5話
「エルヒムの証明会」の始まりは18世紀半ばのアメリカが発祥であった。
青年実業家であり熱心なキリスト教信者であったフランクリン・T・リンドがピラミッドを使った独自の聖書研究を開始し、「国際聖書探求会」を自費を資本に立ち上げたのが始まりなので当初、国際聖書探求会はリンド派とも呼ばれるていた。
リンドは1916年に急逝し後継者としてジェームズ・H・スコットが2代目会長として更なる調整を加えて行く。
聖書も独自の翻訳をするようになり至高書に呼び名が代わるのもこの時代である。他にも定期的に雑誌を発行し至高書の進むべき道を探求する為に「羅針盤誌」(後の、みはりの塔誌)と「先触れの朝誌」(後の、目覚めの朝誌)が発行されたるようになる。
日本には戦前に高石公三により伝えられ軍務を拒否する等、迫害の対象となる。戦後、高石は組織を離れ去りアメリカから宣教者が来て日本各地に広がり現在に至るのだ。
本部はアメリカ、ニューヨークブルックリンにあり総治体と呼ばれる144,000人からなる天での命の希望を持つ「天上人」の残りの者からなる13人により指導がなされている。
そこから世界中の支部、シャイニングホームに指示がなされそこから各地にある個集と呼ばれる集まりに指示が行くのだ。
各個集には指導の任に当たる「主導者」と呼ばれる人達と個集の円滑な働きの為に働く「助導者」が居てそれぞれ男性に割り当てられる。
さらに個集には証明活動に長い時間をかける開拓証明者と開拓証明者より短い時間をかける補助開拓証明者がいる。何も行なっていない人達は証明者と呼ばれ時間の要求は無い。
この開拓証明者の中から産出的な活動を行った者から組織が月に少額の手当てを与える特別開拓証明者がいて周りから羨望の眼差しを受けるのだ。
個集の幾つかの集まりを近集区と呼び年に2回、大きな集まりを開き「近集大会」と呼ばれ、さらに幾つかの近集区が集まる「広集大会」が年に1度開かれる。
近集区、広集区共に監督する人物がいて近集監督は年に2回個集を回り総治体の指示を与え調整して行き広集監督も近集監督と共に個集を訪問して近集監督や個集に調整を加えて行くのだ。
そしてエルヒムの証明会では血を取り入れる事…輸血…が禁じられている。さらに政治活動も禁じられ選挙の投票も禁じられている。
仁さんの奥さんが選挙の投票しないと言ったのは、これだったのだ。
そして、いかなる偶像崇拝も禁じられていて校歌や葬儀で時折問題視される事も少なからずあった。さらにいかなる戦いも禁止であり学生達は学校での体育の授業で格闘技を行えずに物議を醸す事も起きるのだ。
私が真面目に探求を始めてすぐに春川からこれらの事を教わった。正直、前途多難が目に見えて来てしまう。
当時、私はある格闘技を行なっていたからだ。どうなる、これから?
仕事も本格的に始まると集会も月2回となり独身の私が仕事が第一な事が春川にとって気にいらないようだ。少しづつ仕事の調整を勧めても来るようになる。
そんなある日、何かが起きている事に気づいた。
続く。




