夢
ふと目を開けると、エリザベートは椅子に腰かけていた。
(……なに?)
周りを見回すが、何も無い。白い空間だ。
(どこに、いるのかしら……)
そう思いながら正面を見ると、そこには、同じように椅子に腰かけた女性がいた。
黒髪の、懐かしい姿に目を見開く。
「わたしっ?」
「そういう貴女はわたくしね」
「ええっ?」
目の前にいるのは、かつての自分『こはる』だ。だが、
「……もしかして、エリザベート?」
「ええ、そう。貴女は、こはる?」
「そう! わたし……てっきり死んだのかと思ってたわ」
「わたくしもよ。血を吐いたし、ものすごく苦しかったから。でも、大丈夫だったのね」
「そっちも……階段から落ちたでしょう?」
「左足の骨折と頭を強打して血も出たし、しばらく意識も戻らなかったわ。でもそのおかげで、記憶があやふやになっていると言い訳ができて良かったけれどね」
「わたしもしばらく意識が無くて、記憶喪失という事にできたわ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「……ところでエリザベート、貴女、こはるの身体を随分ふくよかにしたんじゃない?」
「えっ? えーと……そんな事、ないわよ? 元々でしょう?」
気まずそうに目を逸らす、かつての自分の顔と身体を、じっくり観察する。
「いや、明らかに太ったわ。正直に言いなさい、何キロ太ったの?」
「……18キロ増えて」
「じゅうはち~!?」
「でももう11キロ戻したわ! これくらい普通よ! 今年の健康診断は問題なかったし」
「ええ? でも……」
「だってこの世界のお菓子が美味しすぎるんですものっ! ケーキや和菓子、その辺の店で売っている安いお菓子も、全部全部美味しくて、試さずにはいられなかったのよ! しょうがない事よ、これは!」
「ええぇぇ……」
(……まあ、言いたい事はわかるけれど……王妃殿下にもう一度、食べ過ぎないように言っておいた方が良さそうね……というか)
「ねえ、もしかしてわたし達、元に戻ろうとしているのかしら……」
そう言うと、こはるの姿のエリザベートが『そんなっ!』と悲鳴のような声を上げた。
「今更そんな事言われても困るわ! せっかくパリに来たのに!」
「……パリ?」
「ええそう。わたくし、製菓の専門学校を卒業して、今はパリで修行中なの」
「えっ? 会社は? 辞めちゃったの?」
「だって、こんなに素晴らしいお菓子の作り方を教えてもらえる世界に来たのに、学ばない理由なんて無いでしょう?」
「でもせっかく入った会社が……給料もボーナスも福利厚生も凄く良かったのに……ハッ! えーと、一緒に住んでた彼氏がいたでしょう?」
「ああ、あの高貴な身でもないし能力があるわけでもないのに不貞を働いた屑ね? 魔が差しただとか、これからは絶対にしないとか言われたけれど、もちろん関係を解消したわ。行くところが無いなんて、わたくしには関係ないし、そもそも、しばらく家に帰って療養生活をしたから、あの部屋は解約したわ。あの男とはその後一切連絡をとっていないわ」
「そう……うん、それを聞いて安心したわ。ところで家族はみんな元気?」
「ええ、元気よ。お父さんもお母さんもお兄ちゃんもとっても優しくしてくれるわ。家は驚くほど小さくて質素だったけれども、とても素敵な家族だわ。その点、貴女には申し訳なくて、なんと言っていいか……高位貴族で財産もあるけれど、酷い環境でしょう?」
すまなそうな表情で言われたが『あー、実は……』と状況を説明する。
「レオンハルトとは、婚約を解消したの」
「まあ……それじゃあ、あの身分の低い女に負けてしまったのね……」
「というか、こっちから婚約破棄を願い出て」
「なんですって!?」
カッと目を見開き、大きな声で問われる。
「レオンハルト様から言われたわけではなく? こっちから?」
「だって浮気したうえに、エリザベートを悪女に仕立上げて文句言って絡んでくるんですもの。あんな人と結婚したって、幸せにはなれないわ。仕事だけさせられて、酷い扱いされるのが目に見えていたじゃない」
「それはまぁ……確かにそうだけれど……」
「小さい頃から我慢して努力してきたエリザベートには悪いと思ったけど、我慢して苦労し続けてまでなりたいと思わなかったのよ、王妃なんて。逆らえないだろうといい気になって浮気しているレオンハルトにも、愛してなんかいないって言ってやりたかったし」
「……言ったの? 愛していないって」
コクコクと頷くと、興味津々のようで、キラキラと輝く目で尋ねられた。
「あの方、どんな反応をした?」
「最初、信じなかったわよ。自分の気を引こうとして、わざと言っていると思ったようね。でも、本心だとわかったら、真っ赤になって怒っていたわ」
「ハッ! それは傑作ね! いい気味だわ。……フゥ……昔は、それほど愚かな方ではなかったのだけれどね」
「残念ながら、どんどん愚かになっていったわよ。結局、王太子からは降ろされて、今は辺境の地で反省させられているわ」
「えっ? 本当に? 陛下が決められた事なの? 陛下はレオンハルト様に王位を継がせたかったでしょう? あ、もしかして謀反でも起きて?」
「いいえ、それは大丈夫。ただ、あまりにも問題を起こし過ぎたの。陛下も諦めざるをえなかったのよ。国の事は、エドワードとテオールが頑張っているわ。まだ決定ではないけれど、おそらくエドワードが王太子になるわね」
「まあ! それじゃあエリザベートはエドワードと結婚するのかしら」
「えっと……」
今度はエリザベート姿のこはるが目線を逸らす。
「わたしは、違う人と結婚したの」
「えっ? せっかく王太子妃教育を受けたのに勿体ない! 誰と結婚したの? どこの家門?」
「えーと……貴女の知らない人よ……ちょっと……言いづらいわね……ごめんなさい」
「あら……まあ、とりあえずいいわ。それよりも……わたくしに毒を盛った……あの人は、どうなったのかしら」
「ああ、ええと……そのままよ」
「そのまま?」
「ごめんなさい。最初のうち、誰が犯人かわからなくて……だいぶ経ってから思い出したのだけれど、お父様には話して、世間には公表しない事にしたの。あの人は事がバレる事を恐れて精神が弱ってしまって、今は部屋に閉じこもりきりよ」
「そう……」
「ごめんなさい、エリザベート」
「? さっきも謝っていたけれど、どうして?」
「だって、母親を殺した人を、そのままにしたのよ。貴女も気づいたんでしょう? あの人が、お母様に毒を盛ったって」
「……まあ……そういう事だったのね、と、察したわ。わたくしは、お母様が亡くなってすぐにやって来たあの人が嫌いだったから、ずっと無視していたけれど、あの人はわたくしに気をつかっていたわ。ビクビクしながらも、お菓子をくれたり、新しいドレスを作ろうと言ってきたり。あれは……罪滅ぼしのつもりだったのかしら。わたくしに優しくする事で、お母様を奪った事が償えるとでも思っていたのかしら」
「……どうかしらね。この事を知ってからは、あの人とは話をしていないのよ。謝罪も言い訳も聞きたくないから。でも、貴女が望むなら対話してみるけれど」
「……いいえ、聞かなくていいわ。何を聞いても許せないもの。それに、お父様は家門に傷がつくような事は絶対にしないでしょう。お父様の決定には逆らえないわ。わたくしもスピネル家の一員として、家門は守らなければならないし。王妃になってからも家門の後ろ盾は重要だから……って、もう、王妃にはならないのだったわね」
「ええ。それもごめんなさい。結局わたしが苦労したわけではないから、簡単に婚約破棄を申し出られたのよね。しかも、その後も打診されたけれど、断ったし。自分が頑張った事だったら、簡単には手放せなかったはずよ」
「まあ、それはそうでしょうね。わたくしだって、自分が苦労したわけではないから、あっさり会社を辞めてしまったわ。今はお菓子作りを学べる事が幸せなの。だから……」
じっと目を見つめ、こはるの中のエリザベートが言った。
「わたくしは、この世界で生きていきたいわ。エリザベートに、戻りたくはない」
「わたしも、そうね。お父さん、お母さん、お兄ちゃんの事は恋しいけど、こっちの世界でも、大切な人が沢山できたの。心の底から愛していて、離れたくない人も」
「そう……じゃあ、わたくし達、このままでいいわね」
「そうね、そうしましょう」
意見が一致し、二人はホッとして微笑み合った。
「あ! そうだわ! 今わたしもこっちの世界でお菓子作りをしていて、お店も出したの。それで、ちょっと教えて欲しいんだけど、カヌレとマカロンってどうやって作るの? それと、マドレーヌとフィナンシェって何が違うの?」
「ああ、それなら……教えて欲しい?」
「もちろん! お願い!」
「それじゃあ、誰と結婚したのか教えて」
「え……あー……」
「どうしてそんなに教えたがらないの? 下位貴族なの?」
「えーと……」
「やだ! もしかして、騎士階級?」
「…………ええ」
「もーっ! なんて事!? 王太子妃候補だった公爵令嬢が騎士と結婚? よくお父様が許したわね! わたくし、絶対にエリザベートには戻らないから!」
「戻らなくていいわよ、そっちで立派なパティシエになってちょうだい! それより早く、カヌレとマカロン……あと、最近流行りのお菓子とか無い?」
「まあ、色々あるけれど……とりあえず、カヌレを教えるわ。まず材料は…………」
(……なんだか、甘い香りがするわ……ああ……バラの香り……)
目を覚ますと、大きなベッドには、自分一人だけだった。
「……ルーク?」
昨晩一緒に眠った相手の名前を呼んでみるが、返事は無い。
「……先に、起きちゃったのかしらね」
上半身を起こし、大きく背伸びをする。
「んーっ、何か、いい事があったような気がするけれど……何かしら……って、嫌だわ、決まってるじゃない」
にやけてしまう頬を両手のひらでグルグル回す。
(ルークと初めて一緒に眠った事に決まっているわよね……でも、なんだか違う気もするけれど……あ、エリザベートって呼んでもらえた事かしら……まあ、とにかく!)
「さあ、今日からもっと頑張らなくちゃ! カヌレとマカロンを作ってみよう。なんだかうまくできそうな気がするのよね」
カーテンを開くと眩しい光が部屋の中に差し込み、その光を浴びてエリザベートは大きく息を吸った。
「わたくしは、この世界で幸せに暮らすわ! ルークと、大切な人達と一緒に!」
最後までありがとうございました。




