第5話 スリーピングシープの事件簿・5徹事件
さっそく私は、お手製化粧品の販売に乗り出した。
あまり知られていることではないが、何も古代魔術などというややこしい方法をとらずとも、保湿クリームや香水程度なら作ることができる。
これらがあまり世に出ていないのは、現行魔術ではほとんどの薬が量産できないことが関わっているのだろう。
私だって昔は、傷薬1つ作るのに汗水たらしたものだ。
なぜ材料さえあれば量産できるか? 答えは古代魔法にある。
とは言え、古代魔法はそこまで便利でも容易でもない。
私が訪れたその遺跡……ナーヴから街道を南下した場所にある水分けの遺跡というのだが、そこで手に入れた情報というのが、なんのひねりもない、ただ“素材の効果を増やす”魔法だったのだ。
ただの、というが、その効果は侮れない。なにしろ無から有を生み出すに等しい、反則すれすれの魔術だ。
これを完璧に使いこなせるようになれば、この世のありとあらゆるものに干渉できるようになり、それこそ神のような所業だってできることだろう。
もしも包丁の効果を増やせれば、何でも切れる魔剣になる。
もしも炎に干渉できれば、全てを焼きつく業火をどこでも生み出せる。
もしも人間に作用させれば……かなり怖いことになるだろう。
とは言えこの技術には、習熟度というか、レベルのようなものがうっすら存在するらしい。
私の力ではせいぜい、質の悪い薬草で作った薬を上質なものにするとか、薄めて作ったものを普通の濃度にする、ぐらいが関の山だ。それでも十分役立つが。
私ができる範囲で、特に使い勝手のよい使用例は、やはり複数効果を1種類の薬で発揮すること、だろうか。
いつも“傷薬を使う”と軽く言っているが、この傷薬とは具体的にどんな薬なのか、詳しく説明したことはない。ユーリなんか、何も気にせずホイホイ使っている。
私がただ“傷薬“と言うと、それは白い軟膏の中に、血行促進作用、殺抗菌作用、細胞活性化作用、神経鎮静作用等のメイン効果と共に、それを補佐するサブ効果を高い水準で詰め込んである品物を言う。
現行の製薬技術では、ここまで詰め込めば必ずどこかが破綻する……というか、まず1種類の効果もここまで引き出せないだろう。魔法文明は衰退した。
さて、おもわず長ったらしい説明になってしまった。
魔法効果のひとつひとつに名前でも付ければ、まだすっきりするのだろうが。あいにく名づけのセンスが残念なのだ。
閑話休題、化粧品の話だったか。
薬屋が傷薬1つに延々時間をかけていると、新しい技術が生まれるまでの期間は当然長くなる。
新しい技術の中でも優先されるべきは、怪我や病気の治療薬が一番で、女性の娯楽という側面が大きい化粧品はなかなか真剣に研究されないもの。
そこへ目を付けたのが、傷薬程度なら量産できる技術を持った、魔法の薬屋スリーピングシープである。
コツコツと商品の合間に開発していたそれらを、イケメン従業員と共に店に出したところ、徐々に口コミで広がり、今ではわざわざ遠方から、安全とは言い切れない街道を通ってやってくる客まで現れ始めた。女性の機動力、侮りがたし。
「ああああああああ」
最後の瓶詰めが終わった途端、体をひるがえしてソファに身を投げる。
私メーディア、たぶん22歳。ちょっと5徹目って言う地獄を見てるところ。
忙殺される。
作っても作っても消える。
ちょっとでも品切れを出すとクレームが飛んでくる。
体力も精神力もエンプティ。
頭の中で流れているのは、間違いなくデスマーチ。
この5徹の詳細を、順を追って聞いて欲しい。
水曜日1日目。この頃はまだ町中の女性が集まってきて大変、ぐらいの事態だった。在庫が心もとないので補充しようと徹夜した。
木曜日2日目。首都との間を行き来する乗合馬車の数が増便される話を聞いた。きっとこの街に来るご婦人が増えるだろうと徹夜した。
金曜日3日目。2徹して作った在庫が底をついた。徹夜明けのテンションでわけもわからずまた徹夜した。ちょっと若さを過信していたかもしれない。
土曜日4日目。恐ろしい事態が起こった。開店から閉店まで、ほぼひっきりなしに客が来るのだ。営業妨害レベルで。確かこのあたりからクレーム処理に追われていた気がする。やっぱり徹夜した。
日曜日5日目。昨日と同じレベルか、それ以上の客が来た。作った端から商品が消えていく。わけもわからずひたすら生成調合瓶詰め生成調合瓶詰め……今ここ。
……明日はもう、臨時休業する。材料つきたし。
布のソファに、ぼとぼとと目の洗浄液が流れ落ちていく。
いわゆる涙だが、別に感情的になって流しているわけではない。眼精疲労のせいだ。
洗い場の空き瓶をチラ見する。さっきまでに消費した魔力回復薬と覚醒ドリンク(ちょっと依存性があって副作用がヤバイ)と、その他もろもろの瓶がゴロッゴロ転がっている。
もう何時間も前に飲んだ覚醒ドリンクのせいか、体の緊張がいっこうにほぐれない。
早く眠りという人類に与えられた快楽をむさぼりたいのに、興奮状態の脳がそれを許さない。
精神鎮静効果のある薬、というのも持ってはいるのだが、すぐに手の届く場所になく、また一度倒れてしまうと次起き上がるエネルギーが……うう……。
ちなみに、うちの2人の従業員と1人の協力者は、私が生産にかかりきりになっている間、代わる代わる接客をし商品を並べ、北の森と私の家を往復して材料をかき集めてくれた。
あとで様子を見に行こう。過労死していないといいのだけど。
どれぐらいボーっとしていたのだろう、気がついたら部屋が太陽に照らされて明るくなっていた。
結局一睡もできなかったような……。
ふと、自分が思いのほかきっちりソファの上に転がって、かつ毛布までかぶっていることに気がつく。
これはあれか、自覚なく何日か過ぎ去っていたパターン。
重い体と毛布を引きずり、早朝の調合室を出る。
素足にサンダルを引っ掛けただけの足が冷気に触れて、とても気持ちいい。
バックヤードの休憩スペースにある水道をひねり、コップに水を流し込む。
ちなみにこれは都市水道ではなく、地下水脈から直接自動ポンプでくみ上げている。あまりに水道の質が悪かったので。
ぷはっと一息ついたところで、2階から足音が聞こえてくる。棚に圧迫されて少し通りにくい階段から、見慣れた顔が降りてきた。
「あー……」
「おはようございます。店長」
どうしよう、名前が出てこない。ちょっと薬を飲みすぎたみたいだ。
「おはよ……ます、ろれっがまーらないんけど、だいじょーぶえすから」
盛大な溜息が返ってきた。
「ちゃんと病院にいくべきではありませんか? 相当深刻に見えます」
「だーら、だいじょーぶえすから」
説得力がないのは認めるが、腐っても雇用主、もっと信用して欲しい。ふてくされてまた寝ちゃうぞ。
と言うか、ろれつが回らないまま馬鹿みたいに話すのがいたたまれなくなってきた。
不貞寝はしないけど、ちょっと今日は黙っていよう。
何とか筆談に持ち込もうと、バックヤードの荷物から在庫確認の紙とペンを取り出す。
試しに自分の名前を書いてみると、面白いぐらいに手が震えて読めたもんじゃない。もうどうしよう。
「そんなに具合が悪いなんて、何かあったんですか」
心配そうに見下ろしてくるジェイさんに、すごく言いにくいながら口を開く。
「くすい……のみっぎあした」
「薬の飲みすぎ、ですか?」
こっくりうなずく。あー、やだやだ。何もできない子供になった気分。
倉庫の隅に積んであった資料を取り出す。その中から今回乱用した覚醒ドリンクの研究資料をとり、ぽんと手渡す。
あまり綺麗な書き方はしていないが、ジェイさんの理解力に期待するしかない。
また2階から足音がして、マティアスさんが降りて……あれ、なんでユーリまでいるんだろう。
「目が覚めましたか」
「メーディア無茶しすぎだって」
本気で心配そうにしている2人に申し訳なくなって、毛布をかぶって顔を隠す。今のうちに調合室に引っ込もうかな。
「あの、店長これ……未完成のまま記載が終わってますが」
ジェイさんの言葉に、さらに肩が落ちる。そう、あの薬はまだ実用段階ではないのだ。
「だ……って。くえーむくーし……」
「だってじゃないでしょう、もっと後先を考えて、自分をいたわってください」
ビシッとしかりつけられて、反射的に涙が出る。まだ眼精疲労がぬけきっていないらしい。
「おみしぇちゃとしなーと、みんあにめーわく、っから」
反省の言葉のつもりで口に出してみたが、この口調、端から見ると媚を売ってお説教回避しているように聞こえるのでは……?
おそるおそるユーリのほうを見る。
なんといえばいいのか、雨に濡れた子猫でも見たような顔で息をつまらせている。
ユーリはともかく、なぜ隣のマティアスさんまで同じような表情をしているのだろう。
「か、可愛い」
恍惚とした声に最悪の事態を悟り、反射的にジェイさんの後ろに隠れる。今の移動速度は当社比0.6倍くらいだろうか。
「ちょっとでいいから触らせて!! 今日のメーディアいつもの3割増し可愛い!!」
たった3割のために、やっと回復を始めた体力を削られてはたまらない。
ぶんぶん頭を振ってこっちくんなとけん制する。副作用早く切れろ。
「何を言っているんですかユーリ」
さっきの謎の表情を引っ込めたマティアスさんが、助け船を出してくれる。
「3割どころの破壊力じゃ無いでしょう」
「はっ、確かに!!」
裏切られた。マティアスさんはユーリの味方だった。あとイケメン、キリッとして言うな。
もう信用ならない。こうなったらジェイさんだけが頼りだ。思いっきり強い視線で見上げる。
「た、たすけえ……」
ろれつが回る回らない以前に声が震えてきた。
足ががくがくして立っていられない。
ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ!! これ薬害!!
「店長?」
急に症状が悪化した私に気がついたのか、ジェイさんの焦った声が聞こえる。
場の空気が凍りついたのを、ぼんやりと感じた。ブラックアウト。
その後何度か目を覚ましてはすぐに眠ってを繰り返し、やっと容態が安定したのが病院に搬送されて1週間たった火曜日。
デスマーチが始まった水曜日から数えて2週間。化粧品作って寝た記憶しかないことに愕然とする。
当然の如く、従業員からも医者からもこっぴどく叱られた。
無茶して突っ走ったのはあれだ、若さのせいだと思って許容して欲しい。
思いのほか臨時休業が延びた上に、さらに1週間の入院を余儀なくされ、呆然と個室の窓を眺める。正直個室に入った経緯がさっぱりわからない。
どうせ寝ていなければならないなら、今のうちに店を改築したいと言ったのだが、そんな気力を使うことはさせられないと、あえなく却下されてしまった。
認めねばなるまい。私の体はそうとうヤバイのだ。
この2週間ご無沙汰なアルゴや、庭の薬草たちのことを考えると早く帰りたくてしかたないのだが、今回だけは安静にしておくことにする。
長いこと……20ン年の人生で考えて長いこと薬屋業を営んでいるが、薬害で倒れるまで体を酷使したのは初めてだ。
金輪際3徹以上しない。絶対に。
午後の日差しにまどろんでいると、廊下から足音が聞こえる。ああ、誰か来たな。
予想通り、個室のドアが開く。頭を枕に固定したまま、誰かが近づいてくるのを待つ。頭上がらない。
「メーディア=ハーシェル……なるほど、孤児院に拾われたのか。死に損なったな」
あまりはっきり見えない視界で、枕もとの男を見上げる。
紺色のジャケットの上から、フードのついた枯葉色のマントを羽織っていて、その顔はよく見えない。
「何、言ってるの……?」
ハーシェルという名字は、ハーシェル孤児院の出身者の証だ。名前は部屋のプレートか受付で見たのだろう。
「メーディアという名前、どこで拾った?」
後付ではない、孤児院ですでにそう呼ばれていたのだ。由来を聞いた事はない。
「顔がよく似たな、すぐにわかった」
顔? 搬送される時の話か、あるいはもっと前から見られていた……?
ザワザワと恐怖心がこみ上げる。
この人は一体誰で、なんの因果でここにいるのだろう。
「あなた、誰?」
男の手が伸びてきて、私の喉元に添えられる。
「今からでも、殺してやろうか」
口ではそういうものの、その手に力が入る様子はない。一体何をしているのだろう。
「おい!!」
激しい音がする。誰かの体温が、私を包んだ。
「俺の主に何をしている」
「ほう、頼もしい番犬がいるんだな」
「答えろ!! どういうつもりだ」
いつになく語気の荒い彼の顔を見上げる。
瞳孔が萎縮し、極度の興奮状態にあることがわかる。
「躾がなっていないな、メーディア」
薄ら笑い。気持ち悪い。
「気安く呼ぶな」
こんなときだというのに、意識が朦朧とする。
「ジェイ、苦しい……」
きつく抱きしめられていた腕が緩み、呼吸が楽になる。
「あなたは誰ですか」
やっと鮮明になってきた目で、はっきりフードの男を睨みつける。
やれやれとすくめられた肩に、ジェイさんの殺気が膨らむのがわかる。
「どう答えて欲しい?」
「……名前は?」
「ユーディット=コリンズ」
「私との関係は?」
「兄と妹」
思わず耳を疑う。兄? 孤児院の……ではないか、ハーシェル姓ではない。ということは……行きつく先は1つ。
「……私を捨てた人」
「違うな、お前が家族を捨てたんだ」
耳元のうなり声が、一際大きくなる。
今自分が魔法を使えなくてよかった。コントロールを忘れて、ジェイさんまで巻き込んでしまう自信がある。
「物心付かない子供が、どうして家族を捨てるというの?」
「なぜ自分が孤児なのか、もう気がついているのだろう?」
胸のキズがうずく。何度も自問自答して、最近やっと触れなくても生きていけるようになったキズ。
このうずきを止めたくて、私は医薬学の道を選んだ。
このうずきをトラウマと言うのだと知ったのは、つい数年前だ。
「かわいそうに」
嘲笑交じりのその言葉に、頭に血が上った。
誰が、何でかわいそうだって?
「出て行って……」
「ん? 何か言ったか?」
「出て行って、二度と顔を見せないで」
自分のものとは思えない、ひどくドスのきいた声が空気を震わせる。
渾身の威嚇だというのに、私になんの力もないと油断しているのだろう、男は動かない。
「……ジェイ!!」
背中を包んでいた温もりが消えたかと思うと、一瞬で男の足が宙に浮く。ジェイさんが片手で軽々と首を絞めているのだ。
「このまま葬られるか、尻尾を巻いて消えるか、好きなほうを選べ」
私の強がりなんて比べ物にならない、地の底から響くような声に、男は苦しげなうめき声を上げる。
乱暴に手が離れると、男は一目もくれず、そのまま出て行った。
ジェイさんからぼそぼそと呪いの言葉が聞こえる。
「違う」
病室に、ポツリと言葉が漏れる。一瞬ジェイさんかと思ったが、今の声は自分のものだ。
違う? 何が? 家族には捨てられてない? ウソをつくな。
「もう、違う」
足が勝手に動いて、素足のままベッドを降りる。
ふらふらと部屋を出ようとして、ジェイさんに止められる。
「家なら、あるもの。もう、家がなくてかわいそうな子供じゃない!!」
ずっと、そう言われて育ってきた。
家族がいなくてかわいそう、家が無くてかわいそう。
かわいそうかわいそう。ずっとそう。
「偽善者、私達のこと見下して!! 家族がいれば偉いの!? 家がないと何をしても無駄なの!? 私達をかわいそうだと思う自分が好きなんでしょ!?」
せっかくこの劣等感を忘れて生きていけると思ったのに、あいつのせいで心がかき乱される。兄? ふざけるな、いい加減にしろ。
力強い腕が、涙でぐしゃぐしゃになりながら、また私を抱きしめてくる。胸が痛い。
「メーディア」
頭の中をがんがんと行き交う幻聴の間から、ジェイさんの優しい声が入ってくる。
「俺でよければ胸を貸すから」
息が苦しい。涙の海に溺れるとは、きっとこのことだろう。
「1人で泣こうとしないでくれ」
「……なんで? なんで優しくするの?」
純粋な戸惑いが、口をつく。
「私が主だから? あなたが番犬だから?」
「違う」
強い否定。顔を見れなくて、ぐしぐしと涙をぬぐって気を紛らわせる。
「……上手く言葉にできない。俺は、メーディアに優しくしたいと思うんだ。理屈じゃなく、感情で」
真剣な言葉に、心が揺れる。幻聴が激しく私を否定し始める。
「…………」
言葉が出ない。
今何か言えば、修復不可能なまでにこの関係を引き裂いてしまう。それだけは嫌。
「ベッドに戻ろう、まだ起きるのは危ない」
そっと促され、冷たい床に踏み出す。また涙が溢れた。
どうして自分は、こんなふうに生きているのだろう。




