14 外堀
ダリオのいきなりの求婚に、エステルの頭は真っ白になった。
(この人は、一体何を言っているの……?)
正気か、と尋ねたかった。誰よりもエステルを無能だと馬鹿にしてきたのは、目の前の男だ。なのに。
「お前は確かに無能だが、『祝福』には価値がある。俺が有意義につかってやろう」
ダリオはラグナリアといたときと変わらない偉そうな口調で言った。
「俺が帰るまであと二週間ちょっと。それまでに帰る支度をしておけ。まったく、それを伝えたかったのに、お前ときたら俺を避けていただろう?」
もしかして、エステルが見習い騎士たちのために訓練場へ行く時間を見計らって毎日あそこにいたのだろうか。
「ですが、私はこの国――」
「人質の件なら心配するな。どうにでもなる。それにその力は、祖国のために使うべきだろう?」
エステルの言葉を遮るように、ダリオは酷薄な笑みを浮かべた。
「いいか? お前をアルディオンから俺が救ってやるんだよ。感謝しろ」
喉がカラカラだった。口元がはくはくと動く。
いやだ。むしろアルディオンはエステルを救ってくれた。言いたいことはたくさんある。
アルディオンにきて、少しは強くなったと思ったのに。ダリオの前では声が出ない。
頑張って言葉にしては否定されてばかりだった日々を思い出してしまう。
「どうせ無能のお前にはもらい手もないんだ。形だけでも正妻として迎えてやるからありがたく思え」
「……」
「いいか。準備、忘れるなよ」
すごむように言われて、エステルの身体がびくりとする。怯えるエステルにダリオが口元を歪めた。
ダリオは言いたいことを伝えたからだろう。
エステルに背を向けて、さっさと歩いて行く。
ダリオが消えてようやくエステルは力を少し抜く。
要するにダリオは、エステルを形だけの妻として迎えて、力を搾取するつもりなのだろう。
今までと少し立場が変わっただけで、何にも変わらない。
(私は絶対彼の妻になんてならない)
利用されるだけの生き方は嫌だ。
だってアルディオンでエステルは感謝される喜びを知ってしまったから。
気持ちは既に決まっているのに、言葉が出なかった。
こんな調子で、ダリオが帰るまでに、決着をつけられるのだろうか。
(だめだなあ)
エステルは大きくため息をつきながら、王宮にある自室への道を歩いていた。
ダリオと話をしてからずっと、第五師団の訓練場には足を運んでいない。彼と顔を合わせるのが怖いのだ。
特別協力者の仕事はヴィンセントの送り迎えでこなしているけれどそれだけ。
ヴィンセントは何かに気づいているらしいけれど、特に何も言ってこない。ハンナも同様だ。
このままでは駄目なのはわかっている。でも、このままダリオと顔を合わさなければ逃げ切れるのではないかと淡い期待を抱いてしまう。
「あ。いた、エステル!」
名前を呼ばれてエステルは顔を上げる。
遠くから突進してくるのはナタリーだ。最近王宮の魔法薬師に弟子入りしたというからその関係かもしれない。
「ナタリー?」
「ちょうどよかった。あなたに話が聞きたかったのよ」
相変わらずナタリーは遠慮無しにぐいぐいくる。
「え? 話?」
「そうよ。エステル。あなた、国に帰っちゃうの?」
「――え?」
ナタリーからの思いがけない問いかけに、エステルは頭の芯が冷えていくのを感じた。
「って、その様子だとその予定はなさそうね」
固まるエステルの様子を見て、ナタリーが一人ふむと納得する。
「ナタリー。一体、どういうこと?」
やっとの思いで疑問を絞り出す。
「……お兄様から聞いたんだけど……そうね、少し座れるところに行きましょうか」
ナタリーと二人、王宮の庭園にあるベンチに並んで座る。
「その、ナタリー、私がラグナリアに戻るっていうのは」
「お兄様に聞いたのよ。今、ラグナリアから魔法騎士様が来てるんでしょ? 彼と共に国に帰るって。私、そんなこと聞いてなかったから、びっくりしてなんで教えてくれなかったの? って思わず王宮にやってきたわけなんだけど……エステル、あなたにその気はないみたいね」
「うん。私はラグナリアに帰る予定はないわ」
「そうなの? その魔法騎士様、公爵令息なんだっけ? わざわざラグナリアからエステルを迎えに来たって聞いたけど? 必死に婚約者を取り戻そうと交渉しているって。結婚するんじゃないの?」
「それだけは絶対にないわ!」
エステルは自分でも驚くくらい大きな声で否定していた。
「ごめんなさい。その、婚約者っていうのも向こうが勝手に言ってるだけなの」
「なるほど。まあ、エステルかわいいもんね」
「――へ?」
ナタリーの意外な納得の仕方にエステルは瞬きをする。
「違うの? かわいいし、王女様だし、すごい力持ってるし。引く手あまたも当然だなあって思ったんだけど」
(そうか。ナタリーは私が祖国で無能って蔑まれていたことを知らないんだ)
引く手あまたなんてとんでもない。国内で嫁ぎ先は見つけられない、と国を追い出された身だ。
「全然そんなことないのよ」
エステルは苦笑した。
やっぱりアルディオンにいたい。『祝福』に対する偏見がないアルディオンに。
エステルは強くそう思う。
「わかった。お兄様にはしっかり否定しておくわね」
「ありがとう。ナタリー」
「でもよかったわ。エステルがラグナリアに帰っちゃったらさみしいもの」
ナタリーがほっとしたように息をつく。
「本当に?」
エステルはおずおずと尋ねた。
「もちろん。せっかく仲良くなったんだし、それに私がすごい魔法薬師になるところ見届けてもらわないとね。あなたが私に可能性を示してくれたんだから」
ナタリーが胸をはった。
じんわりとエステルの胸が温かくなる。
ラグナリアでは絶対にこんな風に感謝されることはない。
「私、アルディオンにずっといたい」
エステルは自分の気持ちを確かめるように声に出した。
それを聞いたナタリーがにっこりと笑う。
「だったらいればいいわ」
「本当に?」
「そうよ。その魔法騎士様がどんなにすごい人なのかは知らないけど、外堀を埋めるやり方は気に食わないわ。エステルはきっぱり断ってやればいいのよ!」
ナタリーが拳を振り上げながら力説する。
確かにナタリーの言う通りなのかもしれない。
「ありがとう。ナタリー。私、考えてみるわ」
と勢いに任せて第五師団の訓練場へ向かってはみたものの、近づくにつれて足取りが重くなる。
(本当に私、グランヴィル公爵令息に反論することができるの?)
この前話をしたときだって、最初はよかった。でも、以降、言葉が出なくなってしまった。
ここはラグナリアではないのに、どうしても彼に威圧されていたときの記憶がよみがえってしまう。
でも。ナタリーに聞いてみたところ、二人の婚約の噂は魔法騎士の間ではそこそこ広まっているらしい。
ヴィンセントの耳に入っていたらやだな、と思う。
「エステル?」
騎士団の詰所のあたりで声をかけられる。ヴィンセントだった。
「ヴィンセント、殿下……」
「どうしたんだ。部屋に戻ったんじゃなかったのか?」
エステルはぎゅっと拳を握った。
「その、グランヴィル公爵令息と話をしようと思って」
「ああ。もしかして、ラグナリアに一緒に戻るっていう話か?」
エステルは紫色の目を見開いた。まさか、ヴィンセントも知っていたとは。
「知ってたんですか?」
「まあ、不快な噂だし、事実無根だってわかっていたから君に伝えるようなことはしなかったんだが」
事実無根。この人はわかってくれているんだ。
そう思うとエステルの胸が温かくなる。
「事実無根、でいいんだよな?」
「もちろんです。私は、できることならずっとこのアルディオンにいたいです」
エステルの『祝福』を認めてくれるこの国にいたい。
エステルの言葉にヴィンセントが微笑んだ。
「よかった。……グランヴィル殿には俺から釘をさしておこうか? 彼は、君を自分の婚約者だと言っているようだしな」
ありがとうございます。エステルはそうヴィンセントに礼を言おうとしてはっと気づいた。
このまま彼に甘えるのはよくない。自分で話さなくては。
そう思って、ここまで来たのだから。
でも、ほんのわずかに勇気をもらうことくらいなら許されるかもしれない。
「ありがとうございます。でも、やっぱり私、自分でグランヴィル公爵令息と決着をつけるべきだと思うんです。だから」
一人じゃ無理かもしれない。でも。
「私が、グランヴィル公爵令息と話します。そこに、付き合っていただけますか?」
ヴィンセントがいればきっと、なんとかなる。
「もちろん」
ヴィンセントが微笑む。それだけで勇気が湧いてくる気がした。




