マヤカーシャ国は、今は亡き国だった
隣国の隣国からお忍びで訪れた王女と息子を、マリンは婚約させようと目論んでいた。それもまともな調査をしておらず、新しい執事兼愛人(黒髪碧眼の美形)のラークの言う助言の儘にだ。
他国の王女と貴族の結婚ならば、どんなに小国でも王家の許しが必要となる。本当に王族なのか、王族であってもこの国と友好国か敵対国か等の国益への影響も考慮されるし、また王女にしても身分的なこと(王妃の子か、側妃の子か、愛人の子か)は重要なポイントだ。
婚約となっても諜報的な者(使用人)が紛れて国内産業の利益が脅かされないか、問題が起きた際に誰が責任者となるかを決める必要もあり、一朝一夕にはいかない。
その為に貴族家の当主は、王家に届け出る前に綿密な調査が必要とされるのだ。
それなのに、マリンは全てをすっとばし、「美しくて王女なら良いじゃない」と、考えることを放棄しているようにしか思えなかった。
貴族の当主教育を真面目に受け、常識を身に付けているサム。突拍子もない母親の言動に混乱しつつも、圧倒的な怪しさを見逃すことはできず、父親であるシエンタと相談することにしたのだ。客観的に考えて、自己解決は無理だと判断した上で。
国内の貴族家ならばまだ、彼の裁量で調べられる。だがさすがに国外のことは資金面に加え、調査する者を国境の関所を通す際の名目は、貴族家の責任者の名が必要なのだ。伯爵令息の身分では限界だった。
長く話して来なかったシエンタと会う場所は、ロンベサール伯爵家ではなく、ドンマイン家の経営するレストランの個室となった。
実の父親に会うだけなのに、彼は前日から緊張し、眠れないまま当日の朝を迎えていた。
そしてシエンタもまた、緊張してレストランへ赴く。
他の子供達と違いサムは、マリンと同じ紫の髪に金の瞳を持って生まれてきた。キリリとした目元は両親共に似ているが、顔の造形は父親にソックリだった。ただシエンタは、金髪碧眼である。
ジムニーは(父方の)祖父似で黄緑の髪と茶色の瞳、ルフランはシエンタ似の金髪碧眼である。
今は愛人を侍らすマリンだが、当時はまだ愛人はおらず托卵はない。
さすがのマリンも、結構無理矢理嫁いで来た為、そこら辺の線引きだけはしたつもりなのだろう。自分の有責で離縁されたら困ると思い。
◇◇◇
「……父上、多忙なのにお呼び出しして、申し訳ありません」
丁寧に頭を下げる息子に、心の距離を感じるシエンタ。それでも折角、頼ってくれたのだからと、真っ直ぐに向き合うのだった。
(そう言えば……マリンがサムにベッタリだったせいで、他の子供達より関わりが少なかった気がするな。お前が生まれた時は、閉塞した家にも穏やかな気が流れて、何より愛おしくて嬉しかったのに。いつの間にか…………近寄れなくなっていた。マリンが俺に取られまいと、お前を遠ざけていたせいで。
我が物顔でいたマリンも本当は寂しくて、血縁である初めての子を離せなかったのかもな)
当時のことは忙しい日々の中で、いつの間にか遠い記憶になっていた。
サムとの邂逅は、若かり日の混沌で整理のつかない気持ちを甦らせた。
「いや、問題ない。却って伝えてくれたことに感謝するぞ。王族が絡むなら、手は抜けんからな。執事のラークが何者かは今後調べていくが、碌でもない予感がする。ただの金目当てなら損害は少ないが、王女のことにまで口を出しているなら、王女側の者かもしれん。それに……マヤカーシャ国は確か、クーデターで2年前に国王の治める君主制から共和制に変わったはず。仮にその娘が王女だったとしても、元がつくだろう。お前はマリンの生家にも連絡を取れ。次期公爵のマリンの兄に今回のことを伝えて、今後のことを相談して来い。現当主ではなく、時期公爵の方にだぞ」
サムはシエンタの情報収集能力に、息を呑んだ。最近の様子を見ると劇場でギターを弾いたり、リンダ夫人の側近達と遊んでいるようにしか見えなかったからだ。
「俺が知らなかったマヤカーシャ国のことや、共和制に変わったことまでご存じだったのですね。遊んでいるようにしか見えなかったのに。さすがですね、父上は」
尊敬の眼差しを向けられて、罪悪感の湧くシエンタ。だって教えてくれたのは、最近よく関わるようになったシルバーなのだから。
周辺国や大国のことならば、貴族会や新聞、他は昔から懇意の情報屋や探偵(ロンベサール家お抱えの者がいる)から知識を得ていたが、わりと小国のマヤカーシャ国のことはここまで詳細は届かない。
当主でもないサムが知らずとも、おかしいことではないのだ。
「ま、まあな。当主になればいろいろと伝手もあるのだ。お前が当主になったら、それを教えよう」
「ありがとうございます、父上。どうやら俺は、何も見えていなかったようです。よく考えもせずに、母上に流されるままで。情けないです、うっ、うぐっ」
突然泣き出す息子に(えっ、なんで!)と、驚愕のシエンタ。頭をフル回転し、漸くカルーラのことを思い付く。
(あ、カルーラとの婚約解消のせいか?)
あれだけ母親ベッタリだったのに、その母親の反対を押しきって婚約したのだった。その後何故か、サムの方から婚約解消の話をしていた件だ。
(マリンに反対されて、納得ずくで解消したんじゃなかったのか? そうか、まだ好きなのか……。こいつ頭は良いけど、変なところで不器用そうだもんな。不憫な……。家族のことだからと深入りせず、詳しく調べてなかったし。聞かれても嫌な顔するかなと思って、そのまま放置はまずかったか。ごめんなぁ)
シエンタはサムの肩に手を置き、「若い時はいろいろあるさ。俺も初恋は実らなかったし。まあなんだ、向こうはまだ婚約もしてないから、足掻いてみろよ。今度は協力してやるから」と呟く。
サムはますますギャン泣きし「父上、お、俺は辛いです。でもまだ諦められないので、協力して下さい」と、胸に縋りつくのだった。
「ああ、そっちは任せろ。でもお前の方も公爵への連絡を忘れるなよ。何だかきな臭い気が拭えないから。頼んだぞ」
「はい、任せて下さい!」
サムは良い表情で頷くのだった。




