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獅子の国と迷子の妖精~宰相に捨てられた息子がたどり着いたのは、亡国の隠れ家カフェでした~【第一巻完/続き準備中】  作者: 相野端摘
宰相に捨てられた息子がたどり着いたのは、亡国の隠れ家カフェでした

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確かな居場所と新たな疑問

 王宮前広場での騒乱から、数日が過ぎていた。

 嵐が過ぎ去ったかのように、王都は少しずつ、けれど確かに、いつもの日常を取り戻し始めていた。その喧騒。人々の声。馬車の車輪が石畳を叩く音。

 その全てが、今のルーカスには、守るべきもののように思えた。


「それで、あの香炉の子はどうなったの?」

 カウンター席で、ハーブの湯気が立ち上るカップを両手で包みながら、ルーカスは尋ねた。

「あの子ね、もうすっかり元気だよ!」

 リネットは、春の陽光をそのまま映したような、曇りのない笑顔で答える。

「仲間が丁寧に直してくれたからね、今は地下で、他の子たちと一緒に静かにお休みしてる。本当にありがとう、ルーカスのおかげだね」

「そんな……僕だけの力じゃ……」

「謙遜すんなよ、ルーカス」

 厨房で皿を磨いていたカイが、その手を止めてにやりと笑った。その白い歯が、薄暗い店内できらりと光る。

「あの集団の中で、犯人から香炉をもぎ取ったのは、紛れもなくお前だ。大した度胸だったぜ」

 『木漏れ日亭』のカウンター席。

 ルーカスは、リネットやカイとの会話に、穏やかな気持ちで耳を傾けていた。目の前には、ジェラールが心を込めて淹れてくれた、湯気の立つハーブティー。その優しい香りが、荒んでいた心をじんわりとほぐしていくのを感じた。

 あの日、命がけで手に入れた平穏。

 仲間と交わす、他愛もない言葉。温かいお茶。窓から差し込む、柔らかな陽光。その一つ一つが、どれほど貴重で、かけがえのないものであるか。それを彼は、今、心の底から噛みしめていた。この場所を、この時間を、守りたい。そして、目の前で笑う、大切な仲間たちを。


 広場での一件を境に、三人のあいだには、小さいながらも確かな変化が生まれていた。

「それで、ルーカスはどう思う?」

 不意に話を振られ、ルーカスは、はっと顔を上げた。

「え? あ、うん。そうだね、リネット。他の妖精さんも助けられたら、とても素敵なことだね」

 ごく自然に、名前を呼んでいた。

「だろ? こいつ、いっちょ前に心配してたからな、ルーカス」

 カイが、にやりと笑ってルーカスの背中を、どんと叩く。

 いつの間にか、彼らは自然に呼び捨てで呼び合うようになっていた。それは、あの狂騒を共に乗り越えたことで生まれた、言葉にはならぬ、確かな信頼の証であった。


 だが、その心穏やかな日常とは裏腹に、ルーカスの胸の中には一つの大きな疑問が、棘のように胸の奥に刺さったままだった。

(……兄上は、なぜ、僕を助けたんだろう?)

 あの時、サイラスの騎士隊の動きは、どう考えても不自然だった。まるで、ルーカスだけを守るための指示だったかのような、あの不可解な采配。その真意が分からない限り、ルーカスは心から安堵することなどできない。

 分からない。

 だが、分からないままにしておくのは、あまりにも危険すぎる。

 手に入れたこのささやかな安寧を守るためにも、兄の冷たい仮面の裏にある真意を探らねばならない――そう強く感じていた。


 人物に関する情報を得るには、まずは人の噂話が一番だ。

 城の兵士たちの話題の中心は、やはり、先日の広場での一件であった。

「なあ、聞いたか? あの騒ぎを起こした犯人、捕まったらしいぜ」

「本当かよ!? どんな奴だったんだ?」

 ルーカスは、情報を集めていることを不審がられないよう、雑談をする一団の死角から耳を澄ませていた。

「なんでも、伝統派からもはみ出した、過激な連中の一人らしい。妖精憑きを憎むあまり、わざと暴走させて、排斥の気運を高めようとした、とまあそういう魂胆だったとよ」

 詰所の隅で交わされる会話の断片。それを、ルーカスは己の記憶の棚に一つずつ、丁寧に収めていく。

 そこへ、休憩を終えたバルツが、やれやれといった顔で会話に加わった。

「犯人がどこのどいつだろうが、こっちには関係ねえ。それより、俺はサイラス様の方が、気味が悪くてしょうがねえよ」

「ああ、分かります。あの日以来、ますます近寄りがたいというか……殺気立っているというか……」

「だろう? 怪我人はいっぱい出たが、死者なしであれだけの暴動を鎮圧したのは、確かに神業みてえな手腕だ。だがな……」

 バルツは、声を一段と潜めて続けた。

「あんな地獄絵図の中で、眉一つ動かさずに指揮を執れるなんざ、まともな人間の神経じゃねえ。さすがあの宰相閣下の跡継ぎだ。人の心がねえんだろうよ」

 その言葉に、若い兵士が深く同意するように頷いた。

「冷酷宰相の長子は、やっぱり冷酷ってことですかね。……まあ、次男のルーカスは、全然そんなことないですけど」

「ああ。弟の方は、気は弱いが、優しい奴なんだがな」

 ルーカスの姿が見えていないからこそ出る、ルーカスに対する評価。

 自分のことを話されている気恥ずかしさを感じながらも、ルーカスの心は、まるで冷たい風が吹き抜けるかのような、静かな混乱に支配されていた。

(……僕が知っている、兄上の姿と同じだ)

 冷酷で、非情で、人の心など持たないかのような、凍てついた存在。それが、ルーカスがずっと抱き続けてきた兄のイメージそのものであった。

 だが、それなら、あの広場での行動は、一体何だったというのか。

 結果的に、絶体絶命の窮地にあったルーカスを救うことになった、あの的確すぎる指揮は。


 彼はすぐに、その淡い期待にも似た感情を心の隅へと押しやった。

(いや、そんなはずがない)

 父の後継者である兄が、出来損ないの弟である自分だけを、特別扱いするはずがないのだ。

 きっと、何か裏がある。

 父の歓心を買うための、計算され尽くした行動か。あるいは、何か別の、自分の知らない浅ましい企みがあってのことか。

 そうに違いない。

 ルーカスは、自分に強く言い聞かせるように、兄への不信を、心の内で新たにしたのだった。

 この温かい居場所を、得体の知れない兄の思惑によって、脅かされるわけにはいかないのだから。


 だが、サイラスの方からルーカスに話しかけてくるとは、この時の彼は想像もしていなかった。

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