第140話 大正浪漫の日本庭園③
普段より少し変わった光景かもしれない。
開け放たれた窓には和風庭園が広がり、マリー、そしてウリドラとテーブルを囲んでいる。
初めて日本へ訪れたシャーリーは特別ゲストだけど、いまは僕へ憑依しているので姿を出すことは出来ないのが少し残念だね。
せっかく有給休暇をいただいたのだから、本日は葛飾区にある有形文化財、山本亭なる場所へと観光に訪れている。
ただ、同行者は幻想世界の住人であるエルフ、魔導竜、それに第二階層主なのだから、この日本観光は少し変かもしれない。
さて、半妖精エルフであるマリアーベルは、じっと手にした椀を覗き込む。
深い緑色をした抹茶は、少女の知らない香りと色をしているらしい。くんくんと嗅ぎ、不可思議なものへひとつ小首をかしげてしまう。
それから淡く色づいた唇をつけ、くいと口へ含む。
すると爽やかな苦味というものにまず驚き、そして後からやってくるほのかな甘みへ薄紫色の瞳を丸くした。
「んっ! 後から香ばしさが鼻を抜けて……っ! うあっ、この味、好きっ!」
眉間へ皺を寄せ、くううーとエルフは身悶える。
さらりとした舌あたりなのに、濃厚な茶葉の味わいは家庭であまり味わえない茶かもしれない。いや、それは僕が手を出さないだけで、スーパーでも取り扱っているのかな。
「抹茶はもちろん海外でも人気が高くてね。一緒に和菓子を食べてごらん」
そうアドバイスをすると、小皿に乗った桜色の練り菓子へとマリーは目を向ける。菓子楊枝を手にし、すいすいと切り分けると小さなお口へと吸い込まれてゆく。
んんっ! と上品な甘さに打たれ、そして勧められるまま抹茶を含むと……。
「んううっ、上品っ! 濃厚な抹茶に菓子の甘みが溶けて……っ!」
エルフは味覚や嗅覚に敏感らしい。すると甘みだけでなく鼻を抜けてゆく香りまで楽しめる抹茶は、かなりの高級品にあたるようだ。
隣に座っていた少女は、崩れ落ちるよう僕の肩へもたれかかって来るものだから、ついその耳へと囁きかけてしまう。
「そう、甘みと合うものだから最近ではデザートとしても人気があるんだ。マリーはアイス好きだけど、まだ抹茶味を食べてないのかな?」
「えっ、そんなのあるのっ!? 駄目よ、駄目、あとで買って帰りましょう!」
ぱっと目を開いて、慌てるように言ってくるものだから、僕はつい吹き出してしまうよ。
うーん、近い。近いし可愛いし、抹茶アイスを思い浮かべてか、ぐりぐりと頭をこすり付けられると僕としては嬉しい気持ちになってしまう。
「まずいわね、こんなのを味わったらアリライ国で唯一楽しめるお茶も、どこか味気なく思えてしまうわ」
「茶はそれぞれの味を楽しめて良いと思うけどね。おっと、僕もいただこうか」
そわそわとシャーリーの食べたがっている感情が伝わってくるので、少し慌てて椀を手にする。僕はどうもゆっくりしているというか、マリーの反応を楽しみたがるからね。
陶器の椀をぺたりと唇につけ、そして抹茶を口に含む。
僕には感じ取れないけれど、さらりとした舌触り、濃厚な茶の味、そして後からやってくる丸い甘みをシャーリーは楽しんでいるだろう。しばらく動けないのは、おいしい、おいしいと伝わってくる感情のせいだ。
どこか健康的だと思わせる抹茶は、喉を通り過ぎると味をより濃くさせる。ほうと吐き出した息さえ香りを感じるもので、彼女と共に無言で茶をただ楽しむ。
そしてぼんやりと外を見れば、和風庭園の落ち着いた光景だ。
これは贅沢過ぎる、などと思う。有給休暇を取り、後ろめたい気持ちがほんの少しあったのに、庭園を眺めながら味覚を楽しんでいるうち忘れてしまいそうだ。
うーん、良いかもしれない。
落ち着いた時間を過ごすという、新しい趣味に目覚めてしまいそうだ。
こういうのは年配の人が楽しむものだと思っていたけれど、この年で始めても良さそうに思えてきたぞ。
「くふう、日本のデザートは格別じゃのうー」
などと考えていると、向かいに座るウリドラも白玉ぜんざいの甘さを楽しんでいたようだ。スプーンを口にくわえたまま、つぶつぶとした小豆の甘さ、とろりと溶ける味わいに鮮やかな唇を真横へ引き結ぶ。
がつがつと食すことの多い彼女だけれど、このような甘いデザートになるとゆっくり咀嚼することを好む。たまらなそうにぎゅうと目を閉じ、そして形の良い眉のあいだには皺が浮かぶ。
そして口を開くと、ほうと艶かしい息を吐いた。
なぜかそんな仕草でも色気を覚える女性だと僕は思う。
大事そうにゆっくりと食べ、それからこちらへ黒曜石のような瞳を向けてくる。ずいと差し出された白玉ぜんざいは、どうやら「そっちと交換じゃ」という意味らしい。
う、だけどこれ……スプーンをそのまま使うのは気恥ずかしいな。
とはいえ、シャーリーから食べたがっている感情が伝わってくるのだから仕方ない。恐る恐る手にしたとき、隣からシャツを引かれた。
怒られるのかなと思ったけれど、マリーは少しだけ恥ずかしげに口元を指で隠し、ちらりと上目づかいに見上げてくる。
「ねえ、一廣さん。その、食べ終えたら私にも一口くれないかしら」
「もちろん構わないよ。少し待ってね」
ぜんざいを掬い、思い切ってぱくりと食す。すると素朴な甘味が口に広がり、もちもちとした食感まで楽しめる……のは、僕じゃなくてシャーリーだ。
ウリドラも気にせず僕の抹茶、そして練り菓子を食べているのだから、気恥ずかしい思いをする必要は無かったようだ。まあ、僕らは気心の知れた仲だしね。
「どうぞ、マリー。これも抹茶と合うんじゃないかな」
「ええ、ありが……と……っ」
うん? 器を受け取ったマリーが凍り付いてしまった。
どうしたんだろうと眺めていると、少女はスプーンをじっと見て、頬をゆっくりと赤らめてしまう様子だ。
元の肌が透けるように白いものだから、かあっと赤くなるのも分かりやすい。そして何度かこちらを見上げて来られると……すみません、僕まで甘い気持ちでいっぱいです。
おかしいな、彼女とは恋人同士の関係だし、何度となく口付けをしているはずなのに。
「ふ、ふ、どうしたのじゃマリアーベル。顔が赤いようじゃぞー?」
「へっ、平気……っ! いつもと同じだし、へっ変な事なんかじゃ無いものっ! ほら、あなたもじっと見ないで、あっちを向いてちょうだい」
うわ、恥ずかしいです。
真っ赤な顔をし、柳眉を逆立てて怒られると堪りません。わきの下をつねられ、どうにか僕は顔を逸らしてその場を乗り切ることにする。
おまけにシャーリーまで胸をドキドキさせているのだから、相乗効果で大変です。
カチャ、カチャ、とためらいがちのスプーンの音がたまらないったら……。
真夏だというのに、僕らは互いに汗をかいて何をしているんだろう、と思えてしまうね。
テーブルの下で、ウリドラの足がドスンとめり込んだ。
ああ、ウリドラさん、どうしてそんなに無表情をしているのかな。
さて、気を取り直して大正浪漫の館を楽しむことにする。
和風庭園だけでなく、洋風の造りまで楽しめるのが本館の特徴だろう。
和の本髄を見せられ、そして少し廊下を歩いたら本格西洋の間が待っている。外から見たときも、この一角だけ外壁を洋式にしていた記憶が蘇る。
落ち着いた暖炉、茶柄のソファーがテーブルを囲んでいる光景へ、部屋を覗き込んだ皆は目を丸くした。
「わっ、こじんまりとした部屋なのに、明るくて素敵だわ。窓がとても多いせいかしら?」
「むうん、落ち着いておるのう。だだっ広く、ゴテゴテとした飾りを好む貴族どもに見せてやりたいものじゃ」
モザイク柄の床といい、当時にしては珍しい白漆喰の天井といい、大正時代の息吹を感じるものだ。
こじんまりとした空間を好む日本人らしい造りへ、皆は熱心に眺めている……けれど、ウリドラ、それにシャーリーの視線が不自然に思えるほどすごい。じろじろと辺りを観察し、ステンドグラスの窓やら壁の模様に至るまで、全て記憶するような勢いだ。
うん、2人とも隠れて何かを企んでいるのかな?
そういえばウリドラは第二階層の手伝いをしていると言っていたけれど……もしかしてそれと関係がある、とか?
などと考えているとき、僕の腕に抱きついていたマリーから見上げられる。
「ねえ、ここでならゆったりと読書を楽しめそうじゃないかしら? 家具に興味は無かったけれど、実際に見てみると憧れるわね」
「あ、そうだった。僕もソファーは悩んでいたんだよ。もしマリーも気に入ったなら、近いうちに家具屋さんへ行ってみようか」
ぱっと花が咲くように少女は微笑む。
それはきっと、このような空間を目にしたからだろうし、実際の生活をリアルに想像できたおかげだろう。
ただボーナスには限りがあるので、海への旅行費用も考えておかないといけない。
ふむ、そういえば今日は月曜日なのだし、同じマンションに住む薫子さんはお休みだ。あとで連絡をして、都合が合うなら相談しに行こうかな。
そんな事を考えているうち、ウリドラとシャーリーに問いかけることを、僕はすっかりと忘れてしまった。
うーん、と外へ出た2人は揃って伸びをする。
外見はまるで異なるけれど仕草も表情も似ているものだから、僕の目からは姉妹のように見えてしまう。
ここにきっとシャーリーも加わるんじゃないかな。魔導竜とエルフというまるで異なる間柄なのに、こうして楽しく過ごしている姿を見ているとそう感じてしまう。
山本亭を堪能した僕らは、係員さんに挨拶をしてから外へ出ることにした。やはり空には青空が待っており、梅雨時期を乗り越えたからこそ気持ちよく感じられるものだ。
午後を過ぎると少しだけ暑さは和らぎ、入ってきたときとは異なる清涼感を僕らは感じていた。
「んーー、すっきりしたわ! たまにはまるで異なる世界を見るのも素敵ね」
「うむ、風情というものを感じる有意義な観光じゃったな。……しかしこれで100円とは、わしの金銭感覚が狂いそうでもある」
まあ、地域で守っている文化財というのは、そういうものだからね。そのぶん気軽に何度でも訪れてください、という意味があるんじゃないかな。
最近まで大きな補修をしていたようだし、収益は全てそこへ使っているのかもしれないよ。
「じゃあ、最後に写真を撮ろうか。2人とも、山本亭は何点だったかな?」
「んふ、100円だけに100点っ!」
おや、まさかエルフさんの駄洒落を聞けるだなんて。
がはっ!とウリドラは下らなさにお腹をかかえて笑い、顔を赤くしたマリー共々フィルムに収めさせていただいたよ。
くふう、とシャーリーもたまらず吹き出したのは、どうやら僕の口端を緩ませようとしているらしい。
そのように和の風情や庭園を知るための小さな旅を、皆は満喫してくれたようだ。




