04 『慧眼』
「私の『慧眼』に……?」
エステルは紫色の目を見開く。正直、全く心当たりがなかった。
ヴィンセントが少し困ったように微笑む。
「覚えていなくても仕方ないと思うよ。たぶん、あなたにとっては、そんなに特別な話ではなかったんだろう」
「いつの話か、教えていただいてもいいですか?」
教えてもらったら、何か思い出せるかもしれない。そんな気持ちでヴィンセントにお願いすると、彼は快くうなずいた。
「もちろん」
ヴィンセント曰く、それは八年ほど前、ヴィンセントがまだ十一歳の頃の話だという。
「俺の『祝福』は単純な『魔法』だ。無印の『魔法』がそんなに威力が高くないことは知っているだろう? 魔法全般は使えるけれど、それだけだ。だから、魔法で有名なラグナリアに行けば何か掴めるかもしれないと思って、父の訪問にくっついてラグナリアを訪れたことがある」
ラグナリアとアルディオンの間に軍事同盟が組まれたのは最近だが、隣国なので付き合い自体はあった。八年前というと、父の即位十周年で大きな式典を行ったときだろう。
「魔法騎士団の練習を見学させてもらったりもしたんだが……、訓練についてはありきたりの内容しか見せてもらえなかった。つまり、俺が期待しているようなものはなかったんだ。考えてみれば当然の話だ。子どもとはいえ軍事機密を外の人間に見せるわけにはいかないからな。ただ、ラグナリアであれば俺の魔法でも何か伸ばす秘訣がわかるんじゃないかと思っていたから、がっかりしたことも確かだった」
どうやら学ぶことはなさそうだ。残念に思いつつも、魔法騎士団の訓練場を離れようとしたとき、声をかけてきた少女がいたのだという。
それがエステルだった。
「そのときは、あなたの正体はわからなかった。どうしたの? と聞かれて、俺は何も答えなかったんだが、そのときあなたがこう言ったんだ」
『あなたはね、まほうきしに向いているとおもう! けんにまほうとまとわせてたたかうの!』
あ、とエステルの口から思わず声が零れる。
おぼろげだけれど、確かにそんな記憶がある。
あのときはまだ、魔法系の『祝福』じゃなくても有用性が認められれば、きっと誰かが認めてくれると思っていたのだ。
だから大人の目を盗んでは、魔法騎士団の周りをよくうろついて、手当たり次第に自分の『慧眼』で見た可能性を語っていた。
もちろん、王女とはいえ無能の言うことを聞くような騎士はいなかった――当時見習いだったダリオ以外は。
「そのときは俺も本気にはしなかった。魔法騎士といったら、魔法を使える騎士のことで、剣に魔法をまとわせるなんて使い方、想像もしなかったし。でも、胸にひっかかっていて――祖国に戻って試しに言われたとおりにやってみたら成功したんだ。もともと剣技も嫌いじゃなかった。確かに俺は魔法騎士に向いていたんだ。たぶん、あなたの助言がなかったら、今の形にたどり着くまでには時間がかかったと思う」
ヴィンセントは、いつか少女に礼を言いたいと思っていたのだという。正体はエステルの金色の髪に紫色の瞳という特徴から、すぐにわかったらしい。だが、ラグナリアを訪ねてもエステルに会えることはなかった――。
(ここ数年はダリオ様の手引きがないとき以外、ほとんど外に出ることを許されていなかったから)
ヴィンセントは、エステルをまっすぐに見つめた。
「だから、あなたは俺にとって恩人のようなものなんだ。あなたが今の俺を導いてくれた。ありがとう」
(私の力が、役立っていたんだ……)
エステルの胸に温かいものがこみ上げてくる。
エステルの力について、こうして直接礼を言われたのは初めてだった。
祖国では、ダリオを通して伝えるか、こっそり手紙やノートを届けることしかできなかったから。
嬉しさのあまり、瞳が潤んでしまう。
「エステル殿下? ど、ど、どうした?」
エステルの涙にヴィンセントが動揺している。慌ててエステルを覗き込む。
エステルは泣き笑いの表情を浮かべた。
「とっても嬉しかったんです。こちらこそありがとうございます。ヴィンセント殿下」
――そんな昔のことを覚えていてくれて。そして感謝してくれて。
その日の夜。
アルディオン側がエステルのために用意してくれた部屋は、とても豪華なものだった。
いや、王宮としては普通レベルのものなのだろうけど、エステルの今までが今までだったから、とてもよいものに思えてしまう。
エステルは手触りのいい寝間着に手を通して、ふかふかのベッドに仰向けに寝転んでいた。
ハンナは一週間ほど侍女としての心得を勉強してからエステル付きになるという。それまでは日替わりで王妃の侍女が世話をしてくれるそうだ。
申し訳ないと思ったけれど、一人の専属侍女以外はその予定だったから気にしないでほしいと言われてしまった。
アルディオンはエステルに優しい。
王宮らしい部屋も、専属の侍女も、ラグナリアでは考えられなかったことだ。
ラグナリアで無能王女として蔑まれるよりは、客人として尊重してくれるアルディオンの方がきっとマシだ。
兄がそこまで見越して国外追放したとは思わないけれど。
それに。
『ありがとう』
目を閉じると、ヴィンセントの姿が思い浮かぶ。
エステルさえ忘れてしまったことをずっと覚えていてくれた彼。エステルの『慧眼』を認めてくれた人。
(嬉しかった……)
自分の力を感謝されることがこんなに嬉しいことだったなんて。きっと、ラグナリアにいたままじゃ知る日はこなかった。
(私、アルディオンで自分の居場所を作りたい)
エステルはひしひしとそう思う。
『慧眼』を認めてくれるひとがいるここならきっとできるはずだから。
エステルは天井にむけて腕を伸ばし――ぎゅっと拳を握った。
翌日。エステルは動きやすい深緑色のドレスで、ヴィンセントがいる騎士団の詰所を訪れた。
ラグナリアでは騎士団といったら魔法騎士団のことだが、アルディオンは魔法騎士は第五師団に所属しておりあくまで師団の一つでしかない。
ヴィンセントは、魔法騎士第三隊の隊長を任されているそうで、詰所には隊長室が与えられていた。
「エステル……?」
エステルの訪問はヴィンセントにとって驚きだったらしい。机に向かって書き物をしていたヴィンセントが目を丸くする。
昨日のきっちりとした黒の上下とは違い、赤を基調とした騎士服を着ていた。
「どうしたんだ? 何か不備でもあったか?」
あまりよくない可能性に至ったのか、ヴィンセントの顔がしかめられる。
エステルは慌てて首を振った。
「違います! 悪いことではありません」
エステルはヴィンセントの机の前まで小走りに向かうと、どん、と両手をついた。
「ヴィンセント殿下! 私、自分の力をここで役立てたいです」
「――え?」
「殿下なら、きっと私の力を役立ててくれると思うんです」
ヴィンセントが空色の瞳を丸くする。
エステルはあくまで真剣な顔でヴィンセントをじっと見つめた。
やがて、ふっとヴィンセントが笑った。
「いいと思う。やってみればいいじゃないか。まずは、俺のところで」




