15 決別
ヴィンセントと共に、エステルは第五師団の見習い用の訓練場を訪ねた。
ダリオが見習いの魔法騎士たちに囲まれている。
その光景を見るとずきりと胸が痛む。でも、大丈夫。エステルを必要としてくれる人は他にもいる。
エステルは自分にそう言い聞かせる。ヴィンセントをちらりと見ると、彼が力強くうなずいた。
不思議とエステルの身体の底から勇気がみなぎってくる。
エステルは思い切って声をかけた。
「グランヴィル公爵令息。少しお時間いいですか?」
エステルから声をかけてくるとは思わなかったらしい。ダリオが一瞬目を見開く。
ここ数日避けていたことも彼には伝わっているはずだ。いろいろ言いたいことあるのだろうが、周囲の目があるのか、ダリオはにこやかに近づいてきた。
「エステル殿下。どうされたのですか?」
「少しお話をしたいのです。その、ラグナリアのことで」
ダリオはエステルの隣に立つヴィンセントにちらりと視線を向けたが、王子相手に強くは出られなかったのだろう。すぐにエステルに視線を戻した。
「ええ。もちろん」
「ありがとうございます。ではこちらに」
ダリオと話すために騎士団の会議室をあらかじめ借りてある。
エステルはダリオを案内するように歩き出した。
「ヴィンセント殿下も、ですか?」
当然のようについてくるヴィンセントに、ダリオが困惑したような声を出す。
「一応、ここではエステル殿下の面倒を見るように言われておりますので」
ヴィンセントがにこやかに答えた。
「大丈夫です。二人の間に割って入るようなことはしませんから」
会議室に入る。ヴィンセントはダリオに宣言したとおり、入り口で立ち止まった。
ダリオとエステルは窓際へ行く。とはいえ、同じ室内。ある程度声は通るだろう。
それでもいい。
本当は一対一で向き合うべきなのかもしれないが、これくらいは許されるだろう。
近くにヴィンセントがいるだけで、エステルの気持ちは安定する。
「グランヴィル公爵令息。私が、あなたと一緒にラグナリアに行くという噂が流れているようですね」
エステルは自分を鼓舞しながら早速切り出した。
「噂というよりも事実でしょう」
ヴィンセントの存在があるせいか、ダリオの口調は丁寧だ。だが苛立ちは隠せていない。エステルにこのような口調で接すること自体が不本意なのだろう。
「事実ではありません」
エステルはきっぱり言った。
「グランヴィル公爵令息。私は、あなたと共にラグナリアに戻るつもりはありません」
「は?」
思えば、エステルがこのように力強くダリオに宣言したことはない。
ダリオの表情が凶悪なものになる。
「無能のお前が、俺に逆らってもいいと思っているのか?」
声のボリュームがやや低いのは、入り口付近にいるヴィンセントを意識しているからだろう。
それでも。長年ダリオに威圧的な態度を取られてきたエステルの身体は反射的に震えてしまう。
ちらりと横を見ると、こちらを見守るヴィンセントの姿が目に入った。
気持ちが落ち着くのがわかる。
ヴィンセントがいる。そう思うだけで、勇気が湧いてくる。
エステルはしっかりとダリオの顔を見つめていった。
「そうですね。魔法系の『祝福』を持たない私は、一生日陰の身だと思っていました。だからこそ、あなたの名前で私の『祝福』を伝えるのは当然だと思ってました。無能の私が言ったところで、ラグナリアでは誰も信じてくれないから。でも、この国は違う。『祝福』に優劣はありません。私は私の名前で『祝福』を、『慧眼』を使うことができる」
エステルはすうと息を吸い込んだ
「もうあなたに搾取されるつもりはありません。諦めてください」
きっぱりと断言する。
ダリオの顔が怒りで赤く染まった。
「無能の分際で! この国で少しちやほやされたからって、お前が無能だということには変わらない!」
「違います。私は無能ではありません」
「何を勝手な……っ」
ダリオが怒りにまかせて腕を振り上げる。流石に暴力をふるわれそうになったのは初めてだった。
頭が真っ白になる。
――しかし、振り上げられた拳がエステルに向かうことはなかった。
「――グランヴィル殿。そこまでだ」
ヴィンセントが静かに近づいてくる。
よくよく見れば、ダリオの振り上げた腕は動かないように水の縄で縛られている。きっとヴィンセントの魔法だろう。
「ヴィンセント殿下。これは我が国の問題です。口出しはしないでもらいたい」
「王女にたかが公爵令息が暴力をふるうことがか?」
「彼女は私の婚約者……」
「婚約などした覚えはありません」
エステルはダリオの言葉を最後まで言わせなかった。
「それともこの婚約は、陛下や兄が認めたものなんですか。だったら、私から陛下に問い合わせます」
特に兄は、魔法系の『祝福』が使えないエステルを恥だと思っている。国内に嫁がせるようなことはしないだろう。一度自分で決めたことを翻すような人間ではない。
おそらくこれはダリオの独断なのだ。
「おいっ……」
ダリオがわずかに焦った様子を見せる。
「王太子殿下が私にあなたと結婚しろというのであれば、まだ考えます。でも、違いますよね?」
「この無能……」
水で拘束されたダリオの腕がぶるぶると震える。
「エステルは無能じゃないぞ。グランヴィル殿。それをあなたもわかっているから、こんなに必死にエステルを求めるんだろう?」
ヴィンセントの鋭い指摘にダリオがぐっと言葉に詰まる。
「エステルはアルディオンの国賓だ。いくら祖国の人間だろうと、粗雑に扱うことは許されない」
ダリオはしばらく何かを言いたげにしていたが、すうっと深呼吸をする。
「わかりました。ここは引きましょう」
思いの外素直にダリオが言う。ヴィンセントがいるからだろうか。
「そうか」
ヴィンセントは短く言うと、拘束していた水の縄を外した。
「それでは。失礼します」
一礼してダリオが部屋を出て行く。その姿が完全に部屋から消えるのを見計らって、エステルは大きく息を吐き出した。
「がんばったな」
ぽん、とヴィンセントが肩を叩く。
「はい」
ダリオにひるまず言いたいことを主張することができた。
「ヴィンセント殿下が側にいてくださったおかげです。ひるみそうになったとき、思い出しただけで勇気が出てきました」
エステルが微笑むと、ヴィンセントがびしりと固まった。
「ヴィンセント殿下?」
「いや、なんでもない。役に立てたのならよかったよ」
「はい。それに、手を上げられそうになったときも、助けていただいてありがとうございます」
彼がいなかったら、きっとエステルはダリオに殴られていただろう。
「さすがに暴力は見過ごせないからな。間に合って良かったよ」
ヴィンセントが照れたように頬をかく。
「もう、グランヴィル公爵令息に何を言われても、ひるみません」
あれで諦めてくれているといいのだけれど。
でも、絡まれたとて、今のエステルなら彼に言い返せるはずだ。
どうやら独断でこちらまで来ているようだから、兄に問い合わせるのもありかもしれない。
「表情が明るくなったな」
ヴィンセントがふっと笑う。
「そんなに私、表情暗かったんですか?」
「ここ数日、どこか思い詰めた顔をしていた。おそらくあの男がらみだろうなとは思っていたが」
どうやらヴィンセントはお見通しらしい。なんだか恥ずかしくなる。
「すみません。ラグナリアに帰りたくないって思っていたから……」
「君がいたいなら、いくらでもいてかまわないよ」
「本当ですか?」
「ああ。理由がほしいなら、俺がつくってもいい」
「――え?」
ヴィンセントがまっすぐにエステルを見つめている。エステルの胸がドキリと跳ねた。
ヴィンセントの空色の瞳の奥に、不思議な熱を感じる。
「ヴィンセント、殿下」
名前を呼ぶ声が、かすれた。
「っ」
ふいにぱちりとヴィンセントに軽くおでこをはじかれる。
「ちょっとその表情は俺が困るかな」
「え?」
眉を下げながらヴィンセントが苦笑するが、全然意味がわからない。おでこを押さえながらエステルは混乱した。
「今はまだわからなくていいよ。――出ようか。エステル」
エステルはわからないなりに、差し出されたヴィンセントの手を取った。




