第6話 竜の背中
真紅の翼がひるがえると、私は空の中にいた。
さざめく草原も、連なる山々も、はるか下方に取り残され、遠景の1つでしかなくなる。
ごうごうとうなる風が体をすり抜けていく。
ゴーグル越しに前を睨めば、うす雲がわれて道を作ったのが見えた。
ぎらぎらと照りつける太陽は、けれど熱のない光源程度にしか感じない。
自分の体から、現実味が遠退いているようだ。
不意に体が振り回される。
旋回する翼が空を切り裂き、急速に地面に近づき、そしてやんわりと降り立った。
「うーん、馬ほど無神経ではないけど、馬ほど安全でもないですね。やはり空中での意思疎通ができるとありがたいです」
「キキ」
「そうでしょうけど、問題は、私がほとんど音が聞こえないことですね……空中も超安全、というわけではないですし」
「キキー? キ、キキキ」
「わかってます。アルゴはとても強いですし、そこらの魔物では足元にも及びません。ただ私は、空中戦に耐えられる作りをしていないんです。わかりますか?」
「キュー……」
「さっきの飛行も、全速には達していないでしょう?」
「キュキ」
「何か壁のようなもので囲って、しっかり体を固定できる椅子があれば、話も変わってきますけど」
「キー……?」
「まあ無理ですよね」
最終的に、ある程度の挙動を互いに合図しあうことで意思疎通の問題をひとまず解決し、私達は空から北の森に帰る。
アルゴの巣の脇には私が張ったテントがあるのだが、そのそばで誰かが飯ごう炊爨にいそしんでいるのが見えた。
その誰かの邪魔をしないように少し手前から下り、けっこうな距離を置いて着地する。もう少し近くにと思ったのだけど。
「ジェイさん。来てたんですね」
ゴーグルや防寒具一式を外すと、スッと斑大鴉の煮込みが差し出される。
今日の晩ご飯だ。
「これで、食費がずいぶん浮く」
「なるほど」
トリの肉に森で取れるキノコ、それから栄養価の高い野草を水で煮込み、塩で味を調えただけの料理だ。
ジェイさんほどの腕があれば、食材はすぐに集まるだろう。
それに斑大鴉の肉は臭みが少なくすじがコリコリしているので、硬い赤身をじっくり煮ほぐしてやれば、そこらの鶏なんかよりよっぽどおいしい。
ひと口含めば、空の上で冷えた体にじんわり効いてくる。
本当に、食は百薬の長。
「すごくおいしいです」
「そうか。アルゴの調子はどうだ」
焚き火の光の外で斑大鴉の残骸をおいしそうに食べるアルゴに、少し視線を送る。
「格段に上手になりましたよ。これで、念願の日帰り旅行ができます」
空が使えるようになれば、北の森へ行くように他の狩場へ行くことができる。
このメリットは大きい。何より、野宿のリスクが格段に減る。
「明日はジェイさんも一緒に飛んでみますか?」
「いや、まだいい。1人乗りがつまらなくなったら呼んでくれ」
例の5徹事件のあと、2週間強の入院があけた私は、スリーピングシープをまだしばらくは閉めることにした。
理由は色々あるのだが、5徹騒動のほとぼりを冷ます意味が一番大きいだろう。
従業員2人には有休を出し、ユーリにはきちんとギルドの仕事にはげむよう通達しておいた。
ギルド所属の冒険者がずっと任務から離れているのはよくない。
ちなみにマティアスさんはパブの経営で普通に仕事があり、ジェイさんは……病院にやって来た例の男が気がかりなのだろう、かなりの頻度で私の用事に追随していた。
そんな彼らの隣で、化粧品類の価格調整や原材料の調達といったこまごました用事を済ませた私は、北の森にある竜の巣に山ごもりを決め込むことにした。
これもまた理由が色々あるのだが……。
実は5日間不眠不休で働いている時、妙な体験をしたのだ。
たとえば、濃度調整にかかる時間の短縮、生成の際の品質の上昇。
どうやら私は、極限状態に置かれたことで、魔法の使い方が上達したらしかった。
検証実験のために北の森であれこれしているうちに、休憩場所が欲しくなり、テントを張り、寝袋を持ち込み、ティーセットを持ち込みと、結果的に山ごもりが始まったのだった。
主に増幅魔法について検証した結果、今まで使っていた、製薬以上の使い方ができるようになっていた。
まず、薬草と薬以外のものに魔法をかけることができるようになった。
今までは相手の組成がわかっていなければ的確な効果をもたせることができなかったが、今回レベルアップしたことで、よくわからないものにも強引に効果をもたせることができるようになっていた。
たとえば土。今までは農薬をまいて栄養素を土に混ぜ込んでいたのだが、増幅魔法によって土自体のポテンシャルを引き上げ、農薬よりも安全確実簡単に、収穫量を上げ品質を上げることに成功した。
ただ、この魔法の欠点にも気がついた。
あくまでもとの素質をのばすだけで、新しい素質を追加することができないのだ。
ためしにいつも使う道具類をいじってみたのだが、鍋の断熱性を上げたりハサミの硬度が上がったぐらいで、魔法を使うほどの成果は上がらなかった。
この先どんなにレベルアップしようとも、この壁は越えないだろう。残念なことだ。
空間拡張魔法も試してみたところ、以前までは布の閉鎖空間にしかかけられなかったのに、ある程度硬く入れ口の大きなもの……クローゼットやコンテナにもかけられるようになった。
これは大躍進だ。これで獲った獲物を解体する前に一旦しまい、安全なところでさばくことができる。
さらに、任意の並び順にならないものかと試行錯誤した結果、拡張空間を作る際にどのように並べ替えるかという情報を組み込めるようになった。
並び方は、入れた順の昇順降順、重量の昇順降順、質量の昇順降順の6種類から選べる。
どうやら今までは質量の昇順で並んでいたらしい。使いにくいはずだ。
魔法の検証が一通り終わって、もう素直に街に帰ってもいいのだが、なぜか私はアルゴの騎乗訓練を積んでいた。
もうこれに関しては理由もへったくれもない。趣味だ。
こんなにかわいいドラゴンと長いこと寝食を共にしたら、誰だって背中に乗せて欲しくなる。
欲を言えば、遠くの狩場にさっと行ってさっと帰ってくる、夢の日帰り狩猟というの魅力的なのだが。
無理をしてそこまでのレベルにならなくてもいいのだ。普通に飛んでも楽しいし。
翌日も、私は空の人だった。
できるだけ市街地の上を避け、街道は見失わないように飛ぶ。
そうして南へ飛んでいくと、右手側地平線の先に、巨大な赤紫色の塊が見えた。
「ん?」
目を凝らしてもちかちかと光が反射してよく見えない。
かなりの距離があるので、そうとう巨大なのはわかるのだが……。
「アルゴ」
右に翼を傾け、機首を上げることで旋回する。 真上から押さえつけられるような圧力に耐えれば、すぐに水平に戻る。
竜の翼でもずいぶんと時間のかかる場所にあったのは、巨大な水晶塊だった。
ナーヴの時計塔を10倍して、さらに分裂増殖を繰り返したような色とりどりの水晶が、草原の真っ只中、なんの脈絡もなくそびえ立っている。
あまりに異様な光景に呆気に取られていると、アルゴが急に90度旋回して、水晶塊の周りを大きく円を描いて飛び始める。
これ以上近づきたくない、ということか。
結局アルゴを草原に残し、徒歩で水晶塊に近づく。
空から見ても圧倒的な質量を誇っていたガラス質の鉱物は、地面から見上げるとさらに威圧感を増した。
どんなに首をのけぞらせても、一番上が見えない。
巨大な壁として立ちはだかる水晶のたもとに来たところで足を止める。
足元の地面が、透明な砂利道に切り替わっていた。これもまた水晶なのだろう。
ひょっとして色のついた氷ではないかとも思ったのだが、ここまで来ても気温が下がったりすることはない。
ということは、本当にこれはガラス質の鉱物なのだろう。
しかも人為的に作ったものではなさそうだ。見渡す限り掘削痕などはない。
一体どうなっているのか、手を伸ばしてみれば、おそらく硬い感触が返ってくるであろう表面に辿りつく前に、誰かに手を掴んで止められていた。
「ストップストップストーップ」
ぐいと腕をとられ、3歩ほど強制後退させられる。
「あっぶなー。触るとかマジ命知らず」
かなり聞き取りづらい早口でまくし立てられたのは、どうやら私が常日頃使っている大陸語と同じ言語らしい。
「えーっと……そう、ここはレレント連合国指定保護区だから、勝手に触っちゃダメ子さん」
まじまじと相手の顔を見る。
明るめの黒髪を肩ほどまでのばした男性で、金色の目がずいぶん珍しい。
紺色のタンクトップの上に朱色の肩が出るジャケットを羽織っただけの姿は、こんな田舎を通り越して未開の土地にいるのが不似合いだ。
「あの、あなたは一体……」
空から見た限り、周囲に人がいる様子はなかったのだが。
「あーオレ? オレちゃんはね……そう、とある国の王子なんだけど、今日はお忍びでお散歩してたん」
いかにも今考えましたといわんばかりの返答に、思わず渋い顔になる。
「言いたくないのなら聞きませんけど」
「マジで? ラッキー」
彼の出身地の方言なのかもしれないが、あんまりチャラチャラ話さないで欲しい。
見目はそこそこ整っているので、なんかもったいない。
「そちこそ、1人? 女の子のひとり歩きは危ないよー?」
「いえ、連れが向こうに。それより、この水晶の塊はなんなんですか?」
「あーっと。なんって言ったかなー。地面から出てきた鉱脈、みたいな?」
「みたいな……?」
もう一度巨大な塊を見上げる。
鉱脈が地面から露出しただけで、こんなことが起こるだろうか。
「ここ、レレント連合国なんですか?」
「そそ。てことは……んー、コーニア国民さん?」
「あ、はい。コーニア公国のナーヴという街で薬屋をしています、メーディアです」
「そっかそっか。オレちゃんは……チャラル? って呼ばれてる」
「チャラル……ですか」
チャラいから、ってことだろうか。
まさかナチュラルの変形系とかそんなはずがないし。
そもそもどういう相手にそう呼ばれているのだろう。
「チャラルさん……」
「いやいや、もっとフランクにこう、はいチャラル!! ぐらいの勢いでさ」
「いやですよ」
「ぎゃん」
ぽんぽん口をきいてくる気安さにやや気おされながら、どこか誰かを思い出させる残念ぐあいが、つい私をツッコミ属性にする。
「漫才してる場合じゃないですよ、ここって危険なんですか?」
「まあ、こうして立ってるだけならへーきけど」
ごそごそと服のポケットを探り、赤茶色の肉片を取り出す。
干し肉……ではなく、ジャーキーとか言うやつだろう。コーニア公国ではあまり一般的でない加工食品だ。
そのジャーキーをぽいと投げつけると、水晶の壁に触れた瞬間に音を立てて水晶に変わる。
そこには一瞬前まで食べ物だった痕跡は一切ない。
「あのこれ、メチャクチャ危ないんじゃ……」
「ほら上。あのトゲトゲもとは鳥さん」
私の身長の5倍ぐらいのところから突起が出ているのがわかる。
前方不注意で水晶塊に突っ込んだ鳥がけっこうな数いるようだ。
「そっか、アルゴが近づきたがらなかったのはこれかぁ」
飛行種族にはキツイ異常地形だろう。
君子あやうきに近寄らず、という。
って言うか、知ってたなら事前に教えておいて欲しかった。
「オレら的には大地の要とかー、まあそんな感じで呼んでるー」
「大地の要……」
「ほら、危ないのわかったっしょ? いこいこ」
グイグイと背中を押され、アルゴが待っているほうに追いやられる。
大人しく歩きながら、それでも背後の水晶塊を振り返ってしまう。
「あれが全部増幅石だとしたら、面積あたりの資源価値はとんでもない金額になりますよ」
「んー。国がいっこ傾くね」
「ですよね」
増幅石というのは、魔法に必要な機構の1つで、ピアスの飾り石としての使用法が一般的である。
色のついた鉱石は大半が魔法を増幅する能力を持っていて、特に、加工が簡単で増幅能力の高い鉱石を増幅石と呼ぶ。
あそこに落ちていた砂利からでもふたつみっつピアスができるだろうから、全部砕いて増幅石にできたら市場は崩壊するだろう。
「なんだってあんなことに……」
「あそこには、精霊様が住んでんの」
「精霊様……?」
私達は日ごろ、当たり前のように精霊魔法を使う。
それは世界に溢れる精霊の力と、自分の内部魔力とを結び合わせることで発動する。一般常識だ。
しかし、そうは言いながら、私達は本気で精霊の存在を信じてはいない。
便宜上、かつての女神信仰が使っていた精霊というたとえを使いまわして、目に見えないエネルギーを精霊と呼んでいるだけだ。
「そういう言い伝えが?」
「そそ。ってゆーか、なんかあったらもう精霊様のせいってことでよくね?」
「いや、ダメでしょう」
そうこうしている内に、アルゴのもとへ辿りつく。
振り返れば、黒髪の彼は姿を消していた。
「誰だったんだろう」
妙な後味の悪さを感じながら、暮れかけた日の下を、北へ舵をきった。




