#60 「重い腰が上がった日、褒美は551」
(2026/03/05)
毎晩、同じことを考えていた。
「明日こそ、市役所に行かなくちゃ」
そう思って眠る。
そして朝になると、億劫で動けなくなる。
それをもう一ヶ月以上繰り返していた。
手続きには三ヶ月の猶予がある。
急ぐ必要はないが、早く終わらせたかった。
でも、市役所のような行政の場所はどうにも苦手だ。
別に待つのが嫌いなわけではない。
むしろ、来る人来る人を効率よく処理していくシステマチックな光景は好きな方だ。
実際に行けば一時間もかからないだろう。
それも分かっている。
それでも、私の足は市役所から遠ざかっていた。
「行かなくちゃ」というタスクが一ヶ月間、脳内のTODOリストを圧迫し続けていた。
地味だが確実なストレスだった。
ようやく重い腰が上がった本日。
午前中、市役所へ行き手続きを済ませた。
移動時間を含めても三十分ほど。
私の一ヶ月のストレスは、三十分で解消された。
予想よりさらに三十分早い。
この三十分の何十倍、私は市役所のことを考えて無駄な時間を使ったのだろう。
計算する気はない。
とにかく、長くこびりついていた垢が落ちた気分だった。
ついでに、隣にある市立図書館へ行くことにした。
大学時代から大阪に住んで、もうすぐ十年。
当時は大学図書館に通い、司書さんと世間話をするほど利用していた。
だが退学してからは、一度も図書館に行っていない。
理由は二つ。
図書館で借りた本より、自分で買った本の方が頭に残ること。
そして、そもそも本を読める状態ではなかったこと。
だが最近は、文章を書くようになったおかげか、人の文章も少しずつ読めるようになってきた。
とはいえ、家には積読が山ほどある。
見える範囲だけで七ブロック。
一番少ない場所でも十七冊。
17 × 7 = 119。
珠算二段、暗算三段。
小六の頃の計算能力は、どうやらまだ生きているらしい。
だがこれは、見えている範囲の話だ。
死角に本棚がある。
実家にも送った本がある。
中高時代の積読もまだ眠っている。
私は積読のことをこう呼んでいる。
「好奇心の墓場」
出会った瞬間のときめき。
読みたいという衝動。
それらは年月とともに薄れ、また戻り、そして再び眠る。
いつか腰を据えて墓を掘り返そうと思っている。
何年後になるかは分からない。
そんな墓場を横目に、今日は図書館に浮気した。
久しぶりの図書館は相変わらず静かで清潔で、
「こんな人も本を読むのか」と他人の存在を感じられて楽しい。
私の本の選び方には法則がある。
まずおすすめコーナーを見る。
二、三冊キープする。
次に新着本と気になっていた作家の棚を見る。
そして――ここからが本題。
本だけに。
児童書から新書、専門書まで、棚を端から端まで歩く。
タイトルで気になる本を取る。
取りにくい場所の本を取る。
色味が足りないと思えば装丁で選ぶ。
厚さで選ぶ。
ジャンルは気にしない。
だから人が私の本棚を見ると、
何が好きな人なのか分からないだろう。
そんなこんなで、十冊ほど借りてきた。
達成感。
そして、まだ見ぬ世界の鍵を渡されたような興奮。
このまま帰って本を読んでもいい。
でも、今日は良い日だ。
祝うことにした。
一番近くの 551蓬莱 で豚まんを買う。
腹を満たし、
長年恋焦がれていた紙の本と向き合うために。




