第139話 大正浪漫の日本庭園②
ジーワー、ジーワ、というセミの声が辺りに響いている。
強い日差しのなかを歩いていたせいか「蝉しぐれ」という美しい言葉を思い出す。目を閉じ、耳を澄まし、セミの音を無数の雨として感じることで、夏の暑さを忘れるというものだ。
目指す目的地である和風庭園へ歩いているとき、そんな話題を出してみた。すると隣を歩く黒髪美女はしばし瞳を閉じ、それから何かを掴んだように自信満々な顔を向けてくる。
「ふうむ、なるほどなぁ」
「おや、分かったのかいウリドラ。僕はまだその域に達していないよ」
彼女とはほとんど背丈が同じで、すらりとした長い脚をホットパンツから惜しげもなく晒している。どこかモデルのようで、久方ぶりに再会したせいか目を吸い寄せられそうだ。
艶のある真っ直ぐの髪を揺らし、ウリドラは妖艶に笑いかけてきた。
「うむ、つまりは自己催眠じゃ。技能により上書きすることで、己の感覚さえも騙す。ふ、ふ、わしにとっては初歩の技に過ぎぬわ」
うん、安心するくらいぜんぜん違うね。
説明を放棄した僕は、にこりと微笑み返した。
兎に角、和の趣、わびさびといった風流は伝えづらい事なので、これから実際に体感してもらいたいものだ。
角を曲がるとようやく目的地である山本亭は見えてくる。どんと構えた入口は倉のように大きく立派なもので、レンガ組みの塀から溢れた松といい、あちこちに和を感じさせる佇まいだ。
「うあー、屋根瓦があるなんて大きくて和風な門構えねぇ。ここは貴族の館なのかしら?」
「それに近いかもしれないよ。ええと、この門は伝統的な武家屋敷の造りをしているらしいね。文明開化の大正時代に建てられたから、西洋建築も混じっているみたいだよ」
へええ、と皆も興味津々にあちこちを眺め、門をくぐってゆく。日陰に入ると陽光はやわらぎ、ほっと涼しさに息を漏らした。
向こうの世界ではいくつか貴族の屋敷を訪れているけれど、日本ではもちろん初めてだ。
さて、入ってすぐに和風の庭園が僕らを出迎えてくれる。
ゆったりと描くカーブにはマツやツツジが植えられ、真ん丸に刈り揃えた様子が可愛らしい。その先には大正浪漫を彷彿とさせる和と洋の融合された母屋が見えてくる。
ジイジイという蝉の声も和らぐほど趣に満ちた空間へ、わあと皆は声をあげた。
「わ、わ、凄い凄い、たくさんの木が生えてるのに景色が落ち着いているわ!」
「西洋と違って、こっちは木や土を壁材にしているからね。だから家と植物が違和感なく溶け込めるんじゃないかな」
そう伝えながら、とくっとくっという胸の鼓動は強くなる。
僕に憑依しているシャーリーは、同じ風景を目にしている。そして少女から「早く早く」と手を引かれ、その柔らかい感触にもまた胸をときめかせているようだ。
ああそうか、肉体を持たない彼女は、こうして友人から手を引かれた事が無いのか。指先へと意識を集中し、そして緑の濃い香りへ否応無くシャーリーは高揚してしまう。
いつの間にやら和に通じているエルフははしゃぎ、手を引かれるまま僕らは母屋へと向かった。
さて、大正からある名家だけあり、あちこちに僕らを驚かせるものがある。
玄関には人力車が置かれ、そして開け放たれた畳敷きの間には、襖へ見事な絵が描かれている。
「あっ、花菖蒲! 見て見てウリドラ、前に2人で庭園に行ったとき咲いていたでしょう?」
「おお、これはなかなかの物じゃぞ。紫と白を綺麗に使うておるが、日本人は独特な筆づかいを好むようじゃな」
それに関しては僕も同意するよ。
西洋の派手さとは異なり、鮮やかな色を楽しむものだ。一見、のっぺりとした筆づかいながらも、当時の日本人らの感じていた趣を表しているよう感じられる。
「何かしら、こう花を見たときのハッとした感じが伝わってくるわね」
「印象的な絵が好まれるのかもしれないよ。日本はこんな島国だから独特の文化があって、海外の有名な画家も技法を学んだほどだからね」
まあ、だからこそ面白いのかもしれない。
もし大陸続きだったなら、あっというまに他国に占領されて文化も消えていただろうからね。
残念ながら近くで見ることは出来ないけれど、マリーとウリドラの楽しげなピース姿を写真に収めさせていただこうか。
ぱちりとシャッター音を鳴らすと、伝統的な和、妖精のような少女、そして黒髪美女という組み合わせのせいか、なぜか周囲の人らも写真を撮っていた。
いや、これだけ嬉しそうな顔を向けられると、僕まで幸せな気持ちになるものだね。一緒にシャーリーも撮ってあげたいけれど、そうなると心霊写真になってしまうのが困りものだ。
るんるんと軽い足取りで戻ってきたマリーは、自然と僕の腕に絡みつき、それから大きな瞳で見上げてくる。
「ねえ、和風のおうちは素敵なのに、どうして少ないのかしら。だって旅行へ来たようにリラックスできるでしょう?」
「西洋の建築文化が入ってきたり、狭くてもたくさん人が住めるように変わったからね。ただ、最近だと古民家と言って、古びた家を直して住む人も多いみたいだよ」
海外から来た人も、和の魅力を知り、そのまま住み着く場合もあるらしい。そう伝えると、ふうん、と分かったような分からないような顔を少女は浮かべる。
まあ、まずは建物に入って趣を知るほうが早いだろう。そう考えて、皆と一緒に母屋に入ることにした。
しかし、受付で提示された入館料に2人とも仰け反り返る。
「まさかの100円っ!?」
「ゆるいのうっ、一廣の眠そうな顔のようじゃあ」
ええー、つまり僕はワンコイン顔なのかな。
くつくつと笑うシャーリーの感覚を覚えながら、気にせず皆へとメニューを示す。あれ、もっと気にしたほうが良いのかな。
「庭園を眺めながらお茶を楽しもうか。茶菓子と飲み物、好きなものを選んでくれるかな」
女性は甘いものに目が無いと言うけれど、どうやらそれは真実だったらしい。わっとメニューへ顔を近づけ、どれが良いかと2人は写真を吟味する。
うん、僕の恋人であるエルフさんはダイエットの事をすっかり忘れているね。
くいと手を引かれ、少女から抹茶の写真を指差される。
「ねえ、あの緑色のものは何かしら?」
「お抹茶だね。甘みのあるお茶で、濃さを楽しめるのが特徴だよ。練った和菓子と一緒に楽しんでみたらどうかな?」
そう伝えると瞳をきらめかせ、何度か床をとすとす足踏みしてから「お抹茶でお願いします」と係員さんへ告げる。妖精的な顔立ちで、まさか流暢な日本語を使うとは思ってなかったらしく、相手は少し驚いていたようだ。
年配の女性は赤い顔を左右に振り、ようやく接客の顔つきに戻ってくれた。
「はい、お抹茶ですね。あとお2人は如何されますか?」
「むうん、白玉入りぜんざい……気になるのう。おお、そうじゃ一廣、わしと半々で楽しまぬか?」
名案だとばかりに提案されたが、ひょっとしたらほとんど全てをウリドラに食されてしまうかもしれない。しかし憑依されているシャーリーからは、こくこくと頷かれているのが困りものだ。
しばし悩み、僕はともかくシャーリーを無下にはしないだろう、などという悲しい理由で彼女へ頷いた。
「そうしようか。では彼女とおなじお抹茶、それに白玉入りぜんざいをお願いします」
「はい、ありがとうございます。どうぞお好きな席でお待ちください」
そう店員さんは「良いものを見れて得をした」という顔を浮かべ、奥の間へ導いてくれる。
では大正時代に建てられた、庭園を見渡せる空間へ向かいましょうか。
庭園を望む客室につくと、皆はしばし凍りつく。
これこそが和の本髄というべきか、廊下の向こう、開け放たれたガラス戸の向こうへ庭園は姿を現す。
手前には丸く刈り揃えたツツジ、丸みのある岩、そして水辺の向こうに折り重なるようにマツなどの緑が植えられていた。
手前は低く、奥へ向かうにつれ背の高い樹木が増えてゆく光景、そしてわずかに見える石灯篭は人と自然の調和を表しているかもしれない。
息を吸うことも忘れ、幻想世界の彼女たちは廊下から庭園を眺め続ける。
「~~~……っ! うああ、絵画の実物を見たような緑色ね」
「これは見事じゃなあ、憩いの場にこそ調和を生み出しておったのか。むう、ここにたどり着いて初めて気づかされるとは……」
そんなオーバーな……、などと今日ばかりは思わない。
憑依したシャーリーからは、ゾクゾクとした感動を、そして遅れて高揚感が押し寄せてくるのだから。
たぶん彼女は、このように調和のある緑を初めて見たのだと思う。
人に管理された緑というのは、得てして寂しげなものになる。しかし、この光景には美を覚えるほど植物の息吹を感じてしまう。
やあ、さすがは大正時代からある建築物だ。素人目にも世界観の重さが違うと思わせるよ。
「では座ってゆっくり眺めようか。うん、畳の良い香りがするね」
ざらりとした畳の感触は、どこか懐かしいものだ。
テーブルにあぐらをかきながら、思わず息を深く吸い込んでしまう。そして開け放たれた窓からは、水辺を思わせる冷えた空気が流れ込む。
幸いなことに人は少なく、おかげでどこか田舎へ来たような思いを味わえた。
向かい側へあぐらをかいた黒髪の女性は、どこかぼんやりとした表情で口を開く。
「うむ、うむ、これは良いのう。和の良いところは、ほっと寛げる所じゃろうなあ」
「素敵ねぇ、眺めているだけでため息が出そう。思わず暑さを忘れかけてしまったわ」
ぺたりと足を崩したマリーも、どこか夢見心地で呟く。
彼女らの絶賛する理由も分かる。もしもこのような家に住んでいたら、どのような生活になるのか僕でさえ夢想をしてしまう。
朝を迎えればこの景色を眺めることができ、恐らくは雨や風、雪などにより表情を変えてゆくだろう。そのような生活は現代人にとって憧れの域にある。
どくっどくっ、という心音はなかなか静まらない。
新しい世界を知ったシャーリーは、いまどんな顔をしているだろう。自然を愛し、管理する彼女の顔を、なぜか見たくて堪らない思いを僕はしてしまう。
「それにしても不思議だわ。ほら、ゼラやプセリさんの屋敷のほうがずっと広いでしょう? なのに和風庭園のほうが豊かに見えてしまうの」
「うむ、それは同感じゃな。思うにあの庭園は、この憩いの場のために用意されておる。そのような空間の扱い方は、わしにとって恐ろしく贅沢に感じられるぞ」
などと話していたときに、もうひとつ贅沢なものはやって来たらしい。お盆を手にし、廊下を歩いてきた和服の女性は、皆へ菓子と茶を配ってゆく。
ことんと置かれた配膳に、ようやく幻想から戻ってきた彼女らは、今度はその色味豊かな菓子と茶に驚かされる。
いや、驚きという意味では、その若い店員さんも同じか。日本人離れした彼女らは丁寧にお辞儀をし、ありがとうございますと流暢な日本語を返してくるのだから、ぽかんと口を開けてしまうのは仕方ない。
「あっはは、ごめんなさい。私ったらつい」
髪を後ろで結わいた若い女性は、青空に映える屈託ない笑いを見せてくる。ひょっとしたら学生で、夏休みのアルバイトをしているのかもしれない。
「それではどうぞごゆっくり。何かありましたら呼んでくださいね」
照れ隠しにお盆で口元を隠し、パタパタと立ち去ってゆく姿へマリーと笑いを漏らしてしまった。ああも若々しい姿を見ると、こちらまで明るい気持ちになるね……って、年寄り臭いことを考えてしまったな。
「んん、こっちもすごく綺麗な緑色。それに桜色の和菓子も可愛くて素敵ね」
普段あまり目にすることのない抹茶へ、エルフの手は伸ばされてゆく。
そして気がつけば夏の暑さは情緒へ変わり、僕らは和の楽しみ方を覚え始めていた。
ちりんとひとつ、どこかで風鈴の音がした。




