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第198話 中華料理へのお誘い①

 

 北瀬の住むマンションには、とある猫が同居していた。

 この真っ黒い毛並みをした子猫は、ほとんどの時間を気持ちよい場所で丸くなって過ごす。ベッドや椅子の下などを好んで陣取っている所からも、普通の猫と大差ないように見える。


 しかしこれでも魔導竜ウリドラの使い魔であり、普通の猫などではない。

 人語への理解などは当たり前。魔術を発動するためのシステムが無い現代日本において、ゼロから構築してみせる技は……恐らく誰からも理解されないだろう。


 魔導竜というものは、息を吸うだけで膨大な魔力を生む。とはいえ今はただの使い魔であり、猫であり、そもそもウリドラ本人でさえ魔法を扱うという奇跡に近しい行為を「当たり前」だと考えている。


 やろうと思えば先ほどの「日本で魔術を発動するためのシステム」を構築することも可能……なのだが、どうもやる気は起きない。

 もしそれを行えば、今とは比較にならない大規模魔術を扱えるようになれる。しかし敵もいない平和ボケした国でそれを行っても意味がない。


 いや、それ以外に大きな問題があった。

 この世界からの監視がある以上、あまり騒ぐと怒られてしまう。


 このうつつの世界で過ごすためには定められたルールがあり、しかしそれを気にすることなく竜やエルフ、そして特異な存在である北瀬は一般庶民として暮らしていた。

 いや、気づいているのはウリドラだけであり、その彼女もまた日々の何でもない暮らしを楽しんでいる。



 くあー、と猫は欠伸をした。

 秋の日差しによりベッドはぬくぬくに暖められ、独占状態なのがたまらない。

 頭の後ろを何度か掻き、そしてまた丸くなったころに玄関から声が響く。


「じゃあ行ってくるね。夕方にまた連絡するから」

「ええ、行ってらっしゃい。雨が降るみたいだから傘を持って行って頂戴ね。それと……」


 なぜかエルフは、少しだけ物足りなさそうな顔をする。ちらりと黒猫を見てから二人して物陰に移動をし、こちらからは背伸びをするエルフの素足だけが見えた。


 この初心うぶなやりとりは、正直なところイラっとする。

 堂々と目の前でぶちゅぶちゅすれば良いものを、ああして「隠れているくせに丸分かり」という行為には唾を吐きかけてやりたい。

 もし堂々とされても「よそでやれ」と思ってしまうが。


 無言の時間、何度かの背伸びを繰り返す少女の足。

 それからようやく「い、行って来ます」と彼は出て行った。後に残されたエルフも、熱くなった頬を触れながら戻ってきたが、その頃には黒猫も尻を向けて丸まっていた。



 そのように玄関先ではいつもの光景が繰り広げられ、彼が仕事に行っているあいだ、この部屋の主人はエルフに代わる。しばらくパタパタと慌ただしく少女は働き、洗い物や掃除、布団干し、何か必要なものがあればお昼までに買い物を済ませておく。


 これでも猫は心配性らしく、エルフが外出する時は必ず一緒について行く。ただし食料品を扱うスーパーは衛生面に気をつかっているため、残念ながら黒猫が入ることは許されない。これはこれで日本という国のルールなのだから、彼女は怒りなどしない。

 使い魔であり、排泄さえしない清潔な存在だとしても、ルールはルールだ。


 戻ってきたエルフの買い物袋には、やはり見慣れないジュースと菓子がひとつずつ入っており、内緒だと言うように少女は唇へ人差し指を当てた。


 それから午後になると日本語の勉強を始め、最近では難しい漢字や日本の常識について学ぶ。あのにぶい北瀬も、どうしてここまでエルフが苦労をし、この国へ馴染もうとしているのか気づけば良いのに、という歯がゆい思いもする。


 そうそう、最近はエルフの膝に乗ることも多い。

 勉強の邪魔はしないが、娯楽小説を読んでいる時なら別に構わないだろうと爪を立てないようにして飛び乗る。


 太ももは柔らかくて温かく、また本を読んでいる間も撫でてくれるので気持ちよい。くるると喉が勝手に鳴るのは、猫なのだから仕方ない。


 エルフからよく話しかけられるが、実際のところあまり聞いていなかったりする。向こうの本体は子育てなどで忙しく、いまの使い魔はほとんど猫に近しいのだ。

 だから食事の時、あるいは興味のある出来事を除き、後はぐうたらと眠って過ごす。



 うとうとと瞳を細め、秋の日差しが弱まってきたころ、ようやく黒猫は目を覚ました。とはいえ、眠気はまだたっぷりある。視界いっぱいに覗き込むエルフがおり、ちょんちょんと鼻先を押されている所を見るに、起こされたのだと分かった。


「眠っているところを御免なさい。もう夕方も近いから、彼と繋いでくれるかしら?」


 求めに応じ、欠伸をしてから首輪についている魔具を起動した。

 これはいわゆる通話をするための魔術であり、夢の世界にある意思疎通チャットの仕組みを再現したものだ。


 ほどなくしてエルフと人の会話は始まる。

 どうやら今夜の料理について話しているらしく、美味しいものに興味のある黒猫はピンと耳を立てた。


 気になるのは「中華」という単語だ。

 中華といえば餃子やラーメン、それに角煮などを楽しんだこともある。特にプールで遊んだ後のラーメンは格別であり、これこそ己の求めている味だと感動さえもした。じゅる、と思わず舌なめずりをしてしまう。


「わ、中華のお店に行くだなんて楽しみね。でも今日はお給料日だったかしら?」

「ううん、ちょうど駅前で一条さんと会ったところでね、親睦会を兼ねてご馳走をしてくれるってお誘いを受けたんだ。もし興味があるならどうかなと思って」


 まさか、本格的な中華料理屋に行く、だと!?

 もう眠気は完全に消え去り、瞳は爛々と輝きだす。しばらく子育てや広間の管理、それに戦争の監視はお休みにし、こちらの味覚へ集中するとしよう、などと黒猫は決意した。


 なに、それもこれも広間をより充実させるためだ。

 様々な料理を味わうことで、料理へ生かすことができる。もちろん自分は料理など作れないが、ひとまずその事は忘れることにした。


 通話が終わるやすぐさま起き上がり、にうにうと鳴く。

 食べたい食べたい、中華を食べたい。楽しみで仕方ない、じっとできない、と言うようにエルフの足元をぐるぐると回る。


「あはは、くすぐったいわ! あら大変、すぐに着替えなくちゃ。ええと、薫子さんと一階で待ち合わせをするから……」


 着替えてらっしゃい!と諸手を上げ、それからだらしなく黒猫はフローリングへ寝そべる。あれだけ楽しんだ中華料理だというのに、今夜は熟練のプロが手がけたものを食せるだなんて。


 たまらん、たまらん、とフローリングでのたうち回る。

 これがあるから日本へ来るのはやめられないのだ。のんびりとした日常のなかに、ひょいと一大イベントが現れるのだから恐ろしい。


 中華といえば、肉を美味しく食べるために特化した料理だと言える。

 とろんとろんの角煮を思い浮かべ、魔導竜らしからぬだらしない笑みを浮かべてしまうのは仕方ない。


 黒猫にとって、いまの幸せ度数は計り知れない。

 もし頬をつねられても笑って許してしまう。

 お願いをすれば語尾を「にゃん」にも変えてくれるだろう。


 だが…………。




「ごめんなさい、猫ちゃんはお店につれて行けないの」


 その一言、たったの一言で、ぐらっとウリドラは四足獣でありながらもヨロめく。魔法などではないただの言葉だというのに、精神面への衝撃は計り知れず、アリライ国が極秘開発をしている魔石連鎖式爆破術を直撃したような顔をした。いや、間違いなくそれ以上だ。


 ニャんだって?

 んっ、もっかい言ってみろニャン。


 意味も無く猫語で考えてしまうほど彼女は混乱をしている。

 首を傾げて見上げると、済まなそうにエルフは両手を合わせた。


「もう待ち合わせ時間だから行かないといけないの。ちゃんとお土産は持って帰るから、いい子で待っていて頂戴」


 待て、待ーて待て。

 ちょっとここまで寝ぼすけ北瀬を連れて来いニャン。

 夢の世界ではとっくにスタンバってるし、ひとっ眠りして迎えに来させろニャン。そうしたら平気だから。一緒にお店に行けるからあ!


 などと訴えかけるも悲しきかな、ニャーニャーという叫びにしかならない。

 分かっているのだ、出来たてに勝る味わいは無いのだと。仮にお土産をもらったとしても、味の落ちた料理になってしまう。


 それに、もう絶対に無理なのだ。お腹はとっくに中華料理を食べるよう出来上がっているし、いますぐお店に駆け込まないと大変なことになってしまう。

 しかしエルフは背を向けて、玄関を出てゆこうとしているではないか。


 いいから待つにゃん!

 まず北瀬を連れて来いにゃあああんっ!


 これ以上なく必死に訴えかけるも、無情にも玄関はバタンと閉じてしまいウリドラは泣いた。

 泣いたしニャーニャー鳴いたし、そのあとベッドの上を駆け回った。


 せっかくの一大イベントが消えてしまったことを嘆き悲しみ、布団に上半身だけをもぐりこませ、しくしくと黒猫は泣き続けた。



 食欲の秋とは、実に恐ろしいものだ。

 第二階層広間では、あの魔導竜がまったく同じ姿勢で布団に頭を突っ込んでいただなんて。


 青空色の瞳をするシャーリーは、そんな光景を見て不思議そうに小首を傾げた。


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