第8話:見えない火種と、最適化される日常
魔導公会の調査員、ルッツが逃げるように去っていった翌日。
代書屋『クラフト』には、いつもの静けさが戻った。……といっても、それは表面上のことだ。
店の奥では、父・カイルが巨大な木枠に張られた羊皮紙と格闘している。
シュッ、シュッ、と軽快に皮を削る音が響く。
その横では、兄・ジークが、父の動きを真似て一生懸命に端材の処理をしていた。
「……なあ、エラ。気のせいか、最近皮のノリがいいんだ」
「ノリ、ですか?」
「ああ。鞣した後の乾燥具合というか、表面の平滑度が今までと違う。まるで、この作業場の空気が、常に最高の状態で澄み渡っているみたいだ」
母・エラは微笑みながら、カウンターの下で熱心に手を動かしている愛娘に目をやった。
「それはきっと、カイルの腕が上がったんですよ」
「だといいんだがな。……なあジーク、お前はどう思う?」
父に振られたジークは、作業の手を止めて首を傾げた。
「うーん、父さんの腕がいいのは当然だけど……。僕も、最近この部屋にいると体が軽いっていうか、作業に集中できる気がするんだ。あ、もしかしてテラ、お前また何かしたか?」
ジークが茶目っ気たっぷりに妹を覗き込むと、テラはあどけない顔で首を横に振った。
「テラは、なにもしてないよ?」
カイルは「まあ、仕事が捗るのはいいことだ」と笑って作業に戻ったが、ジークだけは疑わしげに妹を見ている。彼は知らない。数日前、テラが作業場の隅にある「除湿の魔導具」の回路を、お気に入りの銀のペンでほんの一線、書き換えたことを。
(だって、あの配置じゃ空気の対流が死んでたんだもん。角で風がぶつかってノイズになってたから、少しだけ面の構成を整理してあげただけ)
テラが握っているのは、エラが彼女の要望を完璧に形にしてくれた特注の銀のペンだ。製図用シャープペンシルのような低重心のグリップ感と、万年筆のインク保持システムを兼ね備えた、この世界で唯一の精密筆記具。
だが、これはまだエラとテラだけの秘密だ。外の世界に出るときは、テラはこれを肌身離さず隠し持っている。
(よし、この計算なら、お母さんが清書する時に魔力を一番スムーズに流せるはず。家の中ならこのペンで最高の設計ができるけど、外ではまだ「子供の落書き」に見せかけないとね)
「テラ、お待たせ! 練習、行けるよ!」
元気な声とともに、店に飛び込んできたのはアルノだった。
彼は今日も、自分の膨大な魔力を制御できず、髪が少し静電気で逆立っている。
「あ、アルノ。こんにちは」
テラは銀のペンを素早く隠し、立ち上がった。
「兄さん、テラ、アルノと練習に行ってくるね」
「ああ、気をつけてな。アルノ、あんまりテラを振り回すなよ」
ジークはそう言って二人を送り出した。妹の背中を見送りながら、ジークはふと作業場の隅にある古びた魔導具を見た。テラが触れていたあたりの線が、妙に美しく整って見えたのは、きっと光の加減ではないだろう――彼はそう直感していた。
二人は手を繋いで店を出た。歩きながら、テラは村の様子を観察する。
すれ違う村人たちの表情が、どこか明るい。
「なあ、最近、井戸の水が前より澄んでる気がしないか?」
「ああ、魔導灯も夜になると、前よりずっと柔らかい光で足元を照らしてくれるんだ。公会の連中が適当に置いたもんでも、たまには良い塩梅に馴染むこともあるんだねぇ」
そんな会話を聞くたび、テラの口元がわずかに綻ぶ。
公会のおかげでも、偶然の馴染みでもない。テラが散歩のついでに、ポケットに忍ばせた炭の欠片で、村中の魔導具の「詰まり」を解消して回った結果だ。
アルノの家に入ると、彼の母が困り果てた顔でキッチンに立っていた。
「あら、テラちゃん。ごめんなさいね、今おやつを作ろうと思ったんだけど、このコンロがまた機嫌が悪くて……」
そこにあるのは、数年前に町の商店で購入したという、ごく一般的な魔導コンロだった。
安価な大衆品ゆえに作りが雑で、火力が安定せず、時折ボフッと大きな火を吹いたり、逆に立ち消えたりしている。
「母さん、僕がやってみるよ!」
アルノが自信満々にコンロの起動陣に手をかざす。
だが――。
ゴォッ!!
アルノの強大すぎる魔力が流れ込んだ瞬間、コンロから天井に届くほどの炎が噴き出した。
「わわっ! 熱い! まただ、どうして制御できないんだ……!」
「アルノ。……ちょっと、貸して?」
テラがコンロの前に歩み寄る。
彼女の目には、コンロに刻まれた魔法陣が「最悪の設計」として映っていた。
(……ひどい。熱を逃がすための導線が、中央で渋滞を起こしてる。安かろう悪かろうの典型的な設計ミスね)
テラは足元に落ちていた小さな炭の欠片を拾い上げた。人前で銀のペンを出すわけにはいかない。だが、炭であっても、彼女が引く「線」の正確さは変わらない。
テラはコンロの横に刻まれた魔法陣の「隙間」に、炭で細い補助線を一筋、静かに書き足した。
「アルノ。もう一度、やってみて。今度は、全部の力を流そうとしなくていいよ。……この『新しい黒い線』に沿って、指先から細い糸を滑り込ませるようなイメージで。角度は、そう、斜め30度」
「えっ……? でも、こんな小さな線一つで……」
「いいから。わたしを信じて?」
アルノは恐る恐る手をかざした。テラが炭で引いたガイドに意識を集中し、魔力を流す。
その瞬間、コンロの上に、青白く、透き通った小さな炎が灯った。
それは暴走することもなく、まるで宝石のように一定の輝きを保っている。
「……すごい。僕の力が、暴れない。まるでお行儀よく、並んで歩いているみたいだ……!」
「今までアルノの力が暴走してたのは、アルノのせいじゃないよ。この『道』が、アルノの力に見合わないくらい、狭くてデコボコだっただけ」
テラは満足げに言った。「正しい道を作ってあげれば、力は勝手に、行きたい場所へ届いてくれるの」
完璧な弱火。アルノは、テラが炭で書き足したその「たった一筋の導線」を、焼き付けるように見つめていた。
その頃。隣町の魔導公会支部。
調査員のルッツは、冷や汗を流しながら上司である支部長に報告を行っていた。
「……あの子供は異常です! 公会の教本を『欠陥品』と呼び、実際に魔導灯を書き換えてみせたのです!」
「馬鹿馬鹿しい」
支部長が鼻で笑った。
「秩序を乱す不届きな店は、適当な理由をつけて潰せばいい。……下がれ」
ルッツが退出した後、影から一人の男が音もなく現れた。公会専属の「魔導執行官」だ。
「……支部長。あのアホの報告、一概に気のせいとも言えませんぞ」
男は、ルッツが没収してきた魔導灯に触れた。そこには、テラが炭で引いた、歪だが驚くほど計算し尽くされた跡が残っている。
「……驚きました。この線の角度、重心の置き方。これは魔法ではありません。理そのものを、無理やり力ずくで従わせる……身の程知らずな行いだ。これを作った者は、我々が築いた秩序を根底から壊しかねない」
「公会の権威を揺るがす毒となる前に、私が直接、その筆を折ってきましょう」
刺客の殺意が村へ向かっているとは露知らず。
テラは、アルノの母が焼いてくれたクッキーを頬張り、満足げに微笑んでいた。
第8話をお読みいただきありがとうございました。
今回は、テラの持つ「デザイン(最適化)」の力が、アルノの「強すぎる魔力」という課題を解決する様子を描きました。
また、二人の温かな日常とは対照的に、最後に公会側の冷徹な視線を加えることで、物語に緊張感を持たせています。
次回、いよいよ村の運命を左右する第9話。
テラのアプデが村全体にどのような劇的な変化をもたらすのか、どうぞご期待ください。




