構文02:歩道における逆転の視点
俺は『ウロボロス』というサイバネティクス蜂の巣に生きている。
ここは、生存そのものが条件付きの特権に過ぎないネオンの監獄だ。
もしもお前のデータがシステムのパラメータから逸脱すれば、最高評議会によって構文粛清が執行される。
そうして、現実の構造そのものからその存在を消去されるのだ。
この人工的な秩序を根底から破壊する宿命を背負ったアノマリー、それこそが俺――鏡黒夢のはずだった。
地下抵抗組織の最高指導者。アナログ・ブラインド。
それこそが、俺の存在を支配する絶対的な真実だ。
――問題は、今この瞬間、その真実を維持することが肉体的に耐え難い試練だということ。
「放せって言ってるだろ、母さん……!」
俺は今、母親の腕の中に逆さ吊りにされている。
数学的に脱出不可能な、SSS級の物理的拘束。
屈辱のあまり、俺の顔は猛烈な熱を帯びて燃え上がっていた。おまけにこのホールドのせいで、俺の顔は母さんの豊満な胸元のすぐ近くに、無様に固定されている。ロングコートの裾はだらしなく垂れ下がり、俺の視線は強制的に、後ろから付いてくる女の子たちの方へと向けられていた。
彼女はまるで日曜日の散歩でも楽しむかのように、優雅に歩道を進んでいく。
その一歩一歩の揺れが、俺の尊厳へのダイレクトアタックとなり、俺はそれを無言で処理するしかなかった。
さらに最悪なことに、俺の組織の精鋭である5人が、すぐ後ろを歩いている。
この戦術的敗北の決定的目撃者として。
今日の模擬戦のスコアは、俺に微笑まなかった。
我が軍事部門の指揮官、アリスター・ヴァン・ダー・ビルトが最後に競り勝ったのだ。
システムの精鋭に対し、俺のアナログ濾過の限界値を測定するための必要な戦闘だった。
結果として、俺は泥を舐めた。俺の覇道における、ほんの些細な躓きに過ぎない。
俺は、急ぎ足で付いてくる少女たちの集団へと、わずかに視線を向けた。
どれほど無様な姿を見せつけていようと、彼女たちは俺の軍勢の核心なのだ。
エヴァンジェリン。構文粛清の手落から俺が力ずくで奪い取ったツンデレ電撃戦指揮官。粒子構文剣を持たせれば一級品の凶器だ。今は両腕を組み、軍人としての厳粛さでカモフラージュした不機嫌そうなぷく顔をしている。
ソラオリ・リン。メガネをかけたクゥデレ・ハッカー。ネットワークの過負荷による脳死から救い出した、明晰な分析脳の持ち主。
セレスティア。血の生贄の祭壇から救い出した、神秘の系譜に連なるお嬢様。俺を「予言の黒騎士」として崇拝している。
ユウギリ。有毒な雨が降る路地裏で、瀕死のところを拾い上げたダンデレ暗殺者。巨大な大鎌を操るが、その歩調はまるで猫のように臆病だ。
そしてナナミ。普通の市民であり、俺の幼馴染。戦闘能力は皆無だが、俺が市民データベースをハッキングして彼女の足跡を消し去る前、俺のために自らの登録記録を危険に晒した。
「はぁ……。本当に、今回は勝てると思ったのに」
エヴァンジェリンが、ため息混じりに沈黙を破った。
「見ていて本当にもどかしい戦いだったわ。ここ数ヶ月で、クロムは確実に強くなっているはずなのに!」
「肯定します」
リンが同意し、的確な動作でメガネのブリッジを押し上げた。
「クロムの反応速度は前週比で34%向上していました。あの最後の足払いは回避できたはずです」
「もしもクロム様が十四秒の時点で払い下げの一撃を繰り出していれば、相手の姿勢を崩せていましたわ」
セレスティアが悔しそうに付け加えた。
「勝利まで、あと一歩のところでしたのに!」
「私は……左の側面への圧迫が足りなかったと思う」
ユウギリが地面を見つめながら、消え入りそうな声で呟いた。
「アリスターは構えを変える時、いつもそこに隙ができるから」
「あはは、もう、みんな真面目すぎ!」
ナナミが堪えきれずに吹き出した。
「クロムは最後に油断しただけだよ、いつものことじゃん。あのスカした『ワルい男』のキリッとした顔をあと一分キープできてたら、アリスターの方がビビってたって!」
5人は一列に並んだまま、戦術ディベートを続けている。
俺の動きをあらゆる角度から検証し、どうすれば結果を変えられたかという仮説を評価し合っていた。
俺はコートの襟にさらに深く顔を埋め、この拘束から自力を解放できない己の無力さを内面で呪った。
「いいえ、みんな間違っているわ」
突如、シャルロットが口を開いた。
その足取りは相変わらず陽気だったが、声に宿る絶対的な威厳が、少女たちの会話を一瞬で凍りつかせた。
「えっ……? どういう意味ですか、シャルロットさん?」
エヴァンジェリンが、困惑して目をパチくりさせながら尋ねた。
「クロムちんは、戦術的なミスや力不足で負けたわけじゃないのよ」
俺の母親は、すべてを見通したような微笑みを浮かべて説明した。
「アリスターくんは勝つために戦っていたんじゃないわ。あの子は、うちの息子の『アナログ吸収容量』を測定していたの」
彼女は短く言葉を区切った。
まるで洗濯物の袋でも持ち替えるかのように、俺を肩の上で担ぎ直す。
「クロムちんが攻撃を仕掛けるたびに、アリスターくんは剣の周波数を変えて、あの子の肉体に強制的にエネルギーを濾過させていたの。もしもあの子が最後の攻撃で無理に勝ちにいっていたら、右腕は過負荷を起こして、肺が潰れていたわ」
シャルロットは、事の重大さをどこか他人事のように捉え、小さくクスクスと笑った。
「あのタイミングで負けることだけが、あの子の身体を安全に保つ唯一の方法だったの。どっちにしろ、今回はアリスターくんが完全にコントロールしていたわ。今日の彼に勝つ方法はなかったのよ」
5人の少女たちは、唖然として言葉を失った。
彼女たちは素早く視線を交わし合い、それから一斉に首を縦に振った。
彼女たちのアナログ物理学への理解は限定的だが、この「SSS級アノマリー」の論理は絶対的だ。俺への狂信的なまでの献身が、その判決を即座に受け入れさせた。
しかし、次の瞬間、母親の放つ聖母のようなオーラが一変した。
彼女は首を後ろに傾け、そのクリスタルのようなバイオレットの瞳で俺をじっと見据えた。俺の血が凍りつくほどの、本物の厳格さだった。
「でも、だからといってクロムちんの罪が消えるわけじゃないわよ? アリスターくんの狙いに気付いていながら、自分のプライドのためだけに無理に攻撃を押し込んだでしょう。先週のレッスンが全く活きていないわ。もっと辛抱強くならなきゃダメって言ったでしょう?」
「う、ぐ……」
内面での傲慢なモノローグのすべてが、本物の罪悪感という壁に激突して粉砕された。
頬に熱い血が上り、尊厳ある反論の試みは完全に破壊される。
現実を意のままに書き換える女の視線に圧倒され、俺はただ、恥ずかしさに震える声で囁くことしかできなかった。
「……はい、お母さん」
「きゃああああああああ……っ!!!」
5人の黄色い悲鳴が、まるで蒸気ホイッスルのような勢いで歩道全体に木霊した。
彼女たちは同時に両手で口を覆い、顔を一瞬で林檎のように真っ赤に染めながら、舗装路を激しく踏み鳴らした。あまりの萌えと笑い、速度、そして恥ずかしさの波に耐えかねて、互いの服を掴み合ってバランスを保ち、自らの拳に笑い声を押し殺しながら、文字通り身体を二つに折り曲げている。
「か、母さん……っ!!」
俺は真っ赤な顔で空中をバタバタと蹴り飛ばし、歩道がカオスに沈み切る前に叫んだ。
「夕ご飯が冷めるってそんなに急ぐなら、なんでお前の『空間転移』を使わないんだよ!? 一秒でマンションに帰れるだろ!」
「あら、嫌だわ」
彼女は完全に他人事のように、軽やかに答えた。
「あれはエネルギーの無駄遣いだし、お母さん、とっても疲れちゃうんだもの」
絶対的な欺瞞。彼女の胸のサイズほどに巨大な大嘘だ。
わずかな空間座標を移動させることなど、現界する禁忌の魔導書の総魔力量の0.00001%すら消費しない。
「それにね」
シャルロットは穏やかな笑みを浮かべ、都市の景色を見渡しながら言葉を続けた。
「たまにはこうして歩くのも悪くないわ。特に、今のこの街はとっても平和んだもの」
俺は彼女の肩越しに、ウロボロスの灰色がかった空を見上げた。
皮肉屋の俺ではあるが、その点に関しては、内心で彼女の意見に同意せざるを得なかった。
この街は、奇妙なほど長い平穏な期間を経験していた。
通常、このセクターは混沌のエピセンターだ。区画全体をフリーズさせる構文爆発、暗い路地裏で行われる執行部隊のパージ、魔導側のテロ、それから不気味なテキスト侵食の発生。
避難プロトコルを発動させずに3ブロックを歩き通すことなど、統計学的には奇跡に等しい。
だが、俺の人生における安定というリソースは、常に賞味期限が短いものだ。
「よし、もうすぐ着くわよ!」
シャルロットが告げた。
俺の太ももを、ポンと陽気に叩く。
「中に入ったら、すぐに二人でお風呂に入って、クロムちんのおちんちんを綺麗に洗い流しましょ!」
俺の顔から、完全に火が出た。
俺たちの後ろで、少女たちが一斉にクスクスと笑いながら、見事なシンクロで声を揃えた。
「「「「「クロムちんちん ♡♡♡♡♡……」」」」」
「う、うるさいッ!! 黙れ、バカ野郎ッ!!!」
顔が爆発するのではないかという恐怖に駆られながら、俺は空中を必死に蹴り散らして絶交した。
「復唱するな! 母さん、頼むから今すぐ降ろしてくれよぉ!」
俺の絶望的な叫びは、少女たちの爆笑の声と、母さんのご機嫌な鼻歌によって完全に掻き消された。
そうして俺たちは、恥辱の彼方にそびえ立つ、マンションのエントランスの閾を跨いだのだった。




