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獅子の国と迷子の妖精~宰相に捨てられた息子がたどり着いたのは、亡国の隠れ家カフェでした~【第一巻完/続き準備中】  作者: 相野端摘
【閑話集】猫集会、今週の報告

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バルツ: 噂好きたちの推理ゲーム

 絶対的な権力者への畏怖は、ほころびが生まれた途端、奇妙なエンターテインメントへと変わった。


 その朝、王城の詰所は、乾いた砂の匂いと男たちの熱気で満ちていた。

 窓ガラスを爪で引っ掻くような不快な音が響き、隙間風が兵士のうなじを撫でる。外では『嘆きの風』が吹き荒れているのだ。この陰鬱な侵入者から逃れるように、男たちはテーブルに身を乗り出し、馬鹿話に興じていた。


 カツン、と硬貨が木のテーブルに積み上げられる。


「俺は、東の山脈に住むドラゴンのくしゃみに、銅貨三枚だ」


 若い兵士が得意げに宣言した。

 詰所の隅では、バルツが手慣れた手つきで革鎧を磨いている。その口元は呆れで歪んでいた。

 彼らが熱中しているのは、数日前に起きた「ファビウス侯爵邸崩落事故」の原因を当てる賭けだった。


 国の宰相ギデオン・ファビウス。その邸宅が一夜にして半壊した事件。公式発表はなく、当主は沈黙を守っている。

 情報の空白は、無責任な想像力を育む最高の土壌なのだ。


「おいおい、ドラゴンはないだろ」

 別の兵士が鼻で笑い、自分の賭け金を上乗せした。

「あの山脈の主が、わざわざ王都まで飛んできて、一発くしゃみをして帰ったって言うのか?」


「じゃあ、お前は何に賭けるんだ」

「決まってるだろ。猫だ」

 兵士は真顔で言い放つ。


 詰所が一瞬、静まり返った。バルツの手が止まる。


 兵士は勿体ぶって人差し指を立てた。

「王都の裏を牛耳る『猫の王』が、あそこで集会を開いたのさ」彼は一拍置き、両手を広げてみせる。「数千匹が一斉に跳躍した衝撃波。……屋敷なんてイチコロよ」


 どっと笑い声が上がった。

 あまりに馬鹿馬鹿しい。だが、外の風音に怯えるよりは、猫の集会を想像するほうが幾分かマシだ。


 バルツは小さく息を吐き、磨き終えた革鎧を置いた。

「お前ら、よくもまあ、そんな出鱈目を思いつくもんだな」

 呆れたように言うが、その声色に剣呑さはない。むしろ、若い部下たちのガス抜きを容認している響きがある。


「バルツ先輩も一口どうですか? 今なら『隕石直撃説』が高い倍率ですよ」

「遠慮しておく。俺の給金は、もっとマシな使い道のためにあるんでな」

 バルツは苦笑し、手元の剣を鞘に納めた。



 賭けはさらに過熱していく。話題は自然と、屋敷の主であるギデオン侯爵その人へと移っていった。


「俺はやっぱり、呪いだと思うね」


 声を潜めたのは、中堅の兵士だ。彼は周囲を窺うように視線を巡らせてから、テーブルの中央に銀貨を置いた。


「あの宰相閣下だぞ? 恨みを買ってる相手なんて、星の数ほどいる。愛人百人の怨念が渦巻いて、屋敷ごと呪い殺そうとしたんじゃないか」

「百人は盛りすぎだろ」

「いや、あり得る。最近、閣下が姿を見せないのも、実は呪いで寝込んでるからだって噂だ」


 兵士は声をひそめ、おどろおどろしく付け加えた。

「体中に『裏切り者』だの『卑怯者』だの、文字の形をした痣が浮き出てるらしいぜ。自分の罪に食い殺されてるのさ」

 不謹慎な冗談だが、誰も咎めない。バルツ自身、あの冷徹な宰相を好いてはいなかった。


「ま、あの方なら、何かの天罰が下っても不思議じゃねえがな」

 バルツが独り言のように呟くと、兵士たちは我が意を得たりとばかりに頷いた。


「だよな! まったく、あんな親父を持って、ルーカスも不憫だよ」

「ああ。あいつは本当にいい奴だからな」


 その場にいた全員の表情が、ふっと緩んだ。

 ルーカス。ギデオンの次男であり、今は家を追放され、一介の兵士として彼らと共に汗を流している青年。


「この前も夜番に差し入れをくれたし、怪我の手当てだって手伝ってくれた。あんな家に生まれたってのに、あいつは俺たちと同じ目線で話してくれる」

 兵士たちは口々にルーカスの美点を語り合う。権力者への反感と、弱者への同情。この二つが入り混じり、詰所の空気は奇妙な連帯感に包まれていた。



 その時だった。

 ガチャリ、と重い音を立てて、詰所の扉が開いたのは。


 外の乾燥した風と共に、一人の青年が入ってくる。

 整えられた兵士服。少し痩せているが、引き締まった体躯。


「――おはようございます、皆さん」


 ルーカスその人であった。


 喧騒が、断ち切られたように消えた。


 カチン、と誰かの手から滑り落ちた硬貨の音が響き、あとは窓を叩く風の音だけが残る。

 ドラゴンのくしゃみも、猫の集会も、愛人の怨念も、全てが喉の奥で詰まった。兵士たちは慌ててテーブルの上の硬貨を手で覆い隠し、不自然なほど背筋を伸ばした。


 まさに「噂をすれば影」である。


 しかも、彼は崩落事故の当夜、ボロボロの姿で王城に報告に来ていた。現場に居合わせた唯一の目撃者であり、真相を知る当事者なのだ。

 気まずい沈黙が流れる。


 バルツが咳払いを一つして、硬直した空気を動かそうとした。

「おう、ルーカス。……早いな。夜番明けじゃなかったか?」

「はい。報告書の提出があったので、少し早めに来ました」


 ルーカスは穏やかに微笑んだ。

 顔色は良く、その瞳には落ち着いた光が宿っている。実家が崩壊したというのに、悲壮感は微塵もない。


 兵士たちは顔を見合わせる。彼が元気そうで良かった、という安堵。そして、やはり「真相」を知りたいという好奇心。


 一人の兵士が、意を決して口を開いた。

「あー……その、ルーカス。実家のほうは、大変だったな」

「ご心配をおかけしました。ですが、きっと大丈夫です」

「そ、そうか。……で、その、やっぱり原因は……何だったんだ? 巷じゃ色々な噂が流れてるが」


 兵士の問いに、全員の視線がルーカスに集中する。

 ルーカスは一瞬、書類を持つ指先に力を込め――すぐに完璧な微笑みを貼り付けた。

 彼はゆっくりと首を横に振った。


「……申し訳ありません。ファビウス家が公式に発表したことが、全てですので」


 兵士たちは察した。

「そ、そうだよな! 無理に聞くことじゃねえよな!」

「悪かったな、変なこと聞いて。気にしないでくれ!」


 兵士たちは慌てて話題を変えようと、過剰なほど明るく振る舞う。

 ルーカスは「ありがとうございます」と深々と頭を下げ、書類を持って奥の執務室へと消えていった。


 パタン、と扉が閉まる。


 再び静寂が戻った詰所で、バルツは大きく息を吐き出した。

「……賭けは成立せず、だな」

 誰も正解を出せなかった。いや、正解を知る機会を永遠に失ったと言うべきか。


 しかし、兵士たちの顔に不満はない。むしろ、ルーカスの健気な姿と、彼が守ろうとした「秘密」の重さに触れ、妙な満足感さえ漂っていた。


 一瞬の間。


 やがて誰かがポツリと漏らした、「実はシロアリの大群」説という、さらにしょうもない噂が、ルーカスに気づかれないまま産声を上げた。

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