マリンの野望
リンダの養女になったアクアリーネは、当然ながらマリンの元から離れていった。彼女はそれを苦々しく思い、時々渋面を浮かべ呟く。
「あの子は私に従順で、ほどほどに美しくて丁度良かったのよねぇ。サムとあの子との子供なら、王族に嫁げるくらい美しく生まれてきた筈なのに。それにしても、この私が優しくしてあげたと言うのに、全く恩知らずな子よ」
彼女は未だ、現役の侯爵夫人の地位を手放したリンダを下にみていた。本来の傲慢さと、周囲を把握する情報収集能力に欠け(情報を得ようとする気もないようだし)、人の忠告に耳を傾けない性格は幼い時から変わらない。
生家にいる父公爵は、そろそろ隠居する年齢になる。つまりマリンの最大の味方が、今のリンダのように高位の爵位を失うのである。公爵家の後継である彼女の兄ジュディルは、意外と常識的な人物である。
今まで散々、伯爵家の土地からあがる収穫物や連携する商会を使い、公爵家が利益を得てきたことを彼も知っていた。時には父公爵の指示で、それらの事業に関与もしていた為、潔白であると言い訳する気もない。
ただ彼は私腹を肥やすことはなく、全ては公爵家の為を思い動いてきた。彼の母である公爵夫人も、嫁に出した娘にいつまでも甘くする夫に苦言を呈していたのだ。
「伯爵家の事業に関わるのは良いとしても、相応の利益はシエンタさんにお渡しして、その中からマリンの配当を頂くべきですわ。私達が死んだ後、あの子が頼るのはシエンタさんなのだから」
「はぁ? 何を言っておるミルアベナ 。あいつはわしからエンジェルを奪い、妻にできた幸福な男なのだ。贅沢くらいさせるのは当たり前のこと。お前は黙っていなさい」
(ハァ、いつもながら話が通じないわね。あの子が老いた時、シエンタさんに愛想を尽かされるのが、目に浮かびそう。どうしたものかしらねえ)
父公爵ガルメデの妻ミルアベナは、夫を甘やかす義母に苦労した嫁だった。幸いなことに義父が話の分かる人物であった為、何とかやってこれたのだ。
息子であるジュディルもそれを近くで見て理解していたので、どの辺で線を引くべきか弁えていた。
父ガルメデの行動は簒奪に近く、もしシエンタが訴えれば確実に負けることだろう。父の若い時代ならばまだギリギリセーフだった行動も、今は完全にアウトである。シエンタは争いを嫌う性格だし、子供達のことを考えて大事にしないだけなのだ……と、ジュディルとミルアベナは思っていた。本当は貴族の生活に飽き飽きしており、「爵位も公爵家に渡すから、サムのことを何とかしてくれれば不満はないのになぁ」との本音が、言えないだけだった。
今やジムニー、ルフラン、シエンタは、伯爵家から離れて活動中である。貴族に嫁がなければ生きていけないと考えられていたルフランが、一番の高給取りになった。幼い時から努力した令嬢教育は、嫁ぎ先ではなく自分の為に花を咲かせたのだ。最早好きでもない男に嫁ぐ気は、サラサラない。マリンが何か言うものなら、即離籍の構えである。そんなことになる前には、ジムニーが前面に立って守るつもりだし、怖いものがないシエンタも償いの意味で彼らの盾になる気なのだ。
◇◇◇
マリンはサムの……と言うよりも自分の為に、新たなサムの婚約者を探すものの、ドンマイン家のカルーラとの婚約解消のことや、解消の前にいろいろと虐めていた疑惑(本当にやっていた)、更に以前から問題であったマリンの性格の悪さが露呈して難航していた。次に候補として連れてきた筈の、アクアリーネに逃げられた話まで面白おかしく知られることに。
噂は主にリンダやアーミン方面から広がり、単純にカルーラが世間話でしたものが、ドラゴン姉妹に誇張され拡散された結果、海を越えた醜聞になっていた。
『聖女と無理矢理に婚約しておきながら、結婚したら義母となる自分の母親からの非道から庇わず、解消になった令息の話』として。隣国では実名は伏せられているが、ゴシップ好きな貴族は実名を調査し囁いていた。
もしこの国で婚約者が見つからず、隣国の親族の伝手を頼ることになっても、その際はかなり不利になることだろう。
相手が悪かったと言えなくもないが、そもそも意地悪しなければ穏便に済んだ話である。これでマリンのことを知らずに、泣く令嬢が増えないなら喜ばしいことだ。訳ありと知りつつ婚約することになるなら、家の事情か何かでよっぽどのことがあると思われることだろう。
そもそもマリンは自分が王太子妃、ひいては王妃になりたかったのだが、性格・知力面で選ばれなかった。ならばと王族入りを子供達に期待したが、王太子は隣国の王女と婚約を結んだ後結婚している。年が5歳下の第二王子も婚約者が決まっていた。王女も政略結婚の国が決まった後である。
マリンは高位貴族を狙い過ぎて婚期が少し遅かった為、子供達は候補にも入れなかったのだ。その期待がまた、孫にまで及んだのである。
彼女の性格上、どうしても高位貴族との繋がりを諦めきれず、逆転を狙い続けてしまうのだった。そこには甘やかし続けた、父公爵ガルメデの責任が多分にあるだろう。
ある意味諦められない訓練が、子供の頃に積まれていないのは苦しいことだ。全てを手放せないからである。いつまでも持ちきれない矜持は、持て余すだけだから。
けれどマリンは諦められなくても手放す喪失を、じわじわと知ることになる。サムの行動によって。




