17 不穏な足音
「ありがとう。エステル殿下。参考になったよ」
王宮のとある執務室。エステルに礼を言うのはヴィンセントの兄アレクシス――アルディオンの王太子だ。黒髪に空色の瞳という色は同じであるものの、兄であるアレクシスの方がどこか線が細い。
エステルがアルディオンに来て、既に一年近くが経つ。
騎士団でエステルに可能性をみてもらった騎士たちも、少しずつ能力を伸ばしている。その評判を聞いたアレクシスが、自分の部下についても見てほしい、と言ってきたのだ。評判を聞いて興味があるという。彼らの許可を取った上でエステルは王太子の側近たちの能力を見たのだが……正直なところ、エステルが口を挟む必要は全くなかったと言っていい。
それでもいくつか、こうすればよりよくなる、という助言はした。
「いえ。少しでもお役に立てたのならよかったです」
こうして少しずつ力を役立てることで、アルディオンでの居場所が出来ている感じがする。
もちろん、むやみに手を広げるつもりはないけれど。
「十分だ。私たちが進んできた道が間違いないと自信を持つことができたよ。――で、ヴィンセント。お前は何のためについてきたんだ」
アレクシスが目を眇めながら視線少しずらした。
そう。エステルの隣には当然のようにヴィンセントが立っている。
「俺は彼女の世話役のようなものですから」
ヴィンセントがすましながら答えた。アレクシスは小さく首を振るとエステルを見た。
「まあ、その、エステル殿下。弟を頼む。本当にどうしようもなくなったら、私に言ってもらえればいいから」
「兄上。余計なことは言わないでください」
不服そうに言うヴィンセントに、はあ、とアレクシスがため息をつく。
「まあいい。ちょうど二人が揃っていることだし、伝えたいことがある」
ほんの少しだけ、執務室の雰囲気がぴりっとした。
「俺だけでなくエステルも、ですか?」
「ああ。エステル殿下も耳に入れておいた方がいいだろう。――最近、イリス帝国がラグナリア付近で何かを企んでいるらしい。近々、ラグナリアから協力要請がくる可能性が高そうだ」
イリス帝国の脅威。もともとラグナリアとアルディオンが手を組んだのは、イリス帝国に対する牽制だった。
「まだ向こうから何か言ってきたわけではない。が、そのときは、ヴィンセント、お前に行ってもらうことになるだろう」
「わかりました。まあそれがいいでしょうね」
ヴィンセントがどこか固い声音で答える。
それ以上の情報はなかったらしく、そのままエステルたちは王太子の執務室を出た。
イリス帝国がラグナリアに戦いを仕掛ける可能性。そして、それにヴィンセントが巻き込まれるかもしれない。
「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫だ」
エステルの表情が沈んでいたのか元気づけるようにヴィンセントが笑う。
「ラグナリアの魔法騎士団は最強だし、アルディオンだって魔法騎士については少しおくれを取るかもしれないが、兵力は大陸でも一二を争う強さだ。それに、最近は君の『慧眼』もある」
ヴィンセントの言葉は力強い。
「だといいんですが……」
胸がざわざわする。
そして嫌な予感ほど、当たるのだ。
「ラグナリアからの帰国要請、ですか?」
苦虫をかみつぶしたような顔で重々しくうなずくのはアレクシスだ。
イリス帝国の動きが怪しい。そう聞かされてから十日ほど経ったある日。
エステルはヴィンセントと共にアレクシスの執務室に呼ばれた。
最初に伝えられたのは、イリス帝国がラグナリアとの国境付近で怪しげな動きをしており、いつでも動けるようにアルディオンも準備してほしいという話だった。
これはヴィンセントの役目になるのだろう。
一応、ラグナリアが関わっているから、エステルも呼ばれたのだ。そう思った。
しかし。
アレクシスが苦い顔で告げたのだ。「エステル殿下にも、帰国要請が出ている」と。
エステルの頭は真っ白になった。
(なんで、ラグナリアが私に帰国要請をするの?)
エステルは無能だと追放されたというのに。
「兄上。それはどういうことですか!」
つかみかからんばかりの勢いで、ヴィンセントが大きな声を出す。
「落ち着け。ヴィンセント。私の方もさっぱりわからない。そもそもエステル殿下の受け入れを打診してきたのは向こうなのに。――気になるのは、受け入れ要請は向こうのレオナルド王太子殿下がしてきたが、こちらの帰国要請は陛下の方だ。何か行き違いがあったのかもしれないな」
(陛下が私を……?)
ラグナリア国王は、エステルが魔法系の『祝福』を持たないと判明した時点で、エステルへの興味を失っている。
無能の娘などいないも同然だと、ずっといないものとして扱っていた。親子らしい交流をしたことなど一度もない。
(どうしていきなりそんなことを?)
「俺は、エステルをラグナリアに戻すのは反対です。正当な理由はあるんですか?」
「書簡に具体的な理由は書いていない。ただ、事情が変わった、とだけある」
「だったら」
「だが、エステル殿下はあくまでラグナリアの人間だ。こちらはあくまで預かっているという立場。それに、イリス帝国の脅威がある今、この件でラグナリアとの仲を悪化させるわけにはいかない」
アレクシスの言うことはもっともだ。ヴィンセントもそれをわかっているのだろう。
「断っておくが、私としても積極的にエステル殿下に帰国させたいとは思っていない」
「はい。わかっています」
アレクシスは、なんとなくラグナリアの事情について察しているようだ。魔法以外の『祝福』には価値がないと扱われることと、それに由来するエステルの境遇を。もしかしたらヴィンセントから聞いているのかもしれない。
「エステル。俺は反対だ。仮病でも何でも使えばいい」
ヴィンセントがエステルに向かってきっぱりという。その表情はとても真剣だった。
「ありがとうございます。その気持ちは嬉しいです。私も帰国したいとは思いません。でも、私のせいでこの国に迷惑をかけるようなことになったら、そちらの方がもっと嫌です」
――本心だった。
父がどういう意図があってエステルを呼び戻そうとするのかわからない。おそらくエステルにとっていい状況には決してならないだろう。それだけはわかる。
けれど。
「エステル……」
ヴィンセントが痛ましそうに顔を歪める。
「アレクシス殿下。私はラグナリアに戻ります。詳細を教えてください」
エステルはヴィンセントに一瞬微笑むとアレクシスを見つめて言った。
「ああ。詳細は――」
「兄上!」
説明をしようとしたアレクシスの声をヴィンセントが遮る。
「俺も一緒にラグナリアへ行きます!」
エステルははじかれたようにヴィンセントを見る。
ヴィンセントにきた話はあくまで騎士団の準備であって、ラグナリアへ来いという話ではない。なのに。
そのヴィンセントの申し出を聞いて、王太子がふむとうなずく。
「そうだな。それがいいだろう。イリス帝国の脅威にいつでも対応できるように、アルディオンの人間を常駐させるのは悪くない。お前なら騎士団で人望もある。ただ、ラグナリアにエステル殿下と一緒に戻っても、一緒にいられるとは限らないのではないか?」
確かに王太子の言う通りだった。一緒にラグナリアに行けたとしても、王宮では引き離されてしまうだろう。一緒にいる理由がない。
「それは俺に考えがあります」
「言ってみろ」
「エステルに求婚中、ということにすればよいかと」
「え?」
さらりと告げられたヴィンセントの言葉にエステルは動揺する。
「アルディオンで恋に落ちた。俺が婚約を申し込んでいる。そういう形にすれば一緒にいても問題ないでしょう? ラグナリアの方にも正式に書簡を出します」
ヴィンセントは堂々と言い切る。
アレクシスはヴィンセントと同じ空色の瞳を呆れたように弟に向けた。
(そういうものなの? え?)
「エステルもそれでかまわないか?」
「ヴィンセント殿下はいいんですか?」
「俺は別にかまわないよ」
さらりと言う。
(まあ、あくまでラグナリアで一緒にいるための口実だと思えば……)
「わかりました」
そう。あくまで口実。エステルが真面目に答えると、ヴィンセントがにこりと笑う。アレクシスは何かを言いたげにしたが、小さく首を振って終わりだった。
「ということで、一応正式に書簡は出しておいてください」
「わかったよ」
力強く頼むヴィンセントに、ため息と共にアレクシスが言った。
「エステル。一緒にラグナリアへ行って、そして一緒に帰ってこよう」
ヴィンセントがエステルに向かって力強く言う。
その言葉にエステルの胸がいっぱいになる。
「はい」
アルディオンに戻ってくるために、ラグナリアでいろいろ決着をつけよう。
エステルはそう決意した。




