第一章 超一流サッカー選手と私 PART4
結局さくらが島からこれと言って有力なネタを掴めることなく、
取材開始から三日が経過した。
その間にさくらがした事と言えば、
トレーニング中の島の撮影
(本当はプロのカメラマンにお願いしたいところだったが、
予算の都合上、これもさくらが自前のデジカメで行った)、
どの様な食生活を行っているかのレポート、
そして、相変わらず実りの少ないインタビューを少々といったところだった。
基本的にこちらから話しかけなければ始まらない島との会話は、
それだけで精神を削られるものとなっており、
さくらとて語彙のボキャブラリーが多いほうでは無かったので、
一度会話が途切れてしまうと気まずい沈黙が流れしまうのだ。
最早、お互い意地の悪いバツゲームを延々と受けているかのようである。
ただ、そんな愚痴をこぼしたところで
締め切りは待ってくれないのも事実だった。
取材期間は残り四日。
この間にどうにかして島から記事となるネタを掘り出さないと、
比呂木が上層部から怒られるだけでは済まなくなってしまう。
ただ、そんな焦りがあるなか、
今日は当初から予定されていた休息日だった。
これはあまりに記者側が島に張り付き過ぎると、
彼に申し訳が無いと用意された期間ではあったのだが、
どちらかと言うと明日からの四日間に対する作戦を考える猶予を貰えた、
さくらの方が助けられたのかもしれない。
さくらは少しでも島の心境に近付こうと、
すがる思いで彼に初めて会った喫茶店『Pau se』を訪れた。
日曜日ということもあり多少の混雑を予想して店に来たものの、
先日同様、店内にさくら以外の客は居なかった。
これだけ人が居なければ、
四人用と思われるテーブル席に堂々と座っても良かったのだろうが、
それでもやはり一人で広いテーブルを使うのは気が引けたため、
さくらは大人しくカウンター席に着いたのだった。
しかし、名案とは簡単には浮かばないものである。
現状の資料を基に少しでも記事を作ろうと、
パソコンと向かい合ったさくらの手はさっきから動いていなかった。
既に三杯目となるコーヒーをチビチビと口に運びつつ、
ため息ばかりをついて
何を書いたらいいのか全く分からなくなってきていたのだ。
と、そこで完全に手詰まりかと感じ始めた
さくらの元に一本の救いの手が差し伸べられた。
「お困りのようですね」
さくらは一瞬誰に言われたか分からなかった。
だが、
声のする方に顔を向けると店主がニッコリとこちらを見ているのが目に入った。
考えても見れば店内には自分と店主の二人しか居ないのだから、
誰に声を掛けられたのかは考える必要もなかったのだ。
まぁ店主からしてみれば、
目の前のカウンターで独り言を呟いていたり、
溜め息ばかりをついている人間が居たら、そりゃ気にもなっただろう。
そこまで考えたところでさくらは急に自分の存在が恥ずかしくなり、
顔を隠すようにパソコンの画面に俯いた。
「あの、ごめんなさい。気になさらないで下さい……」
これは上手い言い訳も思いつかなかったさくらが、
とりあえずそっとしておいて貰おうと思い、出した言葉だった。
そんなさくらの様子を見ながら、店主は優しい声で言った。
「お気に病むことはありません。
島さんは気難しい人ですので、
彼と打ち解けるのには中々時間がかかるでしょう」
え、どういうことだ?と、さくらは店主の言葉を聞いた瞬間疑問に思った。
それは、
何故この老人は「さくらが島について悩んでいる」ことを
知っているのかが全く分からなかったからだった。
もちろん、彼に島のことを言った覚えは無いし、
そもそも挨拶程度の会話程度しかこの二人はしてこなかった筈なのだ。
さくらは言葉を出せずに口をパクパクさせていると、
店主は自分の口元を押さえて、ふふっと笑い出した。
「失礼しました。
以前にいらっしゃった時に、
あまり会話が弾んでいなかったようでしたので、
何か彼のことで悩んでいるのかと思いましてね」
店主は目を細めながらそう言ったが、
それでもさくらは納得出来なかった。
しかしこのままでは話は進まないし、
とらえようによっては、
これは店主から島のことを聞き出すチャンスでもあるのだ。
「あの、マスターは島さんとは昔からのお知り合いなのですか?」
パソコンの画面から恐る恐る顔を出しながら聞いてみると、
店主はさらに目を細めて楽しそうに口を開いた。
「ははっ。マスターなんて止めてください。
申し遅れました、私は野呂と申します。
島さんとはそこまで親しい訳ではありませんし、
付き合いも長くはありません。
ちょうど去年の今頃に初めてお越し頂きまして、
それから帰国された際に何度かご来店頂いている程度です」
言われてみれば、
生活のほとんどを海外で過ごしている島と親しくするのは難しいだろう、
とさくらは思った。
「そうだったのですね。
あ、こちらこそ申し遅れました。
私、片桐出版で編集者を務めております、矢作さくらと申します。
島さんには、弊社の雑誌に載せる記事のインタビューをお願いしております」
「それはお疲れ様です。
島さんは、以前にも当店でどなたかの取材を受けていらっしゃったので、
今回も記者さんではないのかなと内心思っておりました」
野呂は、ここでまたクスリと笑った。
「その時の記者さんも、
矢作さんと同じような表情をしていらっしゃいました」
そう言われては、さくらとしても苦笑いを返す他ない。
今となっては、その記者の気持ちが痛いほど分かる気がしていた。
「私の質問の仕方が悪いのです。
まだ少ししかお話出来ていませんが、
島さんが誠実な方で、
自分の仕事に真摯に向き合っているのは分かっているのですが、
中々彼の本心を聞かせて貰えるような信頼を得られないので」
この言葉はさくらの本心である。
会社で比呂木や天野にも言った言葉ではあるが、
島に問題があるとさくらは思ってはいない。
それは、彼はしっかりとさくらの質問に答えてくれていることと、
その返答から悪意を全く感じていなかったからだった。
例え淡白な記事になってしまったとしても、
もしかしたら今まで見てきた島を
そのまま読者に届けるのが正解なんじゃないか、とさくらは思い始めていた。
ただ、
それだけでは島について何かを見落としているような気がして
ならないのである。
だから、
それが分からないままに仕事を続けてしまっている未熟な自分が
余計に許せないのだ。
かといって島に文句を言うわけにもいかないしで、
本当に八方塞の状態に陥りつつあった。
再び一人悩み始めたさくらを見ながら、
野呂はゆっくりと口を開いた。
「そこまで分かっていらっしゃるのなら、もう少しではないでしょうか?」
「え?」
野呂が言う「そこまで」が何を指しているのか分からず、
さくらは思わず聞き返してしまった。
「これから申しますことは、初老の戯言と思って下さい」
野呂はそう前置きをしてから、言葉を続けた。
「私はなんとなく、
島さんの出身地に矢作さんが抱いているもやもやした気持ちを
解決してくれるヒントがあるような気がしております」
「出身地、ですか?」
「ええ、彼の出身地を考えた後、
では何故今東京に居るのかを考えたほうがいいかと思います。
それと、さきほどご自身で彼は誠実だと仰っていましたが、
そんな彼が辿り着くであろう心境にも、
今一度考えを巡らせてみては如何でしょうか」
「あの、それってどういう―」
さくらには、ますます野呂の言っている意味が分からなかった。
だから、説明して欲しいと訴えかけるような目線を野呂に向けたのだが、
その時彼はもう既にキッチンに置いてあったカップを手元に手繰り寄せ、
さくらとは目線を合わせようとしなかった。
どうやら、野呂はその話をこれ以上続けるつもりはなく、
自分で考えろということらしい。
とりあえずさくらはどうして野呂が自分の考えを察したり、
島について知っているのかは置いておいて、
彼の言うヒントについて考えることにした。
以前に呼んだ資料で、
島の出身が福井県で、プロになるのを期に上京してきたことをまず思い出した。
経緯としては高校での活躍が見込まれて、
東京に本拠を置くチームに入団したはずだったが、
考えてみると、
野呂の言った通り海外チームに移籍した後も
まだ東京に住居を構えているのはおかしな話だった。
もし島とさくらが同じ立場であったのなら、
たまの帰省の際には地元でゆっくり過ごしたいと考え、
上京して来た際の住居は手放して実家に帰っているだろう。
もしかしたら、島が都心での生活が気に入った可能性もあるが、
短い付き合いながら彼がそのような俗風に流されるような人間とは
さくらにも考えられない。
それに、自分が言った誠実という言葉がどのように関連しているのか……。
さくらはしばらくこの事について考えてみたが、
どうもここでは答えが出そうに無かった。
どっちみち、他に出来ることは無いのだ。
ここは、一度社に戻ってじっくりと野呂の言った話について
調べてみてもいいだろう。
そうと決まれば、グダグダしている暇はなかった。
さくらは目の前のカップに残ったコーヒーをグイッと飲み干し、
「野呂さん、ご馳走様です。一度社に戻って調べてみます」
と野呂に向かって声を掛けた。
「お役に立てれば何よりです」
そう笑顔で答えてくれた野呂に一礼をした後、
さくらは社に帰るべく店を後にしたのだった。




