しかし今となれば言葉の意味はまるで変わる。
「プセリさん、ここで一緒に暮らしませんか?」
思っていたよりも優しい声が出てしまい、彼女だけでなく僕まで驚く。しかし手を繋いでいるマリーからの助けもあり、尚も言葉をつむいだ。
「実はこの屋敷は人手不足なんです。全てにおいて平穏な暮らしを約束いたしますし、迷宮攻略のあいだも安らかに過ごせるでしょう。戦争の行方は分かりませんが、迷宮踏破を成したとき、国に戻ったときの人々の反応はきっと明るいと思いませんか?」
しばし、彼女は息を呑んだ。
プライドの高い彼女が泣くほど求め続けていたものが、あっさりと僕の口から出てしまう。それはきっと魔法のような何かだと感じたかもしれない。
ぱくぱくと唇を動かし、言葉にはならず、それでも光明を得たように宵闇色の瞳は輝く。
想いが深かっただけに言葉にはならない。しかし、僕らの身体にすがりつくと、思っていたよりずっと華奢な身体から「ぐっ、う、ううーー……っ」と不器用な泣き声が漏れてゆく。
肩に染み込む熱い涙は、きっと彼女の優しさによるものだろう。そうでなければ一人でここまで思い悩みはしない。
勇者候補からの催眠が解けた今、残された仲間たちをとても大事に思っている。それが伝わるほど、ぎゅうとしがみつく彼女の涙は熱かった。
やがて陽が落ちるまで、彼女は静かに泣き続けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
明くる朝、ほうきを手に僕は玄関先を掃いている。
と言っても就寝してから会社に行き、きっちりと定時にあがり、美味しい食事と読書を楽しんでから眠りについた後だけど。
しかしまあ、残業をしないくせに、こっちでは働くというのは少し変じゃないのか。一日あたりどれくらいの労働時間なのか、などと下らないことを考えているときに、騒々しい足音が聞こえてきた。
その褐色の肌をした女性は、ずざざーーっと急停止をし、せっかく掃いた葉っぱまで散らせてしまう。どういう嫌がらせかなと見上げると、メイド服姿で仁王立ちをするダークエルフがいた。
「あれ、どうしたのイブ、その格好は?」
「にひっ、雇われちゃった! 今日からずーっと住んで良いってプセリがウリドラと交渉してくれたみたい。はーー、前はさあ、働いても働いても乾いたパンしか食べれなかったけど、これからは違うんだなぁー」
あらそう、と僕は表面上だけ驚いておく。
ちらりとロビーの方向を見ると、同じような服装をしたダイヤモンド隊の面々が出てくる様子が伺える。
やあ、色々と策を練っていたけれど、まったく違う方法で実現するとはね。考えてみれば人と人のつながりなんて、そんなものかと一人ごちる。
とはいえダークエルフにとってはいかに己が有能かをアピールしたくてたまらないらしい。ぐいとヘッドロックをされ、すぐ近くで艶のある唇から話しかけられる。
「あたし、こう見えて黒薔薇の広ーい屋敷をひとりで管理してたから。ほら、日本に行ってた時あったじゃん? あのとき皆は、庭の管理に絶望してたらしいからウケるよね」
「すごいね、あの庭園を!? それならここはやりがいがあると思うよ。疲れて帰っても、温泉とマッサージが待っているからね」
そうそうそうそう!と何度も彼女はうなずいた。そして今度は仲間から呼ばれ、あっという間に走って行ってしまう。
なんとも目が回るほど元気いっぱいだけど、確かにあの体力は魅力だなぁ。この広間は端から端まで何キロかあるみたいだし。
かと思えばくるりと振り返り「今日から一緒に住むの、楽しみだねーー!」と言ってくる。思わずこちらまで笑ってしまうほどの元気さで、ひょっとしたら昨日に食べた猪肉の影響かなとも思う。
昨日に聞いたプセリさんの言葉を僕は思い返す。
種族への偏見という意味なら、ダークエルフの彼女こそ一番感じているだろうに。
しかし、おくびにもそれを出さず、仲間と楽しく過ごしている姿には、ちょっとした希望を感じてしまう。
それはつまり、女性というのは男性よりずっとたくましいのでは、という事だ。
やあ、この調子なら第三階層を踏破できる日も近そうだ、などと僕は思う。
こうして第二階層広間のプレオープンは無事に終わり、宿泊者にとってもまた僕らにとっても実りある結果となった。
そうそう、後で聞いた話によると、トイレの清潔さに彼女らは感動したらしいよ。まさかねえ、手間をかけた温泉や湖、それに日本庭園、和洋折衷な建物よりも、アンケート順位が上だったなんて思わないよねぇ?
そのように幻想世界の住人というのは、ちょっと変わっているようだ。
こちらでプレオープン編は終了です




