回想 孤児院
私が幼少期の多くを過ごしたハーシェル孤児院は、ナーヴから西に3日ほど歩いた宿場町の一角にある。
かつては宗教施設として多くの人に使われていた建物を改修し、講堂を遊び場に、宿舎をそのまま家にした。
当時の私は、周りの子供たちの中で一番体が小さく、また感情表現もかなり下手で、終始いじめられたり使いっぱしりにされたりしていた。
冷遇されることが悲しくないわけがなかったが、それでも、この世界にたくさんある仕方ないことのひとつだと思って、大人しく従っていた。
それでも割り切れず、どうしようもなく悲しくなると、いつか両親が迎えに来るのではないかと、ありもしないことを夢想して自分を慰める。
町の子供たちのように、夕方になっても帰らない子供たちを、心配した母親が迎えに来る。
顔も知らない両親。ここにはない、家族の温もり。その妄想は、孤独を慰めるのにちょうど良かった。
うんと重い釣瓶を何とか持ち上げ、バケツに水を汲みいれる。
それをまた苦労して持ち上げ、炊事場の水がめに差し替える。
僻地の宿場町であるこの町に、上水道なんていう高尚なものはない。
それどころか手動ポンプもないので、誰かがこうして水がめに水をくんでおかなくては、毎日の生活が回らない。
このハーシェル孤児院では、それは私の仕事だった。
もう一度重い釣瓶で水を汲み、今度は馬屋に運び込む。
院の用事で使うのはもちろん、旅の人が馬を借りに来ることもあるので、馬屋にはいつも3頭の馬が居る。
彼らは、彼らだけで寝床を整え、糞尿の始末をしたりしないので、誰かがこうして世話をしてやらなくては、すぐに病気にかかってしまう。
これも私の仕事だった。
院の貧しさを表すように、馬はどれもスカスカのたてがみにしおれた体つきをしていた。
先生が言うには、彼らは今までバリバリ働いた仕事馬だったのだが、歳をとって思うように走れなくなり、この院にやってきたのだという。世代交代というやつらしかった。
足元を掃除してやり、寝藁を整え、水桶に水をたしてやる。
すっかりこなれた一連の仕事を、えっちらおっちらこなす。
お世辞にもいい匂いはしない馬小屋で、ぼんやりと考え事をする。
この後は食堂で勉強の時間、続いて買出しの荷物持ちに、料理の手伝い、食事の配膳、夕食を食べて後片付け、年下の子供たちを寝かしつけたら、さてその後は何をしよう。いつもつい寝てしまうので、今日こそは少し夜更かしをして、何か楽しいことをしたい。
そうだ、せっかく読み書きを教わっているのだから、寄付された本を読むのはどうだろう。確か遊び部屋の本棚に、ちゃんと文字の本もあったはずだ。そもそも本の数が少ない上に擦り切れてボロボロだが、運が良ければ読める本もあるだろう。
馬の世話が終われば、エプロンを外して食堂に向かう。
中ではすでに授業が始まっていて、静かな中へいきなり入ってきた私に、ちらちらと視線が寄こされる。
私より何歳も年下の子供たちから放たれる、遠巻きにする雰囲気の中を突っ切って自分の席に付き、使い回されてボロボロになった教科書を開く。
私くらいの年になれば、とっくに読み書きは終わっているはずなのだが、少し要領が悪かった私だけが、今もこうして読み書きに苦心している。
大丈夫、この息苦しい生活も、あと3年の辛抱だ。15歳になれば大人として認められる。
自由に働くこともできるし、ひょっとしたら、家だって持てるかもしれない。そうすれば私の人生は薔薇色になる。大丈夫。
昼になり、畑に出ていた同年代の子供たちが帰ってくる。
わいわいぎゃあぎゃあと騒音を撒き散らしながら、食堂の子供たちも巻き込んで遊び始める。
私は彼らに昼食を用意するために厨房に立ち、作り置きのスープを皿についでいく。
手を洗って席に着くようにと少し大きめの声で言うと、あからさまな舌打ちまで聞こえてくる。
クソガキどもがイキってんじゃねーぞメシぬくか? という暴言を仕舞いこみ、おとなしく配膳を始める。
ここにしこむ毒でもあったらいいのに。
食事中までわいわいガヤガヤぎゃーぎゃー言って黙らないクソガキどもにイライラしながら、素早く昼食をかきこんで皿を片付ける。
台所をさっと布巾できれいにしたら、子供たちが散らかしたおもちゃを片付け始める。
まだ遊ぶのにと不満を述べるクソガキを無視して、遊び場の箱に仕舞う。
その流れのまま遊び場の床を掃き、何か壊れたり無くなったりしたものがないかざっと見回る。
ふと、掃いたゴミの中に何か落ちているのに気付く。拾い上げてみるとそれは、院の大人たちがしているピアスだった。
この国の大人は、魔法を使うために耳に穴を開け、色とりどりの石がついたピアスをつける。
これはたぶん先生が落としたのだろう。誰かが口に入れたら危ないので、いったんポケットに仕舞いこむ。
扉が壊れて外された後は何もしていないドア枠を通り、食堂に戻る。
なぜか入り口に、同年代の中でリーダー格の少年が仁王立ちしていた。
こいつが、いつも仕事中にちょっかいをかけてきて面倒くさいのだ。男子の中で一番嫌い。
「今、なに拾ったんだよ」
上から目線の詰問口調に、ため息が漏れそうになる。
「先生のピアス。落ちたみたい」
「そんなもの、お前には必要ないだろ」
「そうね。でも、あそこにあったら危ないわ。先生も、なくなったら困るだろうし」
「とか何とか言って」
別の男子が口を挟んでくる。
「ネコババするつもりじゃねーの?」
人を頭から疑ってかかる態度に小1時間ほど説教したくなるが、ポーカーフェイスで乗り切る。
「そう思うなら、あなた達から先生に渡してもらえるかしら」
相手にするのが馬鹿らしくなって、ポケットのピアスを押し付けるようにさし出す。
それを受け取った男子のリーダーが、周囲に意味ありげな目配せをするのを最後まで見届けず、私は下の子供たちを寝室に促した。
「さあ、お昼寝の時間ですよ。もう皆、自分で準備できるわね」
年少組を寝室に押し込み、一息つく。
本当はお茶の1杯も飲みたいところだが、あいにく次の仕事まで時間がない。水で喉を潤し、玄関に行こうと食堂に踏み込む。
さっき遊び場から出た時のように、また男子に通せんぼされてしまう。しかも今度は3人グループで。
「先生に返す前に、これ、ちょっと試して見たいと思わないか?」
真っ先に声をかけてくるリーダー格の少年に、何を言っているかわからないと首を振る。
「まだやることがあるんだけど」
相手にしていられなくて脇を通り抜けようとすると、乱暴に腕をとられる。気安く触るな、汚らしい。
「せっかく試させてやろうっていってるんだ、大人しくしろよ」
多勢に無勢では勝ち目がない。彼らが一体何を始めようとしているのか知らないが、大人しく飽きるのを待つのが得策か。
つかまれた腕を振りほどくこともせず、ただ黙って相手のでかたをみる。
「おいおい、少しぐらい怖がったりしろよ」
「やることがあるの。早くすませてよ」
投げやりにそう言うと、少年の頬が赤くなる。
馬鹿にされたとでも思っているのだろう、自意識過剰。
おそるおそると言った調子で、耳たぶに冷たい金属が押し当てられる。
「何してるの?」
「う、うるさいな、黙ってろよ」
まだ“早くしろ”とも“いい加減にしろ”とも言っていないのだが、やっぱり彼とは意思疎通に隔たりがある。
何度も何度も押し付けては、首をひねる。
大人たちがあらかじめ針で怪我をしてからピアスを付けることを、彼は知らないのだ。
「あ」
耳元で、何か裂ける音がした。
ぞっと悪寒が走り抜けて、とっさに体を引く。
「……え?」
目の前に居たと思った少年たちが、消えていた。
いや、違う。足元に転がっている。
こーんと間延びした音がして、つま先のすぐ近くをピアスが転がった。
結果的に彼らに怪我をさせた私は、地下の反省部屋に押し込められた。
立て付けが悪くてしっかり閉まらない扉から聞こえてくるのは、いつにも増して賑やかな喧騒。
きっと、私がしていた仕事を誰がするかでもめているんだろう。ざまぁみろ。
耳から流れていた血はすぐに止まり、しばらく放置していればかさぶたになった。
そのかさぶたが自然に取れる頃になっても、私は反省部屋に居た。
狭くて暗くて静かな部屋の中、退屈をもてあました私はいろんなことを考える。
今日の天気のこと、今の時間のこと、枕元に飾った花のこと。
そして、なぜ目の前で少年たちが倒れたのか。
答えは出ない。ここに閉じ込められているからには、きっと大人は何があったか理解したのだろう。
何が悪かったか説明もないまま罰を与えても、教育にはならないのだが。
たぶん、と推測する。私は魔法を使ったのだ。無意識に。
それで彼らは怪我をした。だから私は隔離されている。
仮にこれが正解だとして、私はいつ外に出られるのだろう。
ここに居れば最低限食事は取れるしゴロゴロできるし天国なのだが、さすがにこれからの季節、防寒機構のないここは居住条件を満たさない。
そうだ、今こそ孤児院を出よう。
年上の男の子に怪我をさせるお転婆なんて、絶対に売れ残る。
そんな不良物件、院だってお断りのはずだ。きっと出て行って欲しいと思うはず。
そうだ、それが一番いい。そうしよう。
そう思って地下室で先生を待っているのだが、いっこうに顔を見せない。
いつもご飯を持ってくるのは、日替わり当番の子供たちばかり。
ここに入ってから1回も、先生に会っていなかった。
いっそ自分から出て行けばいいのだろうか。子供たちに協力をあおげば出られないことはない。
いかにして説得しようか考えていると、今日の配膳当番が現れる。
例のリーダー格の少年だ。彼は極力私を見ないように、淡々と食事だけを置いて背を向ける。
「あ、待って」
いつもの調子で呼び止めた途端、大きく肩がはねる。
しまった、もっと殊勝に反省してる風の声を出せばよかった。
「先生は来ないの?」
「……あ、会ってどうするつもりだよ」
「どうって……話したい事があるの」
「俺たちが悪かったとでも言うのか?」
思っていたほど頭は悪くない。自分たちにも非があることを理解しているようだ。
「それでもいいけど。私、ここから出て行こうと思って」
「……? まだ反省室からは出せないって、先生が言ってたぞ」
「そうじゃなくて、院を出て自活するの」
さらりと言ってのけた私に、信じられないものを見るように目を見開く。
「ば、バッカじゃねーの!? ここ出てどこに行くって言うんだよ!!」
「まだ決めてないわ。でも、こんな事件を起こした以上、落とし前をつけなくちゃ」
予定がたった3年早くなるけだ。
今まで院の中でシミュレーションを重ねてきた。
私は1人でも生きて行ける。
「そうだ、先生に伝えておいてもらえる? 私は出て行くつもりでいるって」
彼はとてもいやそうに、それでも一応はうなずいた。
孤児院と言う体面をおもんばかってか止められたが、それでも出たいと言えば強くは引き止められなかった。
やはり出て行って欲しかったのだろう。
仕方がない。
この世界には仕方がないことがたくさんある。これもその1つなのだ。
彼らは私に、服を1式と、地図と、少しだけ日持ちのする食料を持たせてくれた。
この宿場町の中で自活するつもりはない。目指すは近郊の大都市……ナーヴだ。
こうして私は、自由に向かって歩き始めた。着の身着のまま、カバン1つを背負って。
メーディア=ハーシェル、12歳の事だ。
あの、嫌いでいじめてたんじゃないんです。ほんとです。信じてください刑事さん。
どうして男の子って好きな子をいじめちゃうんでしょうね。




