第141話 甘味処の誘惑
洋風ガーデニングのランチは都合により中止となりました
大通りから裏道に入ると、少しだけ暑さは和らいだように感じられる。
月曜の昼間とあってか人通りは少なく、そして年配の方々が多い。
すぐ前を歩く女性は腰までの黒髪を揺らし、じっとり汗をかいているせいで薄い布地を白い肌へ張り付かせている。
健康的な肩甲骨は浮き上がり、ホットパンツのせいか歩むごとに豊かに弾む臀部、それにすらりと伸びる脚へ目を吸い寄せられそうだ。
「うむ、何やらあたりの雰囲気も変わってきたのう。アジアの匂いを感じるぞ」
「このあたりはお寺が多いからね。確か江戸初期からの歴史があると聞いた気がするよ」
こちらへ振り返る彼女は、僕の答えへ魅惑的な笑みを浮かべた。うーん、妙齢の美女という表現が、ぴたりと当てはまる人だね。
後ろに手を組み、ご機嫌そうに歩いている後ろ姿を眺めているだけで、何やら得をした思いをさせられる。
彼女は人智を超えた魔術を操る魔導竜という存在だ。しかし、僕らの攻略している古代迷宮においては盾役の役割をしている。
というよりもマリーの護衛役だね。もし彼女が本気になれば、一体どれほどの破壊の嵐が吹き荒れるのかすら僕には分からない。
いや、レベル1000オーバーの怪物的な魔術なんて、想像したくないというのが本音かな。とはいえ7つの核に分かれているとか何とかで、僕らと行動しているときは推定レベル180ほどに抑えられていると聞いた気がする。
さて、彼女の言う通り、辺りの雰囲気は変わりつつある。
葛飾区にある柴又帝釈天の通りを歩くのは初めてだけど、どこか趣のある空気を僕でさえ感じるほどだ。
右手には寺院の敷地を表す石造りの柵が並び、物珍しさのせいか視界には白い頭が飛び込んでくる。わああ、と瞳を輝かせているのは妖精のように美しく、そして子供のような愛らしい笑みを浮かべるマリアーベルだ。
僕の肘へ腕を絡め、大きな紫水晶のような瞳を向けてくると、ふっくらとした色づいた唇を開かせる。
「うーん、聖教会と違って趣のある建物ねぇ。ほら、向こうだと金とか銀とか派手な装飾を好むでしょう?」
「あ、そうだね。僕はあまり立ち寄らないけど、お金持ちだなと感じるよ」
「それはお金を搾取しているからよ。だから落ち着きのあるこちらのほうが私は好き」
ええと、こちら側も実は搾取してますなんて言えないな。
それよりもぐいぐいと同意を求めてくるせいで、少女のわずかな膨らみを覚えてしまい僕としては気恥ずかしい。
「ほれ、乳繰り合っておらんで道案内をせぬか。むうー、どこからか甘い匂いが漂っておるぞ」
「それならウリドラの嗅覚だけで辿り着けると思うよ。目的地はもうすぐだからね」
などと答えつつも、僕は内心で不安を抱えている。
というよりも僕自身のことでなく、肉体へ憑依している第二階層主、シャーリーから伝わってくる不安だ。
先ほどからドクドクと不安そうに心臓を鳴らしており、寺院を視界に入れるたび怖がるような気配を伝えてくる。なのでなるべく遠い道の端っこを歩くように心がけているが……。
「ところでウリドラ、ひょっとして幽霊は寺院を怖がるのかな?」
「うん? ああ、わしはまだこの地の習わしに通じておらぬが、郷に入れば郷に従えと言うじゃろう。この地へ来た以上、この世界の道理に合わせねばならぬ」
ああ、それで寺院に怯えているのか。
確かに幽霊なんだし、成仏させられたら堪ったものじゃないね。
「それは心配ねぇ。なら今日のところは帰ったほうが良いのかしら?」
「いや、敷地に入らなければ平気じゃろう。それに怖がってしまうだけで、本当に成仏させられるとは思えぬからな」
ふうん? どういう意味だろう?
きょとりと僕とマリーで小首を傾げると、まるで生徒を相手にするようウリドラは覗き込んでくる。さらりと真っ直ぐの黒髪が垂れ、人差し指をこちらへ向けてきた。
「ほれ、仮に成仏させられたとしても、彼女の本体はここに無いじゃろう。わしの見立てでは、第二階層の広間へ戻るに過ぎぬと思うておる」
「あ、そういう事か。んー、そうなると日本に来たシャーリーは、僕と同じ完全な不死になるという事かい?」
ハテナ、とシャーリーから疑問符が飛んでくるのを感じた。
憑依しているので姿は見えないけれど、たぶん青空色の瞳を丸くして僕を見つめているのかな。ぽやんとした表情を思い浮かべ、その人畜無害そうな様子に肩の力は抜けてしまう。
……うん、だからどうしたという話で、あまり深く考えても仕方ないな。どちらにしろ僕らの目的地は寺院では無いからね。
当の柴又帝釈天の入口へたどり着くと、目の前には賑やかな商店街が広がった。
古風な店構えはまるで映画のセットのようであり、2人は「わっ!」「むおっ!」と驚きの声を上げて立ち尽くしてしまう。
先ほど大正浪漫の館を楽しんだばかりだけど、今度は昭和初期からの歴史ある商店街だ。
参道には古き良き日本の面影はまだ残されているらしく、訪れた観光客へレトロな雰囲気を楽しませてくれる。
ぱちりぱちりと少女、そして黒髪美女は瞳を瞬かせた。
「おおーーっ、趣のある商店街じゃなあ! くうー、腹の減る匂いが……うむ、うむ、良いところへ案内したではないか!」
よほど気に入ったのか、べたりと珍しくウリドラから抱きつかれてしまった。けれど、胸が当たってますので離れてくれると助かります。
「わ、わ、甘じょっぱい香り! んー、口のなかに唾が溜まるっ」
「やあ、おせんべいの良い香りだね。僕も初めて来たけれど、あちこち食べ物屋さんがあって賑やかだなぁ。ちょうどいいからお昼はここで済まそうか」
ちらりと時計を見れば、もうお昼時を少し過ぎている。のんびり観光をしているうち時間を忘れていたらしい。もちろん皆は反対するはずもなく……というよりも、とっくに匂いにやられているので食べる気満々の顔を向けられた。
「さあ、どこが良いか皆で選んでくれるかな?」
そう言うと、そろって「おーー!」と元気良くこぶしを持ち上げてくれた。
うーん、こう見ると明るくて元気な2人だなぁ。
そういうわけで、きょろきょろと古風なお店を眺めつつ、参拝者のあいだをゆっくり歩く。
しかし魅力的な店はあちこちにあり、くず餅やお団子、洋風のどら焼きなどなど、和菓子の味を知ったばかりの彼女らを誘惑してしまう。
ぐいとマリーから腕を引かれたのは、そんな老舗のお団子屋さんだった。
お団子を焼く専用の鉄板からは、もち米の焼ける良い香りが漂ってくるものだからエルフさんはイチコロのようだ。
待ち構えていた皺だらけのおじいさんは、にかりと笑いかけて来た。
「おっ、どうだいお兄さん、そこのさ、台のとこで可愛い外人さんと食べてったら?」
うーん、お昼を前に甘いものは抵抗があるなあ。
どうしようか相談しようと思ったら……あれぇ、ふらーっと2人とも吸い寄せられてゆくぞ。まだ商店街を数歩しか進んでないのに、あっという間に誘惑に負けてしまったようだ。
仕方なく、こそりと後ろからマリーへ囁きかける。
「甘いのを食べると、お昼が入らないんじゃないかな?」
「うっ、それは困るわね。でもこの匂いが……ねえ、少しだけでも駄目かしら?」
ぎゅうとシャツを掴まれ、眉をハの字にして少女から見上げられる。
お願い、お願い、と潤んだ瞳を向けられると、僕としてはかなり弱い。そのうえ、憑依しているシャーリーからもダブルでおねだりをされている。
……まずい、可愛いです。おねだりするエルフさんは貴重なので、あっという間に僕まで負けてしまいそうだ。
「うむ、お団子を3つ頼む。どれが美味しいのじゃ?」
「わ、やったあ! 私も食べるーー!」
あっさりと身内から裏切られ、思わず「なにぃ!」と声が漏れてしまった。おまけに身を翻して離れてゆくマリーに、何故か悲しい思いをさせられる。
「うちのは草だんごが美味しいよ。ほら、心配しなくてもこの辺りは団子屋ばっかだからさ、食べ比べできるよう小さいのも用意してあるから」
おじいさんの人の良さそうな笑顔に促され、しぶしぶお財布の紐を緩めることにした。
うーん仕方ない。胃袋を考えると、ウリドラは兎も角……いや、彼女に引きずられないようマリーを食い止めないといけないのか。
よし、何が何でも全敗だけは避けるぞ!
お昼ご飯までの道のりは、遠く険しいものになりそうだ。




