第110話 夢と魔法の国へ行きましょう④
岩でごつごつとした洞窟のなか、僕らは行列を並んでいる。
行列を待つあいだ、会話の弾まないカップルなどは険悪になることもあるらしい。そのような噂を聞いていてハラハラしていたのだけれど、周囲のオブジェなどを見てはしゃぐ様子に、ほっと僕は胸を撫で下ろす。
「んーーっ、まるで絵本を開いたみたいだわ。ねえねえ、この先に何があるのかしら」
「それはもちろん着いてからのお楽しみだよ」
そう答えると、むふんっと少女は待ちきれないよう笑みを浮かべる。
これほどの行列があり、周囲には物語の一端とも言うべきキャラクターに溢れているのだから、少女にとって期待度はうなぎ登りだろう。
先程マリーの言った「絵本みたい」という表現は、かなり事実に近しい。
いま僕らはひとつの絵本へと迷いこんだと言える。ここはにぎやかに暮らす動物の国であり、現実でも異世界でも決して味わえることの無い世界だ。
少しだけコミカルであり色彩豊かな風景に、エルフも竜も、そしてダークエルフさえも胸をワクワクと高鳴らせていた。
と、看板の解説を読んでいる皆へと、ダークエルフのイブは訝しげに声をかける。
「というかあんたら、この国の言葉とか分かるわけ?」
「もちろんよ。これだけ娯楽の溢れた世界なんて他に無いし、それはもう必死に言葉から読み書きまで覚えたわ」
「言語を覚えずして日本を分かるわけもない。おぬしは少しばかりアホ属性じゃから難しいやもしれぬがなぁ」
「はああッ! 誰がバカ属性よ、誰が! ふん、共用語もちゃんと一年で覚えてるし!」
その言葉はまるで効果を発揮せず、僕らは互いに見つめ合ってしまう。
残念だけれど、マリーは約一ヶ月で日本語をほぼ覚えてしまったんだ。ちなみにウリドラは技能枠を使ったとかで即日覚えているのだし、その一言は圧倒的大敗を表している。
ぽんと彼女の肩を叩き、なぐさめの声をかける事にした。
「ほら、僕らは一般人だし仕方ないよ。地道に一歩ずつ前進すれば、きっと夢は叶うと思う」
「触んなっ! あんたみたいに眠そうな男と一緒にして欲しくないし!」
「あら、一廣の言語は私より幅広いわよ。巨人語まで覚えてる物好きな人なんて見たことないもの」
あ、そうだったねぇ。
まあ20年も遊んでいれば、言語なんて勝手に覚えると思うんだけど。などと思っていたのだが、彼女はマラソンで友人から裏切られた人のように悲痛な表情を浮かべてしまう。
「え、なに、あたしってバカなの? ちゃんと共用語も覚えたし、先生も『君は本当は頭が良いんだ』って何度も言ってくれたのに……」
……それは、その……方便というか、先生はイブを元気づけてくれたんじゃないかなぁ。
さすがのウリドラでさえ可哀想なものを見るような顔をしてしまう。
「す、すまぬのう、まさかそこまでとは思わなかったのじゃ。あとで甘いものを食べさせてやるからのう」
「ぜんっぜんフォローになってないんですケドっ!!」
顔を真っ赤にして怒るイブだけど、君の属性はきっちりと固まってしまったかな。ただ僕としては頭の良い人達に囲まれていたぶん、ほっとできるんだよ。
などと話していると、あっと言う間に順番はやってきたらしい。
乗り込もうとするものに、少女はこそりと「いかだ」と楽しそうに囁きかけてくる。とはいえ丸太を削ったようなそれは、いかだというには少々着飾りすぎているかもしれない。
係員の指示のなか、竜やエルフが座ってゆくのは絵本の一場面のようにも見える。
真っ暗な洞窟のなか、乗り物はいま……動き出す。
ごとんという衝撃に「きゃっ」と小さくマリーとイブは悲鳴を上げる。
「わ、わ、動いてるっ!」
「乗り物だからね、車のようなものだよ。しっかり掴まっていてね」
それでも楽しみらしく、にこりと少女は笑顔をみせる。
ごつごつとした岩の洞窟を抜け、軽快な音楽と共に愛嬌のある動物キャラクターは話しかけてきた。これがどのような旅になるのか、そしてここは絵本の中なのだと彼は教えてくれる役割を持っている。
こそりと少女は「可愛い」と耳打ちをしてくれ、こくりと頷き返す。
やがて洞窟には青空が見え、その先にはたっぷりと広がる水場、そして赤茶けた岩山の広がる光景へ少女は目を輝かせた。
「え、まさか本当に絵本の世界なのかしら? 見て、小さな家がとても可愛いわ」
ざぶざぶと水を切り、突き進んでゆく光景はまさに絵本の光景だろう。きっと誰しもが童心を思い返し、夢のような光景にときめいたに違いない。
とはいえ、絵本には物語がある。高い場所から園内を一望できる景色があったとしても、ページをめくればストーリーは流れ始めるものだ。
軽快な音楽とともに暗い暗い洞窟に入る。
ごつごつとした岩の天井があり、その先には闇が広がっていた。
「きゃあ、あーーっ!」
闇のなかへ吸い込まれるよう、一瞬の浮遊感にマリーは悲鳴を上げ、直後にうってかわって幻想的な光景へと目を見開かせる。
何度もまばたきをしたのは、きっと夢と現実の境目にいると感じているせいだ。浮遊感により強制的に物語へと没入されてしまい、そして魅力的なキャラクター達はそれぞれ語り出す。それらを組み合わせれば物語は生まれてゆき、マリーは驚きつつもこちらを見上げてきた。
「たいへん、あの子が狙われているわ」
「おや、それは大変だ。いったいどうなってしまうのかな」
とはいえ僕らは絵本を読む立場だ。彼らの平和そうに暮らしている光景を眺め、そして歌や踊りのコミカルさに見とれているうち事態はゆっくり進んでしまう。
彼は罠にかけられ、そして危機を迎えてしまうのだ。
転調を伝えるように、先程より長い落下感へ少女は長く細い悲鳴を洞窟へと響かせた。
洞窟はさらに暗いものへと変わり、周囲の光景もどこか禍々しい。不穏な空気に怯えたのか、ふと気がつけば少女は僕の腕をぎゅっと掴んでいた。
「だ、大丈夫かしら。いつもの絵本よりずっと怖いの」
「……彼は弱いなりに頭を使って生き延びてきたようだね。ほら、なにか機転を働かせたようだよ」
その言葉に、少女は瞳を瞬かせる。
彼は唯一うごかせる口を使い、話術でまんまと魔の手を踊らせて、やがて……。
ざあっと水の音を響かせ、その洞穴に終わりがやってきた。そこにはただ空だけが見え、あるべき水路は足元に無い。
先程までたびたびあった落下感だけれど、坂へ乗り上げようとしている今も底は見えないことへ少女はガシリとしがみついてきた。
「――やっ、いやっ、やあっ! やだやだやだーーっ!」
「おいカズヒホ、あたしを騙したな! この先は……!」
いやいや、僕も知らなかったよ、こんな高いところから落ちるなんて。独り身にとってグリムランドなんて行けるわけもないから仕方無いね。
おっと、これは高いなあ……。
がこんと上へ乗り上げた瞬間、どおお!と丸太は大量の水しぶきのなか落下していった。
「んにゃああーーーーっ!」
それはそれは可愛らしい悲鳴を轟かせ、僕らは滝底へと落ちていったわけだ。
ぶら下がった写真には、大きく口をあけて悲鳴を上げるエルフの2人、そして喜色を浮かべるウリドラの姿を写しだしていた。それを指さして、皆へと振り返る。
「どうだい、記念に一枚買っていかないかな。みんなとても可愛く撮れているし」
「ぐふふーーっ! おほんおほん、そうじゃなあ。これならばさぞ思い出に残るじゃろ」
「ぜったいイヤッ! あんな写真を持ち帰りなんてしたら、もう口をきいてあげませんからね!」
うっ、それは困るなあ。仕方無い、楽しい写真よりも彼女との会話のほうが大事だ。いやでも可愛いと思っているのは嘘じゃないんだけどなぁ。
ぜいぜいと息を整えていたイブは、ようやく恨みがましい瞳をぎょとりと向けてきた。
「な、なんであんた、あんだけ落ちてる中で寝そうな顔してるわけ?」
「ええ、怖かったよ。落ちるなんて怖いよね」
ほら、よく見てみると僕も少しだけ口を開けているよ。
まあ夢のなかで散々飛んだり跳ねたりしているせいで、ちょっと耐性がつきすぎちゃったかもしれないけど。
しばらく「信じられない」だの「おかしい」だの言われたけれど、アトラクションに没頭していたせいか先程より距離を縮めている気がする。友達のようにぎゃあぎゃあ言ってくれると、なんだか少し嬉しくなれるね。
と、そのとき少女は紫水晶に似た瞳をこちらへ向け、にこりと笑いかけてきた。
「分かったわ、アトラクションというものが。ここにある施設には、それぞれ物語があるのね。それを私たちは体感できるようになっているの」
ふむ、ようやくアトラクションとはどのような物か分かったらしい。そのマリーの言葉には、騒がしかったイブでさえもきょとんと瞳を見開いてしまう。
「え、凄いじゃん。あんなのがたくさんあるってこと?」
「あったじゃろう、歩いてくる間も数えきれぬほど。あれらは皆、わしらを楽しませるものじゃ」
ウリドラの一言に、エルフとダークエルフは見つめ合い、ぱちぱち瞬きをする。ぱあっと顔を輝かせたのは、これからの1日がどれほど楽しいものか容易に想像をすることが出来たということだ。
「すごいすごい、こんなに楽しい場所だなんて思わなかったの。連れてきてくれて嬉しいわ」
「うん、それじゃあグリムランドを満喫すべく次のアトラクションへ向かおうか」
その言葉に、女性陣は「おーーっ!」と元気よく握りこぶしを持ち上げてくれた。
では、水を差すようで申し訳ないけど、ホラーの世界へ皆を案内しようか。
いつも自信たっぷりのウリドラは、怖いものを苦手とするような発言を前にしていたからねぇ。気になって気になって……いやいや、これは僕の単なる興味なのだから気にしないで構わないんだよ。
きゃいきゃいとはしゃぐ彼女らの背後で、僕はにたりと微笑んだ。




