第37話 未知の存在
(来たか)
ライツが術を発動させた瞬間、カーラは彼女の懐へ飛び込むべく速度を速めた。ライツが杖を手にしたのを見て、彼女が遠距離戦を仕掛けてくることは予想できていた。後は、どれだけ距離を詰めることができるか。
カーラの術は「相手に一度触れていること」が発動条件なものが多い。呪いの類だから、コストパフォーマンスは大きいが制限も大きい。
距離が遠いままでは、相手のペースになる。
妖精族が自身の相棒としている武具は、その個人特有のものである。一番想像しやすい形であり、一番創造しやすい構造のものを無意識に選択している。
カーラのように半端な生まれのものでなければ、その武具が使用者そのものを表現している。つまり、ライツが杖を生み出したこと、それ自体が彼女が放出系の術を得意としていることを意味していた。
だが、実際に『猛者を戒めし大蟹の鋏』を目視したカーラは戦略の変更を余儀なくされる。
(……これはだめだ)
カーラは進みを止め、左手に意識を集中させる。
掌に暗い感情が集う。それは彼の地にまで届く恨みの言葉。その負の想いを、カーラは握りつぶした。
その腕を前方に突き出す。狙うは、迫り来るライツの光弾。
「『彼方に甘美な呪いを』」
カーラは言い放つと同時に、指を鳴らした。その音に弾かれるように、黒い弾丸が左指から打ち出される。
それは、正面からぶつかりライツの『猛者を戒めし大蟹の鋏』を撃ち落とす。一つ、二つ、次々と飛んでくる光弾をカーラは丁寧に相殺していく。
(ちっ、搦め手など不得手な顔をしているくせに)
面倒な事態に陥ったことに、カーラは唇を噛んだ。その間も、ライツは休むことを許してくれない。
一つでも撃ち漏らせば、さらに面倒になることをカーラは分かっているから彼女も気が休まるときがない。
『猛者を戒めし大蟹の鋏』、そこに込められた意思は『束縛』だ。
光に触れてしまうと、まとわりついて行動を阻害してくる。当たれば当たるほど、対象者の動きを鈍らしていくものだ。
「小癪な」
この状況を打破するために思考を巡らすカーラ。だから、気付かなかった。ライツが、別の意思を込めた光を放っていたことを。
その光を同じように正面から撃ち落とそうと『彼方に甘美な呪いを』をぶつける。すると、まるでそれが起爆のスイッチだったかのように周囲に凄まじい光量を放ちながら弾けとんだ。
「くっ」
注視していたがゆえに、カーラの目にそのまま光が飛び込んでくる。
(これはあのときの!?)
ライツが洋介を逃がすために使った目眩まし。それが直撃してしまった。
カーラの視界が真っ白に染まっていく。その、白い世界の中でちらりと大きくなってくる影が見えたところでカーラの視力はゼロになった。
(思いっきり、ぶっ飛ばすっ)
ライツはこの機を狙って、一気に懐に飛び込む。彼女自身はよく使用用途が分かっていなかった杖を振りかぶり、全力で振り下ろした。
カーラはこの光景が全く見えていない。見えていないのだが。
「甘いっ」
掛け声一つ、左上から振ってくる杖にカーラは自身の左腕をぶつけていった。
「うわっ」
思わず、ライツの声が漏れる。衝突の衝撃が腕まで伝わってきて驚いたのだ。相当な痛みがカーラにもあるはずだが、彼女の細腕はライツの一撃をしっかりと受け止めていた。
「そこっ!」
ライツの声で彼女の位置を察したカーラは右の指から爪を伸ばす。そして、ライツの顔を目がけて振り上げた。
闇雲な攻撃ではあったが、確実に斬り裂かれる位置にライツはいた。とっさに杖から手を離し、先程まで前進に使っていた力を逆向きに噴射する。
しかし、カーラの爪は杖を斬り裂き、勢いを緩めることなく逃げるライツを追いかける。振り切ったカーラの右指に微かな手応えが伝わってきた。
(届いたが、浅いな)
カチカチ、と爪を鳴らすカーラ。徐々に戻ってくる視界の隅に、ライツがバランスを崩して落下する姿が映った。
ライツの体はどんどん校庭に近づいていく。あと少しで叩きつけられる。その間際で、彼女の目がぱっちりと開いた。
「おっと」
ふわり、と彼女の体に浮力がかかる。落下速度がゆっくりになる。それによって生まれた時間で体勢を立て直したライツは、何とか足から着地することができた。
(あぶない……ちょっと、とんだ)
全開で振り絞った逃げるための力と、経験したことのなかった痛みがライツの意識を刈り取った。ライツは自分の意思で飛んでいるので、無意識の状態では重力に逆らうことができないのだ。
彼女の頬にはざっくりと深い傷跡が残っている。そこから、人間と同じ色をした鮮血が流れ落ちていた。そこからじんわりと熱が、じくじくと痛みが広がっていく。
「ふう」
大きく息を吐く。恐怖は当然ある。できるのであれば、逃げ出したいほどに。
「まだまだ」
それでも、ライツにとって洋介の想いに応えられないほうがよっぽど嫌だった。
ライツは上空から見下ろしてくるカーラを真っ直ぐに見つめ返す。これぐらいで意思は揺らがないと、ライツの瞳は語っている。
その想いに呼応するかのようにライツの体に、ある変化が現れた。
その光景を目撃したカーラは息を飲む。
「なんだ、あれは」
ライツの顔に刻みつけた爪痕が、最初からそこになかったかのように塞がっていく。漏れ出していた朱い血も、煙のように消え去っていった。
それは一瞬のことであったが、それゆえにカーラは信じられないものを見るように目を見開いている。
術を使った痕跡はない。もともと、生まれつき回復の早い者もいるが、それとも違っている。ライツはただ、己の内から外に出てくる純粋な力のみで体を修復しているのだ。力さえ残っていれば、腕の一本や二本ちぎれたとしても再生させるだろう。
そんな芸当ができる者を、カーラの情報網ですら見つけることができない。闇妖精達から奪った膨大な量の知識があっても、ライツのそれを形容することはできない。
ただ、一言。カーラは思わず、頭に浮かんだ言葉を口に出した。
「化物が」
自身の口から発せられた単語が耳に届いた時、カーラの困惑の表情は驚愕に変化した。
(今、私は何を口走った?)
化物、その言葉を自分が口にしたという事実が信じられなかった。ライツに向かって言い放った言葉だと言うのに、まるで自分が自分を裏切って攻撃してきたかのような気分にカーラは襲われる。
――命を吸い取る化物じゃないか。
(出てくるな、出てくるな。私は、もう聞きたくないんだ)
なぜ、ここまで嫌悪する言葉を自分は言ってしまったんだろうかとカーラは後悔する。どうして、ライツを見て「化物」としか言えなかったのか。
それは他に表現しようがなかったからだ。ライツの異常な回復速度を、せめて言葉にはしたかった。そうすれば、その言葉だけは脳が処理できる。得体の知れない者が相手でも、心を落ち着かせることができる。
そう、自分の理解を超える異能にカーラは言葉を与えただけなのだ。
もしかして、とカーラは自身の悪夢を思い出す。
あの時の人間も、自分達が理解できない力を目の当たりにして「悪魔」、「化物」と表現したにすぎないのではないか。弱い人間が、己の心を守るためにしたことではないか。
(今の、私みたいに)
カーラはぐるぐると巡る思考を止めるために大きく頭を振った。
「うるさい、うるさい、出てくるな!」
制御が効かず、勝手に色々と考える自分自身にカーラは苛立っていた。
あの時、絶望に叩き落とされたのは事実だ。そこから、這い上がる為に立ち止まる訳にはいかない。もちろん、眼前の星の姫に翻弄されたままではいられない。
爪がライツに触れた。その事実が、ざわついていた心を冷やし、カーラの視点を一つに定めてくれた。
カーラは口端を歪める。その笑みには妖艶さが戻っていた。
「私の迷い、貴様ごと幻の中に閉じ込めてやろう」




