第38話 例え蛮勇と謗られても
皮膜の翼を羽ばたかせ、カーラはゆっくりと上昇していく。
(接続は、良好か)
爪を短く戻した右手を、カーラはじっと見つめる。うっすらと、その指先から彼女にしか見えない線が伸びていた。
油断して洋介に術を返されてしまったが、今度はしっかりと確認する。術が通らないことはなさそうだ。
「よし」
パチン、と指を鳴らす。
想像するのは分かりやすく相手を圧倒する力。カーラに向いていない方向性ではあるが、未だに力の底を見せないライツを相手にするのなら……苦手と言っている余裕は彼女にない。
「『貴方に奇怪な幻影を』」
艶やかに歌い上げる発動の呪文。その最後の一言を言い終えた後、カーラは口端を歪めた。
「ん?」
それと同時に、地上で次の行動を考えていたライツの視界が急に歪んだ。何が起こったのか、ライツが把握しようとするが、それよりも早く視覚に異常が現れた。
ライツの眼の前にいつの間にか、巨大な影が現れていた。
「うひゃあ、でっかい」
心の底から飛び出したライツの呟き。その他人事のような響きから、彼女の驚きを察することができる。
揺らいだ景色の中から現れたのは、天にそびえ立つ程に大きくなったカーラの姿だ。
丁度、ライツが見上げていたところにこちらを見下ろすカーラの顔がある。そこから、足は地面にまで届いていた。
その足がゆっくりと持ち上がり、ライツを踏み潰そうと勢いよく落ちてくる。
「うおっと」
とっさに左に飛び出す。間一髪、地面との距離がぎりぎりのところで避けることができた。
ライツの背中側から響く轟音。体中に石つぶてが飛んでくる。
「もう、おっきいのに速いなぁ」
予想外の速度だったが何とか間に合った。そうライツが安心したのも束の間、今度は拳が天から振ってくる。
ライツは地面を蹴って後ろに跳ねる。眼前を素通りしたカーラの右手が中学校のグランドに深々と突き刺さり、大きな穴が開く。
「うっそぉ」
その壮絶な光景に、ライツの目は丸々と見開かれていた。飛ぶために集中する暇も与えてくれないカーラの連撃は、ライツの逃げ場を徐々に奪っていく。
カーラは上空でグランドを右往左往するライツを、じっと見つめていた。
(ふむ、うまくいったか)
そう、カーラは大きくなどなっていないし、地面に穴も空いていない。カーラの眼下で、必死の形相をしたライツが逃げ惑っているだけなのだ。
全ては幻。ライツは一人、奇妙な幻覚の中に囚われていた。
幻とは言っても、ライツの精神に直接働きかけて生んでいる幻影だ。もし、逃げ遅れて潰されてしまったら、現実の体にも相当の傷を負うだろう。
ライツはうまく術にかかってくれた。懸念があるとすれば、洋介のように術そのものを返される危険性があることだ。
しかし、今回のカーラに抜かりはない。
(力はこちらからの一方通行。奴に術を行使する動きはない。……怖いぐらいに簡単にかかっているな)
ライツと接続した線から、事細かにライツの情報を引き出していた。もし、何かしらの反撃があれば対処できるように。
そもそも、ライツは呪いに対抗するための知識も、それを防御するような技術も持ち合わせていない。溢れ出す力を持っていても、活用するために必要な何もかもがライツには足りていなかった。
ライツにあるもの。
それは母から譲り受けた『星使い』の力と、決して揺るがない意思の強さだ。
瑠璃色の瞳が、くりくりと動く。
(どうしよう。ううん、そうじゃない。どうするか、だ)
カーラには単純に逃げ場を探しているかのようにしか見えない。
しかし、ライツはこの窮地にあっても、諦めることなく思考を続ける。危機を回避する方法だけではない。反撃の手段を模索している。
洋介が言っていた。ライツが困った時、人が星に託した夢がきっと助けてくれると。
洋介の語った星座の物語。その主人公達だったら、文字通り巨大な敵を相手にどう切り抜けるのだろうか。
「……そうだ!」
一人、思い当たる人物がいる。ライツは苦手なものが一緒、という親近感で覚えていた存在である。
想像によって生み出された彼が、頭の中でライツに語りかける。どんなに敵が強大であろうとも、己の欲望は突き通すべきだ。俺はやりたいことをやってきた、と。
粗暴ではあるが、好き勝手するために必要な力は持っている。この状況を打破するには、必要な力ではないかとライツには思えた。
(あたしだって、やりたいことをやるんだ)
たとえ、後々自分のしたことが暴力であったと罵られたとしても。今は、洋介の願いを叶えたい。自分の全てで、カーラを止めるのだ。
ライツの動いていた瞳が、一点に定まった。カーラの拳を踏み込んで避けつつ、ライツは振り返る。
「おいで」
体を宙に浮かせつつ、ライツは両手を広げる。そこにはライツの背中を追っている、彼女の羽根から生まれた星達がいた。その中でも輝きの強い三つの光が、ライツの眼前まで寄ってくる。
それを、ライツは両方の掌で包み込んだ。
がしっと、ライツの両足が地面を掴む。そのままライツは、顔を伏せて自身の意思を手中の星に集中させる。
ライツの動きが止まったことで、巨大なカーラの右足がライツに狙いを定めている。術の完成が早いか、カーラに踏み潰される方が早いか。
それでも、ライツには避けようとする意識はない。彼女の頭の中には、すでにカーラの巨躯を素手でぶっ飛ばす野蛮なイメージができている。
カーラの足裏が頭上に迫った時、ライツは力強い眼でそれを睨みつけて、叫ぶ。
「『獅子を屠りし蛮勇の剛者』よ!」
ライツは両手を広げる。そこにあるのは、三連星のベルト。それを自分の腰に巻き付け、そのまま両手を上に突き出す。
ライツは、迫り来る死の予感に真っ向から立ち向かおうとしていた。




