30話
Y2K問題も特に目立った事無く無事に2000年代へと時代は移っていた。だが確かにそれは、起こっていたのだ。
伊勢兄弟は加藤とは違いまともな仕方…つまり物事を至高書と照らし合わせながら行うために安心していたがある噂が流れていた。
伊勢兄弟って奥さんの輝子姉妹には逆らえないんだって!
私は信用してはいなかったのだが不可解な事が起こるようになっていたのだ。それは、伊勢輝子が気に入らない人物が次々と個集を移って行くのだ。
最初は最近移動者多くなったなぁ程度に考えていたのだが、ある日一人の姉妹が伊勢輝子と口論していたのを目にする事になった。
しばらくして口論相手の姉妹が集会に来なくなってしまったのだ。最初に気づいた事がそれだった。何かが起きていると。
だが時はサッカーW杯の事で持ちきりとなって行く…日本と隣の国での協同開催…頃である。
あの佐藤姉妹の末娘の多美子は小学5年生くらいから集会に行くと必ず腕を絡めて手を握るようになっていた。小さな女の子に懐かれるのは、最初の千船や中川個集でも良くある出来事だった為にあまり気にしてはいなかった。
多美子はいつでも隣にいるようにもなるのだ。他にも葉月と望美にも懐かれていただけで無く望美が私に好意を持っていると望美の母親が妻に爆笑しながら話していた事もある。
妻は皮肉たっぷりに良くこう言っていた。
「良かったね!若〜い娘に好かれて!」
だが私に懐く女の子達、特に多美子の姿を見て憎々しげな眼差しを向けている存在には気づいてはいなかった。
それでも自分の分をしっかり果たして努力を重ねる事を怠る事は絶対にしなかった。その為にエルヒムの証明会に入ってから手応えを感じていた時期でもあった。いやあったはずだった。
そしてサッカーW杯開催の年を迎えた。
小学6年になった多美子は背が高い女の子で相変わらず会うと腕を組んで手を握ってくるのだった。
実は、ずっと多美子を探求生にしたかったのが伊勢輝子であったのだが、自分に全くは近寄らず久米原にべったりの多美子を見て憎々しげな眼差しを向けていたのが伊勢輝子だったのだ。
そして、問題の近集監督の訪問が近づく。
訪問を次週に控えた日曜日の集会で伊勢兄弟が持つファイルが目に留まった。そこに自分の名前が書いてあるからだ。
こう書かれていた。「主導者へ任命の推薦状…久米原 隆兄弟は至高書の知識に富みグループの司会者として模範的な…」
胸が高まるのを感じた!気を引き締めねばならない重い責任が来るのだ。
そんなワクワク感を持ちながら近集監督の訪問を迎え初めて持つ大きな期待感を持ち全力で本当に全力で訪問中の活動に向けた。
そんなある夜に突然加藤に呼ばれて加藤の職場に出かけた。加藤は小さな車の整備工場を経営している。
加藤は私の身の上や妻の事…以前に散々話してある事…を根掘り葉掘り尋ねて来た。これに少しの違和感を感じた。
でも訪問が終わっても期待感は保つ事が出来た。開催されたW杯でもトルシエ監督率いる日本は好調だった。予選を突破し決勝トーナメント進出も決め日本中がW杯一色となり自分の高揚感と重なる部分を感じたが、主導者任命は来なかった。
そして、ある日伊勢兄弟から今回兄弟を主導者に任命しようとの計画があったけど加藤兄弟から待った!が、かかりましたと言われあの違和感を思い出していた。
その夜、日本代表はトルコに敗れW杯敗戦が決まった。
続く。




